2014年5月18日日曜日

クリステヴァ 続きの続き

 やらないといけないことをほったらかして一日中読んでいました。何もしないで

家でひっくり返って本に読みふけっていた幸せな子供時代を思い出します。

 
 
 

 夜にレッスンに来た高1の生徒君も、科学が大好きで、高校の今のクラスで勉強も

クラブも、友達関係もすべてが充実しているらしく、その輝きが眩しいです。今日、

学校から行った研修で、「木」というものを科学として見れるとは思わなかった、と

英語と日本語で熱心に話してくれました。学問は、年齢問わず、人を輝かせるんですね。



 以下、今日のクリステヴァ。もうこれ以上耽っていたら、今週しないといけないことができない

ので、この辺で彼女とはいったん打ち止めにします。


 
 
 
 
 
クリステヴァは近代言語学の限界を画定 諸理論は一致して言語を厳密に「形式的な」対象とみなしている
「言語外の事象」という厄介な問いを取り除いて成り立っている

言語外的事象に取り組む潮流が二つ
第一 「記号の恣意性」の原理をめぐるもの 
    フロイトの無意識理論に基盤をおく、有縁的であるように見える意味体系を検討する言語学的傾向
    イワン・フォギナーの音声理論
第二 言語理論の形式性事態に記号過程の重層性を導入するもの
   現象学者フッサールとエミール・バンヴェストに由来
   さまざまな言表行為にかんして、その主体を想定するという立場

前者をル・セミオティック、と呼び、
後者をル・サンボリックと呼ぶことを提唱 
「この二潮流は同じ一つの意味生成過程の二つの様態」
二律背反や二項対立ではない

ル・サンボリック←フェノ=テクストを拡大 論理的意味作用、述語作用、ラング、恣意性と差異に裏打ちされた記号および記号体系の次元
ル・セミオティック←ジェノ=テクストを発展 ル・サンボリックの母体・基盤 非表現的な仮初めの文節がおこなわれる身体的欲動の場

間テクスト性、パラグラムの概念と突き合わせて考えると上記二つの関係が理解しやすくなる

語る人間によって引き受けられたものとしての言語、すなわちディスクールという枠をもちいて考えを
練りなおし、また間主体性(間主観性)という条件のもので考えを練りなおす

言表行為は、どのような形であるにせよ、つねに言表の内部にしるしづけられている

「ひとが自己を主体として確立するのは、まさしく言語活動において、また言語活動によってである。・・・
主体性とは、各自が自分自身であると感じる感情によってではなく、心的統一性によって・・・」

「ディスクールの裂け目」言術の裂け目にひそんでいる主体ならざるもの

ディスクールのなかには、コミュニケーションのレヴェルでの他者のみならず、無意識に由来する
「無政府的な力」としての他者が貫入して「ディスクールの裂け目」をつくりだし、そこに
「別の言語活動」「別のディスクール」を出現させることがあり、それが精神分析の場における分析主体
と分析者との対話を特徴づける事態であるというバンヴェニストの指摘

 
p119 <語る主体>と<コーラ>

<語る主体>についての問い直し

理性中心主義 神の荷姿として把握された人間の肖像が理性
この理性的主体は人間の全体像ではない

執拗に狂気を社会から排除しようとしてきた近代の知
未開人とされる異民族にたいして、近代西欧がおこなった苛烈をきわめる制圧と同化策

フロイトによる無意識の発見 理性的主体の背後の広大な無意識の領野

構造主義は、理性的な近代的主体を無傷のまま構造の背後に温存

シンボル秩序を創始する定立的契機の相対物とみなせる二つの出来事
ひとつは供犠
もう一つは供犠に先立つ歌謡・舞踏・演劇



フッサール 意味と意味作用をめぐる純粋意識の体験を分析、記述
意識とはつねに何者かの意識 意識作用(ノエシス)は意識内容(ノエマ)を志向

この志向作用の繰り返しが、ノエマの核としての対称の措定を可能にし、それはやがて
命題のなかでの対象あるいは意味の措定となる

指向対象を表象し意味する記号の成立、判断や信念を表現する命題の意味作用の成立、
それらの成立は、悟性の主体がすでに措定されていることをしめす

純粋意識すなわち超越論的自我としての主体は、命題の意味作用の主体として措定

対象を定立する命題の意味作用は、意味作用の主体、判断の主体の定立を逆照射
自我は対象に即して、定立される

<語る主体>は、語る行為において、語る行為によって、統一的なものとして定立される

クリステヴァは、フッサールの問題意識をいわば逆転
操作する意識、判断する自我がそもそもの出発点
「いかにして、この操作する意識がみずからを措定するにいたりえたのだろうか。」
操作する意識、産みだす意識ではなく、「産みだされうる意識」


プラトンの「ティマイオス」に出てくるコーラ
母―「生成するものが、それのなかで生成するところの、当のもの」

父ー似せられるもとのもの
子―生成するもの

プラトンのコーラを自身の理論のなかに組み込むことによって、父なる神的な秩序と統一を
決定的に重視する西洋思想のなかで顧みられることのなかった、この母なるコーラを復活

セミオティックなコーラからル・サンボリックへとまたがる全過程―これが、意味生成過程の上に<語る主体>を位置づける


p135  意味生成の過程ー係争と対話

主体も意味も、つねに崩壊と再生性の可能性を有し、またじっさいに、部分的にせよ崩壊と再生成を
おこなっている

ル・セミオティックからル・サンボリックへ、そしてまたル・セミオティックへと循環する意味生成過程は、
終了することのない無限の回路

語る主体と意味と意味作用の定立的性格 そのうえで、定立的性格を産出すると同時にそれを逸脱し、それを
変形させる異質な他者の様態をみきわめようとする、訴訟・係争としての意味生成過程、過程にある係争中の主体

p145  意味生成の過程ー欲動と意味定立

セミオティックなコーラにおいて働く、意味をなさない欲動と、意味をなす言語とは、意味生成過程のなかで
どのように接しているのか

語る主体とその対象が措定され、記号が生まれ、定立的な意味作用が開始される地点では、どのようなことが
起こっているのか

定立段階あるいは定位相phase thetique=定位を生み出すこの断絶をなす接合点

フロイトの去勢理論と原父殺し神話
ラカンの鏡像段階

70年代半ば クリステヴァははじめて幼児言語の分析と幼児精神分析に取り組む

ル・セミオティックがル・サンボリックの母胎でありながら、同時にル・サンボリックを攪乱し、
破壊する攻撃者であるというその共時相のありさまが、もっともわかりやすいかたちで目にみえる
ものとなって我われのまえに供されるのが芸術という活動

言語芸術であるテクストは、定立相とその相関者たる剰余の快楽との混合の具合のさまざまな様相を描き出す


芸術的実践やテクスト、詩的言語―定立とその侵犯が描き出す症状を、伝達可能なあらたな意味生成装置の構成へとつなげることのできる回路

治療の場における精神分析―定立を侵犯するセミオティックな欲動がもたらす症状を除去し、乱調を鎮め、治癒させる方向。危殆に瀕している定立相を強化することがその使命


p168  否定性と多数のロゴス

意味生成性の過程(プロセ)で働く力を、クリステヴァは否定性においてとらえる

運動発展の推進力、いっさいの自己運動のもっとも内的な源泉であるとされるもの

すべてのものの内部にある自己矛盾から発する否定性の運動は、定立を産みだす運動の原理となり、
その意味では根源的な肯定性(措定性)としても考えられる

否定性という観念はもともとヘーゲルのもの

『詩的言語の革命』『ポリローグ』において、ヘーゲル弁証法の否定性をフロイトの無意識と欲動の理論によって
唯物論化するという道筋がしめされる

導入されるのはフロイトの<否定・否認>や<死の欲動>の理論

フロイトの否定の多義性

ラカン「主体内への取り入れと主体外への放逐」に注目

棄却Verwerfung,外部に放擲して象徴化されないものを産みだすもの、それが否定性

意味生成の実践の四つの類型

語り―神話や叙事詩、それらの代用としての演劇・映画や小説、ジャーナリズム、私あるいは作者という軸点の上に中心化

メタ言語―実証哲学やもろもろの科学の言述 当然デカルト的主体、意味体系の外に位置して姿をけし、それによってシンボル体系を保証

観想(テオリア)―宗教、哲学、哲学の脱構築などのジャンルを含む意味体系、物質性、外部、社会性、矛盾が欠如、欲動は空洞化

テクスト―いいかえれば詩的言語、欲動の二項性は交互に浮上、終わることがない、欲動のリズムが主体を定位させるが、主体を突き抜けてもゆく、変革の空間

「なんであれ生産や労働のプロセ(過程)は、テクストの意味生成のプロセとおなじ性格をわかちもっている」


テクスト的実践における主体―反復する多数回の欲動的・物質的棄却の否定性によって生みだされた主体
日常言語においてアプリオリに前提されている一者的主体―一時的停滞の産物にすぎない

テクスト上においては、定立的意識の主体とその主体が操作する単一論理(モノロゴス)的意味作用は、つねにすでに
他者の否定性によって破壊され、分断されている

他者―言語の外部、意識にたいする無意識、身体的欲動、自己同一的なエクリチュールの成立をゆるさないレクチュールの介入、
   先行するもろもろのテクスト、別の記号象徴体系、主体と言語を取り巻く歴史的・社会的状況

ポリロゴス(多数の原理)
同一者の自己同一的論理と他者の異質的論理のあいだの対話(ディアロゴス)として、つねに間テクスト性を刻印されているテクスト
この対話によって実際にはすでに多数化=粉砕され、脱権力化されているル・サンボリックの単一論理的権力


p200  幼児言語と詩的言語


p215 <母>なるものをめぐって

p216  政治の季節から内的体験へ

p232  アブジェクシオンー母なるおぞましきもの

p276  愛の空間

p304 愛の裏面としてのメランコリー

p337 意味生成とつながった新しいフェミニズム

p338記号論から女性論へ

p342 アイオーンー女の時間

p358 母性から女性をとらえる

p369 90年代のクリステヴァ

2 件のコメント:

  1. どんどん遠くへ行かれてしまいますね。勉強することばかりで、いつも面白く拝読してます。

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  2. 読んで頂いてありがとうございます、いや〜、全然どこへも行ってないです。その時だけ分かった気になっても、読んだ端からすぐ忘れてしまうので。

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