後期は、ゼミで表題の本(新曜社、山口節郎訳)を読むことになっていて、
第一回目の発表者になってしまったので、急いで読んでいます。
あたりまえですが、指導教官と自分がここまで興味がぴったりあっている、
というのは本当に嬉しく幸運なことだとしみじみ思います。
最近、日常でも、百人の人がいれば百通りの現実がある、というのを
身に染みて感じています。これまでは、そういうことが腹立たしいばかりでした。
なんでこの人はわからないんだろう、とか、怒ってばかりいました。
でも、同じことを疑問に思いつつも、こうやって学問的に考えている人も
沢山いるんだな、ということがありがたいです。
まだ読み始めですが、この本からいくつか、示唆的な引用を。
「パスカルの有名なことば、つまりピレネーをへだてた一方の側では
真理であるものが他方の側では誤りとなる、」(p7)
「知識は常にある一定の立場から得られた知識であるはずだという醒めた認識」(p13)
「いずれにせよ、マンハイムが考えていたのは、イデオロギー化作用を完全に
一掃することはできないにせよ、社会的に基礎づけられたさまざまな立場を
できるだけ多く体系的に分析することによってそれを緩和することはできる、という
ことであった。」(p14)
「どの社会にあっても理論化作業や<観念>にまつわる仕事、あるいはまた
世界観の構築に従事しているのは、人びとのうちのごく限られた集団に過ぎない。
ところが、社会にあってはすべての人がなんらかの形でその<知識>には
参加している。換言すれば、世界の理論的解釈に関心をもっているのは
ごく少数の人々にすぎないが、人びとはすべてなんらかの形の世界に
住んでいる」(p21)
原書は、Berger, P. and Luckmann, T.(1966). The Social Construction of Reality
-A Treatise in the Socioogy of Knowledge. New York:Doubleday & Company
のはず。
あ、それとようやく博論の章立てを考えはじめました。言語文化学会の
準備もやりはじめると精神的に落ち着きました。とにかく、なんでも発表する
ことは大事やで、とどの先生方もおっしゃいます。Mの授業を受けて
レポートを書いたり、色々な研究会に参加したり、雑誌への投稿を準備
したり、そうこうしているうちに、自分の専門分野や、近隣分野、まったく
関係のなさそうな他分野(たとえば物理とか!)の方々とディスカッションを
してそういうことを積み重ねて、書いたり発表してそれが全部
つながっていくのかも、と、ちょっとおぼろげに道が見えてくるような気が
しています。
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