2013年9月25日水曜日

修論題目と子どもたち


今日は久々に師匠と面談。

今月中に大学に修士論文の題目の届を出さなければいけないのに、うっかりしていて

お忙しいところを時間を頂き、すったもんだの二時間半。タイトルだけやん、と軽くこっちは

思っていたものの、いやこれではダメ、もっといい言葉はないか、こっちを先にもって

きたらいい、いやこれでは意図が伝わらない、すごくこだわってくださいました。


最終的に、これで出すことにしました。



Learner's Transformation  in  EFL  Tutorial Sessions:
From Activity Theory Perspective 
 
 
学習者の変容を英訳してLearner's Transformation となったのですが、この変容、という
 
のが一番こだわったのが、どうしてもいい言葉がなく、最後にやはり一番最初に
 
出たこれだろう、ということになったのでした。
 
 
 
小学二年生から大学生まで、一人の子どもと付き合うと、こだわります。
 
 
 
もともと、どんな人に知り合っても、この人は子どものときどんな小学生だったんだろう、
 
どんな家族で育ったんだろう、お母さんやお父さんはどんな人で、どんな地域文化に
 
育ち、なんでこの人はこのように育ったんだろう、とついつい考えてしまう癖があります。
 
 
 
逆に、うちに来たばっかりの子どもたち、小学生にしても中学生にしても、この子たちは
 
どんな大人になるんだろう、人の役に立ったり頼られたりする人になるんだろうか、
 
今賢そうに見えても先々はたいしたことないのか、今反抗的で暴れているけれど
 
そのうちもっと要領よくなるのか、未知の世界。
 
 
自然に成長していくことはありえない、かならずその子を取り巻く環境が子どもを
 
つくっていく。それにまわりの大人たち、学校教育とか、地域の英語塾のおばさんである自分が
 
かかわることによって、子どもたちは確実に影響をうけます。望むと望まないにかかわらず。
 
びっくりするほど、ドラスティックに変わる。そして、それによって周りの大人たちも変わります。
 
 
 
そういうところを捉えたかったので、変容、という言葉に拘りました。
 
 
 
でも師匠も自分もとりあえずはすっきり納得してよかったです。
 
 
 

今日のレッスンも仕掛けはシンプルだったのに、なかなか、うまくいったような感じで

よかった。 既存の研究者のアイデアをお借りしたのですが、やはり先人が苦労して、

まとめ伝えて下さった知恵は借りるにこしたことはないですね。これからもどんどん

お借りしたいと思います。

2 件のコメント:

  1. こういう時に初歩的な質問をしてごめんなさい。副題、こういう場合anはいらないものなんですか?単なる質問です。

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  2. ご指摘ありがとうございます。提出した方にはネイティブチェックも頂いていたので、an つけていました。ブログの方で、冠詞に無頓着なのが露呈して恥ずかしいです、こういう基本的なことができていないと、ダメですね。頑張ります。

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