読めていなかったのを読み始めました。
談話分析は、現象学の影響をうけてはじまったので、これは読んでおかなくちゃ、
講談社 現代思想の冒険者たちSelect メルロ=ポンティ 可逆性 鷲田清一
鷲田先生は、前阪大の総長でもあらせられ、大好きな内田樹氏のお友達なので
パネルディスカッションも聞きに行っていたりして、柔らかい大阪弁の語り口が
大阪人には心地よい方です。
とりあえず50ページまで読んで思うこと。
幼児期の幸せな体験が強烈で抜けられない、とか、中年になってから母親を
亡くしたことが、彼の思想につながっている、というのが、なんか男性的だなあ、と
思いました。意外と、繊細で弱い、という印象を持ちました。サルトルと高等学校が
同じで一時期、一緒に雑誌を創刊したというのも、サルトルの骨太な印象から
意外です。
それと、主観と客観、自然と文化の二項対立をそれだけ克服したかったのなら、
日本人、せめて東洋人、その文化を視野に入れることはしなかったのだろうか。
まったく、興味はなかったのだろうか、ということとか。
あと、構造の三形態で例にあがっているのがケーラーの実験だったりするのが、
なんか聞いたことがあるなあ、ヴィゴツキーやレオンチェフも例にあげていたような。
その時代には、ケーラーがすごく信頼された研究者だったのか、メルロ=ポンティは
ロシアの心理学にも通暁していたのか。さらに読み進めないとわかりませんが。
以下、気になったところの抜粋です。
p13
文章の読みやすさも読みにくさも、ともに、曲がりくねるような複雑な論理を駆使するという以上に、
『現象学的記述』がじつに濃密だというところにある。「記述することが問題であって、説明したり分析したり
することは問題ではない」と言い切るメルロ・ポンティ
書くことがそのまま発見となるのでなければならないような言葉の紡ぎだしかた
世界には、ほとんど職人芸とでもいうべきある表現のスティル(文体)によってのみ近づけるような位相が
ある。スティルがはじめて可能にする視線というものがあるのだ。
哲学としての《現象学》は一つの学説ないしは体系である前に、一つの試み(傍点)(essai)
p15
《現象学》・・・その歴史の大きな転換点をなした思想家
p16
メルロ=ポンティとともに《現象学》は、学問論や論理学から科学批判もしくは「生きられた経験」の学へと、あるいは諸学の媒介者というポジションへと、大きく展開した
フッサールの思考の射程のなかにありながら「考えられないでしまったこと」(l'impense)の全面展開という
意味をもっていた。
p17
メルロ=ポンティは現象学のもっとも徹底した批判者でもあった。・・・流行りの言葉でいえば、「現象学の脱構築」をこそ試みたひとであるともいえる。
第一章 構造
P20
はじめから、済んでしまった(傍点)生を送っているようであり、とくに四十五歳で母を失ったあとは、
まるで「世捨て人」のようにして過ごした 1908+45=1953年?
みずからの私的生活については終生、口をつぐんでいた
p21
三歳のときにその父を亡くし、以後母親のジュリー・ジャンヌ・マリ・ルイーズ、兄ルイ、妹モニクとの親密な家庭で成長する
その親密さは閉鎖的と言えるほどであったといわれる
けっしてそこから恢復しなかった至福の数年間。その閉ざされた親密な生活。この失われた楽園にこそ、
多くの研究者は、〈共存〉とか〈コミュニオン〉とか〈共同‐出生〉(co-naissance=認識)といった言葉で
しばしば表現されている、自然との、あるいは他者たちとの閉ざされた合一のイメージの根、濃やかな交わり
(「交流」や「交換」として語られる)のイメージの根が深く下されているとみてきた。
P22
メルロ=ポンティは、幼児期というものについて・・・
幼年時代によって魅惑されているある種の人びとがいる。幼年時代がとり憑き、特権的なさまざまな可能性の次元において、かれらを魔法にかけたままにしておくのだ。また、幼年時代によって、大人の生活のほうへ投げだされる別の種類の人間がいる。かれらは、自分には過去がなく、また、あらゆる可能性のすぐそばにいると思っている。
P24
高等中学校では、マルセル・ベルネや、ピエール・ティスランらに哲学を学び、ベルクソンの著作を熱心に読んだ。
サルトルとニザンは1905年生まれ、同級生
レイモン・アロンも1905年生まれ
1908年生まれには、ボーヴォワール、レヴィ=ストロース、メルロ=ポンティ
1909年生まれにはシモーヌ・ヴェイユ
第二次世界大戦後のフランスの思想界と知的宇宙をリードする「輝ける世代」
1931年高等中学校の臨時哲学教授に就任、フッサールの公刊された著作を読みはじめる
1935年頃から雑誌に寄稿
1938年に『行動の構造』を脱稿 フッサールが死去 サルトルが初期の問題作『嘔吐』を刊行
1943年にサルトルの最初の主著『存在と無』を刊行
1945年主著『知覚の現象学』とで博士号授与
10月に『レ・タン・モデルヌ』を創刊、サルトルとメルロ=ポンティが共同主幹
1953年にサルトルと決裂
常に対照的な場所
サルトル-想像力論を展開したとき、メルロ=ポンティは知覚の分析
サルトル-透明な意識の自発性に思考の根拠を求めるとき、メルロ=ポンティは世界にない属する、コギト以前、人称以前の主体のあり方、とくにその身体性と受動性に注目したのであった
P30
西方では哲学教育はいやがうえにも政治的
新カント派をはじめとする「謹厳居士」たちによる生気を失った超アカデミックな研究への犯行
p31
アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル講義に集まった若き知的秀才たち―メルロ=ポンティ、ジョルジュ・バタイユ、ピエール・クロソウスキー、ジャック・ラカン、アレクサンドル・コイレ
↓
ロシアの情勢、マルクス主義への関心の高まり+新カント主義への反抗、ベルクソン哲学の失墜
ヘーゲルの弁証法
P34
対立を固定し、双方を隔離することよりも、むしろその絡みあいを、いや、絡みあいのなかで
はじめて構造が生成するということを、終生、丹念に描きだそうとしていたメルロ=ポンティ。
<両義性>初期の仕事を象徴する
<可逆性>後期の仕事を象徴する
西欧の伝統的な思考法のなかでは、亀裂や裂け目と見えるもの、たとえば主観と客観のあいだ、
自己と他者のあいだ、あるは言語と知覚、思考と存在、理性と感覚、自然と文化といった襞の
あわいに深く入り込んでいって、そうした対立的な意味の出現を、その「生まれいずる状態において」
とらえようという意志
p36
かれは、当時の神経生理学やゲシュタルト理論の研究動向、ピアジェやワロンの発達心理学、
ソシュールの構造言語学、パノフスキーやマルローの芸術理論、レヴィ=ストロースの「構造」概念や
ジャック・ラカンの鏡像段階論などの仕事にもっともはやい段階で注目、その意義を論じる。
P37
「社会的自然」「ここで自然とは、因果関係によって結ばれた、相互に外的なさまざまの出来事を意味する」
問題にされている意識と自然の関係は、したがって抽象的なもの、乗り越えられるべきもの
1940年代のメルロ=ポンティの仕事の強迫観念-観念か物か、主観か客観か
「全自然を意識の面前で構成される客体的統一とする哲学と、有機体と意識を実在の二つの秩序として扱い、その相互関係においてはそれらを結果や原因としてあつかう諸科学」との対立関係そのものを、擬似問題として
解体してしまう
「刺激のゲシュタルトは有機体そのものによって、つまり有機体がみずからを
外の作用に差しだす固有の仕方によって創造されるものであって…
有機体自身が、自分の受容器の固有の本性に応じ、神経中枢の閥に
応じ、諸器官の運動に応じて、物理的世界のなかから自分の感じうる刺激を
選ぶのである」
→これってヴィゴツキーと同じことをいってないか?
刺激も興奮も、その孤立的な諸部分がもつ要素的特性のモザイク的な総和以上のもの
そこにはいわば刺激があらわれる「状況の意味」ないしは「全体過程」というべきものを
認めざるをえないのである。
刺激は、たんに点的な刺激としてではなく、有機体にたいしては、つねにある布置(configuration)において、
つまりある<かたち>(ゲシュタルト)として、作用する
そうすると外的刺激とそれぞれの刺激にたいする有機体のがわの局所的な興奮にそのつど意味を
与えるような「布置」ないしは「全体」がどのようなものか
さまざまな状況へと「移調可能transpossible」な全体
たとえば、代償行為をめぐるトレンデレンブルクの実験、人間の書字という行為
p44
「構造の障害」
「病的変化は、より未分化(moins differencie)でより非組織的な、より全体的でより無定形な行動に
むかう方向に起こる」つまり差異(difference)の系の解体
解体=そのつどの状況のもとでみずからの行動の場を<意味>において編制する、あるいは状況の
意味を一つの図として無記的な地から浮かびあがらせる、その一般的規制がはたらかなくなるということ
ボイテンデイク「全体(ゲシュタルト)知覚の減退、行動の分化(differenciation)の現象」
メルロ=ポンティ 諸要素を組織化する一般的な「水準」や「タイプ」の系統的解体(une desintegration systemeatique)
人間のばあい、この<一般的なもの>、行為の組織化や統合のこの一般的様式がいちじるしく発達
世界から身を引き剥がし、状況に埋没することなくそれに距離をとることができる
そもそも学習ということが成り立つのは、行動の編制がある一般性を
もっているからである。状況が異なってもそこに同じ意味が見出されるならば
おなじ解決を与えることができる。
P46
行動の構造
(1)「癒合的形態」「自然的条件の枠のなかに閉じ込められて」おり、学習は不可能
(2)「可換的形態」はじめて信号による行動の編制がえ、学習が可能になる、
ニワトリをつかったケーラーの実験
チンパンジーをつかったケーラーの実験
(3)「象徴的形態」信号ではなく、シンボル(象徴)がここでのキー概念
オルガンの演奏
鍵盤のキーは「ある運動的全体のたんなる通過点」
演奏におけるさまざまな運動のあいだにある「内的な関係」がまぎれもない「音楽的意味」
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