先週から、京都の母校で後輩の院生さんに
英会話のレッスンをさせていただいています。幸せ~。
何か世の中の役に立つことをしたいと思い、始めた英語塾ですが、
子ども達と10年以上付き合っていると、もうちょっと
中学や高校の先生も英語教えているなら、文法や語彙とか
リーディングだけでなく、使える英語を教えてあげようよ、と
思い、なんでこんなに世の中が進んでいるのに、いつまでたっても
中学や高校の授業は変わらないんだ、と思っていました。
教育大の大学院に行かせていただき、なるほど教育の現場は
色々難しいことがあるのだなあ、と思い、でもやっぱり、子供たちの
ために英語の先生は英語を使う経験がなければいけないと
ますます思います。
そうでなければ、お金がふんだんにある人だけが子供を海外に
行かせたりしてますます格差が広がっていくではないですか。
授業のバリエーションとしてもオーセンティックなものを投げ込むって大事なのかなって最近思っています。「公教育の先生はそういう機会のない子供たちにも、英語を使えるようにしてあげないといけない。そのためには、自ら努力しないと」少し道が開けてきたような気がします。ありがとうございます。
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返信削除コメントありがとうございます。申し訳なく、その一文は削除しました。オーセンティックというのがどういう意味でつかわれているのかによると思うのですが、対話をしている相手と相互行為を成すということ、(もちろんその相手、がテクストであるということも含みます。)を大事にしたい、と言いたかったのですが、言い方がまったく間違っていました。ほんとうにごめんなさい。
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