2016年7月10日日曜日

ウラジオストック

帰国後、母に韓国とロシアのお土産をわたそうと


梅田で会いました。




その時に、母が言うことには、祖父が軍隊に入って


ソ連に捕虜として2年過ごしその後ウラジオストックに


集められて日本に帰ってきたということでした。




自分が何気なく見ていた列車の駅や、港がそういう場所だった


ということに衝撃を受けました。




祖父はソ連の抑留時代の2年間のことは何も語らなかったそうです。


ただ、鼻水も凍るほど寒いんやで、と言っていたそうです。


きっと娘には言いたくないことばかり、また言っても経験が


苛烈すぎて理解できないし、娘にはそういう残酷な


ことは知らせたくなかったんだろうと思いました。


いつか機会があれば母を連れていきたいと思いました。

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