全然宿題も出してこない学生が、
中間発表で出したのはシェークスピア。
今日の発表はバッハ。
どちらも自分の言葉ではない。質問されたり突っ込まれたりしても
全く答えられない。
それは他の学生たちもなにかからくりがあるのは当然感じていて、
なぜバッハを選んだのか、バッハのどこが好きなのか、
バッハで一番有名な音楽はなんなのか、突っ込みが激しくて
なか興味深い。
そのグループで今日はリーダーを志願したのですが、
グループの今日のお題は、どんなアルバイトをしているのか
グループのメンバーに聞いて答える、というものでした。
グループ全員が立ってリーダーが、He is working for--
She is working for--と答えるのですが、全部でたらめだなあ、
というのはみんなの表情を見るとよくわかります。
要するに、全部嘘で固めて乗り切ろうという態度。
さあ、どうしたものか。
腐ったリンゴが一つあるとその箱のリンゴは全部腐っていく。
2016年11月30日水曜日
2016年11月25日金曜日
外国語教育質的研究会
「英語教育」に告知しますと言われていたので、
今日こっそり図書館で見てみたら、自分の名前が
発表者として掲載されていたので、緊張してきました。
その前にはじめて臨床実践の現象学会に参加するので、
質的心理学会でワークショップを受けてからはまたしても
現象学はほとんど独学に近いことになってしまっています。
現象学以外で優れた専門家の先生方にご指導をいただいているのに、
頑固で素直に聞けない自分はなんなんだと思います。
が、自分の書きたいこととは違う、納得のいかないものは
やっぱり書けないです。
がんばろう。とりあえず、ずっと逡巡していた概要を、えいっと
主催の先生に送りました。
今日こっそり図書館で見てみたら、自分の名前が
発表者として掲載されていたので、緊張してきました。
その前にはじめて臨床実践の現象学会に参加するので、
質的心理学会でワークショップを受けてからはまたしても
現象学はほとんど独学に近いことになってしまっています。
現象学以外で優れた専門家の先生方にご指導をいただいているのに、
頑固で素直に聞けない自分はなんなんだと思います。
が、自分の書きたいこととは違う、納得のいかないものは
やっぱり書けないです。
がんばろう。とりあえず、ずっと逡巡していた概要を、えいっと
主催の先生に送りました。
2016年11月24日木曜日
ふつうに生きる
今日の高校生のレッスンで、なかなか難しい内容を予定したのですが、
彼女たちの問いがいきなり繰り出されて、脱線。
一つには「夢がないねん」ということ、もう一つは「英語ってどういうふうに
勉強したらいいの」でした。
一つ目の問いに対して色々聞いてみてよくわからなかったので、「夢がない」
のか「趣味がない」のかどっちの問いなのか聞いてみました。
どっちもだと言う。将来何になりたいとか、もないし、趣味もあきやすいから
続かない。要するに夢中になれることがない、ということ?と聞いて、
何をしてるときが楽しい?と聞いてみると、ふつうにしてるだけ、
というので、ふつうに生きるのが一番むずかしいねんで、と言うと、
え?とびっくりしていました。
人生は色々あるから、ふつうに生きるというのは難しいんだ、というと
そこでその問いは終わったのか、納得したのかそれ以上の追求は
ありませんでした。
二つ目の質問についても、よくわからなかったので、テストで好い点を
とりたいという意味なのか、英語を使えるようになりたいのか、
どういう意味、と聞くと、学校のテストは勉強すればいいけど、進研模試
などは点が取れない、ということらしい。
そこで3人の英語の得意な点、不得意な点は10年ほど付き合っているので
よくわかっている自分としては、色々と本棚から出して並べて
説明をしました。文法が得意で文脈をつかめない子には多読とTED、
流れをつかむのは得意だけど文法が苦手な子には、ロイヤル英文法など
文法書をぼろぼろになるまで使うこと、生活的概念(ヴィゴツキーの)が
優れていて英語圏に憧れているけれど勉強が苦手な子には、
マーフィーの英文法を勧めました。
みんなの反応は、一人目はTEDを毎日ひとつずつでも聞く、二人目は
学校でもらった文法書がきれいで何も書き込みしていないのでこれから
使って汚す、三人目ははじめマーフィを読んでいてわからない、と言って
たのですが急に熱心に読み始め、レッスンが始められないくらいだったので
持って帰っていいよ、というとかばんにしまって持って帰りました。
さあどうなるか。
楽しみです。
細かいことにこだわりすぎて文脈がつかめない
彼女たちの問いがいきなり繰り出されて、脱線。
一つには「夢がないねん」ということ、もう一つは「英語ってどういうふうに
勉強したらいいの」でした。
一つ目の問いに対して色々聞いてみてよくわからなかったので、「夢がない」
のか「趣味がない」のかどっちの問いなのか聞いてみました。
どっちもだと言う。将来何になりたいとか、もないし、趣味もあきやすいから
続かない。要するに夢中になれることがない、ということ?と聞いて、
何をしてるときが楽しい?と聞いてみると、ふつうにしてるだけ、
というので、ふつうに生きるのが一番むずかしいねんで、と言うと、
え?とびっくりしていました。
人生は色々あるから、ふつうに生きるというのは難しいんだ、というと
そこでその問いは終わったのか、納得したのかそれ以上の追求は
ありませんでした。
二つ目の質問についても、よくわからなかったので、テストで好い点を
とりたいという意味なのか、英語を使えるようになりたいのか、
どういう意味、と聞くと、学校のテストは勉強すればいいけど、進研模試
などは点が取れない、ということらしい。
そこで3人の英語の得意な点、不得意な点は10年ほど付き合っているので
よくわかっている自分としては、色々と本棚から出して並べて
説明をしました。文法が得意で文脈をつかめない子には多読とTED、
流れをつかむのは得意だけど文法が苦手な子には、ロイヤル英文法など
文法書をぼろぼろになるまで使うこと、生活的概念(ヴィゴツキーの)が
優れていて英語圏に憧れているけれど勉強が苦手な子には、
マーフィーの英文法を勧めました。
みんなの反応は、一人目はTEDを毎日ひとつずつでも聞く、二人目は
学校でもらった文法書がきれいで何も書き込みしていないのでこれから
使って汚す、三人目ははじめマーフィを読んでいてわからない、と言って
たのですが急に熱心に読み始め、レッスンが始められないくらいだったので
持って帰っていいよ、というとかばんにしまって持って帰りました。
さあどうなるか。
楽しみです。
細かいことにこだわりすぎて文脈がつかめない
2016年11月23日水曜日
コラボ授業
前にも書いたのですが、非常勤教員室で仲良くなった先生と
授業のことをあれこれ話していたら、興味をもってくださってコラボ授業を
提案してもらいました。
大学の許可ももらい、うちの授業の中間発表のある一日に、
ずらずら~とその先生のクラスの生徒が見学に来て、
入れ替わり、コメントをメモして、帰ってから授業で英語で
プレゼンターに手紙の形でコメントを書いてくれました。
今日、そのコメントを人数分コピーでもらったのですが、
手書きだったので、きっとみんな嬉しいだろうなあ、と思います。
こうやって日本人同士でも、英語の手紙でコミュニケーションが
できる、というのは発見でした。提案して、うまくまとめてくださった
先生に感謝。そして見学が入っても、え~といいながら堂々を
プレゼンをしてくれた学生たちに感謝です。
来週、その手紙を渡すとみんなどんな顔をするのかすごく楽しみです。
ちょっとまた簡単な返事かthank you note でも工夫して書かせて
みるのもいいかもしれません。
授業のことをあれこれ話していたら、興味をもってくださってコラボ授業を
提案してもらいました。
大学の許可ももらい、うちの授業の中間発表のある一日に、
ずらずら~とその先生のクラスの生徒が見学に来て、
入れ替わり、コメントをメモして、帰ってから授業で英語で
プレゼンターに手紙の形でコメントを書いてくれました。
今日、そのコメントを人数分コピーでもらったのですが、
手書きだったので、きっとみんな嬉しいだろうなあ、と思います。
こうやって日本人同士でも、英語の手紙でコミュニケーションが
できる、というのは発見でした。提案して、うまくまとめてくださった
先生に感謝。そして見学が入っても、え~といいながら堂々を
プレゼンをしてくれた学生たちに感謝です。
来週、その手紙を渡すとみんなどんな顔をするのかすごく楽しみです。
ちょっとまた簡単な返事かthank you note でも工夫して書かせて
みるのもいいかもしれません。
2016年11月20日日曜日
内在的な批評と外在的な批評
来月の発表に引用する学術書について、ゼミで突っ込まれたので、
著者のブログ、論文、その著書への批判などを今日は半日かかって
読んで終わり。
ほんとに時間がかかって情けない。
でもおかげで表題の大事なことを勉強できました。
研究者の人には当たり前のことでしょうが、これが私には
当たり前でなかったのがこの世界に入って浅い素人たる由縁。
内在的批評ー著者のロジックを精査し、その矛盾を鋭くつくような批評。
学術書の著者はそのテーマについては最も詳しい専門家であり、
ロジックの問題については度重なる精査を潜り抜けている。さらに
一般書として出版される学術書は多数の読者の目にさらされることを前提としているので、査読論文をベースにしており、徹底的に
検討されている。よってこういう批評は鋭く指摘したつもりが、単に評者の
読みが浅かったということで、情報量の増加はゼロ。
外在的批評ー著者が言及しなかった理論、データ、事例を提示することで
著者の理論を相対化する。一見的外れに見えても、著者が考えも
しなかった論点である可能性があるので、的外れの方が情報量が
飛躍的に増大する可能性がある。ただし、外在的批評は、著者が考えもしなかった理論、データ、事例を引っ張ってくる必要があるので簡単ではない。
オリジナルは寺沢拓敬氏のブログ。
http://d.hatena.ne.jp/TerasawaT/20151024/1445676048
著者のブログ、論文、その著書への批判などを今日は半日かかって
読んで終わり。
ほんとに時間がかかって情けない。
でもおかげで表題の大事なことを勉強できました。
研究者の人には当たり前のことでしょうが、これが私には
当たり前でなかったのがこの世界に入って浅い素人たる由縁。
内在的批評ー著者のロジックを精査し、その矛盾を鋭くつくような批評。
学術書の著者はそのテーマについては最も詳しい専門家であり、
ロジックの問題については度重なる精査を潜り抜けている。さらに
一般書として出版される学術書は多数の読者の目にさらされることを前提としているので、査読論文をベースにしており、徹底的に
検討されている。よってこういう批評は鋭く指摘したつもりが、単に評者の
読みが浅かったということで、情報量の増加はゼロ。
外在的批評ー著者が言及しなかった理論、データ、事例を提示することで
著者の理論を相対化する。一見的外れに見えても、著者が考えも
しなかった論点である可能性があるので、的外れの方が情報量が
飛躍的に増大する可能性がある。ただし、外在的批評は、著者が考えもしなかった理論、データ、事例を引っ張ってくる必要があるので簡単ではない。
オリジナルは寺沢拓敬氏のブログ。
http://d.hatena.ne.jp/TerasawaT/20151024/1445676048
2016年11月18日金曜日
提出の立ち合い
今日は、たまたま8年越しで博士論文を提出して博士号を取られた方と、
まさに博士論文を提出する瞬間に居合わせました。
お1人は、私が博士後期課程に入学する前からおられたずっと主のような雰囲気の
人でした。何か月か見ないなあ、と思っていたら、エレベーターでお会いしたので
今どうされているんですか、とたまたまお聞きしたら卒業して、特別研究員に
なったんです、と淡々と言われていました。分野がちがうので詳しいことは存じ上げないのですが、
博士論文を提出したらいろんな道が開けてきた、とほっとしたようにおっしゃっていました。
後から、今日が特別研究員になられて一日目だったということを知りました。
8年かかりました、でも書いた方がいいです、と言われていました。
院生室で、研究室がもらえそうだ、と嬉しそうに言われていたのが印象深かった。
もうお1人は、前期授業をご一緒した方で、今日たまたまPC室でお会いした時に
博士論文提出一時間弱前でした。もう、ほんとにたいへんそうで、二ヶ月寝ていない、
と足を引きずっておられました。頭がおかしくなりそう、こんなに体を壊しながら
やることかと思う、と、貫禄の社会人で、会社も経営されていて、講演も論文も
沢山経験がある人なのに、これは全然違う、と力をこめて言っておられました。
ここで博論を提出する、ということがどれだけ特殊なのかが伝わってきます。
他の大学は知らないので、どこの大学であれ博論を書くということ自体が
特殊なのだろうとは推測がつきますが。
ともあれ、体力と精神力があるうちに書くものだなあ、ということはわかりました。
まさに博士論文を提出する瞬間に居合わせました。
お1人は、私が博士後期課程に入学する前からおられたずっと主のような雰囲気の
人でした。何か月か見ないなあ、と思っていたら、エレベーターでお会いしたので
今どうされているんですか、とたまたまお聞きしたら卒業して、特別研究員に
なったんです、と淡々と言われていました。分野がちがうので詳しいことは存じ上げないのですが、
博士論文を提出したらいろんな道が開けてきた、とほっとしたようにおっしゃっていました。
後から、今日が特別研究員になられて一日目だったということを知りました。
8年かかりました、でも書いた方がいいです、と言われていました。
院生室で、研究室がもらえそうだ、と嬉しそうに言われていたのが印象深かった。
もうお1人は、前期授業をご一緒した方で、今日たまたまPC室でお会いした時に
博士論文提出一時間弱前でした。もう、ほんとにたいへんそうで、二ヶ月寝ていない、
と足を引きずっておられました。頭がおかしくなりそう、こんなに体を壊しながら
やることかと思う、と、貫禄の社会人で、会社も経営されていて、講演も論文も
沢山経験がある人なのに、これは全然違う、と力をこめて言っておられました。
ここで博論を提出する、ということがどれだけ特殊なのかが伝わってきます。
他の大学は知らないので、どこの大学であれ博論を書くということ自体が
特殊なのだろうとは推測がつきますが。
ともあれ、体力と精神力があるうちに書くものだなあ、ということはわかりました。
12月を迎える
12月上旬に博士論文審査会があります。
本来は、この審査会に自分が出す予定でしたが、でも、もちろん
いきなりこの世界に入ってきた素人が3年弱で出せるものではないです。
でもなんというか、時間が自分を成熟させてくれるというか。
修士課程に合格し、入学した時、M1,M2、そして修士論文をもがきながら
提出した時、博士後期課程に合格し、入学した時、D1,D2,D3の前期まで、
そして今D3の後期で入学しているこの今。
すべて、見ている心理的な景色が違います。
博士論文審査会も、年に二回あり、D1の時から何回も見てきました。
自分を奮い立たせようと思って学位授与式も後ろの方で
見つめていました。
でも、今年はすべてが違う。
同期のD3が博士論文審査会に提出すると決死の覚悟を決めています。
そして、認められれば学位授与式で彼が博士の学位を授与されるのを
みることができる可能性がある。
しかも、彼は外国人で、日本語で博士論文を書いているのです。
すごい、としかいいようがありません。
昨年も、仲良くしてくれたタイの留学生が日本語で博士論文を書き終えて
帰っていきました。
彼らのすさまじい頑張りに自分も勇気づけられます。
半年は休学させてもらったけど、なんとしてもがんばろう、しかも
修士の時とはちがって英語、日本語どちらか、という選択肢が
あり、激しく迷っていましたが、日本語で書こうと思い始めています。
日本語でなければ書けないことがある。
12月24日に、この2週間指導教官のゼミで発表したことを
ある程度まとめて、外部の研究会で発表し、その勢いで分析と考察を
深めて、来年の7月に彼に続いて博士論文審査会に突入していくのが目標です。
先生方、仲間の時間をとってもらい、聞いてもらい、意見をもらい
なんとかなんとか進んでいます。ほんとうにありがとうございます。
まわりの人に勇気づけられます。がんばろう!
本来は、この審査会に自分が出す予定でしたが、でも、もちろん
いきなりこの世界に入ってきた素人が3年弱で出せるものではないです。
でもなんというか、時間が自分を成熟させてくれるというか。
修士課程に合格し、入学した時、M1,M2、そして修士論文をもがきながら
提出した時、博士後期課程に合格し、入学した時、D1,D2,D3の前期まで、
そして今D3の後期で入学しているこの今。
すべて、見ている心理的な景色が違います。
博士論文審査会も、年に二回あり、D1の時から何回も見てきました。
自分を奮い立たせようと思って学位授与式も後ろの方で
見つめていました。
でも、今年はすべてが違う。
同期のD3が博士論文審査会に提出すると決死の覚悟を決めています。
そして、認められれば学位授与式で彼が博士の学位を授与されるのを
みることができる可能性がある。
しかも、彼は外国人で、日本語で博士論文を書いているのです。
すごい、としかいいようがありません。
昨年も、仲良くしてくれたタイの留学生が日本語で博士論文を書き終えて
帰っていきました。
彼らのすさまじい頑張りに自分も勇気づけられます。
半年は休学させてもらったけど、なんとしてもがんばろう、しかも
修士の時とはちがって英語、日本語どちらか、という選択肢が
あり、激しく迷っていましたが、日本語で書こうと思い始めています。
日本語でなければ書けないことがある。
12月24日に、この2週間指導教官のゼミで発表したことを
ある程度まとめて、外部の研究会で発表し、その勢いで分析と考察を
深めて、来年の7月に彼に続いて博士論文審査会に突入していくのが目標です。
先生方、仲間の時間をとってもらい、聞いてもらい、意見をもらい
なんとかなんとか進んでいます。ほんとうにありがとうございます。
まわりの人に勇気づけられます。がんばろう!
2016年11月16日水曜日
学校へ行く理由
大学の一回生(関西では一年生を一回生と言います)の時に、
自分はどうだったのか考えてみました。
今同じキャンパスに来ているのでその頃を振り返るのが難しい。
実は思い返すと、あまり自分の大学が好きではありませんでした、ごめんなさい。
留学仲間のはなやかな阪神間の私学と比べて、殺風景で
なんかださくて理屈っぽくて優越感と劣等感の間で揺れている
そんな大学生が自分と同じと思えてあまり好きではなかったです。
隣の芝生はいつもよく見えるのです。
授業は特に、統計学とか数学系は大嫌いで、頑張って大学に入って
好きな勉強ができると思ったのになんでいまさら数学とか体育とか
しなあかんねん、と思っていたし、期待した心理学も実験系で
思っていたのではなくてすぐがっかりしました。
図書館も行ってみましたがその当時はしょぼい、と思ってとても
学問的にすごいとインスピレーションを書きたてるようなものでもなく。
結局は自分が求めるもとを与えられると思って進学したら何もなかったと
いう不毛な気持ちを抱いただけでした。
いや、それはひたすら自分に学問的な素養もなく、受験勉強をしたら
何かが開けると期待しただけで、与えられると思っていたら自分が
求める力がなかったというのは大学院に入って5年目を終わろうとしている
今も同じ。
その気になれば、求めるものがあれば、得ることはできるはず。
でも本人とその学問分野や専門家の先生との相性もあることも確か。
学校へ行く理由が感じられない、という一回生がそう感じてしまうのは、
自分に起因しているのか、一介の非常勤教員として責任を感じるけど、
せめてこの授業だけは大学に来る理由になってくれるように、あと数ヶ月、
がんばろう。
自分はどうだったのか考えてみました。
今同じキャンパスに来ているのでその頃を振り返るのが難しい。
実は思い返すと、あまり自分の大学が好きではありませんでした、ごめんなさい。
留学仲間のはなやかな阪神間の私学と比べて、殺風景で
なんかださくて理屈っぽくて優越感と劣等感の間で揺れている
そんな大学生が自分と同じと思えてあまり好きではなかったです。
隣の芝生はいつもよく見えるのです。
授業は特に、統計学とか数学系は大嫌いで、頑張って大学に入って
好きな勉強ができると思ったのになんでいまさら数学とか体育とか
しなあかんねん、と思っていたし、期待した心理学も実験系で
思っていたのではなくてすぐがっかりしました。
図書館も行ってみましたがその当時はしょぼい、と思ってとても
学問的にすごいとインスピレーションを書きたてるようなものでもなく。
結局は自分が求めるもとを与えられると思って進学したら何もなかったと
いう不毛な気持ちを抱いただけでした。
いや、それはひたすら自分に学問的な素養もなく、受験勉強をしたら
何かが開けると期待しただけで、与えられると思っていたら自分が
求める力がなかったというのは大学院に入って5年目を終わろうとしている
今も同じ。
その気になれば、求めるものがあれば、得ることはできるはず。
でも本人とその学問分野や専門家の先生との相性もあることも確か。
学校へ行く理由が感じられない、という一回生がそう感じてしまうのは、
自分に起因しているのか、一介の非常勤教員として責任を感じるけど、
せめてこの授業だけは大学に来る理由になってくれるように、あと数ヶ月、
がんばろう。
2016年11月8日火曜日
見学される側
自分の授業を他の先生が生徒と見学に行きたい、
とチャレンジングなリクエストを受け、大学の許可も出たので、
2クラスのプロジェクト発信型英語授業を見に来ていただきました。
先週告知したところ、学生たちはそわそわ。
授業の始まりに黒板に「後ろの2列は空けておいてください(見学者が入ります)」
と書いておくと、え~、見学あんねや、と思い出したようで、また
少し緊張が走りました。
結果としては来てもらってよかった、です。おかげでいつもより、
ずっとにぎやかな雰囲気になり、ぴりっとしました。
見学者も同じ学年なので、友達もいるらしく、知り合いが英語でプレゼンする、と
いうのが珍しいのか、最初はシーンとしていました。極度に緊張している
プレゼンターもいましたが、大体いつもの雰囲気でできていたと思います。
ふりかえりのシャトルシートを見ると、この日の発表者は緊張していたと思うのに
堂々と発表していてすごい、と思った、という感想もいくつもありました。
また、見学があって緊張したけどやりきった自分に満足したというコメントが
今日のプレゼンターからありました。
、
見学が入って嫌だった、という感想は一つもない。
みんな、他者に見られることによって、何か乗り越えるものがあったんだな、と
いうことを感じます。
いつもは自分が研究のために他の学校の授業に他者として参加し、
申し訳ないと思ったりするのですが、今回は逆に見られる側になって
他者の視線にさらされることが、なれ合いになりがちの授業に
新しい意味、新しい価値をもたらすなあ、と思いました。
来てくださった先生のクラスは、コメントを英語で作文して
フィードバックしてくださるそうで、それも楽しみだ、という意見も
ありました。
とチャレンジングなリクエストを受け、大学の許可も出たので、
2クラスのプロジェクト発信型英語授業を見に来ていただきました。
先週告知したところ、学生たちはそわそわ。
授業の始まりに黒板に「後ろの2列は空けておいてください(見学者が入ります)」
と書いておくと、え~、見学あんねや、と思い出したようで、また
少し緊張が走りました。
結果としては来てもらってよかった、です。おかげでいつもより、
ずっとにぎやかな雰囲気になり、ぴりっとしました。
見学者も同じ学年なので、友達もいるらしく、知り合いが英語でプレゼンする、と
いうのが珍しいのか、最初はシーンとしていました。極度に緊張している
プレゼンターもいましたが、大体いつもの雰囲気でできていたと思います。
ふりかえりのシャトルシートを見ると、この日の発表者は緊張していたと思うのに
堂々と発表していてすごい、と思った、という感想もいくつもありました。
また、見学があって緊張したけどやりきった自分に満足したというコメントが
今日のプレゼンターからありました。
、
見学が入って嫌だった、という感想は一つもない。
みんな、他者に見られることによって、何か乗り越えるものがあったんだな、と
いうことを感じます。
いつもは自分が研究のために他の学校の授業に他者として参加し、
申し訳ないと思ったりするのですが、今回は逆に見られる側になって
他者の視線にさらされることが、なれ合いになりがちの授業に
新しい意味、新しい価値をもたらすなあ、と思いました。
来てくださった先生のクラスは、コメントを英語で作文して
フィードバックしてくださるそうで、それも楽しみだ、という意見も
ありました。
2016年11月7日月曜日
ヴィゴツキー学第18回国際大会
今日は、表題の学会です。
三宮の駅前の勤労会館が取り壊し予定というようなニュースを
聞いたことがあったので、毎年ここでやっているのにどうなるんだろう、
と心配していましたが、今年も無事に開催されました。
今の師匠の西口先生がこの学会は大好きだと言われていたので、
来られるだろうと思ってちょっと忙しそうなので受付のお手伝いをしていたら、
登場され、元の師匠も来られて、もちろん神谷先生、土井先生、
そしてロシアから帰国して一年になられるそうですが伊藤美和子先生も
ごめんなさい、受付の段取り遅れてと登場され、2人でしばらく
ばたばたと受付をしていました。
印象としては、これまで参加させていただいた中で一番充実した、濃い
時間だったと思います。それぞれのレジュメが分厚く、難解、なのは
いつも通りなのですが、10時から17時まで気をそらすことができず、
特に参加されている先生方の質疑応答が貴重で、どの学会よりも
(といってもそんなに多くは参加していない)歴史に残すべき、この時間に
自分がいて耳をすましていることがありがたい、というそういう
時間でした。
学会のプログラムはこちら。
http://vygotsky.blog.fc2.com/blog-entry-68.html
それは、先生方が純粋に、ヴィゴツキーが追求したいことを追体験
したいと、そして教育とはなんなのか、子どもたちに対峙する教育の
本質、ことば、人格、発達とはなんなのか、ということを追求したい、
ということ、それがこの学会を続けていく原動力になっているからだと
思います。
いつも模造紙に手書きで書いたプログラム、華々しい宣伝はしない、
でも深く深くロシア語で書かれた文献をロシア語と日本語で丹念に
丹念に追っていく。ロシアでヴィゴツキーとゆかりのある人たちと
交流し、その結果をとにかく学術誌として残し、本として残す。
そこには、お金もうけをしようとか、これで権力を得ようとか
そういう気持ちはみじんもない。ひたすらひたすら、自分たちの信じた
ヴィゴツキーのありのままの姿をできるだけ残そうと、今
英語圏で流行していようがなんだろうが、そういう風潮に流されず、
きちんとした学問の基盤を残そうとする先生方の心意気がすごい。
なかなか元師匠とゆっくりお話もできなかったのですが、
合間にランチができてアウシュビッツに行かれた、とお聞きしました。
もっといろいろとお話をお聞きしたかったのですが、
コンタクトを落とされかけたり、
ごほごほ咳がひどかったので、だいじょうぶかな、と
心配です、どうかいつまでもお健やかに、長生きなさってください、
くれぐれも無理をなさらず。
三宮の駅前の勤労会館が取り壊し予定というようなニュースを
聞いたことがあったので、毎年ここでやっているのにどうなるんだろう、
と心配していましたが、今年も無事に開催されました。
今の師匠の西口先生がこの学会は大好きだと言われていたので、
来られるだろうと思ってちょっと忙しそうなので受付のお手伝いをしていたら、
登場され、元の師匠も来られて、もちろん神谷先生、土井先生、
そしてロシアから帰国して一年になられるそうですが伊藤美和子先生も
ごめんなさい、受付の段取り遅れてと登場され、2人でしばらく
ばたばたと受付をしていました。
印象としては、これまで参加させていただいた中で一番充実した、濃い
時間だったと思います。それぞれのレジュメが分厚く、難解、なのは
いつも通りなのですが、10時から17時まで気をそらすことができず、
特に参加されている先生方の質疑応答が貴重で、どの学会よりも
(といってもそんなに多くは参加していない)歴史に残すべき、この時間に
自分がいて耳をすましていることがありがたい、というそういう
時間でした。
学会のプログラムはこちら。
http://vygotsky.blog.fc2.com/blog-entry-68.html
それは、先生方が純粋に、ヴィゴツキーが追求したいことを追体験
したいと、そして教育とはなんなのか、子どもたちに対峙する教育の
本質、ことば、人格、発達とはなんなのか、ということを追求したい、
ということ、それがこの学会を続けていく原動力になっているからだと
思います。
いつも模造紙に手書きで書いたプログラム、華々しい宣伝はしない、
でも深く深くロシア語で書かれた文献をロシア語と日本語で丹念に
丹念に追っていく。ロシアでヴィゴツキーとゆかりのある人たちと
交流し、その結果をとにかく学術誌として残し、本として残す。
そこには、お金もうけをしようとか、これで権力を得ようとか
そういう気持ちはみじんもない。ひたすらひたすら、自分たちの信じた
ヴィゴツキーのありのままの姿をできるだけ残そうと、今
英語圏で流行していようがなんだろうが、そういう風潮に流されず、
きちんとした学問の基盤を残そうとする先生方の心意気がすごい。
なかなか元師匠とゆっくりお話もできなかったのですが、
合間にランチができてアウシュビッツに行かれた、とお聞きしました。
もっといろいろとお話をお聞きしたかったのですが、
コンタクトを落とされかけたり、
ごほごほ咳がひどかったので、だいじょうぶかな、と
心配です、どうかいつまでもお健やかに、長生きなさってください、
くれぐれも無理をなさらず。
2016年11月5日土曜日
ある訴え
今日、ちょっと院生と話していて日ごろ危惧して
いることがやっぱりな、と思った事がありました。
うちの研究科は、人文系で言語ということもあって
留学生が多いのです。ほとんどの留学生がアジア系で
なかでも突出して多いのが中国から、そして韓国、
他は台湾、インドネシア、タイ、モンゴル、ロシア、トルコ
などの学生たち。
これだけ多彩な留学生がいるのに、なぜか日本人の院生との
コミュニケーションがあまりない。
日本語が好きで、日本が好きで来てくれた留学生たちなのに、
どうも日本人の院生が未熟でコミュニケーション能力もない上に
自分が自覚していないいわゆる差別意識があるらしく、
それを敏感に感じる留学生が、傷ついて同じ国の留学生同士で
労わりながら、グループでこもってしまうらしい。
せっかく2年も近くで勉強しているのに、もったいない、
ここでおばさんが出るべきかと思うのですが、
ちょっと逡巡します。でもたぶんできるのはこの中途半端に
お母さん的な自分がやるしかないのかなあ、という気がします。
どうしたらいいのか、でも手出ししてしまいそう。。。
いることがやっぱりな、と思った事がありました。
うちの研究科は、人文系で言語ということもあって
留学生が多いのです。ほとんどの留学生がアジア系で
なかでも突出して多いのが中国から、そして韓国、
他は台湾、インドネシア、タイ、モンゴル、ロシア、トルコ
などの学生たち。
これだけ多彩な留学生がいるのに、なぜか日本人の院生との
コミュニケーションがあまりない。
日本語が好きで、日本が好きで来てくれた留学生たちなのに、
どうも日本人の院生が未熟でコミュニケーション能力もない上に
自分が自覚していないいわゆる差別意識があるらしく、
それを敏感に感じる留学生が、傷ついて同じ国の留学生同士で
労わりながら、グループでこもってしまうらしい。
せっかく2年も近くで勉強しているのに、もったいない、
ここでおばさんが出るべきかと思うのですが、
ちょっと逡巡します。でもたぶんできるのはこの中途半端に
お母さん的な自分がやるしかないのかなあ、という気がします。
どうしたらいいのか、でも手出ししてしまいそう。。。
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