今日の会話分析の授業で色々思うところがあったのですが、
授業の本筋はちがうところにあったので、改めて先生とお話しする必要が
あると思いました。
このところあちこちで言っているのですが、ヴィゴツキー、バフチンのオリジナルは
ロシア語です。しかもその当時のソ連やスターリン政権の政治的事情が
あったために、出版を禁じられたり、国内でも色々な受け取り方が
あります。
Sociocultural Theoryと欧米で言っているのは、ヴィゴツキーが若くして
亡くなって長年たってから英語に訳されたものを基本にしてブームになって
いるようなところがあります。それは必ずしも正確ではなく、英語で
表現すると何か浅く、英語の論理では表現できないものを切り捨てて
しまっているという感じがします。
それは何かと言うと、英語に訳される前に、ロシア語から日本語に訳された
本がたくさんあり、それを今も引き継いでいる方々があり、その日本語を
読むと難解で英語で表現できるはずがない、というようなことが
あるからです。
ヴィゴツキーやバフチンや、ヨーロッパの哲学を語ろうとすれば
英語のような単純な言語では無理です。むしろ日本語の方がいいかもしれません。
そう思って、今日もドイツ語の勉強をしこしこしていました。ロシア語も
やらなくっちゃ。
そうはいっても会話分析の先生はとても誠実で、理学部の英語の授業を
見学させていただくと、みんな目を輝かせているので、尊敬しているんです。
でもヴィゴツキーについてはわかっていらっしゃらないかな、と思うので、
とりあえずここで覚書。近々お話したいと思います。
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