2016年9月11日日曜日

改めて「エスノメソドロジー 社会学的思考の解体」ガーフィンケル他 せりか書房

いまさら、と思われるかもしれないのですが、


現象学 フッサール→ハイデガー→メルロ=ポンティ
            →シュッツ→ガーフィンケル というところに


立ち戻って、たまたま遭遇した会話分析という研究分野と


自分の哲学的関心を整理して博論の研究の流れを考えるために、


会話分析の原点となるガーフィンケルのことをもっと理解しようと、


表題の本を改めて読んでいます。http://www.serica.co.jp/149.htm


本当にいまさら。会話分析の人たちには失笑されること必死。


でも失笑されてもいいので、現象学と会話分析の関係を教えてくれたら


ありがたいです。で、なんでこんなに会話分析では、他の理論を


頑固に受け入れないのとか。だって状況的学習論とか実践共同体を


受け入れなかった研究者がこの春はヴィゴツキー由来の概念を使ってたし。


もう一般的になっていると口頭で言うてはりました。


ええ?そんなんでいいのん?




こんなんで12月に発表できるのかも心もとないですが。




今精読しているのは、


この本の第4章「Kは精神病だー事実報告のアナトミー」 ドロシー・スミス。


3年前に初めて読んだ時には


わけがわからず、今でもよくわからないですが、面白いのは面白いし、


今、勉強に集中できなくて、ネットやメディアの現象を見ていると


つくられた物語、や何かの意図があってつくろうとしている物語が


多くて、そういう物語をただ享受しているだけ、感情的に反発ばかりして


いて筋の通った批判も何もできない自分が情けなくつまらない。これを


一生懸命読んでいると、どのようにして気に入らない人を排除していくのか


未熟なインタビューの報告を通してその構造がおぼろげに見えてくる。




人がつくった物語を教授するのは快楽。楽で気晴らしに最適。




でも、もうちょっとだけ、死ぬまでにはそれだけで終わりたくない。


若い時にそういうことに気付いていたら、といまさらながら思うし、


若くして気付いている人がうらやましいですが、それだけ自分は


色々と得をしてきたし、楽をしてきたので文句をいうのもおこがましい。











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