修士論文を提出して半年以上になってしまいました。
ヴィゴツキー学会の投稿と、校正もほぼ終わり、生まれてはじめて
近々自分の書いたささやかな論文が活字になって世に出回ったり、
大学のホームページで公開されたり、することになります。
活字になるということは、それが朽ち果てるまで、思いもかけない誰かの
目にとまる可能性があるということで、責任と恥ずかしさで身がひきしまります。
同期はもうとっくの昔に提出したよ、と先生に言われて、ふと
その修士論文を読もうとアクセスしたら、acknowledgementの最後に
自分の名前を見つけて、胸が熱くなりました。こんな大事な論文に。
ありがとう。真心が伝わって泣けてきました。
活字で残る、ということは読み手にこういう情動を引き起こすことなんだなと、
改めて思うと一字一句もゆるがせにできない、という意味がわかりました。
それに比べれば、来週の学会発表などは口頭だし、緊張のレベルが
全く違う、と思うといくらたたかれようと気が少し楽です。
でも、それをまた投稿することになると思うので、土台となるこの発表は
おろそかにはできません。読書、対話、思索、発表、修正、実践、など
諸々を繰り返しつつ、少しづつ何か価値のある、誰かの役に
立つようなものができるのでしょうか。
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