春休みの課題はほとんどこなしました。 忙しかったです。
でも、学期中にできなかったこと、会えなかった人、勉強できなかったこと、
話せなかったこと、をクリアでき、色々副産物があったので、
ただ忙しいだけではありませんでした。
また次の一年の糧になると信じています。
さて、春休みの課題のうち、残っているものが二つあります。
そのうち一つが共同プロジェクトの原稿。
悩みになやんで書きかけの原稿を何度も書き直して、タイトルは
「英語教育学における相互行為研究-バフチンの言語論を基盤として」
にしました。締め切りは当初言われていたほど早くなかったので、、
何度も考え直したり、先生に見ていただいてコメントを頂いたり
して、少し自分が普段考えていることに近いものになりそうです。
10ページほどの論文なのですが、査読がない。ということは自分が
書いたものがそのまま出るということです。冊子で印刷され、
残るので、消せない自分の業績になってしまい、返って心細い。
二つのうち残りの一つは、新学期はじめに出さなくてはいけない
研究計画書です。昨年、やっつけで指導教官に出すと、博士後期課程
をみすえてもっとスケールの大きいものを出すと期待していたので
がっかりしました、と言われたやつです。
これについては、共同プロジェクトの原稿をあと数日で仕上げて、
それを持っていって師匠とお話しするつもりです。
さあ、どうなるか。
うちの大学は主査、副査にかかわらずどの先生に相談しても
かまわない、というシステムをとっています。それを幸い、
来年度は今年ほとんどとれなかった英語教育の先生方の
授業をいくつか聴講しつつ、自分が本当は何をするべきなのか、
何ができるのか、文献を読み、データを分析し、行きつ戻りつ
じっくり考えてみるつもりです。その間、あちこちで発表や
論文の投稿も予定しています。
幸い、現役の先生の授業を見せて頂けることになったので、
指導教官に自分の生徒から離れるように、
と言われていたことは解決できるかもしれません。
2015年3月30日月曜日
2015年3月27日金曜日
初めてのTA(teacher's assistant)
修士時代から、TAにあこがれていましたが、教育大だったので、
教員免許を取っていない自分にはお声がかからず、あきらめていました。
自宅塾の生徒は小学生、中学生、高校生、でだいたい大学受験に
さしかかると殆ど英会話どころではなくやめてしまいます。
受験塾に対抗するつもりもないし、まず大学入試のために
だけ断片的な文章を機械的に訓練するような指導は
激しく嫌いなのです。
でもこれまで受験英語一辺倒だった大学生に、
ちゃんと通じるような英語を教えてあげたい、とずっと思っていたので、
今年度のTAのお話を頂いて嬉しかったです。
しかも、副指導教官の英語のクラスを見学させていただき、
こんな充実した授業をやりたい、と思っていたので余計に嬉しい、わくわく。
そしてドイツ語のTAにもすすんで応募して、ipadを活用する
授業、ということで今日講習会にちょっとだけ参加してきました。
ipad授業自体も面白そう。
終わってからドイツ語の先生の研究室でお話をすると、
インターネットであらかじめドイツ語のニュースを
学生にダウンロードさせてそれを素材に色んなことを
やる授業だということです。
面白そう。
ただ、気になるのは、私語や授業中に他のことをやったり、
テストのカンニングが激しい学生たちなのでそれを監視
してほしい、というお話です。
監視??????それって、ご自分が授業のマネージメントができて
いらっしゃらない、ということではないか?
まあ、前期だけなので、ドイツ語の先生と学生のインターアクションや、
授業の様子をじっくり観察してみます。ドイツ語好きになってきたし。
教員免許を取っていない自分にはお声がかからず、あきらめていました。
自宅塾の生徒は小学生、中学生、高校生、でだいたい大学受験に
さしかかると殆ど英会話どころではなくやめてしまいます。
受験塾に対抗するつもりもないし、まず大学入試のために
だけ断片的な文章を機械的に訓練するような指導は
激しく嫌いなのです。
でもこれまで受験英語一辺倒だった大学生に、
ちゃんと通じるような英語を教えてあげたい、とずっと思っていたので、
今年度のTAのお話を頂いて嬉しかったです。
しかも、副指導教官の英語のクラスを見学させていただき、
こんな充実した授業をやりたい、と思っていたので余計に嬉しい、わくわく。
そしてドイツ語のTAにもすすんで応募して、ipadを活用する
授業、ということで今日講習会にちょっとだけ参加してきました。
ipad授業自体も面白そう。
終わってからドイツ語の先生の研究室でお話をすると、
インターネットであらかじめドイツ語のニュースを
学生にダウンロードさせてそれを素材に色んなことを
やる授業だということです。
面白そう。
ただ、気になるのは、私語や授業中に他のことをやったり、
テストのカンニングが激しい学生たちなのでそれを監視
してほしい、というお話です。
監視??????それって、ご自分が授業のマネージメントができて
いらっしゃらない、ということではないか?
まあ、前期だけなので、ドイツ語の先生と学生のインターアクションや、
授業の様子をじっくり観察してみます。ドイツ語好きになってきたし。
2015年3月26日木曜日
学位授与式他
今日は修士と博士の卒業式と学位授与式、そして修了祝賀会でした。
卒業式は全学そろって大阪城ホールであったらしく、
学位授与式の時間近くになると顔見知りのM2さん君たちが、
三々五々あでやかな袴姿ときりっとしたスーツ姿で院生室に
現れてきます。
言語文化研究科の学位授与式は、よくいろんな行事が
あるなじみ深い大きなお部屋で。えっとおもったのは、
修士はまあまあ一学年こんな数だろうと納得したのに比べ、
博士の学位を授与されたのは、たった4人。。。。。
確か私の同期は15人いるはず。。。。。
博士論文審査会も結構人数いたぞ~~~。
終わってから夕方の祝賀会を手伝ったりしたのですが、
その時にたまたまお話した先生が博士論文の指導を
なさっていらして、5年間毎週書いたものをもってこさせて
ディスカッションをされていたそうです。その院生が
今日博士号を授与されたそうでした。学会発表も
頻繁にされていたとか。でも博論につながらないものも
あった、今後の研究に生かすとか。データも沢山あったけれど、
それをどのようにするとかが大変だったようです。
学位授与式の時の我田先生のご挨拶、
1.研究上のオリジナリティについて。
材料を収集し、配列して一貫した論理を打ち立てる
研究者としての編集能力が重要なのだ、ということでした。
独創性、というのは奇をてらったことではなく、ありきたりの食材を
独創的に調理するということ、編集能力、といいう観点から
考え直すこと、とおっしゃっておられました。
2.言語文化学、について。
修士にせよ、博士にせよ、言語文化学という専門分野の称号なので、
改めて言語文化学とはなんだったのか、その中で自分はどの領域に
位置しているのかを思い返してほしい。言語と文化はお互いを
規定し合っているもの。言語と文化をめぐる相互作用の様々な
様相がある。あるときは理論的に、あるときは実践的に
営まれる言語と文化の懸け橋になっていただきたい、そう
なっていただくことを期待しています。
というお話でした。
とてもとてもよかったです。
改めて、
3年しか猶予はないのに、もう1年過ぎてしまいました。
卒業式は全学そろって大阪城ホールであったらしく、
学位授与式の時間近くになると顔見知りのM2さん君たちが、
三々五々あでやかな袴姿ときりっとしたスーツ姿で院生室に
現れてきます。
言語文化研究科の学位授与式は、よくいろんな行事が
あるなじみ深い大きなお部屋で。えっとおもったのは、
修士はまあまあ一学年こんな数だろうと納得したのに比べ、
博士の学位を授与されたのは、たった4人。。。。。
確か私の同期は15人いるはず。。。。。
博士論文審査会も結構人数いたぞ~~~。
終わってから夕方の祝賀会を手伝ったりしたのですが、
その時にたまたまお話した先生が博士論文の指導を
なさっていらして、5年間毎週書いたものをもってこさせて
ディスカッションをされていたそうです。その院生が
今日博士号を授与されたそうでした。学会発表も
頻繁にされていたとか。でも博論につながらないものも
あった、今後の研究に生かすとか。データも沢山あったけれど、
それをどのようにするとかが大変だったようです。
学位授与式の時の我田先生のご挨拶、
1.研究上のオリジナリティについて。
材料を収集し、配列して一貫した論理を打ち立てる
研究者としての編集能力が重要なのだ、ということでした。
独創性、というのは奇をてらったことではなく、ありきたりの食材を
独創的に調理するということ、編集能力、といいう観点から
考え直すこと、とおっしゃっておられました。
2.言語文化学、について。
修士にせよ、博士にせよ、言語文化学という専門分野の称号なので、
改めて言語文化学とはなんだったのか、その中で自分はどの領域に
位置しているのかを思い返してほしい。言語と文化はお互いを
規定し合っているもの。言語と文化をめぐる相互作用の様々な
様相がある。あるときは理論的に、あるときは実践的に
営まれる言語と文化の懸け橋になっていただきたい、そう
なっていただくことを期待しています。
というお話でした。
とてもとてもよかったです。
改めて、
3年しか猶予はないのに、もう1年過ぎてしまいました。
2015年3月24日火曜日
お詫びと訂正
先日、書いた記事の中の一文をお詫びとともに削除します。
公教育のことは何もわかっていないのに、軽率な書き方で
読んだ方の気持ちを傷つけてしまいました、申し訳ありません。
現場の先生方がとても多忙で日々努力なさっていることはよく知っています。
素晴らしい先生が沢山いらっしゃることも。
なんとか側面から力になりたい、いやなれると一瞬思いあがってしまって、
お許しください。
公教育のことは何もわかっていないのに、軽率な書き方で
読んだ方の気持ちを傷つけてしまいました、申し訳ありません。
現場の先生方がとても多忙で日々努力なさっていることはよく知っています。
素晴らしい先生が沢山いらっしゃることも。
なんとか側面から力になりたい、いやなれると一瞬思いあがってしまって、
お許しください。
批判談話分析など
親しくさせていただいている先生から、この週末あった東北大学での
メディアとことば研究会のお話をお聞きしました。
その中で特に印象に残ったことが二つ。
一点目は、経済産業省が公開しているデータを詳しく見ると、原子力発電で
供給される電力と自家発電でまかなえる電力はほぼ等しい、
という指摘がなされていたということです。
原子力発電所についてどういうスタンスをとるべきなのか、
悩んでいたので、とても参考になりました。日本はまだ、データの大幅な
ごまかしをしてもばれるような社会らしい、というのがちょっと安心しました。
二点目は、批判的談話分析と称しているけれど、発信側のデータを
分析しているだけだったので期待外れだった、ということでした。
本来ならば、例えば記者会見で記者と政府側のやりとりから
生まれてくるものを分析するのが批判談話分析なのに、と。
日本に批判談話分析が入ってくる入り方がよくなくて
結局分散してしまい、結果日本には批判談話分析は
ほとんど広まっていない、ということでした。
面白い。
メディアとことば研究会のお話をお聞きしました。
その中で特に印象に残ったことが二つ。
一点目は、経済産業省が公開しているデータを詳しく見ると、原子力発電で
供給される電力と自家発電でまかなえる電力はほぼ等しい、
という指摘がなされていたということです。
原子力発電所についてどういうスタンスをとるべきなのか、
悩んでいたので、とても参考になりました。日本はまだ、データの大幅な
ごまかしをしてもばれるような社会らしい、というのがちょっと安心しました。
二点目は、批判的談話分析と称しているけれど、発信側のデータを
分析しているだけだったので期待外れだった、ということでした。
本来ならば、例えば記者会見で記者と政府側のやりとりから
生まれてくるものを分析するのが批判談話分析なのに、と。
日本に批判談話分析が入ってくる入り方がよくなくて
結局分散してしまい、結果日本には批判談話分析は
ほとんど広まっていない、ということでした。
面白い。
2015年3月23日月曜日
春
3月も下旬、日本人にとっては年度末、受験も終わり、卒業、入学、就職と
大事な時期です。
2月から3月にかけて、うちのささやかな英会話塾でもなにがしかの変動が
あります。英会話を続けるべきか、他の習い事や、学習塾、中学高校大学受験や
クラブとの時間とお金の兼ね合い、それぞれのご家庭で子供と親との
話し合いや葛藤があり、何を優先順位とすべきか、価値観のせめぎあいが
あり、続ける子、やめていく子、色々あります。
親御さんたちもさまざま。辞める時にメールで丁寧に事情を説明して
下さる方、最後のレッスンの時に生徒と一緒に来て、
玄関口で挨拶をされる方、手土産とメモを生徒に持たせる方、
本当にみなさん、ちゃんとされていて、自分が子供の先生にこんなに
ちゃんと全部で来ていただろうか、と反省しきりです。
私は全然そんな丁寧にされると返って緊張するので申し訳なく、
何年つきあおうが生徒がじゃあね、と去って行ってくれるほうが
気楽でいいんですけれども。近所なので、また道であったり、
居酒屋やコンビニに行くと、小学生だった子が高校生になっていて、
せんせい、と声かけられてびっくりするのにも慣れてきました。
お月謝も毎回ぴんと新札で入れて来られる方、自分は会計も
いい加減で月謝袋を渡すのも忘れるのに、必ず別の封筒に
毎月入れて生徒にもたせるご自身に厳しいお母さんたち。
14年以上、こんな感じでやっています。保護者の方々に
ずいぶん色んなことを教えていただきました。その中で感じるのは、
子どもに対する期待と塾であれ学校であれ先生という存在に
対する大きな期待と失望。
がっかりさせたこともずいぶんあっただろうなあ、と思います。
その反省から、専門の勉強をはじめたというのもあります。
大事な時期です。
2月から3月にかけて、うちのささやかな英会話塾でもなにがしかの変動が
あります。英会話を続けるべきか、他の習い事や、学習塾、中学高校大学受験や
クラブとの時間とお金の兼ね合い、それぞれのご家庭で子供と親との
話し合いや葛藤があり、何を優先順位とすべきか、価値観のせめぎあいが
あり、続ける子、やめていく子、色々あります。
親御さんたちもさまざま。辞める時にメールで丁寧に事情を説明して
下さる方、最後のレッスンの時に生徒と一緒に来て、
玄関口で挨拶をされる方、手土産とメモを生徒に持たせる方、
本当にみなさん、ちゃんとされていて、自分が子供の先生にこんなに
ちゃんと全部で来ていただろうか、と反省しきりです。
私は全然そんな丁寧にされると返って緊張するので申し訳なく、
何年つきあおうが生徒がじゃあね、と去って行ってくれるほうが
気楽でいいんですけれども。近所なので、また道であったり、
居酒屋やコンビニに行くと、小学生だった子が高校生になっていて、
せんせい、と声かけられてびっくりするのにも慣れてきました。
お月謝も毎回ぴんと新札で入れて来られる方、自分は会計も
いい加減で月謝袋を渡すのも忘れるのに、必ず別の封筒に
毎月入れて生徒にもたせるご自身に厳しいお母さんたち。
14年以上、こんな感じでやっています。保護者の方々に
ずいぶん色んなことを教えていただきました。その中で感じるのは、
子どもに対する期待と塾であれ学校であれ先生という存在に
対する大きな期待と失望。
がっかりさせたこともずいぶんあっただろうなあ、と思います。
その反省から、専門の勉強をはじめたというのもあります。
2015年3月21日土曜日
英会話レッスン 母校にて
先週から、京都の母校で後輩の院生さんに
英会話のレッスンをさせていただいています。幸せ~。
何か世の中の役に立つことをしたいと思い、始めた英語塾ですが、
子ども達と10年以上付き合っていると、もうちょっと
中学や高校の先生も英語教えているなら、文法や語彙とか
リーディングだけでなく、使える英語を教えてあげようよ、と
思い、なんでこんなに世の中が進んでいるのに、いつまでたっても
中学や高校の授業は変わらないんだ、と思っていました。
教育大の大学院に行かせていただき、なるほど教育の現場は
色々難しいことがあるのだなあ、と思い、でもやっぱり、子供たちの
ために英語の先生は英語を使う経験がなければいけないと
ますます思います。
そうでなければ、お金がふんだんにある人だけが子供を海外に
行かせたりしてますます格差が広がっていくではないですか。
英会話のレッスンをさせていただいています。幸せ~。
何か世の中の役に立つことをしたいと思い、始めた英語塾ですが、
子ども達と10年以上付き合っていると、もうちょっと
中学や高校の先生も英語教えているなら、文法や語彙とか
リーディングだけでなく、使える英語を教えてあげようよ、と
思い、なんでこんなに世の中が進んでいるのに、いつまでたっても
中学や高校の授業は変わらないんだ、と思っていました。
教育大の大学院に行かせていただき、なるほど教育の現場は
色々難しいことがあるのだなあ、と思い、でもやっぱり、子供たちの
ために英語の先生は英語を使う経験がなければいけないと
ますます思います。
そうでなければ、お金がふんだんにある人だけが子供を海外に
行かせたりしてますます格差が広がっていくではないですか。
2015年3月15日日曜日
社会言語科学会 他
14,15日と東京女子大学での表題の学会に参加して来ました。
行って分かったのは、9月にまた今度はなんと京都教育大で
開催されるということ。発表しないと。
慣れない東京で、他の研究会や友人の講演などもあって
動き回ったせいもあり、すっかり疲れてあまり発表の内容に
集中できなくて残念でした。が、やっぱり参加してその学会(業界?)
の雰囲気を肌で感じることは大切だと思いました。
社会言語科学という厳つい名称から想像していたイメージと
全く違い、先生が比較的ハードルの低い学会だから、と
仰っていた意味が理解できました。あと、素人で社会言語科学が
分かっていないからだと思いますが(申し訳ありません)、
それぞれの研究がどんな意義があり、社会や学問にどう貢献
しているのかがよくわからなかった。
教育や看護、障害者の分析もありましたが、少数でした。
うちの大学の院生の発表は話し方が堂々と自信に
溢れていて、研究の意義についてもきっちり説明できていて、
さすが会話分析を海外でみっちりやってきただけのことは
ある、とちょっと感心。内容を批判できるだけの実力は今の
自分にはないけれど、彼女に追いつき追い越したい。
会話分析の先生にも比べられています。
行って分かったのは、9月にまた今度はなんと京都教育大で
開催されるということ。発表しないと。
慣れない東京で、他の研究会や友人の講演などもあって
動き回ったせいもあり、すっかり疲れてあまり発表の内容に
集中できなくて残念でした。が、やっぱり参加してその学会(業界?)
の雰囲気を肌で感じることは大切だと思いました。
社会言語科学という厳つい名称から想像していたイメージと
全く違い、先生が比較的ハードルの低い学会だから、と
仰っていた意味が理解できました。あと、素人で社会言語科学が
分かっていないからだと思いますが(申し訳ありません)、
それぞれの研究がどんな意義があり、社会や学問にどう貢献
しているのかがよくわからなかった。
教育や看護、障害者の分析もありましたが、少数でした。
うちの大学の院生の発表は話し方が堂々と自信に
溢れていて、研究の意義についてもきっちり説明できていて、
さすが会話分析を海外でみっちりやってきただけのことは
ある、とちょっと感心。内容を批判できるだけの実力は今の
自分にはないけれど、彼女に追いつき追い越したい。
会話分析の先生にも比べられています。
2015年3月12日木曜日
週末予定諸々
言語文化共同プロジェクトの論文を作成中です。
明日から週末東京に行くつもりなので、もう締め切りに間に合わない、と
思ってパニック気味でしたが、思い込んでいた締め切りが先に延びて
ものすごくありがたい。
共同プロジェクトは、リサーチアシスタントとして秋から入れてもらい、
思いがけなくありがたく、でも印刷したものとして残るので、すごく緊張
しつつ執筆中。これは師匠への批判ともメッセージともなるはずのものです。
師匠には、「ナラティブ分析と会話分析にバフチンの多声性がどのように使われて
いるか、書きたいのですがいいですか?」とお声掛けしておきました。
「おう、それはいいやん、英語の文献もあんねやろ?」と聞かれたので、ほっと
しました。頑張っています。タイトル(予定)は、
「英語教育学における相互行為研究ーバフチンの言語論を基盤として」
短い論文ですが、これからの自分の方向性を決めるものになりそうです。
明日は朝から京都教育大の後輩の院生と英会話のレッスン(楽しみ~)、
午後から東京へ飛んで、メディアとことば研究会、翌日は二日間、
社会言語科学会大会、そのあいまに二時間ほど抜けて、
英国大使館の友人の講演会です。
濃い~3日間となりそうです。おっと帰ったら、締め切り最終日
ぎりぎりで確定申告の清書と提出。これは忘れてはなりません。
明日から週末東京に行くつもりなので、もう締め切りに間に合わない、と
思ってパニック気味でしたが、思い込んでいた締め切りが先に延びて
ものすごくありがたい。
共同プロジェクトは、リサーチアシスタントとして秋から入れてもらい、
思いがけなくありがたく、でも印刷したものとして残るので、すごく緊張
しつつ執筆中。これは師匠への批判ともメッセージともなるはずのものです。
師匠には、「ナラティブ分析と会話分析にバフチンの多声性がどのように使われて
いるか、書きたいのですがいいですか?」とお声掛けしておきました。
「おう、それはいいやん、英語の文献もあんねやろ?」と聞かれたので、ほっと
しました。頑張っています。タイトル(予定)は、
「英語教育学における相互行為研究ーバフチンの言語論を基盤として」
短い論文ですが、これからの自分の方向性を決めるものになりそうです。
明日は朝から京都教育大の後輩の院生と英会話のレッスン(楽しみ~)、
午後から東京へ飛んで、メディアとことば研究会、翌日は二日間、
社会言語科学会大会、そのあいまに二時間ほど抜けて、
英国大使館の友人の講演会です。
濃い~3日間となりそうです。おっと帰ったら、締め切り最終日
ぎりぎりで確定申告の清書と提出。これは忘れてはなりません。
2015年3月11日水曜日
読書会 dialogism 一回目
夏から懸案だった大学院での読書会一回目、やっと実現しました。ばんざい!
読んでいるのは、修士課程に入学する前、科目履修生の時の
授業で課題となったこの本です。
Linell(2009). Rethinking language, mind , and world dialogically
懐かしい。初めて大学院というところに足を踏み入れ、授業を受けて
対話、という概念にふれて生き生きした自分を思い出します。
あれからもう四年になろうとしています。
集まってくれたMとDの三人はとても勉強になった、と喜んでくれました。
忙しい人たちばかりなので、春休みは毎週一章を目安に読んでいき、
来年度前期が始まると隔週でとにかく、前期には読み切ってしまおうと、
計画を立てました。
もう、これ終わったら何を読む?という話題にまでなり、じゃあ、今日
読んだ中に出てきたハーバーマスは、というと、読みたい!という
反応が返ってきて楽しいです。
継続は力なり。
読んでいるのは、修士課程に入学する前、科目履修生の時の
授業で課題となったこの本です。
Linell(2009). Rethinking language, mind , and world dialogically
懐かしい。初めて大学院というところに足を踏み入れ、授業を受けて
対話、という概念にふれて生き生きした自分を思い出します。
あれからもう四年になろうとしています。
集まってくれたMとDの三人はとても勉強になった、と喜んでくれました。
忙しい人たちばかりなので、春休みは毎週一章を目安に読んでいき、
来年度前期が始まると隔週でとにかく、前期には読み切ってしまおうと、
計画を立てました。
もう、これ終わったら何を読む?という話題にまでなり、じゃあ、今日
読んだ中に出てきたハーバーマスは、というと、読みたい!という
反応が返ってきて楽しいです。
継続は力なり。
2015年3月2日月曜日
レッスン 小6
いつもの会話のレッスンの準備をしてきたら、
だいぶ遅れて息せき切ってやってきた生徒。
塾の宿題が、なに言うてるかぜんぜんわからんねん、
と出したプリント。
「例にならって」「絵を見て」「日本文を」
「英文に」「書き換えなさい」という類の問題文がまず、
何を言っているかわからない。
そういう問題になれたものにはわかるんだけれど、
彼女には「例」「絵」「日本文」「英文」の対応関係が
わからない。
まさにヴィゴツキーのいう「生活的概念」と「科学的概念」
のギャップ。
自分が小学校にあがって一年生のときに「一と一は」という
算数の問題がまるっきり理解できなかったのを
想い出しました。
しかも、問題をただコピーして出す側には、問題文が
わかることを前提にしているので、子供の目線に降りて
行く気もない。
彼女はある程度英語になじんでいるので、I am とI'mの違いも
わかっているし、省略形という概念もわかる。英語と言うのは
人がしゃべって使っている言葉なので、こういうのは規則を
教えているだけだから、ふつう使わないことばもルールとして
覚えておかないとあかんねんで、というと、なるほど、とわかる。
一生懸命勉強していた友達が、塾のクラス分けで下のクラスに
なって泣いていた、といってました。それは、白紙から自分だけで
文法を勉強して理解しようとして普通にわかるわけがない。
そうやってがんばってもわからないので、幼いころから英語がきらいになっていく。
何もわからない子供に、文法だけを押し付ける教え方は暴力的だと
いつも思います。それは教える方の怠慢に他ならない。
だいぶ遅れて息せき切ってやってきた生徒。
塾の宿題が、なに言うてるかぜんぜんわからんねん、
と出したプリント。
「例にならって」「絵を見て」「日本文を」
「英文に」「書き換えなさい」という類の問題文がまず、
何を言っているかわからない。
そういう問題になれたものにはわかるんだけれど、
彼女には「例」「絵」「日本文」「英文」の対応関係が
わからない。
まさにヴィゴツキーのいう「生活的概念」と「科学的概念」
のギャップ。
自分が小学校にあがって一年生のときに「一と一は」という
算数の問題がまるっきり理解できなかったのを
想い出しました。
しかも、問題をただコピーして出す側には、問題文が
わかることを前提にしているので、子供の目線に降りて
行く気もない。
彼女はある程度英語になじんでいるので、I am とI'mの違いも
わかっているし、省略形という概念もわかる。英語と言うのは
人がしゃべって使っている言葉なので、こういうのは規則を
教えているだけだから、ふつう使わないことばもルールとして
覚えておかないとあかんねんで、というと、なるほど、とわかる。
一生懸命勉強していた友達が、塾のクラス分けで下のクラスに
なって泣いていた、といってました。それは、白紙から自分だけで
文法を勉強して理解しようとして普通にわかるわけがない。
そうやってがんばってもわからないので、幼いころから英語がきらいになっていく。
何もわからない子供に、文法だけを押し付ける教え方は暴力的だと
いつも思います。それは教える方の怠慢に他ならない。
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