2016年12月21日水曜日

なんとでもなる

昔、高校生の時に留学のチャンスがあって、行きたい一心で


自分で応募書類を書いて、試験を受けて一次二次とどんどんどんどん


突き進んでいきました。




それで受かったときに、これぐらい費用がかかるという現実を


突き付けられて、子どもなのでそれが親にとってどれぐらいの負担なのかも


わからずに、どうしよう、と思い、それほど裕福な家庭環境でも


なく、色々きりつめていたりしているのを知っていたので、


恐る恐る親に言ったところ、父がきっぱりとそれぐらいの金は


なんとでもなる、と言った一言に大きい安堵感があったのを覚えています。


今認知症が進んでいて、ぼやぼやしている父ですが、


あのときはお父さん、さすがお父さんや、と思いました。




今考えると、当時のお金で当時の国立の大学に三年分の学費くらいの


費用だったので、親にしてみると大学に進学させるだけの貯金を


前倒ししてくれたのかもしれません。




母もまったく不安がらずに、いったん合格するとすべて私を


サポートして送り出してくれました。海外など父の出張で少しロシア


に行ったことがあるぐらいなのに、あの時代、よく私を信頼して


一年も知らない国に行かせてくれたもんだと思います。


今でも母は年老いた大叔母が先行きのことを心配すると、


それは今心配してもしょうがない、なんとでもなる、と言います。




今日、娘が自分が決めようとしたことがあって、先方から


確かめられたらしく、行った先から、ママは経済的にどんな状態なの、


と心細そうに電話をかけてきました。




でも、絶対に、それはなんとでもなる、と思ったのでそう言いました。




何か人生でこれはどうしてもやりたいということがあれば、


後は絶対になんとかなる、という根拠のない確信は自分が


これまで親をはじめいろんな人にその思いを支えてもらった


からだな、と改めて感じます。




一番大きな問題は、どうしてもこれがやりたい、と思えないことです。




何があっても、娘の思いを支えることができる、とまた根拠のない確信を


持ってしまいました。




自分も、どうしてもこの考えを博士論文として結実させる、という気持ちが


なければ、自分が心から納得しなければ書くことはできないなあ、


と娘の声から改めて思いました。
また、過去から家族から後押ししてもらいました。ありがとう。



















2016年12月20日火曜日

会話と対話

そもそも大阪大学に博士後期課程で行こうと思ったのは、


鷲田清一先生がいらっしゃったからですが、大学院に入院した年は、


総長ではなくなり他の大学に行かれてしまい、授業も講演もない。


平田オリザさんの授業も受けたいのですが、


なかなかタイミングも合わない。うまくいかないもんです。






お2人の講演に行きたくて検索していると、


平田オリザさんの日本記者クラブでの講演を見つけました。


はじめは、民主党に協力していたのかあ、


とがっかりしていたのですが、さすがいろいろなことを経てきた方です。


ちゃんと聞けます。今聞いています。




https://www.youtube.com/watch?v=fsxk79EbsDc

2016年12月14日水曜日

最終発表前

今日で、非常勤先の通常授業は最後で、来週から


最終発表です。




いやあ、前期後期と一年間じっくり彼ら彼女らと突き合わさせて


いただきました。高校卒業して大学に入学ほやほやの4月から、


ひとりひとり、色々新しい経験があっただろうなあ。




こちらは、毎週一回それも授業で会うのと、授業の中の出来事、


毎回のタスクややりとり、シャトルシートで彼ら彼女らの様子を


かいまみるだけですが、昨年は半年だけだったので、一年の


最初から最後までははじめてです。ちょっと感無量。






まだ、18歳とか19歳で体は大きいけどまだまだ子どもみたい、


と思いつつ、スポーツやアルバイト、人間関係や家族に囲まれ、


はじめて一人暮らしをして、私には想像しきれない色々なこと


を経験していると思いますが、何かこの授業で得たものが


あったかなあ。




少しでも、何かこれからの彼ら彼女らの人生に役に立つ経験で


ありますように。




私もふうふういいつつ、毎回の授業の準備とフィードバックに


何をしているんだろう、なんでこんな時間がかかるんだろう、と


思いながら、でも、やり甲斐がある仕事でした。


ぐだぐだなところも色々あって、申し訳ない。。。




来年もさせてもらえるようなので、もっともっとみんなに


英語だけでなく、ことばの深さ、人生の深さがちらっとでも


感じられ、長い人生を支えるいろいろなモノの中の


一つの小石になるようないい授業をしたいです。




最終発表でどれだけ全員と自分が成長したのか、来週から楽しみです。









2016年12月11日日曜日

休学

今週、同期のD3の博士論文審査会に参加しました。




彼は中国の人なのですが、すごいなあ、と思ったのは、指導の先生の


考え方を取り入れつつ、自分の考えを貫いていて妥協をしていないことです。


日本人にありがちな、指導教官や授業を受けた先生方の論文を


参照して媚びる、ということは一切していません。でも、きちっと先生の


考えを咀嚼して自分のものにしています。質疑応答も丁寧で反論も


バランスがとれていて説得力がありました。こういう人が研究者として


自立していて本物だと思います。論文も質疑応答もすべて日本語ですが、


日本人のDよりもずっと優れていました。




こういう友人に恵まれてほんとうに幸せです。




私と言えば、博士論文の作成も、今月の発表の原稿も思う通りに進まず、


今教育学研究の基本に戻ろうと思って、今日はこの本を読んでいます。




秋田喜代美・能智正博監修 秋田喜代美・藤江康彦編(2007)


 『事例から学ぶはじめての質的研究法 教育・学習編』  東京図書






読みながら、京都教育大学の大学院で科目履修をはじめたときの衝撃と


感動を思い出し、ああ、でもやっぱり自分のやりたいのはこっちだな、と思いました。




言語文化研究科は、教育についてつきつめて考える文化はあまりありません。


あるとしても大学教育です。言語と文化について考える研究なんですから


それは当然です。




ここの大学では言語教育というと、日本語教育が主流です。




それもやっぱり違うんです。




日本の公立の中学校、高等学校でどのようにしていい英語教育を


していくのか、自分が味わって今でも面白いと思う英語を学ぶことの喜び、


日本語以外の言語で自分を表現できることの面白さ、日本人でない人と


意見を交換することの楽しさと学び、それによって少し人生観や世界観が


が変わるということを、英語が嫌いだと制度的に思い込まされている


生徒たちに味わってもらいたい。




だから日本語教育とは根源的に関心のあり方が違うのです。




休学は9月から半年だけというつもりでしたが、あんまり無理しないで、


色んな先生方の影響を受けずに、まだまだ自分のペースで悩んだり、


読んだり、書いたり、消したり、書き直したり、読み直したり、じっくり試行錯誤したい。






とにかく早く3年で博士論文を書こうと博士後期課程に入った時点では


思っていましたが、その考えも変容しつつあります。今月の発表によって、


休学を伸ばすかどうか考え直そうと思っています。こう考えると、


苦しみだった発表がだんだん楽しみになってきました。





2016年12月9日金曜日

講義力

ノートテイカ―の仕事で、臨時で学部の西洋史の講義に


参加しました。




90分の授業、先生はパワーポイントとレジュメを使いつつ、


しゃべりっぱなし。講義力、すごいなあ、と思います。しかも面白かった。


こんな授業は私はとてもできません。あこがれます。


こういう授業は得るところが多くて自分は大好きなんですが、


これをやって非常勤クラスの学生に90分集中させられるかというと


とてもできないです。




ノートテイカ―は、対象の学生と一緒に前の方に座っているので


みんなが集中しているのかどうかわからないので、前からみたくてうずうずします。






臨時ではない、固定の英語授業も英語の新聞記事を始めに


15回分を配って毎週訳してくることを宿題にして、


始めの60分は学生が段落ごとに英文を読んで、自分のやってきた


訳を読み、それに先生がコメントする、のが4段落くらい、あとの


30分は読んだ部分の表現を使った和文英訳の4つの課題を


先生が配り、学生がその場で10分くらいで訳して、できる人が


黒板に書き、それを先生が見てコメント解説するというもの。




ちゃんとまじめにやる人は実力がつく、とってもいい授業です。




でも、自分ができなかったドイツ語の授業では落ちこぼれだった


経験からすると、できない学生はついていけないと思います。


こちらはノートテイカ―で生徒側なので、先生が何をしておられるのか完全には


わからないのですが、おそらく単位を落としそうな学生を気にして


おられる感じがします。




そこにまた、優秀な学生がちゃんと鋭く答えたり、授業が


終わってから先生に納得できないところを質問しにきたりします。




先生はたいへん。






まあ、生徒の立場から翻って、


非常勤の先生の壇上からは全員見えるので、70数人あとがんばるか、


がんばれないか、ごまかすか、まじめにやっているか、


まじめだけど授業では自分を出せないのか、


口だけ愛想よくして宿題は出さなくても


この先生はあまいし、なんとかなると思っているのか、


メールとシャトルシートと授業の様子と授業の前後の様子で、


ぜ~~んぶ見えます。




さあ、厳しくしよっと。









2016年12月7日水曜日

バランスが欠けている人たち

日曜の医療現象会で印象に残ったのは、


精神科医の方が、自伝という形で発表をされたときに、


自分が精神科医を続けているのは、患者に魅力が


あるからだということでした。




治ってしまうと、その魅力がなくなって、なんだこの人は


こういう人だったのか、と拍子抜けしてしまうらしいです。




悩んでいたり、欠点があったり、なんかバランスが欠けている


人の方が、普通に生活を送っていて疑問もなく幸せな人よりも


魅力がある、というのはその場にいらした看護学の研究者、


哲学者の方々が大きくうなづいていらっしゃった感じがします。






みなさん、優しい人たちばかりだな、と思うと同時にここに何かが


あるんだろうな、と思いました。

2016年12月5日月曜日

第2回「医療現象学」研究会

こちらも、はじめてだったのですが、


「医療現象学」研究会参加してきました。




昨日の臨床実践の現象学会とコアなメンバーは同じだったと


思いますが、医療とつくがゆえに、哲学者、医者、看護師とその分野の


研究者以外の門外漢は一応ちっちゃく手をあげてみたものの、


およびでない感じ、質問もし損ねました。




昨日も今日も先生方の突っ込みとディスカッションがとても勉強に


なりました。




特に、なぜこの研究方法を選んだのか、研究課題はなんなのか、


研究の目的、研究課題と研究方法との整合性、を西村ユミ先生が


どの発表でも必ず質問していらしたことと、このところ私がはまっている本の


著者であられる村上先生がこのデータはこのような分析も可能なのではないか、


と質問されていたり、看護学の専門家らしき方から、カントの


理念と言われてもわかりません、ちゃんと説明してください、


というような質問とか、質疑応答が礼儀正しいながらも


だいじなポイントをはずさず突っ込んでおられて、なれ合いでは


ない感じがよかったです。




全体の印象としては、哲学者が実践の場を求めて看護学のフィールド


に来ていらっしゃり、看護学の研究者もそれに力を得ている、というか


お互いに刺激し合い、学び合っておられる場であるという感じでした。


お互いに慎重に言葉を選んで尊重されておられるバランスのよい


緊張感がありました。






うらやましい。教育実践の場にもこういうふうに哲学の先生方と


ディスカッションできる場があればなあ、と思います。




あ、そうか自分がコーディネイトすればいいのか。











2016年12月4日日曜日

臨床実践の現象学会

秋の質的心理学会のワークショップで教えてもらって


なかなかタイミングが合わず、やっと参加できました。


http://clinical-phenomenology.com/




感想は、もっと早く参加したかった、ということです。






分野は看護学と英語教育とは違いますが、あくまでも実践に即した


看護の実践を身をもってされている研究者の方々の真摯さ、とか誠実さ、


そして哲学と現象学の専門家の先生方がいらっしゃる安心感。




しかも、自分の大学でこの研究会が行われているということを


知らなかった視野の狭さを思い知らされて、そして、なぜ自分が


大阪大学の大学院に来たのかというと、行きたいと思い始めた


タイミングで著名な哲学者の先生が総長であられたので来てみたら、


なんか違ったということとか。




そして、3年色々遠回りしたら、この学会に行きついてその先生が


始められた臨床哲学が絡んでいる、とか。






なんか、求めよさらば得られん、ということが自分の人生には


よくあります。それがまたこう出てきた、というか。








高校生の時に、倫理社会がやたら面白くて、京都大学に行けたら


哲学を勉強したいなあ、と漠然と思っていたのですが、


もちろん学力が足りなくて、留学したので、ようよう阪大にいけて、


社会心理学とかもちょっとやってでも本当はしたいことができなくて、


社会に出て、やりたいことを手当たり次第にやって、


また戻ってきた、と言う感じがしました。




これが最後になるのでしょうか?




でもまだまだ最後ではない気がします。




また新しい地平が開けた気がします。






明日ももう一つ学会があります。
http://jnapcdc.com/LA/information/2016/1204/index.html




楽しい。











2016年12月1日木曜日

追い詰められて

もうどうしようもなくなって、追い詰められて


どうせ難解だし、読むまいと思っていたものを読み始めて


しまいました。時間もないのに。




外国語教育質的研究会の概要も出てしまい、発表まで


あとひと月になり、この週末には「臨床実践の現象学会」に


初めて参加します。




現象学的看護研究の論文は色々読んだのですが、どうしても


インタビューではない、授業実践の書き起こしに現象学的に


迫るということは感覚的にはわかるような気がしても、


人に説明できないし、なんか確信が持てない。探してはいるのですが、


おそらくこれだ、といえるような言語教育授業の現象学的先行研究もなさそう。






確信がもてないので、何をやりたいのか問い詰められて問い詰められて


論理的に説明できなくて情けなくなってしまいました。






それで質的心理学会のワークショップで指導を受けた西村ユミ先生


の活躍を見ていると、研究室のゼミで千本ノックという記事があって、


メルロ=ポンティの「知覚の現象学」、フッサールの「イデーン」、


ハイデガーの「存在と時間」を何年もかけて読んでいるということを


知りました。




ドイツ語もフランス語もほとんどできないし、自分には到底無理だ、と思って


解説書ばっかりぐるぐるめぐっていましたが、今日それで完全に


ノックアウトされてとりあえず日本語でも、と買ってきました。「存在と時間」。


西村ゼミでは何十人ものゼミ生が少しずつ読んで、発表のたびに


カバンいっぱいに資料を持ってくる、フッサールの序論の


25ページを4年かかって読んだ、という記事に圧倒されるばかり。






こんなんで、現象学的アプローチとか言っているのが恐ろしいくらい、


分析にいつとりかかれるやら。ほんと主催の先生には申し訳ない。


でも読むしかない。











2016年11月30日水曜日

シェークスピアとバッハ

全然宿題も出してこない学生が、


中間発表で出したのはシェークスピア。


今日の発表はバッハ。




どちらも自分の言葉ではない。質問されたり突っ込まれたりしても


全く答えられない。




それは他の学生たちもなにかからくりがあるのは当然感じていて、


なぜバッハを選んだのか、バッハのどこが好きなのか、


バッハで一番有名な音楽はなんなのか、突っ込みが激しくて


なか興味深い。




そのグループで今日はリーダーを志願したのですが、


グループの今日のお題は、どんなアルバイトをしているのか


グループのメンバーに聞いて答える、というものでした。




グループ全員が立ってリーダーが、He is working for--


She is working for--と答えるのですが、全部でたらめだなあ、


というのはみんなの表情を見るとよくわかります。




要するに、全部嘘で固めて乗り切ろうという態度。




さあ、どうしたものか。




腐ったリンゴが一つあるとその箱のリンゴは全部腐っていく。









2016年11月25日金曜日

外国語教育質的研究会

「英語教育」に告知しますと言われていたので、


今日こっそり図書館で見てみたら、自分の名前が


発表者として掲載されていたので、緊張してきました。






その前にはじめて臨床実践の現象学会に参加するので、


質的心理学会でワークショップを受けてからはまたしても


現象学はほとんど独学に近いことになってしまっています。






現象学以外で優れた専門家の先生方にご指導をいただいているのに、


頑固で素直に聞けない自分はなんなんだと思います。


が、自分の書きたいこととは違う、納得のいかないものは


やっぱり書けないです。






がんばろう。とりあえず、ずっと逡巡していた概要を、えいっと


主催の先生に送りました。













2016年11月24日木曜日

ふつうに生きる

今日の高校生のレッスンで、なかなか難しい内容を予定したのですが、




彼女たちの問いがいきなり繰り出されて、脱線。




一つには「夢がないねん」ということ、もう一つは「英語ってどういうふうに


勉強したらいいの」でした。






一つ目の問いに対して色々聞いてみてよくわからなかったので、「夢がない」


のか「趣味がない」のかどっちの問いなのか聞いてみました。




どっちもだと言う。将来何になりたいとか、もないし、趣味もあきやすいから


続かない。要するに夢中になれることがない、ということ?と聞いて、


何をしてるときが楽しい?と聞いてみると、ふつうにしてるだけ、


というので、ふつうに生きるのが一番むずかしいねんで、と言うと、


え?とびっくりしていました。






人生は色々あるから、ふつうに生きるというのは難しいんだ、というと


そこでその問いは終わったのか、納得したのかそれ以上の追求は


ありませんでした。




二つ目の質問についても、よくわからなかったので、テストで好い点を


とりたいという意味なのか、英語を使えるようになりたいのか、


どういう意味、と聞くと、学校のテストは勉強すればいいけど、進研模試


などは点が取れない、ということらしい。




そこで3人の英語の得意な点、不得意な点は10年ほど付き合っているので


よくわかっている自分としては、色々と本棚から出して並べて


説明をしました。文法が得意で文脈をつかめない子には多読とTED、


流れをつかむのは得意だけど文法が苦手な子には、ロイヤル英文法など


文法書をぼろぼろになるまで使うこと、生活的概念(ヴィゴツキーの)が


優れていて英語圏に憧れているけれど勉強が苦手な子には、


マーフィーの英文法を勧めました。




みんなの反応は、一人目はTEDを毎日ひとつずつでも聞く、二人目は


学校でもらった文法書がきれいで何も書き込みしていないのでこれから


使って汚す、三人目ははじめマーフィを読んでいてわからない、と言って


たのですが急に熱心に読み始め、レッスンが始められないくらいだったので


持って帰っていいよ、というとかばんにしまって持って帰りました。




さあどうなるか。




楽しみです。












細かいことにこだわりすぎて文脈がつかめない

2016年11月23日水曜日

コラボ授業

前にも書いたのですが、非常勤教員室で仲良くなった先生と


授業のことをあれこれ話していたら、興味をもってくださってコラボ授業を


提案してもらいました。






大学の許可ももらい、うちの授業の中間発表のある一日に、


ずらずら~とその先生のクラスの生徒が見学に来て、


入れ替わり、コメントをメモして、帰ってから授業で英語で


プレゼンターに手紙の形でコメントを書いてくれました。




今日、そのコメントを人数分コピーでもらったのですが、


手書きだったので、きっとみんな嬉しいだろうなあ、と思います。




こうやって日本人同士でも、英語の手紙でコミュニケーションが


できる、というのは発見でした。提案して、うまくまとめてくださった


先生に感謝。そして見学が入っても、え~といいながら堂々を


プレゼンをしてくれた学生たちに感謝です。




来週、その手紙を渡すとみんなどんな顔をするのかすごく楽しみです。




ちょっとまた簡単な返事かthank you note でも工夫して書かせて


みるのもいいかもしれません。

2016年11月20日日曜日

内在的な批評と外在的な批評

来月の発表に引用する学術書について、ゼミで突っ込まれたので、


著者のブログ、論文、その著書への批判などを今日は半日かかって


読んで終わり。




ほんとに時間がかかって情けない。




でもおかげで表題の大事なことを勉強できました。




研究者の人には当たり前のことでしょうが、これが私には


当たり前でなかったのがこの世界に入って浅い素人たる由縁。




内在的批評ー著者のロジックを精査し、その矛盾を鋭くつくような批評。
学術書の著者はそのテーマについては最も詳しい専門家であり、
ロジックの問題については度重なる精査を潜り抜けている。さらに
一般書として出版される学術書は多数の読者の目にさらされることを前提としているので、査読論文をベースにしており、徹底的に
検討されている。よってこういう批評は鋭く指摘したつもりが、単に評者の
読みが浅かったということで、情報量の増加はゼロ。


外在的批評ー著者が言及しなかった理論、データ、事例を提示することで
著者の理論を相対化する。一見的外れに見えても、著者が考えも
しなかった論点である可能性があるので、的外れの方が情報量が
飛躍的に増大する可能性がある。ただし、外在的批評は、著者が考えもしなかった理論、データ、事例を引っ張ってくる必要があるので簡単ではない。

オリジナルは寺沢拓敬氏のブログ。
http://d.hatena.ne.jp/TerasawaT/20151024/1445676048







2016年11月18日金曜日

提出の立ち合い

今日は、たまたま8年越しで博士論文を提出して博士号を取られた方と、


まさに博士論文を提出する瞬間に居合わせました。






お1人は、私が博士後期課程に入学する前からおられたずっと主のような雰囲気の


人でした。何か月か見ないなあ、と思っていたら、エレベーターでお会いしたので


今どうされているんですか、とたまたまお聞きしたら卒業して、特別研究員に


なったんです、と淡々と言われていました。分野がちがうので詳しいことは存じ上げないのですが、


博士論文を提出したらいろんな道が開けてきた、とほっとしたようにおっしゃっていました。


後から、今日が特別研究員になられて一日目だったということを知りました。


8年かかりました、でも書いた方がいいです、と言われていました。


院生室で、研究室がもらえそうだ、と嬉しそうに言われていたのが印象深かった。








もうお1人は、前期授業をご一緒した方で、今日たまたまPC室でお会いした時に


博士論文提出一時間弱前でした。もう、ほんとにたいへんそうで、二ヶ月寝ていない、


と足を引きずっておられました。頭がおかしくなりそう、こんなに体を壊しながら


やることかと思う、と、貫禄の社会人で、会社も経営されていて、講演も論文も


沢山経験がある人なのに、これは全然違う、と力をこめて言っておられました。






ここで博論を提出する、ということがどれだけ特殊なのかが伝わってきます。




他の大学は知らないので、どこの大学であれ博論を書くということ自体が


特殊なのだろうとは推測がつきますが。






ともあれ、体力と精神力があるうちに書くものだなあ、ということはわかりました。

















































12月を迎える

12月上旬に博士論文審査会があります。


本来は、この審査会に自分が出す予定でしたが、でも、もちろん


いきなりこの世界に入ってきた素人が3年弱で出せるものではないです。






でもなんというか、時間が自分を成熟させてくれるというか。


修士課程に合格し、入学した時、M1,M2、そして修士論文をもがきながら


提出した時、博士後期課程に合格し、入学した時、D1,D2,D3の前期まで、


そして今D3の後期で入学しているこの今。




すべて、見ている心理的な景色が違います。




博士論文審査会も、年に二回あり、D1の時から何回も見てきました。


自分を奮い立たせようと思って学位授与式も後ろの方で


見つめていました。




でも、今年はすべてが違う。




同期のD3が博士論文審査会に提出すると決死の覚悟を決めています。


そして、認められれば学位授与式で彼が博士の学位を授与されるのを


みることができる可能性がある。




しかも、彼は外国人で、日本語で博士論文を書いているのです。




すごい、としかいいようがありません。




昨年も、仲良くしてくれたタイの留学生が日本語で博士論文を書き終えて


帰っていきました。




彼らのすさまじい頑張りに自分も勇気づけられます。






半年は休学させてもらったけど、なんとしてもがんばろう、しかも


修士の時とはちがって英語、日本語どちらか、という選択肢が


あり、激しく迷っていましたが、日本語で書こうと思い始めています。




日本語でなければ書けないことがある。




12月24日に、この2週間指導教官のゼミで発表したことを


ある程度まとめて、外部の研究会で発表し、その勢いで分析と考察を


深めて、来年の7月に彼に続いて博士論文審査会に突入していくのが目標です。






先生方、仲間の時間をとってもらい、聞いてもらい、意見をもらい


なんとかなんとか進んでいます。ほんとうにありがとうございます。




まわりの人に勇気づけられます。がんばろう!







2016年11月16日水曜日

学校へ行く理由

大学の一回生(関西では一年生を一回生と言います)の時に、


自分はどうだったのか考えてみました。




今同じキャンパスに来ているのでその頃を振り返るのが難しい。




実は思い返すと、あまり自分の大学が好きではありませんでした、ごめんなさい。




留学仲間のはなやかな阪神間の私学と比べて、殺風景で


なんかださくて理屈っぽくて優越感と劣等感の間で揺れている


そんな大学生が自分と同じと思えてあまり好きではなかったです。




隣の芝生はいつもよく見えるのです。




授業は特に、統計学とか数学系は大嫌いで、頑張って大学に入って


好きな勉強ができると思ったのになんでいまさら数学とか体育とか


しなあかんねん、と思っていたし、期待した心理学も実験系で


思っていたのではなくてすぐがっかりしました。




図書館も行ってみましたがその当時はしょぼい、と思ってとても


学問的にすごいとインスピレーションを書きたてるようなものでもなく。




結局は自分が求めるもとを与えられると思って進学したら何もなかったと


いう不毛な気持ちを抱いただけでした。




いや、それはひたすら自分に学問的な素養もなく、受験勉強をしたら


何かが開けると期待しただけで、与えられると思っていたら自分が


求める力がなかったというのは大学院に入って5年目を終わろうとしている


今も同じ。




その気になれば、求めるものがあれば、得ることはできるはず。




でも本人とその学問分野や専門家の先生との相性もあることも確か。




学校へ行く理由が感じられない、という一回生がそう感じてしまうのは、


自分に起因しているのか、一介の非常勤教員として責任を感じるけど、


せめてこの授業だけは大学に来る理由になってくれるように、あと数ヶ月、


がんばろう。



















2016年11月8日火曜日

見学される側

自分の授業を他の先生が生徒と見学に行きたい、


とチャレンジングなリクエストを受け、大学の許可も出たので、


2クラスのプロジェクト発信型英語授業を見に来ていただきました。






先週告知したところ、学生たちはそわそわ。


授業の始まりに黒板に「後ろの2列は空けておいてください(見学者が入ります)」


と書いておくと、え~、見学あんねや、と思い出したようで、また


少し緊張が走りました。


結果としては来てもらってよかった、です。おかげでいつもより、


ずっとにぎやかな雰囲気になり、ぴりっとしました。




見学者も同じ学年なので、友達もいるらしく、知り合いが英語でプレゼンする、と


いうのが珍しいのか、最初はシーンとしていました。極度に緊張している


プレゼンターもいましたが、大体いつもの雰囲気でできていたと思います。








ふりかえりのシャトルシートを見ると、この日の発表者は緊張していたと思うのに


堂々と発表していてすごい、と思った、という感想もいくつもありました。


また、見学があって緊張したけどやりきった自分に満足したというコメントが


今日のプレゼンターからありました。





見学が入って嫌だった、という感想は一つもない。






みんな、他者に見られることによって、何か乗り越えるものがあったんだな、と


いうことを感じます。








いつもは自分が研究のために他の学校の授業に他者として参加し、


申し訳ないと思ったりするのですが、今回は逆に見られる側になって


他者の視線にさらされることが、なれ合いになりがちの授業に


新しい意味、新しい価値をもたらすなあ、と思いました。




来てくださった先生のクラスは、コメントを英語で作文して


フィードバックしてくださるそうで、それも楽しみだ、という意見も


ありました。





2016年11月7日月曜日

ヴィゴツキー学第18回国際大会

今日は、表題の学会です。


三宮の駅前の勤労会館が取り壊し予定というようなニュースを


聞いたことがあったので、毎年ここでやっているのにどうなるんだろう、


と心配していましたが、今年も無事に開催されました。




今の師匠の西口先生がこの学会は大好きだと言われていたので、


来られるだろうと思ってちょっと忙しそうなので受付のお手伝いをしていたら、


登場され、元の師匠も来られて、もちろん神谷先生、土井先生、


そしてロシアから帰国して一年になられるそうですが伊藤美和子先生も


ごめんなさい、受付の段取り遅れてと登場され、2人でしばらく


ばたばたと受付をしていました。




印象としては、これまで参加させていただいた中で一番充実した、濃い


時間だったと思います。それぞれのレジュメが分厚く、難解、なのは


いつも通りなのですが、10時から17時まで気をそらすことができず、


特に参加されている先生方の質疑応答が貴重で、どの学会よりも


(といってもそんなに多くは参加していない)歴史に残すべき、この時間に


自分がいて耳をすましていることがありがたい、というそういう


時間でした。




学会のプログラムはこちら。


http://vygotsky.blog.fc2.com/blog-entry-68.html


それは、先生方が純粋に、ヴィゴツキーが追求したいことを追体験


したいと、そして教育とはなんなのか、子どもたちに対峙する教育の


本質、ことば、人格、発達とはなんなのか、ということを追求したい、


ということ、それがこの学会を続けていく原動力になっているからだと


思います。




いつも模造紙に手書きで書いたプログラム、華々しい宣伝はしない、


でも深く深くロシア語で書かれた文献をロシア語と日本語で丹念に


丹念に追っていく。ロシアでヴィゴツキーとゆかりのある人たちと


交流し、その結果をとにかく学術誌として残し、本として残す。




そこには、お金もうけをしようとか、これで権力を得ようとか


そういう気持ちはみじんもない。ひたすらひたすら、自分たちの信じた


ヴィゴツキーのありのままの姿をできるだけ残そうと、今


英語圏で流行していようがなんだろうが、そういう風潮に流されず、


きちんとした学問の基盤を残そうとする先生方の心意気がすごい。




なかなか元師匠とゆっくりお話もできなかったのですが、


合間にランチができてアウシュビッツに行かれた、とお聞きしました。


もっといろいろとお話をお聞きしたかったのですが、


コンタクトを落とされかけたり、


ごほごほ咳がひどかったので、だいじょうぶかな、と


心配です、どうかいつまでもお健やかに、長生きなさってください、


くれぐれも無理をなさらず。













2016年11月5日土曜日

ある訴え

今日、ちょっと院生と話していて日ごろ危惧して


いることがやっぱりな、と思った事がありました。




うちの研究科は、人文系で言語ということもあって


留学生が多いのです。ほとんどの留学生がアジア系で


なかでも突出して多いのが中国から、そして韓国、


他は台湾、インドネシア、タイ、モンゴル、ロシア、トルコ


などの学生たち。




これだけ多彩な留学生がいるのに、なぜか日本人の院生との


コミュニケーションがあまりない。




日本語が好きで、日本が好きで来てくれた留学生たちなのに、


どうも日本人の院生が未熟でコミュニケーション能力もない上に


自分が自覚していないいわゆる差別意識があるらしく、


それを敏感に感じる留学生が、傷ついて同じ国の留学生同士で


労わりながら、グループでこもってしまうらしい。




せっかく2年も近くで勉強しているのに、もったいない、


ここでおばさんが出るべきかと思うのですが、


ちょっと逡巡します。でもたぶんできるのはこの中途半端に
お母さん的な自分がやるしかないのかなあ、という気がします。
どうしたらいいのか、でも手出ししてしまいそう。。。

2016年10月27日木曜日

ノートテイク 文学科卒論修論中間発表会

申し訳なさすぎる、という気持ちです。






前にも書きましたが、聴覚障害の学生さんの支援として、


授業を聞いているあいだにパソコンで先生の講義や


教室での会話をうちこみ、画面で見せるという大学内での


仕事をはじめました。




二回研修を受けて、私もできるやん、と思い、一回目は


文学科の哲学的な分野だったと思いましたが、修論中間発表会


のノートテイクをやり、自分の興味のある臨床哲学的なものだったので、


まあまあうまくいったと勝手に思いました。


あとは固定で、基礎工学部の一回生の英語授業を毎週一回しています。


これも、学生さんはだいじょうぶ、と言ってくれるし、できると


思っていました。




それで、今週は、文学科の日本文学・国語学・比較文学の


卒論修論中間発表会のノートテイクに応募して、3日間やりました。




もうほんとうに申し訳ない。院生のD2の方のノートテイクだったので、


学部生の人とは全然要求水準が違います。


ノートテイクのシステムは、対象学生をはさんで、2人のノートテイカ―が


一行ずつ聞いた音声を文章に書き起こしていきます。






一回目は、アブストラクトを読んでいたにもかかわらず、


古典や俳諧や源氏物語など音声で聞くとまったく何がなんやら、


と言う感じで、終わってから、対象学生さんがびっくりされたように


前後関係がひっくり返っていてわけがわからなかった、相手の


打ち込みをみながらやって下さい、と言われたのですが、


自分が必死だったのでもうこれ以上は無理だと思いました。




二回目も、古典ではなかったのですが、魯迅と芥川の比較考察、


三島由紀夫、江戸川乱歩、でまだましだとおもったのですが、


やはり同じ注意を受けて、落ち込みました。




今日は三回目で、宮地嘉六、川畑康成、庄野潤三でした。


終わってからかなり前後関係がわかるようになってきました、


お疲れさまでした、と一応言われました。もう一人のノートテイカ―さんには


最近入ってきたんですか、と事後確認され、それで自分の仕事の


ひどさがわかりました。




これまで勝手にだいじょうぶとおもいこんでいましたが、


実は学部生にも迷惑をかけているけれど、我慢してもらっているんだということが


身に沁みました。






私はほんとに厳しく言われないと、どうしようもないらしい。


たぶん、優しくされるとそれ以上発展しない。


情けないけど、がんばります。







2016年10月22日土曜日

杖道 合気道、講演

内田樹先生のおっかけだということを知っている友人が


毎年教えてくれるので、今年は(も)へとへとだし、もういいかな、と


思っていたのですが、やっぱり先生の元勤務先の大学での


大学祭に伺ってきました。




合気道も杖道も、これで見るのは3回目、3年目です。




見るたびに自分の見方が深まっていくような気がします。




それは自分の研究の深まりにつながっていて、


身体とか、対話とか、先日撮影にいった中学校と高校の


授業とか、現象学とか今日までに見たり考えたりしたこと


が、武道を見るときの身体の動きに影響しているのだと


思います。




大学祭の実行委員長が、内田先生の講演の前に


SNSには内容は書かないようにしてください、と言って


いたので詳しくは書きませんが、先生の魅力が全快の


素晴らしい講演でした。




一つだけ書くと、新聞やテレビや、政治や何もかも信じられなく


なったときに何を信じればよいのか、というと、自分の直感と、


その人の声、ということでした。声?バフチンの声、ということを


考えながら聞いていると、倍音、という話をされていました。


自分が信じていることを話している人は、その人の身体も


共鳴するので、その人の声には倍音があり、聞いている人は


自分の聞きたいことをその倍音に聞く、という話でした。






平板な声で話しているひと、キンキンした声で話している人は


自分の言っていることを信じていないので、その人の身体が


共鳴しない、だからそういう人のいうことは嘘なのだ、ということでした。







2016年10月15日土曜日

根本のところ

昨日今日で思ったのは、一時的に違和感があったり、何か誤解が


あったりするようなことがあっても、遠慮しないで本音をぶつけたら


なんか解決するんだなあ、改めて思いました。




遠慮するともしかしたら誤解のままで終わってしまうかもしれない。




ただ、私が話している相手は20代の院生であったりするので、


それは利害関係のあるそこそこ社会的に確定してしまっている


40代以上の人には通用しないかもしれないですけれども。






私ががんがん言うとすごく傷ついてしまう人もいるし、でも


全然傷つかずにディスカッションがどんどん深まって最初の


齟齬を解消できる人もいる(まあ自分がそう解釈しているだけで


我慢させているのかもしれないけれど)、ということを思いました。




何を自分が大切に思っているかということを妥協しないで、


議論して、根本の価値観、とか世界観、教育観などが一緒だということを


見極められる相手だと安心して話ができます。






それは本当に幸せなことだと思う。





2016年10月13日木曜日

阪なり会 他

お世話になっている先生からお誘いを受けて、


大学の、女性がやわらかく理解しあう会?というような


表題の会にちょっと参加してきました。






そこで話題になったのは、ノーベル賞に関する、こういう記事。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161007-00010000-bfj-soci


ノーベル賞を受けた瞬間の奥さんの取材もちょっとだけ見ましたが、


NHKがどんな研究者だったんですか、と聞くと、さあ、普通の研究者


ですよ、変わりはない、というのを聞いて、この方も研究者をよく知っている


世界にいる人なんだ、と思ったぐらい。






共同研究者、ということも一切報道されず、ノーベル賞受賞者の妻、


としてしか報道されなかった、というのを今日聞いてびっくりしました。




と、同時にそういうことを疑問にも思わなかった自分はずいぶん長く


男性社会に浸りきって慣れきってこれまできたんだ、ということを


思い知らされたりもしました。







2016年10月11日火曜日

シャトルカード

非常勤の授業を、今年始めてから、ずっとシャトルカードというのを


やっています。






メールで宿題を出してきてくれるので、それへの返信もコミュニケーションの


一つにはなるのですが、シャトルカードはA4一枚の裏表で、15回分になっていて、


授業で毎回、受講者の学生が授業の終わりに一言感想を書き、


それを見て私がコメント也返事を書き、次の授業の終わりに配ると、


私の返事を見てまた学生が書く、という双方向のツールになっています。






これがすごく楽しみで、授業が終わってくたくた、今日の授業の整理と反省、


参加点や宿題点をつけたり、していてもう授業のことは何もしたくない!、


と思っていても、シャトルカードを改めてみると、今日の試みに対して


みんながどう思っているのかが感じ取れてすごく面白いです。




例えば、ほんとうにみんなグループワークが苦手なので、今日は無理やりに


机を島にしてもらい、先週作ったグループで活動しやすいようにしてみました。


すると、シャトルカードに楽しかった、グループワークうまくいった、普段しゃべって


いる人と違う人と活動できて面白かった、と書いてくれたりもします。




いやかな~と思っていたので、ちょっとほっとする。




末端の非常勤講師なので、シャトルカードでコミュニケーションできるだけの


人数のクラスしか持たされていないのですが、それが返ってこの楽しみの源泉に


なっています。プロの先生は100人単位の授業をいくつも持っていらっしゃるので、


そんなことは到底無理。




末端隙間教員の強み!







2016年10月8日土曜日

「新版 質的研究入門<人間の科学>のための方法論」

今の時期になって、どうしてもっと早く出会わなかったんだ~と


いう本に出合うことがあります。




表題の本がそれ。タイトルからすると、原書はドイツ語らしい。


Flick, Uwe. (1995, 2002, 2007). Qualitative sozialforschung. Hamburg:Rowohit Verlag.


日本語版の監訳は、小田博志、訳者は小田博志、山本則子、春日常、宮路尚子


出版社は春秋社、初版2011年, 翌年に第二版なので、学術書としては


すごく売れているみたいなのに、今頃(しかも偶然に昨日)出会うなんて。




昨日から、他の本をストップしてひたすらこの本で自分の理論的立場を


俯瞰したり、整理したり。




おかげで、どんづまりになっていた考えが進みそうです。




大学院に入った時点で、質的研究をしようと思った時点で


この本を読むことをお勧めします。




でもある程度、哲学とか認識論とかに迷い、質的研究をいろいろやってみて、


自分の研究は何なのか、もがいた後で読む方が、理解しやすいかもしれません。













2016年10月2日日曜日

英語教育における質的研究コンソーシアム 10月1日

また、こちらに昨日のパワーポイントは共有される予定なので、
とりあえず、メモだけアップします。


http://eltqualitativeresearchjapan.blogspot.jp/


聞くべき方々に聞いていただくことができて、よかったなあ、と思います。


自分は、会話分析の緻密な論理についていくことは結局できなくて挫折したし、


聴衆が、院生だったり少数のひとたちだったりするので質疑応答がうすく、


もっと英語教育の研究者でも質的研究にある程度知識があり、質的研究を


模索している人たちに聞いてもらわないともったいない、とずっと思っていたので、


たまたま、ご縁があってよかったです。






岡田悠佑先生の授業は2年も聞いているし、同じ素材の発表も何回も


聞いているのですが、昨日が一番わかりやすかった。


ご本人にそうお伝えすると、できるだけわかりやすくするように工夫しました、


ということでした。




3時間の講演の中で、前半の90分は講義、後半の90分は会話分析を聴衆に


試してもらう、という構成になっていました。




<前半の講義>メモから


まず、談話分析と会話分析はどう違うのか、よく聞かれる質問について。


談話分析というのは、包括的概念(=umbrella term)
談話を対象とする「分析法」の総称


談話分析にも色々あって、
批判的談話分析Critical Discourse Analysis などは VS 会話分析


まず、言語観がまったく違う


会話分析の言語観と言うのは、導管メタファーが示すような一般的な言語観ではなく


言語は社会的行為である、という談話構築主義(Potter & Hepburn, 2008)


ことばを使うということは、文化をするということ


人びとの方法ethnomethodを明らかにすること


どのような文化に関連付けているのか


どのような文化を構築しているのか


を明らかにすること。







1. 公聴会 I have no recollection.
2.  枝野氏  正確な記憶はありませんでした。


心の中を言ったのではなくて、社会的制裁を逃れる行為をしたということ


会話分析Conversation Analysis (CA)は相互行為においてことばをつかって
意味を作り出す方法を明らかにする




方法は、機能的構造分析 functional structural analysis (Blimes 1988)


機能というのは、特定の問題に対する特定の対処方法のこと


手順は


1.文字化
2.連鎖の前後関係から考える
3.相互行為を記述する
4.別の相互行為と合わせて考察する
5.


「隣接ペア」という私たちの文化に根差した概念がある


例えば、質問・応答、あいさつ・あいさつ、依頼・応じる/断る など
ペアの一つ目の要素と二つ目の要素は隣り合っている
一つ目の要素と二つ目の要素は別々の参加者がおこなう
二つ目の要素には優先の序列がある 1.
                         2.
                         3.
  適切なものがなければ次の序列
一つ目の要素の直後に二つ目の要素(の即答)を期待する 




妥当性


相互行為の流れ(連鎖)の文脈によって意味が変わってくる


参加者がどのように相手の行為、発話を理解したか見える形でわかるので、
これを担保として分析する
next turn prove procedure




応用会話分析 Applied CA (Antaki, 2011)


1. 基礎再構築への法要
2.マクロ的社会問題への応用
3.不調和コミュニケーションへの応用
4.
5.制度的場面への応用 ←日常会話とどう違うのか
6.協調介入への応用


このうち、5,6が英語教育に応用できる


利害の絡んだ場面は就職や進学など、L2話者の方が多い


ここからタカタの公聴会の分析でしたが、これはもう論文でも発表されているし


あちこちの学会で話されているので省略します。




英語教育との関連は、


共感や反感のやり方を使用可能な相互行為資源としてストックしておくことが
重要である、ということでした。


英語全体の相互行為のロジック、および、特定の場面の相互行為のロジック
をL2学習者に理解させないといけない


コーパス言語学はいいんだが、語彙とライティングにとどまっていて、ロジック
にまで至っていない


<講義のあとの質疑応答>


Q 文字化の意味とは?
A 動画だけだと見逃すものが多い。文字化すると見える化、とくに前後関係で
  決まるものがわかる


Q 公聴会などだと、権力のアシンメトリー、L2話者の言語的制限があると思うが
  それをどうやって分析に反映させるのか
  ボトムアップとトップダウンをどこまで融合させるのか
A まずは、トップダウンは一度横においておく。まっさらな気持ちで見ていった
  上で、浮かび上がったものを、関連付けていく。その塩梅は会話分析の
  研究者によって違う


  読者とのラポールがどれだけ築けるか、ということが重要


Q 会話分析と応用会話分析との違いは?
A 会話分析は社会学としての相互行為分析、どのようにして意味を作り出して
  いくのか、と見る
  応用会話分析は、特定の場面でいかに制度的な問題(例えばジェンダー、医者
  と患者)に応用していくかをみて、ある限定された文化の集団のために
  何かをする
  英語教育であれば、  成すべきことを成すための相互行為での
  英語の使い方、どのような課題があるのか、どのような英語の使い方を
  求められるのかのロジックを、実例から「見える」形で解明すること。


Q 解釈主義ではないのか?
A そもそも解釈主義でない研究などあるのか。会話分析ではトライアンギュレ―ション
  のようなことはしない。よりみえているものに基づいてその見え方を
  データセッションでその見方を洗練する。ので、まったくの思い付きで
  ない、ということろにその妥当性がある。


Q CAはどういうふうに教育に活かされているのか?教材は?
A Stokoe がCA role play methodを開発しているし、スェーデンなどでは
  面接方法などを教育に使っている


<後半>


配布資料


・データセッションガイドライン
・トランスクリプト記号一覧
・書き起こしデータ


TA面接のビデオを二回ほど見て6人ほどのグループワークで
書き起こしを見乍ら、それぞれ一か所分析を話しました。


その後、会話分析に興味のある人は


1.独学では難しいので会話分析の授業を複数受ける


2.データセッションに参加する
  CAN-Kanto 大妻女子大 古川先生
  CAN-Kansai テンプル大学大阪


3.普段から会話の成り行きに注意する


4.岡田先生のホームページで紹介している会話分析入門本を読む
  https://sites.google.com/site/liloarise2690/


  「専門家」になるのは難しいので「リテラシー」を身に付ける
 
などのアドバイスがありました。




  



2016年10月1日土曜日

手ごたえ 他

もう返さないといけないのに、山のように積んだ本が読め切れていなくて


四苦八苦しています。全部、貴重な資料なのに。




現象学、エスノメソドロジー、会話分析(もう首になったも同然ですが)の


間を行ったり来たりして自分の場所を探しています。




ナラティブ分析と談話分析もあるんですが、そっちはインタビューがメイン


なので、ちょっと自分の見たい現象とはちがう。




私の見たいことはたぶんインタビューでは見えてこない。


見えてくるかもしれませんが、それは今の段階では対象と


していません。




私が見たいのは、今まで他人事であった外国語、死んだ言語、


教科書のインクの汚れ、教師に押し付けられた何か、諸々、


自分に関係ないものであった何かを、どのようにして


自分が行為をするものとして捉えるようになるのか、という


ただ、ひたすらこの一点だけなのです。




実はそれが学校であろうと、教室であろうと、塾であろうと、小学生、


中学生、高校生、大学生であろうとかまわない。でもできるだけ早い段階で


大人になる前に、外国語まあ英語ですがそれを自分が行為を成しているものと


捉えるだけでその人の人生に広さと複雑さを与えてくれる、


そういうことに自分が役に立つだろうという直感に基づいて


いるだけなのです。




まあがんばってみます。




後期も、なんかに気付いたのか、前期まったく宿題を出してこなかった


学生が真っ先にメールで宿題を送ってきてくれました。それも


ちゃんと自分の興味のあることをまっすぐに見据えて、拙い英語ででも


書く。わかってくれたんだな~と思って、ちょっと感動しています。











2016年9月30日金曜日

認知

「どのような認知がおこなわれているのかに対して。。。」


こういうものの言い方、その言い方が表す、


世界観、人間観、教育観、科学観、言語観が


ものすごくひっかかる。はっきりいうとその上から目線が


むかつく。


http://s-locarno.hatenablog.com/entry/2016/09/28/180000



2016年9月29日木曜日

アンケートとか

英会話学校の講師をしていた時は、毎年生徒のアンケートが


あってその結果で時給の査定が決められていました。




民間の企業に勤務していた時ももちろん査定があって、それは


上司が決めるもの。最後に勤務していた企業では、一年と数か月自分が


管理職だったので、勤務の査定をされる当事者としての強烈な感情と、


査定をしたその結果査定をされる側の強烈な感情を受け止める側と


企業では両方を経験しました。




英会話学校の査定の結果はほんの10円くらいなのですが、それでも


先生によってはすごく侮辱的に受け止める、というというようなことを


当時聞きました。




私は素人だったし、勤務したのもほんの2年か3年ほどだったので、


受講者のコメントで、近所のおばさんに教えてもらっているみたいだ、


というコメントだけ覚えていて下がりはしなかったことだけ


覚えています。




昨年の後期とその結果、また今年の前期、考えて考えて成績をつけて


よかったのか悪かったのかわからないけれど、先日後期の授業で


生徒のアンケート(成績をつける前の)の結果をもらって、


ぜんぜん驚かないなあ、と思いました。自分でまだまだだなあ、と


思っている2クラスは大学全体の平均よりすべての項目が若干下、


そしてコメントは全くない。(まあ全部の授業にアンケートを書かないと


いけないので、うっとうしいであろう)


一番感触がよかったクラスはすべての項目が平均より上で、


(私にとっては)熱いコメントをいくつももらってすごく嬉しかったです。


がんばってよかった==!


同じことをしているのに、なんでクラスによってこう違うのか、というのは


授業はやはり教員と生徒で協働構築しているものだから。






自分が準備にかけた手間、学生の志向、コミュニケーションの取り方、


英語に対する熱意、何をしたいのか伝える細かい気の使い方、


人数や空間、空気の読み方、学生の1人1人のできることできないこと、


今彼らが大学生活で何を見ているのか、指導法の研究と実践、


反省、すべてが授業につながるんだなあ、と思いました。




研究もまだまだだけど、授業もまだまだ。




今日読んだエスノメソドロジーの本でも、実践をそのフィールドの


実践家と同じくらい浸らなければなにもわからない、と


書いていました。そりゃそうです。


大学で2コマ3コマ授業をしているぐらいで何がわかる?





2016年9月27日火曜日

後期授業スタート

非常勤先大学での後期授業が今日始まりました。


大学の授業のシステムがよくわかっていなかったので、


初めて受講する学生にもと思って準備していた諸々の資料は


全く役に立たないということが、当日わかりました。




と、いうのは、後期の私の授業の受講者はほぼ全員前期の受講者


なので、初めての学生は一人もいない。






前もって、教えて~~~~~!




というか、自分が授業スタート前に調べていなかったのが


いけないんですね。






ともあれ、


後期は、私も学生も前期でお互いを知っている状況で始まりました。




21人+36人=57人 前期よりも一クラス少ないですが、この彼らと


がっつり取り組まねばならない。




大学からは、前期授業のアンケート結果が非常勤講師室のロッカーに


入っていました。前期3つクラスを持っていたのですが、2つのクラスは


すべての項目が、大学平均以下。ただ、1つのクラスはすべての項目が


大学平均を上回っていて、自由記述欄にも、「2回生にもなってもやりたい(できたら)」


とか「最初は不安」だったが「楽しく」受けることができた、とか沢山ポジティブなコメントが


あって学生たちの役にたったんだなーと、思いました。




みんなの顔を見ていると懐かしかったです。


こういう仕事を与えられて幸せです。がんばろう!!



2016年9月26日月曜日

「ナラティブ・時間・コミュニケーション」

質的心理学会の招待講演は


名古屋市立大学の野村直樹先生でした。


ベイトソンを研究なさっておられるそうで、自分の興味のある土台が


ある上に、E系列の時間、という新鮮なトピックで


9時半から12時まで、私にしてはまったく集中力が途切れることのなく


講演の休憩にはもう、表題の本を買っていました。




音楽、画像、詩、朗読、と聴覚と視覚、リズムなどをフルに活用した


講演で、終わるころには「時間というものにはあるのか?」という


大きな問いに巻き込まれてしまっていました。


まるで魔法にかかったようで面白かった~~!




でも、やはり学会で賢い論理的な人たちの集まりなので、質疑応答も


論理的だし、それに対する野村先生の情熱あふれる回答もちょっと


ごり押しだし、終わってから階段を下りていると「あれって時間なのか?」


「まあ、本を本で見ろってことだよな」という冷静な感想が聞こえて


来て我に返りました。




でもとっても魅力的な講演で、生きよう、という気にさせていただきました。


ナラティブ・セラピーってこのことかも。





2016年9月24日土曜日

質的心理学会一日目

朝からフル回転。聞きたい発表がいくつも同じ時間帯に重なっている~。




聞いたのは、


TEAワークショップ 
分岐点分析の意義と「クローバー分析」の考え方
サトウタツヤ(立命館大学) 市川章子(一橋大学大学院)


会員シンポジウム
ビジュアル・ナラティブの方法論と現実を変革するイマジネーション
やまだようこ(立命館大学) 他


ナラティブをメタ分析する―言語教育からの探求-
島津百代(関西大学) 他




ポスター発表は、


オートエスノグラフィーによるキャリアの「語り」の可能性―「転機」と「自己物語」の視点から
土元哲平 鹿児島大学教育学研究科


ピアジェの発生的認識論のスピノザ的解体ー(3) ベルクソンによる意味の身体性批判
小島康次 北海学園大学


同級生の大学生と社会人の再会場面における「自己の変化」に関する談話特性
―三慮社のポジショニングに着目した検討―
阿部廣二 早稲田抱く学大学院人間科学研究科


質的研究の意義から見る読み手の位置づけー個人の経験の意味づけや解釈を探求する研究を対象にー
伊藤翼斗 京都工芸繊維大学
大河内瞳 関西学院大学
香月裕介 神戸学院大学


一日目の感想


1.
もっと早くこの学会に来るべきだった。自分でやたら敷居が高いと思い込んでいたので
2,3年前に立命館大学で開催されていた時も行かなかったし、昨年も先生に誘われたのに
行かなかったのが悔やまれる。質的研究のメッカだし、今、どんな質的研究が流行っているのか一目瞭然で、ワークショップもあるので、どんな分野であれ質的研究で研究をやってみたい人の教育機関のようになっている。


2.
著書で、有名な先生が多いがそういう先生ほど、本で書かれた王道ではなく最先端を行こうとして時代に合わせた軽い内容を扱っているので、がっかりすることがある。


3.
能智正博先生の「APAの質的研究論文評価基準を読む」というシンポジウムを楽しみにしていたが、部屋で待っていても始まらず、突然キャンセルになったと開始1分前に知った。キャンセルになった理由は、議題の評価基準の公開が遅れたためということだったが、準備されているはずだし、能智先生に会えると思って楽しみにしていたので、せめて登壇者は会場に来て少しでもできる範囲で話をしてほしかった。わざわざ、このためだけに予定を調整して名古屋に来たのにと言う人もいたし。あんまりだ。


4.サトウタツヤ先生の講演と指定討論をほぼ初めて拝聴した。先生の博識と頭の回転の速さにびっくり。ちょっとお話しできて、なんかほっとした。ももいろクローバー分析はいらないと思いましたが。




夜は、久しぶりに会うことができた友人夫婦が、韓国料理に連れて行ってくれました。実のある話をたくさんできて楽しかったし、私が頑張っていることを前向きに評価してくれたので、本当に救われました。ありがとう~!参鶏湯、石焼ビビンバ、ニラキムチ、ナムル、マッコリ全部美味しかったです。


帰りに寄ったホテルマリオットでいただいた白ワインがこれまた美味しく、論文の読みがラウンジで進む進む。


明日も、頑張って参加します。




来週はいよいよ、せんせとして授業だ~!帰ったら、準備の仕上げ、こっちもがんばりましょう。



















2016年9月23日金曜日

質的研究法セミナー

日本質的心理学会の、学会前のワークショップに今日行ってきました。


講師は、首都大学東京の西村ユミ先生です。


『現象学的研究入門―分析と記述』というタイトルで、


研究方法を具体的に教えて頂き、分析例とグループワークで分析の実習、


その発表、論文を書くときの注意まで、濃い内容でした。




このワークショップの予習で、看護学関係の論文を


二日ほど集中して読んでいたのですが、なんせ内容が


重い。ICU緊急入院患者の家族の情緒的反応に関する


外科医へのインタビューとか、胎児が遺伝病だと


告知された妊婦の中絶に関する語りとか、気がすっかり重くなり


寝不足になってしまったので、予習のおかげでワークショップの


内容を十全に理解できたはずが朦朧としてしまい、ところどころ飛んでしまいました。




グループワークもあって同じグループのメンバーはみな


看護学の分野の方なので、さすがこういう重い内容にも


タフで驚きました。




論文にするには卓越した解釈力、文章力がいるなあ、と


思います。ただ、現象学という哲学と、看護実践のバランスについては


自分の課題に共通したところがあるのでそれはとても参考になりました。




あくまでも、事象から見ていく、事象を中心に考える、自分たちは哲学者では


ないので、我、ではなく他者のことを大事にする、という考え方です。




哲学者の人たちは、自分とは、ということを突き詰めていらっしゃるけれど、


実践者はそれとは違う、ということでした。



2016年9月20日火曜日

日本とフランス「外国語」としての英語


現象学的アプローチ、でciniを検索していたら、


こんな論文が出てきました。現象学とは関係ないようですが、面白くて


読みながらくすくす笑ってしまった。


Snitko, T.(2014). 「Xenolinguistics」は日本の英語教育に効果的な影響を与えるか? : 描述的現象学(descriptive phenomenology)の概念として扱っている「外国語」について 慶應義塾外国語教育研究 11, 177-188.          


http://ci.nii.ac.jp/naid/120005573024


慶應大学にいらっしゃるロシア人の研究者の方なのかな、と思いますが、


EP EFI指標という英語能力の2013年の結果で、日本は27位、フランスは35位で共に下位。


フランス側の理由としては、


1 ヨーロッパでは、歴史的に英語とフランス語は長い間Lingua Francaであった。よって外国語を学ぶ必要がない。


2.フランス文化を守らなければならない(程度は違えど、日本も共通した事情があるはず)。
フランス語はそのフランス文化の源泉である。


3.日常生活で、フランス人は英語を使うことがない。学生は、第二外国語としてはドイツ語やスペイン語を選ぶ傾向にある。


4.フランス人は、もし自分が英語が得意でないと思ったら、外国人としゃべることを避ける。(ので英語を使う場面は必然的に少なくなる?)


5.言語教育上の問題。生きた言語が死んだ言語(ラテン語のような)と同じ教え方をされている。




すごいですね~~!フランス的な思考のステレオタイプにぴったり当てはまる回答。


ということで、脱線ばかりしていて、


今週末の、質的心理学会のための勉強がぜんぜん進みません。。。。

2016年9月19日月曜日

テレビの怖さ

結構ミーハーなので、しんどくなるとテレビをつける。


人がものすごく労力と莫大なお金を作ったものがそこにあり、


見るだけで楽なので、若い人の魅力や、色んな人たちの技術、


哲学、人生、芸術を消費するのはとても楽。






それがテレビの怖さ。


そして、コマーシャルでこれでもか、これでもかとばかり


暴力的に、買え、買え、買え、買わないおまえは


おかしいというふうに脅迫してくる。




今この人が人気なので、それを認めないおまえはおかしい、


というふうな。1000万人が認めているんだ、それをお前は認めないのか、


という、圧倒的な暴力で押し付けてくる。




多数が正しくも真理でもない。




大衆の愚。

ヴィゴツキー学協会



毎年、ヴィゴツキーに回帰する時期がやってきました。


http://vygotsky.blog.fc2.com/blog-entry-68.html


昨日、京都教育大の院生仲間の結婚式と披露宴に出させて


いただいて、いろんなことを思い、思い出しました。




ちょっと師匠に会って、ヘーゲル、ハイデガー、バフチンについて


そして現象学について、色々見解を聞いてみたいと思いました。


師匠もロシア語を頑張っていると聞いたし。




まあ、いつもの独り言です。











2016年9月13日火曜日

ノートテイカ―

思うところがあって、聴覚障がいの学生さんのノートテイカ―をすることにしました。




学部生時代の4年間と就職してからの4年間、計八年間、同じ学部生から頼まれて、


障がい者の方のおうちに介護にいっていました。その後、豊中市の議員になられた


女性の方ですが、当時は下のお子さんが生まれたばかり、上の子も幼児で、


ご本人の介護に加えて子育てや、料理、家事、掃除、近くに


住んでいらっしゃるお母さんへ料理を届けたり、大学生が毎日朝昼晩


少なくとも3人ずつは(つまり一日9人)は入らないと生活がまわらない、大変な状況でした。






私は頼まれたので義理で行っていただけで、もともと家事も掃除も大嫌い。
きれい好きの方に、エアコンのフィルターの掃除も指示されて、自分の下宿でも
実家でもしたことないのに、やりすぎちゃう、とぶつぶつ思いながら
やっていました。


ですが、入部さん(そのご本人)とかかわる中でトイレのお世話、


お風呂のお手伝い、車いすを押して障がい者の会合にいって


後ろに立っていて、いろんな話を聞いたり、豊中市の議員さんが来られたり、


いろんな人が入部さんを頼って相談に来られたり、本を出版されたり、


夜は施設で学べなかった国語の勉強を横で見ていたり、ものすごく


エネルギッシュな方で今思うと、甘やかされた学生の自分に


とって貴重な時間だったと思います。




でも自分はもっと英語を使ってはなやかな仕事をしたい、と思ったり、


海外にももっともっと行きたいと思ったので、航空会社に転職したことを


きっかけに行かなくなってしまいました。


私を誘ってくれた学部の友人たちはさすが志のある立派な人たちで、
私のようにちゃらちゃらとお金や楽しそうな企業などには就職せず


みんな市役所や福祉の仕事を選んで行き、それを全うされました。






今日、ノートテイカ―の講習をうけて思ったのは、その時に比べて


障がい者をとりまく環境は制度的には少し進歩しているとはいえるけれど、


やっぱり全然進歩していない、と思います。




入部さんの介護をしているときに、聴覚障がい者の人が会合で


はげしくジェスチャーや手話を使って一生懸命しゃべっていたりしたのを


思い出します。




でも、その後の人生で聴覚障がい者の人と普通に個人的に遭遇することは


なかったです。車いすの人とも。脳性まひの人とも。それほど、私のその後の


人生と、その人たちの人生が隔絶していたということだと改めて思いました。


進歩していない、というのはそういうことです。だから、この間のような


凄惨な事件が起こる。若い時に快楽を選んだ自分の責任でもあると思います。









今回、講習で一生懸命伝えようとしてくれた彼の話し方をこちらも


集中して聞いていて、色々と思い出しました。

2016年9月11日日曜日

改めて「エスノメソドロジー 社会学的思考の解体」ガーフィンケル他 せりか書房

いまさら、と思われるかもしれないのですが、


現象学 フッサール→ハイデガー→メルロ=ポンティ
            →シュッツ→ガーフィンケル というところに


立ち戻って、たまたま遭遇した会話分析という研究分野と


自分の哲学的関心を整理して博論の研究の流れを考えるために、


会話分析の原点となるガーフィンケルのことをもっと理解しようと、


表題の本を改めて読んでいます。http://www.serica.co.jp/149.htm


本当にいまさら。会話分析の人たちには失笑されること必死。


でも失笑されてもいいので、現象学と会話分析の関係を教えてくれたら


ありがたいです。で、なんでこんなに会話分析では、他の理論を


頑固に受け入れないのとか。だって状況的学習論とか実践共同体を


受け入れなかった研究者がこの春はヴィゴツキー由来の概念を使ってたし。


もう一般的になっていると口頭で言うてはりました。


ええ?そんなんでいいのん?




こんなんで12月に発表できるのかも心もとないですが。




今精読しているのは、


この本の第4章「Kは精神病だー事実報告のアナトミー」 ドロシー・スミス。


3年前に初めて読んだ時には


わけがわからず、今でもよくわからないですが、面白いのは面白いし、


今、勉強に集中できなくて、ネットやメディアの現象を見ていると


つくられた物語、や何かの意図があってつくろうとしている物語が


多くて、そういう物語をただ享受しているだけ、感情的に反発ばかりして


いて筋の通った批判も何もできない自分が情けなくつまらない。これを


一生懸命読んでいると、どのようにして気に入らない人を排除していくのか


未熟なインタビューの報告を通してその構造がおぼろげに見えてくる。




人がつくった物語を教授するのは快楽。楽で気晴らしに最適。




でも、もうちょっとだけ、死ぬまでにはそれだけで終わりたくない。


若い時にそういうことに気付いていたら、といまさらながら思うし、


若くして気付いている人がうらやましいですが、それだけ自分は


色々と得をしてきたし、楽をしてきたので文句をいうのもおこがましい。











2016年9月7日水曜日

質的研究コンソーシアム 他



先日の全国英語教育学会の感想が英語教育研究関係の方々から


ぼちぼちあがっているようで目についたものを読んでいると、


高木先生の質的研究ワークショップが評判がいいので


自分のことのように嬉しい(関係ないですが)です。




質的研究コンソーシアムも紹介してあるブログも見て、ちょっとどきどきしました。


岡田先生が会話分析について講演されます。講演の材料は授業でも


研究会でもよくみているし、実証的で説得力のある筋の通った発表なので、


安心感はあるのはよくわかっているのですが、英語教育の人たちが


どう受け止めるか、どうなるか、ちょっと自分もこの企画に絡んで


いるので、緊張。できれば、参加して質疑応答をライブで見届けたいです。


質的研究コンソーシアムはこちら。10月1日です。


http://eltqualitativeresearchjapan.blogspot.jp/




それと次回12月の外国語教育質的研究会で発表することになり、


高木先生にわかりました、と言ったものの、こちらはタイトルと名前が


「英語教育」に出るそうなので、またまた緊張。今回の全国大会で


高木せんせが注目されそうだし、せんせ主催の研究会なので


タイトルのわりにいつものへたな発表ではどうしようもないし。。。。




まあ、とりあえずやるしかない。恥はかいてなんぼだ!













2016年9月6日火曜日

現象学的社会学の応用 シュッツ

相変わらず迷走中ですが、何とか道すじをつけようとして

表題の本を見つけて半分くらいまで読んでいます。

第1章 他所者      第2章 帰郷者      第3章 博識の市民   で多元的な現実とそれを

構成する関連性の構造についての考え方が説明されています。

第4章 ドンキホーテと現実の問題 を読み終わったところです。

ドンキホーテってこんなに深い話だったのか、と感じ入りました。



書き方が私の好みで分かりやすい。他の現象学関連の本で頭が

くらくらしていたので、腑に落ちるところが多くてすっきりします。

巻末にある訳者の桜井厚先生が書かれた 「A. シュッツの基本概念と生活史」

を一読してから本文を読むと余計分かりやすい。


滅法面白いけど、バーガー&ルックマンによう似てるやん、と

思って、ちょっと調べてみたら、ナチ支配下のオーストリアから逃れて米国に

渡った後教鞭を取ったNew School for Social Research で彼らと

接点があります。年齢から多分先生。この辺りは社会学の方から

するときっと常識、わざわざ書くのも無知丸出しですみません。


バーガールックマンに当たってみると、第1章は全面的にシュッツの議論に

依拠している、と、全面的に、に傍点つきで注がありました。

色々読むと、結局のところ自分の関心事に収斂してくるので、

やっと安心して進めるようになってきました。




2016年9月4日日曜日

社会言語科学会 第38回大会

9月3日(土)、4日(日)と続けて行ってきました。


この学会のいいところは、半年に一度それも東京と関西と交互に


開催されるので行きやすい。




何回も行っているので、前は「お客さん」でこわごわ覗いているだけ、


だったのが、発表も投稿もしてみよう、というように自分のスタンスも


変化してきました。




今回は、自分の大学から院生と先生方が共同でワークショップを開催


されたので、その応援がてら、会話分析も含め、談話分析的な質的研究は


どのような研究がなされているのか、というところ、そして社会的に意義のある


研究はどのような研究か、ということに興味を持って参加してきました。


以下が参加した中で特に印象が強かったもの。


ポスター発表では、


駅員、車椅子利用者、介助者による相互行為における会話進行と参加の組織化
柳町智治・稲垣里嶺・田実潔


指示語とジェスチャーが指し示すモノ―指示事それに同期する・しないジェスチャーとの関係―
川上ゆか


口頭発表では、


大学院研究指導場面における「助言」会話の分析―相手に配慮した「助言」の観察―
高橋千代枝


「評判」と言うアイデンティティ―あるナラティヴ・セラピーにおける人種に関わる評判とアイデンティティの交渉-
●平名尚子(最初の感じが珍しすぎてでない、申し訳ありません)


招待発表では
養育者―こども間相互行為における三者関係の枠組みを用いた行動指示連鎖
高田 彰


ワークショップでは
日本の外から見た日本―談話研究の視点―
佐藤彰・岡田悠佑・韓娥凛・Oyunaa Nomin・秦かおり・岡本能里子


言語イデオロギー研究の射程と可能性―ミクロ・マクロをつなぐために―
木村護郎クリストフ・宮崎あゆみ・吉田理加・山下里香・寺沢拓敬・杉森典子




一番下のが、今日最後の最後に参加したワークショップでしたが、
構成がしっかりしていて、ミクロ・マクロにそれぞれ二人の発表者、ミクロとマクロの
両方に一人の発表者、をあてがい、発表が終了すると、
途中で聴衆をミクロ・マクロ・ミクロマクロの両方の発表者を囲む
3グループに分けて討論、全体に戻ってフィードバックという形。


一つ一つの発表の後に企画者が短く要約をしてくださったので、
余計頭に入りやすく、しっかり参加できたなあ、という充実感が得られました。


私はマクロの方に参加したのですが、討論も濃くて、それぞれの質問者
と回答者の頭の中で何が起こっているのか、理解するだけでかなり
エネルギーを使いました。




参加の皆さまお疲れさまでした~~。



2016年8月25日木曜日

「ハイデガー」木田元(2001) 岩波書店

同じ著書の「反哲学入門」に引き続いて、表題の本を


読んでいます。この二年半ほど、諸々の理由で、


哲学について触れづらかったのが、夏休みと休学届で晴れて自分の


好きなように読める~~!幸せ。




ちょっと読んだぐらいではわからないに決まっていますが、


それでも難しい理屈を一行一行掘り下げるようにして読んでいき、


少しでもピンとくる箇所があると嬉しい。




木田先生は、ハイデガーがナチスに傾倒してしまったのは、「ドイツ大学教授の


政治的未成熟」というフランスのジャーナリストの見方が妥当だろうと言及され、


私もこの点がずっとひっかかるのですが、先生がその問題はひとまずおいといて


ハイデガーの集中した思索をずっと説明してくださるのでついていこうと努めて


います。




この本によれば、フッサールからシェーラー、ハイデガー、メルロ=ポンティに


至る現象学の展開と、広義の生命科学(今世紀前半の心理学、神経生理学、


生物学)は深く相互に影響しあっているので、そのことを理解しなければ


現象学のことは適切にとらえられない、そうです(p60)。






そのうえで第一章『存在と時間』について、第二章「時間と存在」の章をめぐって、


の中で、世界内存在、現存在、世界、有意味性、被投性、企投、根源的時間性、


脱自などの難解な概念について、ハイデガーが何を主張し、打ち立てようとしたのかが


説明されていきます。




例えば、「有意味性」について、金槌や釘を例にあげて、こういう個々の道具は、道具が


先にあるわけではなく、その道具立て、つまり道具の使用、道具の連関がまずあり、


「(板をうちつける)ために」というかたちを相互に指示しあうものとしてあります。


それを存在論的な先行(アプリオリ)、といいます。そしてそれを成り立たせているものは


人間が明日も今日とおなじように無事に生きていようとする「気がかり」なのです。


こういうことのすべて、総体が「有意味性」であり、この「有意味性」が「世界」


だということです(p71)。ですから、「世界」というのは、「現存在(≒人間)」の自己自身に


対するかかわりから発現し、そこに収斂していく意味の網目(p73)なのだといいます。




第三章では、体系的思想家としてのハイデガー、文明批評家としてのハイデガーよりも、


哲学史家としてのハイデガーを高く評価するし魅力があると、述べた上で


著者は哲学史へのハイデガーの新たな展望を書き進めています。








ここでは、ハイデガーが、通常表面的に権力への志向と解釈されてしまう


ニーチェの「力への意志」およびニーチェの哲学への誤解をことごとく


論拠をもって退け、ニーチェの哲学の真意を深く読み取っていることが


述べられています。そして、ニーチェからの学びをもってライプニッツの単子論の


再評価をし、形而上学の克服を試みているそうです。




著者曰く、ハイデガーが解釈するニーチェの「力」の本質とは、「おのれを


超えようと意志する」ところにあり、「力」は本質的に「力への力」なのであって、


「意志する」とは、本質的により強くより大きくなろうと意志することであり、


意志もまた本質的により強い意志たらんとする意志、「意志への意志」です。


そしてこの世界、存在者の全体、つまり自然が「現にあるよりもより強くより


大きく」なろうとする自己超克の構造をそなえた生(レーベン)であり、


生きたものだということなのです(p185)。




すごいですね~。元気が出てきます。




ここから、ハイデガーが、ギリシャ悲劇時代の思想家たちが書いた本の


中の「自然(プュシス)」を、自然科学の研究対象になるような存在者の特定領域


の自然ではない、存在者の全体を意味し同時に存在者のすべてを


存在たらしめている存在、おのれ自身のうちに生成力を有する生きた自然


とらえている話になってきます。






まだ全部読み終えていないのですが、ここで「自然」についての論考が出始めて、


はじめて、冒頭で生命科学と相互に影響しあっている、と言及されたこと


につながってきて、面白い。




1人で読んでいるのがもったいないので、拙いながらご紹介してみました。









2016年8月21日日曜日

全国英語教育学会埼玉研究大会2日目

昨日の反省から、今日は朝一番から参加。


帰りに荷物が重いのでプログラムと資料はぜ~んぶ宅急便で自宅へ


送ってしまいました。ので、記憶にある限りとIpadのメモをもとにとりあえず感想を。


プログラムはこちら。
http://jasele42-saitama.jpn.org/program.html


とりあえず、今回の目的は、高木亜希子先生のワークショップと、寺澤さんの


発表を見ること、日本語教育と社会言語学と会話分析などの間で


迷子になってしまった自分をもう一度出発点である英語教育学に引き戻すということでした。




その目的は期待以上に達することができた、と思います。


柳瀬先生と玉井健先生の発表は聞けませんでしたが、最後のシンポジウムを


聞いても、言語観、認識論という英語教育でこれまで話題になっていなかった


ことが表に出てきてディスカッションされるようになった、というのが意外でも


あり、日本で学問として少し深みが出てきたのかなあ、と思います。




実は玉井先生は、関西英語教育学会の卒論修論セミナーで、私の修論発表の


司会をしてくださっておられました。もう忘れておられるかと思いますが。


そのとき、コメントでハイデガーの現存在、に言及されておられました。


今回は英語オンリーの配布資料をみただけですが、現象学やメルロ=ポンティに


触れておられるので、素敵だなあ、と思いました。






もう一つ嬉しかったのは、修士時代に初めて札幌大会で、やり方もわからず、


しわしわの糊付けをしたポスター発表でレオンチェフの活動理論を基に


考察したり、外国語教育質的研究会、ヴィゴツキー学会で拙く修論を発表


したときは、たぶん誰にも聞いてもらえなかったと思っていたのが、今年は


二つも活動理論(ただしエンゲストロームの)を使った発表があったことです。




自分の発表がその後誰にどう受け取られたのかもわかりませんが、


どんな未熟なものであっても勇気を出して人に見てもらうことは


大事だなあ、と思いました。




まだまだ感想は山盛りありますが、また荷物がついたら。











2016年8月20日土曜日

全国英語教育学会埼玉研究大会 1日め

自分の予定が心もとなかったので、ぎりぎりまで決めかねて

いましたが、2日前に行くことにして足も宿も確保できたので、

今日午前中から参加。


スケジュールもチェックしていなかったので、羽田空港に到着してから

聞きたかった広島大の柳瀬先生を聞き逃すことに気がつきましたが、

時既に遅し。ハンナアーレントとかも話されてたみたいなのになぁ〜。

外国語質的研究会の皆さんにお会いすることができたり、ちらほら

関西でお世話になった先生に会えたり。



以前のように量的研究一辺倒ではない流れになってきていて、

質的研究が少し増え、研究方法や政策に関するカテゴリーがあったり、

多様になってきているなあと知り合いの先生にお伝えすると

同じことを感じていらっしゃいました。


中学、高校の先生の参加も以前よりずっと目立って、学会がSLA研究

と現場の乖離を問題視して、研究と実践の架け橋になろうとしている

のが感じとれました。


でもあと3時間で締め切りのAsia TEFL proceedings.........


もう一回書き直す!

2日めは心おきなく先生方の発表に浸りきることに

します!


2016年8月13日土曜日

博士論文まだまだ 構想

ちゃんと準備していなくて申し訳なかったのですが、


お忙しい先生にこれまでやったこと、何をしたいのか、


どのように対話としての言語観から日本の英語授業への実証的な研究に


繋いで博論として完成させるのか、ヒントを頂きました。




一つには私が考えているような、学習者にとって英語で自分の(内言を含めた)


意味のあることばを発することが重要だ、そういう瞬間に学習者が誘導できるような


英語教師の行為としてのことばがとか、対話的な言語観が重要だ、ということは


浅く解釈されて学位論文としては説得力がないということ。






ありがたかったです。博論としての深さを追求するには年数がかかる、


では短く太くするなら博論としての広さで勝負するしかない、と


言っていただきました。




よくわからないのですが、第二言語習得理論なるものに依拠すれば、ことばの


哲学とかバフチンとかに依拠はできないの?理論、ってなんなんでしょう?


先生とお話ししたのは、教室で雑談のときに英語を使う経験をするというだけでは


教師―生徒、情報を与えるもの―情報を受け取るものという大枠のフレームが


生徒が情報を与えるもの、教師が情報を受け取るものというフレームシフトに


なるだけなので大したことではない、母語であれ、第二言語であれ、


同じという感じでしたが、学習者にとって


それまで意味のない無視できる無機質の机上の記号だったものが、


個人的な意味のある生き生きとしたことばになるということは


劇的な変化ではないのでしょうか?






自分が経験上ものすごく重要だと思っていることが、学問上、研究上


たいしたことがない、と扱われることに納得できないのは、


本当に情けないです。まだまだなんだろうと思う。















2016年8月10日水曜日

スポーツ

非常勤授業の成績をつけていますが、これがなかなか


理想通りにはいかなく、苦戦しています。




こちらが伝えたいメッセージは、毎週コツコツ好きなことを


英語で探して英語で書く、そして授業で練習すれば


英語は上達するよ、ということなのですが、学生たちは


そう捉えないのです。




こちらは楽だと思っていることが彼らには難しく思えて


ひるんでいるんだろうな、ということも想像できるし、


色々15週のあいだ伝え方を工夫してみたのですが、


思った通りにはいきませんでした。






一つには、スポーツ系の学生たちなのに私が


まったくスポーツには興味がない、ということもあります。






先生が興味なさそうだ、と思うと学生たちは


遣り甲斐をなくしてしまうと思って、今回は


がんばってオリンピックで自分にひっかかる


競技だけでも見ることにしました。




集中してみると面白い。特に弱い方が、強い方を


どのように戦略を駆使して、判断力を鋭くすることで


勝ってしまう、ことがある、というのがすごいなあ、


と思います。




学生の一生懸命書いた拙い文法もめちゃくちゃな英文を


読んでみると確かに自分の好きな選手、好きなスポーツについて、


そういうことを伝えたいというのはわかります。




それをどのようにしてもっと伝わることばにするのか、


後期はもっと教える技術を磨かなくてはなりません。




まだまだ、学生たちに教えてもらい、自分も研鑽を


積む余地があります。





2016年8月1日月曜日

JALTPanSig Journal 投稿

5月末の沖縄で行われたJALTPanSig のプレゼンターは


JALTPanSigJournalに投稿できることになっています。


わかってはいたんですが8月1日が締め切りということで


うかうかしているうちに6月が過ぎ、7月になり、一週間前になり、


2日前になり、今日の締切日になってしまいました。




昨年のTemple大学の時は、発表を終えてたぶん十分な時間を取って


Proceedingsに執筆したようで(もはや覚えていない)お金をかけて


Editageに英文校正を依頼して臨んだのだと思います。査読はまったくなく、


無事受領され、私の原稿も入れてもらうことができました。




今回はほんとにぎりぎりですが、さっきとりあえず、提出できる形には完了!!


でも、学会側から少なくとも提出前には二人に読んでもらいなさい、


ということが全くできていません。しめきりまで後4時間なので、なんとか


少し他のことをして、別の目で読み直して修正して提出しようと思っています。






たかだか3000語以内の論文なのですが、ほんとにハードル高い。




「とにかく提出すればあとはなんとかなる」というある先生の一言にわらをも掴む


思いで、もうだめだ、と思っていたのがここまで来れました。


後4時間、なんとか門前払いでなく査読をしてもらえるようにがんばります。





























2016年7月28日木曜日

1つ授業終了

今日で非常勤の授業が一コマ終わりました。

週中一限の授業で遠方から通っている子もいるのに

みんな文句ひとつ言わず、自分の好きな事を苦手な英語で調べて

毎週毎週宿題を送ってくれ、素直にアドバイスを反映して自分の

英語やプレゼンを改善し、多分あまり気の合わない人達とも

一生懸命にコミュニケーションをとって人前で喋るのも

苦しそうだったのに頑張ってくれました。結果とても1人1人の個性を

豊かに反映した結果になりました。全員がとても素敵なプレゼンでした。

みんなのシャトルカードを読んでいると礼儀正しくて、この授業でどういう

事がたいへんでそれを克服して楽しかった、とかなんかもう泣けてきます。

彼ら彼女たちにきついことを要求していたんだなあ、と今更ながら思って。


この学部はもう後期は受け持たないのでこの数ヶ月が一期一会という

ことになります。これはこれでとても切ない。





2016年7月24日日曜日

終わった~~

大学授業開発論IIの膨大な提出物がすべて完了。






学びの多い、でも、なかなかきつい授業でありました。


自由度が高く、講義は一回しかなく後は自分たちで


すべてアレンジして大学教員と大学院生のお互いの


授業観察とリフレクションを行い、自分の授業の企画をし、


授業見学にきてもらい、レポートを清書して出す。


授業の動画とリフレクションの動画も提出する。


時間のない中、この授業を全うしなければまだ単なる町の


自宅塾の先生でしかないと思ってがんばりました。






とはいえ、高校までの教員の免許を取得する時間と努力に


比べれば雲泥の差だとは思われます。




単位がとれたら少しは教員の端くれと自分で自分を認められそうで


ちょびっと嬉しい。




大学教員になるには免許もいらないし、教育実習もない。




そういうのでは大学教育はいつまでたってもよくならない、と


いうことでこのカリキュラムを作って頑張っておられる先生方の


おかげです。




この授業の同期生という一生の仲間もできました。



2016年7月17日日曜日

高校研究授業

京都教育大の同期の院生が招いてくれたので、




6月は小学校、先日は高校の滋賀県某市の研究授業に参加させて




いただきました。








講師、と言われたのでとてもそんな立場ではない、としり込みしていたのですが、


高校教員の経験のある院生と一緒に参加しました。




今ビデオを見直していますが、生徒がグループワークで生き生きとしていて、


この場をつくるために先生はすごく頑張って準備したと思います。




同期の院生だった先生は、文学が専攻でコミュニケーション英語などは


縁がこれまでなかったと思うのですが、生徒を3つのグループに分け、


それぞれのグループに3種類の科学記事、それも自分なりに


書き直したパッセージを渡し、3人一組で読解のグループワークを


させていました。そしてA4の白紙に理解した内容を一人一人が


図解します。




その後、3種類の科学記事を図解したA4の紙をもって全員が移動、


3人一組でそれぞれの種類の記事をなんとかプレゼンターとして、


英語で説明し、最後に教員のつくったミニクイズに答えさせ、


ポイントは答えた人とそれを説明したプレゼンターに入るようになって


います。




うまいこと作ってるなあ、とひたすら感心しました。






後は、教員の一言で、生徒がざっと動く。机の移動とかもちゃんとやる。




授業後の研究協議でも、しつけがよくできている、という感想も


ありました。




そこは教員の個性が大きい要素になっているなあ、と思いました。




彼女は、大学時代も弓道部で後輩を育ててきたので、先輩後輩の


けじめに厳しいし、それが生徒への接し方にも反映しているというのは


感じます。






面白かったです。













2016年7月16日土曜日

留学生

高校生の時お世話になった公益法人AFS日本協会の

ボランティアをつい昨年まで8年あまりしていました。

色々大変でしたが、ティーンエイジャーの本人達もいきなり生まれた町や村から

日本にいきなり来て、日本人の家族と1年間暮らし、日本人ばかりの高校に

通うというには相当大変だったとおもいます。


今は、阪大で大学院を受験する留学生の勉強のお手伝いをして

いますが、高校生とはまた違う意味で面白い。特に中国や韓国の

日本語が堪能で賢く礼儀正しい留学生と話していると、知らないことが

多くて勉強になります。


今日びっくりしたのは中国の留学生がお母さんが日本に来るので、

京都に連れて行きたいと言ったので、お父さんは来ないの?と

聞いたら、中国では公務員は海外に行けないという規則があるそうで、

びっくりしました。全てではなく、ある程度以上の身分の公務員は

海外渡航は禁止だそうです。以前にも、海外に留学したことのある

中国人は政府が雇用しないとも言っていたので、これだけ夥しい

中国人観光客が日本だけでなく世界各地に旅行に行く時代に

ずいぶん不自然だなあと、2人で言い合いました。


2016年7月10日日曜日

ウラジオストック

帰国後、母に韓国とロシアのお土産をわたそうと


梅田で会いました。




その時に、母が言うことには、祖父が軍隊に入って


ソ連に捕虜として2年過ごしその後ウラジオストックに


集められて日本に帰ってきたということでした。




自分が何気なく見ていた列車の駅や、港がそういう場所だった


ということに衝撃を受けました。




祖父はソ連の抑留時代の2年間のことは何も語らなかったそうです。


ただ、鼻水も凍るほど寒いんやで、と言っていたそうです。


きっと娘には言いたくないことばかり、また言っても経験が


苛烈すぎて理解できないし、娘にはそういう残酷な


ことは知らせたくなかったんだろうと思いました。


いつか機会があれば母を連れていきたいと思いました。

後悔と自覚

まがりなりにも、大学生相手の授業をしているので


ちゃんと選挙にいくようにというべきでした。




このところ自分のことでバタバタし過ぎていて


そんな一言をいうのに5秒もかからないのに、


3クラスのうち1クラスにしか言えていませんでした。




選挙結果を見ていると、この一票で参議院議員の


6年の任期が決まるのだなあ、と後悔しています。




まあ、反原発、教育予算の増額、社会福祉の充実


地方への予算の増額などをしてくれればどこの政党でも


いいのですが。




あと、憲法改正を虎視眈々とねらっていながら


選挙ではそれを言わない与党はまったく詐欺師のようで


信用できない。




授業ではそんなことは立場上口が裂けても言えないんですが。

2016年7月7日木曜日

辛い目に合わないために

最近、見聞きしたことから感じたことです。




何かにマニアックな人と接する機会があったときは、なるべくその人の


気持ちに沿うようにして、しばらくその言動を観察する。






言動から何か辛そうだったり、愚痴、疲労、などを感じ取ったら、


その原因をその人の状況から考えてみる。






その人が自分に対して権力を持っている場合は特に気を付けて


観察する。




なにか必要以上に優しさや善意を示された時は、不自然だと思って用心する。


ただ、感謝は必ずその都度示す。


そして早めに徐々に距離をとるようにする。




早めに。遅くなると手遅れになります。




そしてその人と接している人たちに、自分のことは言わずさりげなく


様子を聞いてみる。自分と同じようにつらい目に合っているが、


権力を行使されると、致命的なことになるので誰にも言えないかもしれない。


分かってもらえる人が一人でもいると助かる。


でも分かり合えたからと言って調子にのってなんでもさらけ出して


言わない。あくまでも表現は穏やかに。相手が信頼できるかどうか、


見極める。













2016年7月6日水曜日

暑い 非常勤授業

学会で一週間休講にしたので、


二週間ぶりの非常勤の英語授業。




休講なので、宿題は一つでいいよ、と言ったのにもかかわらず


二つメールで送ってきた学生もいて、昨日全部見て


みんなさぞリフレッシュして意欲的なんだろうと


思ったら、はたまたこれが、休み多い、宿題をメールでは送ったが


プリントしてきてない。




火曜の3限にしてもうだれだれ。プレゼンしてくれた学生も


USBを持ってきてなくて、じゃあ教壇のパソコンで検索して画像を


プロジェクターに出して、というとそれに10分も15分も


かかる。




あまりにもいらいらしてウラジオストックのお土産渡すの忘れたやん。


4限の学生が、せんせ~今日35度、と教えてくれてびっくりです。


そりゃ疲れるよね。




それで懲りたので次の4限では、お土産あるよ、授業の終わりに


渡すね、というと学生のテンションアップ。


はい、はい、グループ練習10分で、どんどん出るように、というと


テンポよく9グループが前でプレゼン。


新しくつくった英文に関するルーブリックを使ってピアレビューを


させるとこれも、え~~、恥ずかしいやん、といいながら


なんとなくうまく行きました。




帰りにひとつずつロシアの駄菓子を持って帰ってね、というと


みんなきっちり持って帰りました。そういうとこ可愛い。


シャトルカードにはお土産ありがとうございました、と礼儀正しく


書いてたりしている。




人数の多い少ないにかかわらず、学生とこっちのテンポが大事ですね。

2016年6月30日木曜日

Asia TEFL 2016 in ウラジオストック

一日目が終わりました。


飛行機の手配をもたもたしていたので、一日早くウラジオストックに入り、


歩き回っていたので、昨日島に渡って大学のゲストハウスに入ると


陸(?でも大橋二つ渡った)の孤島。大学以外は何もなく、今日のために


下見をしようとキャンパス内のシャトルバルでめぐってどこのビルに行っても、


SPのような黒いスーツのガードマンが厳重に警戒していて入れてくれないので、


カフェも入れない始末。


今朝は8時からレジストレーションで、自分で目星をつけた道を行こうと思ってたら、


ロシア人の英語が話せる学生が迎えにきてくれました。




ウラジオストック市内でもそうでしたが、英語が通じない。でも皆親切で


道を聞くと反対方向でも途中まで連れて行ってくれたり、あったかい。


ロシア語専攻の院生に、ロシア人は知らない人には笑顔を見せない、と


聞いていたので、笑わなくても言葉が通じなくても親切な心持が通じるのは、


愛想を重要視している自分には新鮮な発見です。




英語を話せる人は、照れたような顔をしていっしょうけんめいにどういうんだろう、


ええと、と首をかしげながら説明してくださるのが可愛い。すみません、ロシア語が


わからなくて、ご面倒をおかけしています。




ASIA TEFLの参加者とボランティアの学生にはもちろん英語は通じますが、


大学の中でも普通の学生、事務や掃除の人、食堂の従業員、


先ほどのSPみたいなガードマンはWhat's this?なんかでも通じなくて


びっくりしました。




あ、学会です。一コマに20近くプレゼンテーションが合って盛況です。


ロシア人、韓国人、インドネシア人が多い感じ。他ちょこっと話した


のは、モンゴル、中国、アジアで教えているイギリス人など。英語の先生の集まりなので、


トピックは教師の成長、とか、教育法、リンガフランカ、などが多いのかな。


フィリピンの時よりも日本人が少なく、今日再会した先生を含め、3人お会いした


方は全員京都の人でした。




レスター大学留学中ということでイギリスから飛行機で来たインドネシアの青年は、


language attitudeがテーマだと言っていました。今回のEU離脱で影響は


ないのか聞いてみたら、自分の住んでいるところはモスリムが多いから


ましだが、レイシズムが高まってみんなおびえている、と言っていました。




さあ、まだ発表まで一日あるので、昨日書き加えたスクリプトをもう一回


削ったり、練習したりこれからします。




いい方法を思いついたんです。作成したパワーポイントを出しながら、英語で


発表の練習をしているところをビデオで自撮りする。それを書き起こしながら、


パワーポイントを改善しつつスクリプトも改善する。それをまた書き直して、


練習する。本番もビデオで撮って、最終的にproceedingsとして提出できるように


改善する。なんか、他のえらい皆さんのようにすぐに完成原稿ができないので、


少なくともこの方が私は気が楽です。

















2016年6月25日土曜日

Asia TEFL 他

いよいよ、念願のAsia TEFLまであと数日です。


万全の準備をしたわけでもないですが、とりあえずパワーポイントにはできる限り、私の苦手な概念図を入れてみました。




英語のリハーサルを自分でビデオでとって書き起こし、それを見直したスクリプトも今週末用意するつもりです。




どう見ても会話分析にはなっていない。というか、会話分析は人間的でないので嫌いです。じゃあ、この自分の分析はなんなのか、というのもあまり説明できない。






談話分析、というのも広すぎるし。連鎖分析でもないし、なんやったっけ、メンバーシップカテゴリー分析?というのでもないし。そもそもそんなに一つの現象を分ける必要があるのか?それなら質的分析ではなく、結局量的分析と同じ雰囲気ではないのか、というのが納得できません。






かといってナラティブ研究でもないし。






アジアの英語教師の先生方に見てもらってまた考えることにします。






とりあえず、ウラジオストックと言う土地に行ってその空気に触れるのが楽しみです。






おびただしい発表の中で地元のロシア人英語教師の発表を見たり、英語授業について話をするのが楽しみ。




こんな機会はないと思うので、がんばってきます。





2016年6月22日水曜日

ルーブリック初体験

先月、授業観察に来てもらった大学授業開発論のメンバーと


直後のリフレクションで、学生に評価の観点を一生懸命


’(私が)説明されていたけど、ルーブリックを使う、という手もあるよ、


と教えてもらいました。




英会話学校の時に、、見たことがあり、会社から


評価に使うよう指示されて使ってはいました。でも、あんな


細かい、びっしり書かれた表を自分が作るとは思ってもみなかったし、


なんか、チェックももひとつ厳密にできなかったような気がするので、


敬遠していました。






が、このたび、作ってみました。


ネタ本は「大学教員のためのルーブリック評価入門」。早速


RubiStarというサイトにもアクセスすると、作ったものを、


自分の生徒向けに日本語に訳したり修正するのは簡単だったので、


つくって授業で相互評価をさせてみました。






いやあ重い。紙が重い。




だって、37人のクラスを4人ずつ9グループに分けて、


各グループのプレゼンにみんなでルーブリックにまる付けするとすると、


37×9は少なくとも紙がいるわけです。


それを全部見て、どう処理するのか。というのも課題。




なんでもやってみないとわからないですね。




グループ分けも新しく、みんなの表情を見ながらやって、


ようやく覚えきれなかった学生の顔と名前が一致して、


なんとなく自分がこのクラスと一体になった気持ちがしてきました。




すると、少しは、学生も自分となじんでくれたような


気がして(できるできないは別として)、グループワークも


とても感じよくなってきました。




これぞ私の目指している授業です。




馴染みのないひと、違和感のある人とでも、教え合い、話し合う、


たずね合う、わかることは共有する、そうしてお互いに助け合うことが


できるようになっていく。




そういう態度を身につけることができれば、社会に出ても


きっとやっていけるし、一人ではできないこともできるようになる、


そして何よりも人から信頼されると思うのです。





























2016年6月19日日曜日

宿題再提出 

今週、非常勤の授業で画期的なことがおきました。






メールで宿題を送ってくるのに対していちいち丁寧に




励ましたり、ここを改善するように返信していたのですが、


「せんせ、返事くれた?」とか「もらってない」「宿題みた?」


とか言うので、私の返信読んでいる人、と手をあげさせたら


少なくて、ちょっとぶつぶつ睡眠時間削って書いてるんだから、


今後は返信ほしい人だけ返すので、シャトルカードかメールを送るときに


その旨書いてください、と言っておきました。






あまりにもグーグル翻訳をそのまま使っている意味不明な文章を


送ってくる子が多いので、返信ください、というひとにだけ色々


文法上の注意をまあ読んでもその通りにできないだろうな、


と思いながら、今週返信を書き続けていました。





今日一人の生徒が、意味がわからないので自分の英語で書き直して、


あなたならできると思う、と


いう返信に、なんと宿題を書き直して送ってきました!!




宿題を締め切り前に再提出なんてこれは画期的です。


自分の願いが通じたんだなあ、と思ってちょっと希望が見えてきました。


嬉しかった。

ことばのジャンル

西口先生の授業でもバフチンの概念で重要なこととして


ことばのジャンルがあげられています。






けっこう自分はいろいろな世界に出たりはいったりしているので


いろんなジャンルの違いにも適応できると密かに思っていました。






でも、先日、まさにジャンルというか住む世界が違うので


こちらが伝えようとしたことが全く伝わらない、ということを


経験して愕然としました。




大学生とかそれより下の子どもたちとか、外国の人なら


それはこちらがそれなりの構えをもって接するので


ある程度はいけます。




でも今回は、ある関西の教育委員会の人たちとのやりとりで


知人からの紹介でただ行って意見を言うだけでいいから、


というのでいいよ、というとどんどん手続きがはじまり、


講師として来てもらう?えそんなことは聞いていないので、


レクチャーはできません、それでもいいですか?と確認したり。


その後も、非常勤先の学長に教育委員会から依頼状を送りつける、


ということがあってやめてください、と直前でとめるとか、


結構とまどうことが多かったのですが、極めつけは


前日に電話で自分が一人でしゃべるのが40分だと聞いたときです。




えええ???



40分しゃべるのはかなり準備がいるよ?なんでもっと早く言ってくれなかったの?




でもせっかく集まって下さる先生方の時間を40分無駄にするわけには


いかないと徹夜でパワーポイントの準備でふらふらでした。




なんかよくわからないままに、行くと校長室に通され、すぐに研究授業の


教室でALTと見学の先生がどっさりいる前で授業が始まり、


それは楽しかったです。終わってから、行った部屋では、見学の先生方は


グループディスカッション、私と市と県の教育委員会の人の席が前に据えられて


これが終わったら3人の先生からご指導を、ということで


とりあえず徹夜で準備したパワーポイントを結局時間が押したので20分しゃべり、


ああそういうことだったんだ、と初めてなんとなく自分の立ち位置が


わかった、という一日でした。




まあ、言語観とコミュニケーション観、西口先生の対話原理、自分の研究に


ついて先生方の前でお話しできたので結果的にはよかったです。




教育委員会の方々もいい人たちでした。でもじゃあ、なぜあんなに


お互いのいうことが理解できなかったんだろうというとひたすらに


ことばのジャンル、だと思うとまあ納得できました。













2016年6月15日水曜日

あともう一つは

あともう一つは


生徒に発達障害的な子が何人もいる、が大学は


一切そういう情報を事前にくれないので授業をやりながら


把握しています。




私はもう人生が年期に入っているので、自閉症の人も学習障害的な


人も発達障害的な人もアスペルガー症候群的な人も


若い年寄りなど年齢にかかわらず、日本人外国人国籍に関わらず


なんとなくわかっています。






もう前期の授業も9回目に入っているのでなんとなく自分のクラスと


その子の御し方とのバランスもわかります。




でもまったくそういう予備知識も大学から知らされず、教育経験も


高学歴の子が集まる大学に限られていて(非常勤の先生方は


優秀な人がほとんどなので)、色々難しいティーンエイジャーの


いるクラスを一人でマネジメントするということは無理です。






そういう先生へのサポート体制がない、ということは


教育をつかさどる組織として致命的だと思う。






大学と銘打っていても大学ではない。教育ということを


全く考えていない。

2016年6月14日火曜日

それなりの理由

今日は非常勤先で、3日間で中間発表でそれぞれが書いたコメントを

プレゼンターのところに貼ってもらうという作業をやってもらいました。


これが思いのほか時間がかかって授業時間の大半を使って

しまいました。授業後のビデオをみると自分の見えていないところで

いろいろなことが起こっていてそれはそれは面白かったのですが、

自分の段取りの悪さに反省。


Goffmanのいう参加枠組みが明確でなかったなあ、と大いに反省しました。


でも、時間はかかりましたが、それぞれがクラスメイトにどう受け取られているか

別の視点で自分のプレゼンを見ることができて、価値がある時間だったと

思います。


2クラスのほぼ全員が自分はだめだったと思っていたけど、

クラスメイトにポジティブなコメントをもらえてうれしかったという感想を

シャトルカードと、コメントの振り返りに書いていました。


一人一人の書いていることを読んでいると


この大学に来て、この授業を受けて、英語が苦手だったり

読むのが苦手だったり、文法ができない、とか人前で話せない、

とか、宿題、パソコン、メールができない、とかいうのにはそれぞれ

18年、19年の人生を生きてきてそれなりの理由があるんだなあ、

と思いました。


ほんの週一回の90分の授業で、15回だけの付き合いですが、

何かこの授業で彼らになにか感じてもらうことができるでしょうか。


それが自分のチャレンジなので、まだまだがんばれそうです。





2016年6月12日日曜日

中間発表終了後

非常勤先のプロジェクト英語発信型授業の中間発表が終わり、



単位の取り方についてまだ認識が甘いと思ったので、



改めて厳しめに確認したところ続々と出してなかった宿題をメールで



まとめて送ってきたのでちょっとホッとしています。







ただ諦めたのか、授業も休み、メールも1回もくれたことがなく、



宿題も出さない学生がいて授業ではけっこう活発に発言してクラスメイトには



明るくて人気があるのに、英語もパソコンもできないとあきらめたのか凄く心配。








諦めないで〜!がんばれ〜!周りの人に聞くんだよ。帰ってこいよー!








後、パソコンが重くなってみんなの宿題をダウンロードするのに


凄く時間がかかります。これも課題。



関西英語教育学会 研究大会

久しぶりに参加してきました。

元院生仲間の発表を聞きたくもあり、久々に関西のこの業界の

空気も吸いたくなって。

以前よりこじんまりしている印象だったのは、自分が慣れたのか

それとも本当に規模が小さくなったのか。それとも全国大会と

関西の研究大会がごっちゃになっているのかもしれません。


初めて参加した時は、まだ自分の塾、英会話学校でしか英語を教えたことが

なくてどの学会発表のスクリーンも巨大で、知らない事ばかりで、

偉い先生方々で一杯の会場に1人こんな所に来ていいのか、と穴があれば

ひたすら隠れたい気持ちでした。それから、大学院で科目履修させてもらい、

皆に色々教えて貰いながら修論も書き、拙い論文や学会発表も幾つか先生方に

支援して頂きながらものにし、ささやかながら授業を実践するようになり、

ずいぶん自分のスタンスが変わったと今日は改めて実感しました。



発表者の先生方とのコミュニケーションが凄く楽しかったし、自分の実践に

大きなヒントも頂き、英語教育に対して似た思いを持っている人が何人も

いるんだなあ、と心強く感じました。行ってよかったです。



教育者の懐

今日、娘に修士論文の構想を聞いてと言われたので、レジュメを


みながら説明を聞いてあまりにもよくできているのでびっくりしました。


立命館大学を卒業した時には、正直プレゼンは上手だけれど


それほど研究ができるとは思っていませんでした。




京都大学の大学院に進学して一年余り、ずっとごろごろしているばかりで


就活に注力していたのでこんな状態で研究とか修士論文の執筆とか


できるのか、と不安で疑っていました。




でも今晩構想を聞くとすごかったです。指導の先生とそれをとりまく


環境が彼女を一年あまりでここまで育てたのだと思います。


京都大学の先生方の懐の深さに感謝です。




びっくり。




昨日は、私の指導教官の西口光一先生が日本語教育学会の


学会賞をとられたのでお祝いの飲み会をしました。個人的に楽しかったのですが、


韓国人の留学生がこんな飲み会は初めてだったというのがちょっと


びっくりしました。


もっとやらないとね。


西口先生の魅力はバフチンに傾倒されているということもありますが、


だれも否定せず、院生も含めてご自分がかかわるすべての留学生、


院生の個人を受け入れるあたたかい大阪のおじさん、という


感じだと思います。




まさに教育者の懐の深さを体現されている方だと思うのです。



2016年6月9日木曜日

不毛

昨年以来、ずっと頭に来ていることがあります。


大学院で、院生として先生のお手伝いをいろんな形でやらせて


もらっています。 ティーチングアシスタントとか、リサーチアシスタント


とか研究支援員とか、留学生のチューターとか。




そういうのは時給がでます。少しでもお金が出るのはありがたいことなんですが、


それよりもご多忙な先生方の力になれるのは嬉しい。そして授業以外での


先生の様子を拝見しながらこちらも学ぶことが沢山ありますし、


お話しできる機会も増えるからさせていただいていることです。




ところが、そういう仕事に絡んでよろしくないことが学内で起きて


それが報道されたりなんかしたことがきっかけだとうと思うのですが


(まず間違いなく)、事務方からも監視が厳しくなり、本当にやっているか


どうか抜き打ちで見にきたり、先生の研究室に行く前に事務の方に


ハンコを押しに来いだの、一か月の予定をきっちり決めて出せだの、


少しでも10分でもその予定からずれたらもう一度予定表を書き直して出せだの、


いかにもあなたたちは不正を働くんでしょう、ということを前提として


いるような犯罪人予備軍のような扱い。




ちょっと制度が罪をつくるということを連想してしまいました。




自分もものすごく不愉快ですが、何よりも先生方に失礼過ぎるし、


そういうことをして睡眠時間を削って健康を害しながら授業と研究を


している先生たちの体をつぶすような方向にどんどん行っています。






あれもこれもすべて政府と中央省庁から来ている支持のもとに公務員や職員が


脅されていろんな会議の決定のもとにこういうことになっているに決まっています。




いわゆる「エリート」の考えそうなことです。




そういう人たちが日本の経済や活力を停滞させているのです。




せめて教育だけでも地方に権限を委譲して、そういう、受験勉強の頭から


抜けだせない、実は頭の悪い偏差値の高い大学を出た高級「エリート」


たちのしょうもないこざかしさから日本の教育を救わなくてはならない。




そういう仕事ならロボットでもできるでしょう。高級官僚ロボットでも


莫大なお金をかけてつくればいいのではないでしょうか?



2016年6月8日水曜日

デジタルデバイド

非常勤の中間発表がほぼ終わりが見えてきて、ほっとしかけ。




学生もそうらしく、シャトルカードや発表のコメントシートを見ると


みんな一山超えたんだな、という気がします。




でも、表題のデジタルデバイドは若者ほど深刻な気がしてきました。




先日ちょっとあるところに、携帯が生活の中心なのでパソコンに慣れていない


若者にびっくりした、というようなことを書いたら、正義感の強い人に


パソコンが買えない家庭の子もいるのに何を考えているんだ、


とおしかりを受けた(ような気がする)のですが、ことは経済格差では


なく、もっと深刻な兆しを感じます。






逆に、ハングリー精神が旺盛でなんとかこの世の中に立ち向かって


いく気概のある人は格差や不公平をITを利用して乗り越えて


行けるのではないでしょうか?




私のクラスでは、中間発表が終わりほとんどの学生が、ワードと


パワーポイントで英語の発表ができています。ただ、メールに添付して


宿題を送ることができない。




今日、授業後に残っていた学生と話ししていたら、初めは


Gmailとかメールに添付して送るとか、私が何を言っているのか


わからなかったそうです。でも同じクラブの友人に教えてもらって


わかったと。大学の情報の授業で習わないの?と聞くと、そういう


授業ではワードでどういうふうにキーボードをたたいて文書を作るとか


それくらいの事しか教えてもらわないと。




でも大学の教務課や上司に聞くと、メールも添付もできるはずだと


いいます。でもどういうオリエンテーションでどのように学生に伝えて


いるのかはまったく伝わってこない。




結局、みな知人友人に教えてもらえば、なあんだこんな簡単なことだったんだ、


とどんどんできるようになる。




そういう人に出会わなければわからないまま。


いくら教室でかみ砕いて教えても、それ以前の前提が違うのでかみ合わない。






自分の周辺にどういう人がいるのか、必要な知識や技術を持っている人に


どういうふうに出会うのか、どうつきあい、教えてもらうのか。自分が


必要だと思ったときにお頭を下げ壁を越えてお願いすることができるのか。


それができるかできないかがデジタルデバイドを産むことになる。




お金もある程度は関係があるかもしれませんが、それは本質的な問題ではないと思います。





2016年6月5日日曜日

休学

いよいよ休学することにしました。







国立大学の大学院の博士論文なのです。書けたらすごいことです。




そんなに簡単に書けるはずがありません。私のようなものが


3年在籍するだけですらすらと書けたらそれこそアカデミズムに


不信感ができてしまいます。


私なんか、素人に毛が生えたような存在なのに。




とりあえず、今はASIA TEFLの学会発表に注力して、


Pan Sigと合わせて英語で論文を書き、自分で納得できる


博士論文を書く準備をします。




色々ありますが、自分で納得できるものを書けないのなら、


ドクターに進学した意味はないです。



2016年5月27日金曜日

「モティベーションをまなぶ12の理論」

表題の本を読んでいます。鹿毛雅治編、2012年、金剛出版。

Asia TEFL に向けてロシアのビザ、フライトとホテルの予約も

進み、スケジュールに自分の発表が掲載されたのでいよいよ

現実味を帯びて来ました。その発表で中心となることばが

教師と生徒が共同で構築する「努力」という概念です。

この本の第9章に有名なバンデュラのセルフエフィカシー

(自身の人生に影響する事象を自分が制御できるという信念)がありますが、

その中で努力についての言及がありました。


ビンビン来ます。この本は先日から書いている大学教育開発論の

参考図書の中の一冊ですが、まだ読んでおられない教育実践に携わる

全ての方に、また一時的に自分のやる気のなさに苦しんでいる方に

お勧めです。


2016年5月26日木曜日

授業見学 諸々

今日は、非常勤先の授業に阪大の大学開発論IIのクラスメイトが

3人来てくださり、授業の見学と観察をしてもらいました。


準備段階では緊張しましたが、意外といつもの調子でできました。

あ、ここはまずいな、と思った瞬間3人とも下を向いて観察ノートに

記入し始めたのが面白かったです。

一限だったので、二限に4人で意見交換をしながらビデオを撮影し、

それをまた見ながら何かするという午前中が濃い内容だったので、

そのあと色々仕事を片付けて、チューター、学術振興会関係で修正が

来て焦りまくり、などなど諸々。夜もちょっとした会合があり、

長い一日でした。


明日は、ロシア領事館にASIA TEFLのためのビザの申請に行きます。

発表そのものも緊張しますが、ロシアに初めていくことの手配が

うまくいくのか不安でいっぱい。


まず英語が通じないとか、それが大きいです。ASIA TEFLそのものの

雰囲気は3年まえにフィリピンに試しに参加したのでわかっているのですが、

まあ、何とかなるでしょう。


忙しい、なんか息もつけないほどほんとに忙しい。


でも色々と克服せねばならないこととか、こんな自分でもいろいろな方の

役にたったり、求められているということとか、そういう意味では幸せです。







2016年5月24日火曜日

Asia TEFL

沖縄から帰ったと思うと、もう先送りにはできない次の学会の準備。

ロシアのウラジオストックからまだ先の島にある大学らしいです。

万事のんびりしているらしくて、先日プレゼンの確認を

してくれ、ちゃんとしてくれとメールで言われたので、

ちゃんと確認したらその前の5月10日にスケジュールがあがって

いて、担当者が焦ったのかな、と思いました。



色々と時間の感覚が違う。。。旅行会社には、ソウルで一泊して

前日にウラジオストック入りした方が確実、と言われたので

余裕を持っていこうと思います。


今度こそ、苦手な図解もたくさんパワーポイントに入れて、

論理的な説明を心がけて、もしプロジェクターやPCが不備でも

プレゼンが成立する様に万全の準備をしていかなくっちゃ。


ロシア語がわからないし、どこまで英語が通じるのかわからない

のでかなり不安です。



2016年5月23日月曜日

JALT Pan Sig 帰阪

すべて終了、帰ってきました。

前日夜遅くにもう一度同行の先生に見て頂き、

発表一時間前に会場でスライドを直し、ぶつぶつと練習

していたのでもうだいじょうぶかな、と思って臨んだのに、落とし穴が。


前日音声が出なかったプレゼンがあったので、一応

自分のPCのつなぎ方と会場のPCにUSBを指して

音声がでることを確認していたのです、


ところが、自分のPCをプロジェクターにつないだところ、

スクリーンにはスライドがちゃんと映し出されず、

何分の一かが切れて、助けて下さった方々に会場のPCで

するように言われた時点でもうパニック。


25分の持ち時間で10分ロスして、最終的には同行の先生が

前に飛んできてくださり、私の代わりにスライドをクリックしながら

進めてくださり、ようやくプレゼンを終えることができました。。。。


ビデオを撮っていたので、今見直しています。


10人くらいかと思ったら、その倍くらいのオーディエンスが見えて

レジュメも売り切れたので、こんなアクシデントがなかったら

もっとコメントとディスカッションをもらえたのに、という反省で

いっぱいです。いつも論文を読んでいる研究者の方もビデオを

見返してみるととても熱心に私のレジュメを見て下さっていたので、

時間があれば、彼にコメントをもらえたのにと思うと本当に悔しい。


でもコメントと質問が一つずつ、終わってから来てくださって意見を言って

下さった方がいて、興味を持っていただけて幸せだなあ、と思いました。


来月は、ウラジオストックで今度こそ一人なので心してかからないと。


もっともっとがんばります。




2016年5月18日水曜日

JALT pansig

いよいよ明日出発となってしまいました。

何もかも中途半端なのに、熱心な同僚のおかげで何回も練習の機会を作ってもらい、

それも色々あってスキップして、ようやく土曜の発表のプレゼンを

今日見てもらう始末。見て頂いた院生には無駄な時間を使わせてしまい、

本当に申し訳ない、です。


また明日も同じ授業を受けているプレゼンの専門家に見て

頂けるそうで、私1人だととてもそんなことは頼めないけれど、

若い積極的な彼女にどんどん引っ張られてここまで来ました。



学振の申請もした後に大学院係からチェックをもらい、却下されて

また再申請、阪大の本部からまた何か連絡があるかもしれない、

ということでできない院生をどこまでサポートして下さるのか、

穴があったら入りたい感じ。

2016年5月17日火曜日

諸々 

非常勤の授業、5週目にかかりました。来週からは

中間発表。まだわけのわかっていない学生がいるので、

単位を落としそうな(つまり宿題を一回も出していない)生徒を

授業の終わりに教卓に来るように、言いました。数人集まって

来てなんとか出します、というのですが不安。


何が問題なのか、私が何度も伝えていることが伝わって

いない、のはなぜなのか、ビデオとシャトルカード、授業の参加状況を

見乍ら考えています。


ちょっと深刻だと思ったのは、パソコンを使ったことがない、という

学生、何度もプリントを配布したり、前で実演したり、

他の学生に前に来てやってもらったり、今日も他の学生にやりかたの

アンケートを取ってまとめたのを配布したり、

いろんな形で伝えているんですが、最低これだけは

やってほしいというのは、メールに添付してワードの宿題を

送るということができない。


みんな一生懸命にやっているのはわかるんですが、

デジタルデバイドが大変。


一回生がほとんどなので、なんとか単位を取らしてあげたいのですが、

パソコンの使い方がわからないのはかわいそうだけど、

宿題の提出ができなければ落とすしかないです。


頑張れ~~!

2016年5月10日火曜日

プロジェクト発信型英語授業 2016年前期

非常勤先での授業が全15回中4回目になりました。

1回目、2回目にはシャトルシートの書き込みは結構前向きで、

宿題もがんばってやってきたものの、ゴールデンウィークを

はさんだ前の3回目、4回目は休む学生も多く、今日はまた

雨で体も重いのか、びっくりするほど学生たちがだるい。


宿題の提出の様子と授業の参加の様子を見て、GWウィーク前の

グループ再編成をさらに私の独断で修正してみました。



入ってくる学生たちは、「え~席決められてるし」「全然変わってない」

「全部変わってる」「俺の名前ない」とかまびすしい。いや、先週休んだ人

の名前はグループ分けの時はいなかったので当然ない。



はじめ30分くらいはだる~い雰囲気でしたが、グループ活動を

始めると徐々に変わってくる。教壇を降りてグループの間を回ってみる、

ちょっと明るい学生がなんやかんやいうと、そうそう、と言ったりしているうちに

その気になってきてくれたり、こうしよう、と穏やかにリーダーシップを

とってくれたりする。その変遷がなんかすごく好きです。


静かに信頼関係が構築されていく。


そうして、一人ではとてもできない、と思った事が仲間と話して

いくうちにできるようになっていく。


自分はこれはできないけど、これならできる、教えてもらったことに

こうして返せる、とか思う。


英語の授業を通じてそういうことができていく。

みんなが高校を卒業したばかりで、大学ってあまりなにか

わからなくて、でも知らない人でも話せばわかるんだなあ、と

思い始める。


そういう場に立ち会えることがありがたい。


言うと

2016年5月8日日曜日

不採用

今月のJALTの国際学会にいく費用を、大学の若手研究者育成事業に申請していたのですが、

大学院係から先日不採用の通知が来ました。


こういう申請をするのは初めてなので、書類の書き方もおぼつかなくぎこちなく、

手書きだと思い込んでいたら提出する時点でワードで作成してよい、と

聞いた時にはすでに遅し。まあ、要領が悪いのはいつものことなので

仕方がないです。


実は目下学術振興会特別研究員の申請書類作成に取り組んでいます。

この不採用の反省から、研究のためにもらう資金の書類の作成は

中途半端な気持ちではいけないことを学びました。助言をいただいた

大学の支援体制の先生方、同僚の院生、科研費の申請の経験から

アドバイスをいただいた先生、多忙な中評価書を書いていただく指導教官

に支えていただいています。塞翁が馬となるようにがんばります。


この申請書書類作成はものすごくしんどいですが、研究者としての

意識と覚悟、責任感、表現力を新たにすることになるということを実感して

います。しんどいのはしんどいだけ不採用になっても、無駄ではなく、

自分の成長に飛躍的に役立つと思っています。少しでも申請が

頭によぎった方はぜひチャレンジしてみて下さい。




2016年5月5日木曜日

自宅レッスン 高校生

どうも皆、高校の宿題の膨大な量に落ち着かないので、

従来から使っている英会話のテキストを導入してみました。



Expressway というシリーズの4です。学校の授業では

とりあげない敬語が多いのと、ESLのテキストであるため

アメリカでの日常場面が中心なので説明しないとわからない

語彙や文脈が多い、パターンプラクティスが中心ということで、

このところ敬遠していたのですが、この子たちには受けがいい。


パターンプラクティスはその文化的背景だけを説明

するだけに、基本の会話場面を音声的、演劇的に再現して

(日本の授業に比較すればまだ)自然な日常会話の

雰囲気をイントネーションと語彙で体感して、簡単な

練習問題を解いて、トピックにまつわるディスカッションを

少しするだけでなかなか充実した発見の多いレッスンになりました。

教材も使い方だなあ、と思いました。


どうしてもネイティブスピーカーの英語が規範になるので

私としては抵抗がないこともないのですが、若い時に

アメリカでの生活を体験しているので文化的なことも

説明できて教えやすい。基本的な行為としての英語、は

教える側が体験したことにどうしても縛られるのかなあ、

と思います。

伝わる英語

非常勤でやっている授業で最大の課題は伝わらない英文。 

学生の提出してきた宿題を4つのタイプに分けました。

タイプ1 単文で成り立っている英文 わかりやすく伝わる

タイプ2 複文を使っている英文 わかりやすく伝わる

タイプ3 少し直せば、わかりやすくり伝わる

タイプ4 全く伝わらない

問題は、このタイプ4.おそらく自分の言いたいことを日本語で書いて

グーグル翻訳などの機械翻訳にインターネットでかけたのだと

思いますが、記号か暗号のようになって全く英語にはならない。

めちゃくちゃ。


学生たちには、自分の書いたものがどのタイプなのか考えるように

言って、先週昨年度の学生の書いた英文がどのタイプかを

宿題に出して考えさせることにしました。


あと、タイプ1は文法を勉強してタイプ2を目指す、タイプ2は発音と読み方に注意する、

タイプ3も文法を復習する、タイプ4はとにかくタイプ1から始める、

という方向性も示してみました。


やっとゴールデンウィークに行った美容院でその話をしていると、

美容院の男の子が、僕だったら大学はレベルが高いから、

難しいことを言わないとと思ってレベル4のようなことを

してしまうと思いますね、と言ってたので、なるほど、と思いました。


そうかあ。。。。


なんかわかるような気がします。自分もそういうことをしているんです、

きっと。


みんな無理して難しいことを言おうとしなくていいのに。

中学レベルで十分通じる英語を書けるのに、無理してしまうんですね。


2016年5月1日日曜日

かなり苦しい

たかだか10ページの論文なのに、色々あって時間がないのと、

今まで嫌悪して避けてきたことに向き合わなければならない、

ということと、自分が大切にしてきた複数の信念が研究の中で

統合できないのでかなり苦しい。


ただ、どれも自分の知りたいと思うことの原点なので、

突き詰めれば自分の研究の中で必ず統合できるはずだ、と

いう直感はなぜかあります。


また、研究というのは何なのかやればやるほど

(と偉そうにいうほどやっていませんが)、どんどん

わからなくなっています。もっと自分に研究とはこういうものだ、

という信念があればまだいいんだろうけど。色々な先生を

見れば見るほど、こんないい加減なことでいいのか、と思ったり、

お互いを否定されあっているのを見るとわからなくなってきます。


まあ、そんな簡単なことではないと思っていたし、研究者になるということが

簡単なことでは困りますし。


つくづく研究には向いていないなあ、なんでこんなことをできそうだと

思って始めたんだろう、と思うばかりです。





2016年4月30日土曜日

火事場の馬鹿力

表題の「火事場の馬鹿力」というのは

もちろん読者の皆さんご存知ですが、ここぞといったときに

普段の実力以上の力が出る、ということ。


このところそういう感じです。色々と追い詰められています。


でも逆に追い詰められるからこそ、出る力がある、

自分を追いつめる人に腹が立つし、恨みたくなります。

悪口も言いたくなります。でも、そうやって追い詰めて

くれる人がいるのは真の愛情であってありがたいことなのです。


先生というのはそうでなくてはならない。


自分は生徒に甘くてなかなかそういう存在になれない、と思って

いましたが、学生の振り返りを読むと自分がこれくらい

できるだろう、と課したことが一部の学生にとっては

不可能に近いくらいしんどいことなのだ、ということが

授業を振り返ってみるとわかります。それでも、やる気を

出してできることだけでもやろう、としている彼らを見ていると

感動します。


生徒にまた教えられています。








自宅レッスン 高校生

小学一年生から通っている生徒たちがついに

高校生になり、どうするのかなあ、と思っていましたが、

4月も終わろうとしていますがレッスンに来続けています。


たぶん保護者の意向もあり、本人たちも毎週別々の

高校や同じ高校でも別のコースに進学したこともあり、

ここが彼らにとってお互いの近況報告の場にもなっている。


ずっとこの十数年こんな感じなので、近所の自宅塾としての

役目の1つなのかなあ、とは思いますが、ここからが難しい。


基本的には英会話塾ですよ、と言っているのですが、

それぞれのニーズが大きく変わってきます。進学校の理系コースで

やたら国立大学への進学を目指して大量の宿題と難解なテキストを

やらされる場合、同じ進学校でも普通科でそれほどでもないが

読解が中心の場合、私学で英語の達人を目指しネイティブの英語

オンリーの授業があって欧米への留学を前提としている場合。



文法が好き、ときっぱり言われるとその気持ちも尊重してあげないと

いけないし。でも言語はいろいろな側面があり、言語は行為である

という側面が軽視されがちな中学高校の教育環境では、

やっぱり自宅塾ではそれをやろうと思いました。


この言語は行為である、という主張は先日大学教育開発論の

マイクロティーチングでもやってみて、わりと理系の院生たちにも

わかってもらえたのです。


が、今日のDゼミでそれに関係するような論文を発表してみたのですが、

逆に言語教育で博論を書こうとしている院生に

わかってもらえず、大きな壁を感じました。


それについてはまた書きます。

2016年4月27日水曜日

3週目 授業

非常勤先のプロジェクト発信型英語授業が始まって、

三週目が過ぎました。


本職の先生方はこの程度で何を言う、と失笑されるかも

しれませんが、実は学生たちの積極性に自分が圧倒されています。

みんな凄い。宿題は頑張って送信してくる。競うように授業で

発表する。未だにあまり理解できていない、とシャトルシート

に書いてくる学生もいるものの、周りの元気に押されてできることは

しよう、という気持ちになっているのがわかります。


まだ新米なので、要領が悪くて70数人の宿題提出メールの返事、

シャトルシートのコメント、授業のビデオの毎週の振り返り

時間がかかりますが、1人1人の顔や発表、宿題を思いながら

色々振り返っているとあっというまに時間がたちます。


手をかければかけるほどそれなりの結果があります。

学生たちが生き生きとしてくれるので、楽しい。。。。。

とてもとても、やり甲斐があります。


ただ、まだまだ、グループワークが苦手だったり、

大学のパソコンにアクセスができずそもそも

パソコンが苦手で困っている学生も数人いて、

非常勤の立場でどこまでやれるのか、どうすればいいかなあ、

とこの連休中にまた考えようと思っています。

2016年4月23日土曜日

大学授業開発論II、二週目宿題

今日は、大学授業開発論IIでマイクロティーチングの日でした。

基幹となるアイデアは今週ずっと考えていて頭から離れませんでした。

Iの時は、大学の授業で教えた経験もなく、頭で考えて

いただけなので散々でした。しかも先週、その動画を二年ぶりに

同じ授業の人たちと見返してコメントをもらえてありがたかったです。


非常勤の自分の授業も、もらったコメントを念頭において

みてみると、なるほど~~、こんな重大な欠点が自分の話し方には

あったんだ、と大大大反省。


寝不足で胃痛がはじまりそうな気配の中、胃腸炎とか発症している場合では

ない、と昨夜2時半までパワーポイントを作って、今日の授業で

講義とアクティブラーニングを含めた15分のマイクロティーチングを

行いました。


結果は。。。いい感じだな、と思いました。クラスメイトはまったく

違う分野、医学、理学、とかの人たちなのに、言語観について

私の言いたいことが伝わったという手ごたえを感じました。



これが自分がしたい授業だった、と思いました。


ちょっと感動しました。


博論なんてどうでもいい、こういう授業を追求していけるなら、

って思いました。



また、五月にこの授業の仲間たちが非常勤の授業を見に来てくれ、

リフレクションを手伝ってくれるそうです。

嬉しくて泣きそうです。



がんばろう。



非常勤の授業ではもう一昨日、昨日、今日、と

学生たちが続々と宿題を送ってきてくれています。

みんながそれぞれ興味に関係のある英語の記事を

探してくれている反面、それを表現する英語の

出来不出来のギャップの大きさに考え込んで

しまいます。が、学生たちの意欲の高さに押されて

ちゃんと英語を伝わるように書くにはどうしたらいいか、

また新たなテーマが出てきました。