2013年9月8日日曜日
アリストテレスの形而上学
立命館大学で、土曜講座「アリストテレスの形而上学」を拝聴しました。
こんな硬いテーマなのに、100名ほどの講義室に人がぎっしり。立ち見も出るくらい。
殆どが60~70代の年配の男性、なかにちらほら学生らしい若い子や女性がいた。
レジュメも字がびっしりで、一般向けの講座とは思えない難解で濃い内容でした。それなのに、
うつらうつらしている人はまずなく、皆さん、眉根にしわを寄せつつもレジュメを見ながら、
熱心に聞いていらっしゃいます。あとから飛び出した質問も、専門的な内容もあり、
なんかちょっとびっくりしました。こんな時代で哲学書が売れているとは聞いていましたが。
講義のちらしに書いてあったのか、経済ではなく、世界をつくっているのは哲学だ、
というのは、どういう意味でしょうか、と戸惑い気味の質問が最後でした。それに対する答えは、
教育に携わっている人たちが先日のJACET国際大会で問題にしていたこと、と
同じ、でした。いわずとしれた、グローバリゼーションへの警鐘です。
修論のための読書をしていると、どうしても西洋哲学の一般常識が、それもアリストテレスは
はずせないので、参加させていただいたのですが、哲学の先生もたたかっておられるのだなあ、
と思わぬ拾いものをしたような気がしました。
なんか、余韻で、前から読もうとおもっていた福沢諭吉の「学問のすすめ」と鈴木大拙の「東洋的な
見方」を京都駅で買ってしまいました。あ~、根底ではつながっていると思うものの、また修論の
テーマからはずれていく!
それと、あまりにも集中力がないので、色々と好きなものをあきらめることにしました。特に日本
酒。9月の中間発表までではなく、修論書き終えるまでです。誰からも信用されてませんが。
ri
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