2013年11月16日土曜日

西田幾多郎遺墨展


今日は、関西文化の日で、美術館や博物館が無料の日です。

そのためか、京都市内は人があふれかえっていました。心なしか親子連れが

多かったような気がします。




京都大学で用事があったので、待ち時間の合間に表題の展示を見てきました。

京大の博物館はいつも横目で見て、行きたいなあ、と思いつつ、時間がなくて

行けなかったので今日は30分ほどでしたが楽しかったです。




京都や兵庫県の古代の石棺や、壺、古墳に並べられていたさまざまな埴輪の復元、

工学的なねじ回しの展示、海や地球の深い考察の展示、哺乳類の骨など、ありとあらゆる

分野の専門的な展示があって、幼い子供を連れた若いお父さんお母さんたちが、見て

楽しんでいるのをみて、ああ、いい幸せな風景だなあ、、とかつての自分の

娘を中心とした家族を思い出していました。




若い人たちには、一生結婚しない、などといわず、本当にいい人を見つけて、幸せな

家族をつくって、幸せな子供たちに満ち溢れた日本という国をつくってほしい、と

つくづく思います。自分勝手な理想かもしれませんけれども。




西田幾多郎は、自分が高校生の時にお名前を聞いていて、写真も拝見したことが

あります。 記憶にはないのですが、おそらく「善の研究」も手に取って読もうとしたことが

あり、哲学の道、も西田幾多郎が歩いた道だ、と若い時に歩いてみたことがあるので、

勝手に親しみを感じています。



今回も、えらい先生というよりは、親戚の賢いおじさんが残した書道の書き散らしを

見ているような感覚で見ていました。 やはり、文は人なり、字は人なり、というのか、

お書きになった字を鑑賞していると、豪放磊落なように見えて、いろいろ迷いがあった

方なんだろうな、それを解決しようとして、禅や哲学を極めようとされたのかな、

と思いました。とにかく、定まらないんです、字が。いろいろいろいろ試された

という気がしました。



書の意味を読んでいるだけで、深くて、煩悩にとらわれがちな自分を戒めてもらって

いるような安心感があります。日本の父ですね。

そのうちの一つ。

心外無別法

をネットで探してみました。

http://www.afs.co.jp/partner/vo22/vo22kaku.htm







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