英会話学校の講師をしていた時は、毎年生徒のアンケートが
あってその結果で時給の査定が決められていました。
民間の企業に勤務していた時ももちろん査定があって、それは
上司が決めるもの。最後に勤務していた企業では、一年と数か月自分が
管理職だったので、勤務の査定をされる当事者としての強烈な感情と、
査定をしたその結果査定をされる側の強烈な感情を受け止める側と
企業では両方を経験しました。
英会話学校の査定の結果はほんの10円くらいなのですが、それでも
先生によってはすごく侮辱的に受け止める、というというようなことを
当時聞きました。
私は素人だったし、勤務したのもほんの2年か3年ほどだったので、
受講者のコメントで、近所のおばさんに教えてもらっているみたいだ、
というコメントだけ覚えていて下がりはしなかったことだけ
覚えています。
昨年の後期とその結果、また今年の前期、考えて考えて成績をつけて
よかったのか悪かったのかわからないけれど、先日後期の授業で
生徒のアンケート(成績をつける前の)の結果をもらって、
ぜんぜん驚かないなあ、と思いました。自分でまだまだだなあ、と
思っている2クラスは大学全体の平均よりすべての項目が若干下、
そしてコメントは全くない。(まあ全部の授業にアンケートを書かないと
いけないので、うっとうしいであろう)
一番感触がよかったクラスはすべての項目が平均より上で、
(私にとっては)熱いコメントをいくつももらってすごく嬉しかったです。
がんばってよかった==!
同じことをしているのに、なんでクラスによってこう違うのか、というのは
授業はやはり教員と生徒で協働構築しているものだから。
自分が準備にかけた手間、学生の志向、コミュニケーションの取り方、
英語に対する熱意、何をしたいのか伝える細かい気の使い方、
人数や空間、空気の読み方、学生の1人1人のできることできないこと、
今彼らが大学生活で何を見ているのか、指導法の研究と実践、
反省、すべてが授業につながるんだなあ、と思いました。
研究もまだまだだけど、授業もまだまだ。
今日読んだエスノメソドロジーの本でも、実践をそのフィールドの
実践家と同じくらい浸らなければなにもわからない、と
書いていました。そりゃそうです。
大学で2コマ3コマ授業をしているぐらいで何がわかる?
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