2013年11月28日木曜日

conversational narrative


修論の〆切まで、二ヶ月イベントは最小限にしようと決めていたにも関わらず、

断れきれない予定や、必要な行事や、人手不足で見ていられないのでつい

手を出してしまったりで、落ち着いて時間が取れない上に

またPCがつかえなくなり、各章ごとのワードファイルをブランクで

先週作成したところで止まってしまいました。




ようやく、新しいナラティブの本からヒントを得て、研究方法を一頁だけ

書くことができましたが、こんなペースでは不安で心許ない限りです。

本は、Narrative Research in Applied Linguistics, edited by Gary Barkhuizen,

Cambridge University Press.       各章でちがう研究者の具体的なナラティブを

使った分析が書かれていて、読みやすい。まだ、行き当たりばったりに

二章しか読めていませんが、こんなふうにやったらいいのかなあ、と

暗闇の中で遠くに光がさした感じ。まだまだ手探り状態です。



criteriaを設定して、語りをジャンルで分ける、ということから

始めればいいのか。考えてみれば当たり前のことが自分では思いつかない

フレームワーク。


これに勢いを少し得て、昨年授業で読んだ本も改めてめくって見ると、

視点が少し変わって来たので助けになりそうです。



いよいよ覚悟を決めて、禁酒に突入。どうなることやら。あ、家飲みだけ

にしようかな。と全然覚悟はできていない。






2013年11月22日金曜日

修論指導と。。


久々にお忙しい指導教官にお時間を頂き、修論の章立てだけみて頂きました。

終わったので、ホッとして今朝一番に買ったボジョレーヌーボーを

空けています。やはり、紫色がフレッシュで果実味があってすごく美味しい。

一人で飲むのは勿体無い。



いやいや、ワインの話でなく、修論でした。



とにかく活動理論を調べれば調べるほど面白くなってきたので、その気持ちと

自分が探して来た、活動理論に詳しい百合草先生の論文三つ、そして

方法論について質的研究会で高木先生が次回テキストに指定された

昨日届いた本をお見せして、読んだばかりのconversation narrative という手法

でこれで行きます、と勢いで攻めて行きました。



文章をお見せすると自分の下手な英文でお疲れの先生を余計疲れさせては

いけないと思ったわけです。


とにかく、構成だけは、これで良い、とお墨付きを頂いたので、一歩前進です。


あと、活動理論には意識がない、というご意見には、レオンチェフの元本は

「活動と意識と人格」であって、意識に一章を割いていて、意識理論も

打ち立てているのですから、そんなことを書いたら分かっている先生方から

非難轟々です。意識をいれていないのはエンゲストロームであって、レオンチェフは

入れてます、と説明して納得して頂きました。


他、モスクワのお話も面白かったのでお聞きして、時間切れ。章だてはこれで

いいですよね、と最後に確認して終わりました。

フロー理論の章もお疲れなのか削らずに済みました。





ふううう。頑張りました。ボジョレー美味しい。

2013年11月20日水曜日

認識の違いが世界を変えることについて


今日、あと修論の締め切りまで二か月やね、と院生としゃべっていて

ひっくり返りそうになった。



かなり人見知りだと思っていたので、いろいろ心配で教師になったら、

ティーンエージャーというものは大変、特に女子が大変だからね、よく観察しないと

だれがだれを虐めているとかあなたはきっとわからないと思うよ。

先生の自分に近寄ってくる勢力の強い女子だけでなくて、片隅の弱い子に

目を向けたらなあかんよ、と散々説教したあとで、ごめんね、あなたが

人見知りなので、すごく心配。


すると、僕、人見知りじゃないですよ。


ええ?


そんなこと言われたことありません。逆にだれとでもしゃべって、人見知りしないと

言われたので、僕だけがそう思っているのではありませんし、と言われたので

仰天した。


いや、だれもがここでは、あなたはシャイだと思ってると思うけど。


え、そうなんですか?


逆に感心した。自分が認識している自分と、他人が認識している自分と、

その例を目の当たりに見て。すごいなあ、衝撃的だった。


これ以上、言うのはやめにした。彼が認識している世界をひっくり返す権利は

自分にはない。



でも、長い人生の中で、広い世界、色々な文化やいろんな人に出会っていく中で

いつか気づくだろうし。


人って面白いですね。

2013年11月16日土曜日

西田幾多郎遺墨展


今日は、関西文化の日で、美術館や博物館が無料の日です。

そのためか、京都市内は人があふれかえっていました。心なしか親子連れが

多かったような気がします。




京都大学で用事があったので、待ち時間の合間に表題の展示を見てきました。

京大の博物館はいつも横目で見て、行きたいなあ、と思いつつ、時間がなくて

行けなかったので今日は30分ほどでしたが楽しかったです。




京都や兵庫県の古代の石棺や、壺、古墳に並べられていたさまざまな埴輪の復元、

工学的なねじ回しの展示、海や地球の深い考察の展示、哺乳類の骨など、ありとあらゆる

分野の専門的な展示があって、幼い子供を連れた若いお父さんお母さんたちが、見て

楽しんでいるのをみて、ああ、いい幸せな風景だなあ、、とかつての自分の

娘を中心とした家族を思い出していました。




若い人たちには、一生結婚しない、などといわず、本当にいい人を見つけて、幸せな

家族をつくって、幸せな子供たちに満ち溢れた日本という国をつくってほしい、と

つくづく思います。自分勝手な理想かもしれませんけれども。




西田幾多郎は、自分が高校生の時にお名前を聞いていて、写真も拝見したことが

あります。 記憶にはないのですが、おそらく「善の研究」も手に取って読もうとしたことが

あり、哲学の道、も西田幾多郎が歩いた道だ、と若い時に歩いてみたことがあるので、

勝手に親しみを感じています。



今回も、えらい先生というよりは、親戚の賢いおじさんが残した書道の書き散らしを

見ているような感覚で見ていました。 やはり、文は人なり、字は人なり、というのか、

お書きになった字を鑑賞していると、豪放磊落なように見えて、いろいろ迷いがあった

方なんだろうな、それを解決しようとして、禅や哲学を極めようとされたのかな、

と思いました。とにかく、定まらないんです、字が。いろいろいろいろ試された

という気がしました。



書の意味を読んでいるだけで、深くて、煩悩にとらわれがちな自分を戒めてもらって

いるような安心感があります。日本の父ですね。

そのうちの一つ。

心外無別法

をネットで探してみました。

http://www.afs.co.jp/partner/vo22/vo22kaku.htm







2013年11月15日金曜日

「世界の英語を映画で学ぶ」

いつも読んでくださってありがとうございます。



さて、帰宅すると表題の本がアマゾンから届いていました。

マニラの学会でお知り合いになって最後の夜お食事を一緒にしていただいた

京都府立大の山口美知代先生の著書です。




映画のことをお聞きすると、よくぞ聞いてくれました!と目を輝かして

いろいろ語ってくださいました。京都教育大学付属高校を卒業されて、京大へ

行かれ、大学院在学中にケンブリッジ大学に留学されたというエリート中の

エリートです。でも、謙虚な方で、そんなそぶりはみじんもなく、発表もお話も

地に足のついたもの、こういう方にお会いすると本当にほっとします。




海外の学会にいくと、普段は知り合う機会もなく、近寄れないような先生方と

少し近しくなれるのが嬉しいですね。


山口先生のブログはこちら。

http://d.hatena.ne.jp/myama-kpu/


修論のあいまに(すみません、山口先生)、読ませていただこうと思います。なぜか、

映画館に行ったり、DVDを見たりして気晴らしをすると、書けない気がして(気が小さい)

気晴らしは、家飲みと修論関係以外の本を読む、facebookとこのブログ、院生としゃべる、

図書館にいく、ぐらいしかないものですから。



この本に書かれている映画は表紙を見る限り、「日の名残り」「クラッシュ」「ザ・コミットメンツ」

「オーストラリア」「第9地区」「モンスーン・ウェディング」「フォーエバー・フィーバー」

来年書き終えたら、絶対全部見てやる!




ちなみに、毎日40~50アクセスもこのブログにあるので、気をよくしてどんどん書いて

いたら、結局スパムへの誘導だったようです。

いつもちゃんと読んで下さる少数の方に改めて感謝。ありがとうございます。






英語教育の定義



人に、どんどん英語教育から離れていくようだ、と言われてびっくりした。


離れていくどころか、このところどんどん深まっていると感じていたからです。


そういう方に、一度正面切って聞かなくては。あなたにとって英語教育とはなにか?





おそらく、それは公教育で今実践されている授業のことであり、いわゆる「英語教育」関


連の学会や専門雑誌に掲載されるような研究のことであり、言語哲学や人間の営みと


しての学習や、言語や活動がつくりだす意識や人格というものは、その方の定義する


「英語教育」ではないんでしょう。





この夏、全国英語教育学会に行って感じたことでもあるのですが、院生フォーラムに


来てみたら、と言われて行ってびっくり。学生たちが交流を広げるためにせっかく


企画してくれているのに、同じテーブルの院生が、私は話すのが苦手なんです、


話しかけられたら話すので、質問してください、と構えていました。しかも、その方は


某国立大の博士課程で専門はスピーキングなんだそうです。




話してみると普通に感じのいいかたでしたが、こんな人に「スピーキング」とか「英語」


「教育」を委ねている現状では子供たちがかわいそうだと思いました。





なんかちがうなあ。飲み会とかしても思いますが、苦手な人を避けて話さないとか、


気の合う人だけ自分の周りに集めて居心地のいい空間をつくって、それでよし、


としているひとに、さまざまな子供たちをよくみてまとめる、という難しい仕事が


本当にできるんだろうか?





人を見て、その一面だけで判断してレッテルを貼り、それ以上知ろうともしない、


いいところを探そうともしない、教師というのはそういうものなのか?




公教育で教える資格もない自分がいうのもなんですが、学校という場で、


個性の強い教師が自分の好き嫌いをにの次にして、教師集団として、


チームワークをつくって知恵を出し合い、役割分担をしあって


タッグを組んで、繊細で難しい子供たちに対処していくことがこの人たちに


本当にできるんだろうか、これまでできてきたんだろうか、


と大きなクエスチョンマークがつく、今日この頃でした。











2013年11月14日木曜日

大阪大学シンポジウム「言語教育の現状と展望」


少し遅れて参加するぐらいだろうと思っていましたが、

京都から豊中はモノレール使ってもやっぱり遠く、第二部

の最後の講演と第三部のみを拝聴するに留まりました。

第一部 教材作成システム

第二部 到達度・評価、・外部試験

第三部 カリキュラム改革



拝聴できたのは以下。



二部は西口光一先生

「留学生を対象にした総合日本語における教育内容と評価の課題」

様々なバックグラウンド、様々な習熟度、様々なニーズの

留学生相手にカリキュラムを設定することの難しさ、

でも大学教育としての日本語教育をどう考えるか、基幹日本語

という概念を決めていらっしゃるようです。



どちらかといえば、公教育でなく、私塾で教えていて

どう教えるか、ということに全くしばりのない自分の

立場に似ているなあ、と思いながら聞いていました。



三部はカリキュラム改革

「平成26年度の外国語教育改革ー英語と初修外国語」

阪大は、欧米に偏らないグローバル化を目指すということで、グローカル25

を目指しているそうです。英語プラス24か国語なんですって。わが母校も

なかなかやる。私がいるときには、ダサい大学だったんですが、最近はキャンパスも

お洒落になっていて、ちょっとうれしかったです。



終わってから、覚えていらっしゃらないだろうな、と思いながら、西口先生にご挨拶

して、ヴィゴツキー学会で活動理論の発表をしたんです、と報告をしたら思い出して

下さって、うれしかったです。 博士課程の佐藤美紀先生も、付き添って下さって

心強く思いました。


西口先生の授業の聴講したいんです、とお願いしたら、来年できますよ、と言って下さったので

幸せいっぱいでした。

2013年11月13日水曜日

続「見たことない」

10月9日のブログ「見たことない」から、ほぼ二週間後に書いていた下書き。

「前々回、中一女子が、見たことない、というので、「小学生の英語」という

単調な文法の本をめくらせて、習ってない、もしくは、覚えづらい、と

感じたページにスティックメモを貼らせてみました。


それをもとに、人称代名詞の演習をしたら、入る入る。theirs, ours, his, hers,  とか

入りにくいものも。

ポイントは、自分で分かってない文法項目を選ばせることと、説明は最小限に

とどめて、パターンプラクティス的なライティングに徹底する、ということか。


帰り際に、風邪で休んだ子のことを、損したな、と言っていたのがすごく印象に

残った。つまり、単調な文法の演習を、得した、と捉えたわけだ。」



今日はそれから三週間後。

女子というものは、老いも若きも利用できるものは徹底的に利用しよう、という

精神があるのか、開口一番、

「先生、明日からテスト一週間前やからテスト勉強していい?」

いいよ、範囲わかってるん?

「うん、学習プリントのファイル持ってきた」

なんと三人とも、教科書、授業のファイル、ノート、示し合わせたわけでもないのに
取り揃えてきた。しかも、

「英語は、水曜日やから、来週もテスト勉強につかっていい?」

いいよ。


この三人は、小学低学年のときから、いきなりレッスンの30分以上前に我が家に
あらわれて、せんせい、ここで宿題していい?と、座り込んで、お母さんたちが
申し訳ありません、女子力すごすぎて、と謝ってこられた前科あり。


でもテスト勉強といっても、何を私に頼んでいいかまでは突き詰めておらず、

結局、範囲の本文のディクテーションをして、間違ったところを復習してくる、と指示
すると素直に従うはめに。

テスト勉強の隙間に、早口で、だれがだれにこくったとか、恋話もちゃっかり情報交換する。
レッスン終わった後、我が家のマンションの前で30分とって話すことにしてるらしい。

昔から生徒たちには、お母さんに言わんといてな、と口止めされる。

知らぬは親ばかりなり。



やれやれ。まあ、生意気さと未熟さがアンバランスなところがまあかわいいっちゃ可愛いです。






2013年11月12日火曜日

I, you の概念


今日、小5と小3に、代名詞のレッスンをしました。


レッスンを始めて以来、昔からやっていることなのですが、改めて

自分のやっていることの重大さにドキドキします。



日本の小学校では、わたしとあなた、自己とそれに相対する他者、というふうな

教え方はしないか、またまったく別のアプローチの仕方になるのでしょう。



英語では、まず二人が向き合い、相対する空間をつくり、自分を指さしてI、

そして、相手を指さしてyou、というところからでなければ、何も始まりません。



二人の空間があって、その外側に三人称がある、ぬいぐるみなり、

私なりを置いて、he, sheと教えます。


つまり、英語の文化ではその二人の空間が世界の前提となる、

ということです。日本の文化では、そんなことはない、自己も他者も

溶け合った空間で曖昧模糊としています。それを、無理矢理に、英語の、

西欧の論理で分節するのです。外国語を教えることの怖さに

おののく瞬間です。



複数もそうです。 さらにすすんで、they, we と教えます。すでにもので

二つ以上だとsがつく、と知っていますので、代名詞の場合も

子供たちはすんなりとこの二つの概念を受け入れます。でも、

母語である日本語の世界には、単数と複数の境はありません。これも、

英語の論理で、子供たちが既に持っている世界を切り分ける

のです。


逆に言えば、西欧の論理で育った人たちに、自己と他者の

溶け合った空間を教えることのほうが至難の業だなあ、と留学生たち

の葛藤を思い起こしていました。たとえば、留学生は、年上の人に

「あなたは」とか「あなたの家は」と言ってしまうのです。それは失礼

な言い方だよ、と何度言っても身につかない子がいます。勘が

よくてすっと身につくケースも多々あるんですけど。

先天的に、日本的な世界観と西欧的な世界観のどちらが好み

とか、向いているとか、そういうこともあるのかもしれませんね。






2013年11月10日日曜日

豚の死なない日


  表題の原作は、A Day No Pis Would Die、by Robert Newton  Peck です。



  この週末は休め休め、とだれもが言ってくださるのに、焦って、修論の本を読んで

も、データを書き起こしてもすぐばてるので、軽いものを読もうと娘の本棚から薄い

白水Uブックス、というのを一冊抜いて読み始めると止まらなくなりました。


 分野は、アメリカのヤングアダルトというらしいですが、衝撃的でした。アメリカのシ

ェーカー教徒の貧しい農家の父と息子の静かな物語です。厳しい現実の中で、誠実に豊か

に生きる、ということがどのようなことなのか、心に迫ってきます。道徳的、というのか

もしれませんが、残酷な場面も多々あって、ぜひ生徒たちにも読んでもらいたいものの、

どれぐらいの年齢の子供たちなら薦めるか、というのも考えてしまいます。



 「父さんは金持ちではなかった、しかし決して貧しくはなかったのだ。父さんはいつも

そういっていたがぼくには冗談にしか思えなかった。だけど父さんは本気でそういってい

たのだ。」
 
 

 なんでこの本を見つけたのだろうと、思いましたが、帰国後、留学中のことをあれこれ

語っていた時に、豚や牛、鶏をたくさん見て可愛い可愛いと思っていたら、デンマーク人

にとっては食糧だったんだ、と肌で感じたと真剣に言っていたので、彼女の体験と

通じるものがあったのかもしれません。


P.S.   これ読み返してみると、ヤングアダルトなので、とうぜん高校生以下に

薦めるには不適切でした。失礼しました。


 

2013年11月6日水曜日

PC回復


相棒が戻ってきました。

一か月このティラミス(昔飼っていたウサギの名前なんですが)、いなくて不便でした。



でも中身はすっかり抜かれていて、ネット接続の設定から、何から何まで一日かけて

インストールし直し。大事なファイルはdropboxに入れていたものの、4月~9月の

月謝のデータのバックアップを取っていなかったので、帳簿を見て手作業で入れ直しかなあ。

あと、どのファイルをなくして、どれが無事だったのかも定かではないし。



これからクラウドを三つくらい使い分けて、それとUSBでデータ管理をしっかりしなくては、

膨大な談話分析のためのデータを管理できないので大変です。録音だけでもすごい

要領になりそうなのに、録画もするとなると、本当にITを使いこなせないと質的研究なんて

とても無理ですね。



毎日自分のレッスンを二、三時間分ずつ聞いていてやっと9月半ばまでおいついて

きました。でも、なかなかこれ、と思うエピソードがない。あったら、それを含む一時間の

レッスンを番号を割り振ってtranscribeするのに、たぶん三時間くらいかかる。膨大な時間

がかかりそうで、気が遠くなります。ほかの研究者の方々はどうされているんでしょうか。




あと、修士論文の締め切りまで、三か月を切ってしまいました。




今日一日は、フィリピンとヴィゴツキー学会の疲れに加えて、パソコン回復ですっかり

疲れてしまいました、珍しく。でも子供たちが来ると、疲れはその間は吹き飛んでしまいます。

そんなにレッスンが手放しに好き、というタイプではないのですが、不思議です。











2013年11月5日火曜日

公ということ



   大学院に来た理由の一つに、一生に一度でも論文というものを書きたい、公に出せるもの

書く自分に、自分自身を作り変えたい、というのがあります。色んな思いや義憤(のような

もの)に突き上げられて、考える間もなく動いてしまう。それでは、結果的に人の役に立た

ない。行動力がある、と賞められることの裏には、この人はマッチの様に、擦ったらすぐ

燃え上がる、頼りにもできるけど利用もしやすい、危なっかしいなあ、という嘆きも

込められているのです。




    何とかして、尊敬する人たちのように、パブリックに発言するときは、広い視野をもっ

て、情熱はそのままに、でもある程度客観的な物言いができるようになりたい。



   でも、先日、専門雑誌に、自分の名前が載ってますよ、と見せられたときには

焦りました。片隅でひっそり目立たなく発表するつもりだったのに、公に出る、

ということの怖さと責任感に固まってしまいました。



       心配も不安も焦りも終わって思うに、それは結局自分がそういう見方で世に中を

認識していたからだと。公になる事を怖れている間はどれだけ年を重ねようと、

どれだけ経験と実績があろうと、ちゃんとした大人には慣れないんだな、と

遅まきながら気づきました。

 

 

2013年11月4日月曜日

ヴィゴツキー学会発表



どうなることかと思いましたが、50分という持ち時間を発表40分、質疑応答10分で

無事終えることができました。




前日の3時まで、パワーポイントのスライドを足したり引いたり入れ替えたり、

レッスンの録音を必死で聞いたり、書き起こしたり、本を読み返したり、

プレッシャーで吐くかと思いました。



結局、データや方法論は、不完全なものは出せない、と開始15分前に決めて臨みました。



結果、活動理論の自分なりの理解と焦点をおく点だけのプレゼンとなりました。



伊藤美和子先生と、名古屋外大の佐藤先生と尊敬するお二人からコメントと

質問を頂き、感激しました。お二人とも、このような視点で活動理論を

取り上げているのは他にないので、頑張ってと励まして下さり、

今後どのように実証していくのか、ということと、フロー理論の言及が

多いがそれは私にとってどのように位置づけられるのか、とおたずねになりました。




前者は、談話分析と質的研究会で勉強中であることをお話しし、二番目の

ご質問はその場で考えると自分にとっては、レオンチェフの難解さ

をチクセントミハイが助けてくれているような気がするので、そのように

お答えしました。



貴重な経験でした。家族含め、応援して下さった方々のおかげで

頑張れました!感謝、感謝です。ありがとうございます!