2013年9月22日日曜日
ヴィゴツキー「思考と言語」
「思考と言語」 新訳版 ヴィゴツキー著 柴田義松訳 新読書社
やっぱり基本に戻らなくては、と思ってこれを読んでいます。
先日の中間発表会で、みんなに質問を受けたのは、「矛盾」「人格」「発達段階」「語義」「意味」『表
象」などの重要なキーワードです。自分なりに理解している範囲で答えてその場はしのいだ
形はなんとかできたのですが、やっぱり自分の理解が浅すぎる。
活動が対象に向かっているということはどういうことなのか。
矛盾とはなにか。
表象とはなにか。
認識とはなにか。
存在とはなにか。
それぞれのことばには、ソクラテスやプラトンの時代からずっと偉い人たちが突き詰めて
考えてこられた哲学の歴史がこめられています。本当なら、全部把握して、そのうえで自分の
選ぶ言葉の定義を自分なりに決めなくてはいけない。
それと同時に、子どものちょっとした一言や瞬間の気づきに、その長い歴史が凝縮して
こめられているのです。それは、子どもたちと長年付き合っているうちに、鈍感な自分でも
わかっている。
すべてそれを、きちんと初めて読んだ人にもわかるように表現しなくてはいけない。
問題はそれだけではなく、
データ、データ、データ。録音をずっと聞いた結果、録音の書き起こしだけでは足りない、
ということがわかりました。ipadで自分の中間発表を録画して、家族に説明しているうちに、
やっぱり録画は避けられない、とやっと覚悟が付いたのがついさっき。
一応、保護者と本人には、文面で説明してあるものの、レッスンの録画なんてしてもいいんだろう
と思って腰がひける。でもやるしかない。録音は予備的観察だ、と自分に言い聞かせたので、
ビデオも予備的観察。
一か月ほど、録画に自分が慣れたら、リサーチクエスチョンにそった仕掛けをいよいよ考えないと
間に合わない。その仕掛けを考えたりするのって、もっとも苦手。
大学院以外の人付き合いや雑念は、二月まで必要最小限にとどめないと、誘惑に弱く、快楽主義
的で、気が散りがちな自分は集中できっこない。
とりあえず、この本の関連部分をじっくり読み解くこと、そしてレッスン部屋のごちゃごちゃしたのを
すっきりと片づける。まずできることから始めよう。
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