大学院に来た理由の一つに、一生に一度でも論文というものを書きたい、公に出せるもの
書く自分に、自分自身を作り変えたい、というのがあります。色んな思いや義憤(のような
もの)に突き上げられて、考える間もなく動いてしまう。それでは、結果的に人の役に立た
ない。行動力がある、と賞められることの裏には、この人はマッチの様に、擦ったらすぐ
燃え上がる、頼りにもできるけど利用もしやすい、危なっかしいなあ、という嘆きも
込められているのです。
何とかして、尊敬する人たちのように、パブリックに発言するときは、広い視野をもっ
て、情熱はそのままに、でもある程度客観的な物言いができるようになりたい。
でも、先日、専門雑誌に、自分の名前が載ってますよ、と見せられたときには
焦りました。片隅でひっそり目立たなく発表するつもりだったのに、公に出る、
ということの怖さと責任感に固まってしまいました。
心配も不安も焦りも終わって思うに、それは結局自分がそういう見方で世に中を
認識していたからだと。公になる事を怖れている間はどれだけ年を重ねようと、
どれだけ経験と実績があろうと、ちゃんとした大人には慣れないんだな、と
遅まきながら気づきました。
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