2015年3月2日月曜日

レッスン 小6

いつもの会話のレッスンの準備をしてきたら、
だいぶ遅れて息せき切ってやってきた生徒。

塾の宿題が、なに言うてるかぜんぜんわからんねん、
と出したプリント。

「例にならって」「絵を見て」「日本文を」
「英文に」「書き換えなさい」という類の問題文がまず、
何を言っているかわからない。

そういう問題になれたものにはわかるんだけれど、
彼女には「例」「絵」「日本文」「英文」の対応関係が
わからない。

まさにヴィゴツキーのいう「生活的概念」と「科学的概念」
のギャップ。

自分が小学校にあがって一年生のときに「一と一は」という
算数の問題がまるっきり理解できなかったのを
想い出しました。

しかも、問題をただコピーして出す側には、問題文が
わかることを前提にしているので、子供の目線に降りて
行く気もない。

彼女はある程度英語になじんでいるので、I am とI'mの違いも
わかっているし、省略形という概念もわかる。英語と言うのは
人がしゃべって使っている言葉なので、こういうのは規則を
教えているだけだから、ふつう使わないことばもルールとして
覚えておかないとあかんねんで、というと、なるほど、とわかる。

一生懸命勉強していた友達が、塾のクラス分けで下のクラスに
なって泣いていた、といってました。それは、白紙から自分だけで
文法を勉強して理解しようとして普通にわかるわけがない。

そうやってがんばってもわからないので、幼いころから英語がきらいになっていく。

何もわからない子供に、文法だけを押し付ける教え方は暴力的だと
いつも思います。それは教える方の怠慢に他ならない。



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