帰国後、母に韓国とロシアのお土産をわたそうと
梅田で会いました。
その時に、母が言うことには、祖父が軍隊に入って
ソ連に捕虜として2年過ごしその後ウラジオストックに
集められて日本に帰ってきたということでした。
自分が何気なく見ていた列車の駅や、港がそういう場所だった
ということに衝撃を受けました。
祖父はソ連の抑留時代の2年間のことは何も語らなかったそうです。
ただ、鼻水も凍るほど寒いんやで、と言っていたそうです。
きっと娘には言いたくないことばかり、また言っても経験が
苛烈すぎて理解できないし、娘にはそういう残酷な
ことは知らせたくなかったんだろうと思いました。
いつか機会があれば母を連れていきたいと思いました。
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