小学一年生から通っている生徒たちがついに
高校生になり、どうするのかなあ、と思っていましたが、
4月も終わろうとしていますがレッスンに来続けています。
たぶん保護者の意向もあり、本人たちも毎週別々の
高校や同じ高校でも別のコースに進学したこともあり、
ここが彼らにとってお互いの近況報告の場にもなっている。
ずっとこの十数年こんな感じなので、近所の自宅塾としての
役目の1つなのかなあ、とは思いますが、ここからが難しい。
基本的には英会話塾ですよ、と言っているのですが、
それぞれのニーズが大きく変わってきます。進学校の理系コースで
やたら国立大学への進学を目指して大量の宿題と難解なテキストを
やらされる場合、同じ進学校でも普通科でそれほどでもないが
読解が中心の場合、私学で英語の達人を目指しネイティブの英語
オンリーの授業があって欧米への留学を前提としている場合。
文法が好き、ときっぱり言われるとその気持ちも尊重してあげないと
いけないし。でも言語はいろいろな側面があり、言語は行為である
という側面が軽視されがちな中学高校の教育環境では、
やっぱり自宅塾ではそれをやろうと思いました。
この言語は行為である、という主張は先日大学教育開発論の
マイクロティーチングでもやってみて、わりと理系の院生たちにも
わかってもらえたのです。
が、今日のDゼミでそれに関係するような論文を発表してみたのですが、
逆に言語教育で博論を書こうとしている院生に
わかってもらえず、大きな壁を感じました。
それについてはまた書きます。
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