2016年9月30日金曜日

認知

「どのような認知がおこなわれているのかに対して。。。」


こういうものの言い方、その言い方が表す、


世界観、人間観、教育観、科学観、言語観が


ものすごくひっかかる。はっきりいうとその上から目線が


むかつく。


http://s-locarno.hatenablog.com/entry/2016/09/28/180000



2016年9月29日木曜日

アンケートとか

英会話学校の講師をしていた時は、毎年生徒のアンケートが


あってその結果で時給の査定が決められていました。




民間の企業に勤務していた時ももちろん査定があって、それは


上司が決めるもの。最後に勤務していた企業では、一年と数か月自分が


管理職だったので、勤務の査定をされる当事者としての強烈な感情と、


査定をしたその結果査定をされる側の強烈な感情を受け止める側と


企業では両方を経験しました。




英会話学校の査定の結果はほんの10円くらいなのですが、それでも


先生によってはすごく侮辱的に受け止める、というというようなことを


当時聞きました。




私は素人だったし、勤務したのもほんの2年か3年ほどだったので、


受講者のコメントで、近所のおばさんに教えてもらっているみたいだ、


というコメントだけ覚えていて下がりはしなかったことだけ


覚えています。




昨年の後期とその結果、また今年の前期、考えて考えて成績をつけて


よかったのか悪かったのかわからないけれど、先日後期の授業で


生徒のアンケート(成績をつける前の)の結果をもらって、


ぜんぜん驚かないなあ、と思いました。自分でまだまだだなあ、と


思っている2クラスは大学全体の平均よりすべての項目が若干下、


そしてコメントは全くない。(まあ全部の授業にアンケートを書かないと


いけないので、うっとうしいであろう)


一番感触がよかったクラスはすべての項目が平均より上で、


(私にとっては)熱いコメントをいくつももらってすごく嬉しかったです。


がんばってよかった==!


同じことをしているのに、なんでクラスによってこう違うのか、というのは


授業はやはり教員と生徒で協働構築しているものだから。






自分が準備にかけた手間、学生の志向、コミュニケーションの取り方、


英語に対する熱意、何をしたいのか伝える細かい気の使い方、


人数や空間、空気の読み方、学生の1人1人のできることできないこと、


今彼らが大学生活で何を見ているのか、指導法の研究と実践、


反省、すべてが授業につながるんだなあ、と思いました。




研究もまだまだだけど、授業もまだまだ。




今日読んだエスノメソドロジーの本でも、実践をそのフィールドの


実践家と同じくらい浸らなければなにもわからない、と


書いていました。そりゃそうです。


大学で2コマ3コマ授業をしているぐらいで何がわかる?





2016年9月27日火曜日

後期授業スタート

非常勤先大学での後期授業が今日始まりました。


大学の授業のシステムがよくわかっていなかったので、


初めて受講する学生にもと思って準備していた諸々の資料は


全く役に立たないということが、当日わかりました。




と、いうのは、後期の私の授業の受講者はほぼ全員前期の受講者


なので、初めての学生は一人もいない。






前もって、教えて~~~~~!




というか、自分が授業スタート前に調べていなかったのが


いけないんですね。






ともあれ、


後期は、私も学生も前期でお互いを知っている状況で始まりました。




21人+36人=57人 前期よりも一クラス少ないですが、この彼らと


がっつり取り組まねばならない。




大学からは、前期授業のアンケート結果が非常勤講師室のロッカーに


入っていました。前期3つクラスを持っていたのですが、2つのクラスは


すべての項目が、大学平均以下。ただ、1つのクラスはすべての項目が


大学平均を上回っていて、自由記述欄にも、「2回生にもなってもやりたい(できたら)」


とか「最初は不安」だったが「楽しく」受けることができた、とか沢山ポジティブなコメントが


あって学生たちの役にたったんだなーと、思いました。




みんなの顔を見ていると懐かしかったです。


こういう仕事を与えられて幸せです。がんばろう!!



2016年9月26日月曜日

「ナラティブ・時間・コミュニケーション」

質的心理学会の招待講演は


名古屋市立大学の野村直樹先生でした。


ベイトソンを研究なさっておられるそうで、自分の興味のある土台が


ある上に、E系列の時間、という新鮮なトピックで


9時半から12時まで、私にしてはまったく集中力が途切れることのなく


講演の休憩にはもう、表題の本を買っていました。




音楽、画像、詩、朗読、と聴覚と視覚、リズムなどをフルに活用した


講演で、終わるころには「時間というものにはあるのか?」という


大きな問いに巻き込まれてしまっていました。


まるで魔法にかかったようで面白かった~~!




でも、やはり学会で賢い論理的な人たちの集まりなので、質疑応答も


論理的だし、それに対する野村先生の情熱あふれる回答もちょっと


ごり押しだし、終わってから階段を下りていると「あれって時間なのか?」


「まあ、本を本で見ろってことだよな」という冷静な感想が聞こえて


来て我に返りました。




でもとっても魅力的な講演で、生きよう、という気にさせていただきました。


ナラティブ・セラピーってこのことかも。





2016年9月24日土曜日

質的心理学会一日目

朝からフル回転。聞きたい発表がいくつも同じ時間帯に重なっている~。




聞いたのは、


TEAワークショップ 
分岐点分析の意義と「クローバー分析」の考え方
サトウタツヤ(立命館大学) 市川章子(一橋大学大学院)


会員シンポジウム
ビジュアル・ナラティブの方法論と現実を変革するイマジネーション
やまだようこ(立命館大学) 他


ナラティブをメタ分析する―言語教育からの探求-
島津百代(関西大学) 他




ポスター発表は、


オートエスノグラフィーによるキャリアの「語り」の可能性―「転機」と「自己物語」の視点から
土元哲平 鹿児島大学教育学研究科


ピアジェの発生的認識論のスピノザ的解体ー(3) ベルクソンによる意味の身体性批判
小島康次 北海学園大学


同級生の大学生と社会人の再会場面における「自己の変化」に関する談話特性
―三慮社のポジショニングに着目した検討―
阿部廣二 早稲田抱く学大学院人間科学研究科


質的研究の意義から見る読み手の位置づけー個人の経験の意味づけや解釈を探求する研究を対象にー
伊藤翼斗 京都工芸繊維大学
大河内瞳 関西学院大学
香月裕介 神戸学院大学


一日目の感想


1.
もっと早くこの学会に来るべきだった。自分でやたら敷居が高いと思い込んでいたので
2,3年前に立命館大学で開催されていた時も行かなかったし、昨年も先生に誘われたのに
行かなかったのが悔やまれる。質的研究のメッカだし、今、どんな質的研究が流行っているのか一目瞭然で、ワークショップもあるので、どんな分野であれ質的研究で研究をやってみたい人の教育機関のようになっている。


2.
著書で、有名な先生が多いがそういう先生ほど、本で書かれた王道ではなく最先端を行こうとして時代に合わせた軽い内容を扱っているので、がっかりすることがある。


3.
能智正博先生の「APAの質的研究論文評価基準を読む」というシンポジウムを楽しみにしていたが、部屋で待っていても始まらず、突然キャンセルになったと開始1分前に知った。キャンセルになった理由は、議題の評価基準の公開が遅れたためということだったが、準備されているはずだし、能智先生に会えると思って楽しみにしていたので、せめて登壇者は会場に来て少しでもできる範囲で話をしてほしかった。わざわざ、このためだけに予定を調整して名古屋に来たのにと言う人もいたし。あんまりだ。


4.サトウタツヤ先生の講演と指定討論をほぼ初めて拝聴した。先生の博識と頭の回転の速さにびっくり。ちょっとお話しできて、なんかほっとした。ももいろクローバー分析はいらないと思いましたが。




夜は、久しぶりに会うことができた友人夫婦が、韓国料理に連れて行ってくれました。実のある話をたくさんできて楽しかったし、私が頑張っていることを前向きに評価してくれたので、本当に救われました。ありがとう~!参鶏湯、石焼ビビンバ、ニラキムチ、ナムル、マッコリ全部美味しかったです。


帰りに寄ったホテルマリオットでいただいた白ワインがこれまた美味しく、論文の読みがラウンジで進む進む。


明日も、頑張って参加します。




来週はいよいよ、せんせとして授業だ~!帰ったら、準備の仕上げ、こっちもがんばりましょう。



















2016年9月23日金曜日

質的研究法セミナー

日本質的心理学会の、学会前のワークショップに今日行ってきました。


講師は、首都大学東京の西村ユミ先生です。


『現象学的研究入門―分析と記述』というタイトルで、


研究方法を具体的に教えて頂き、分析例とグループワークで分析の実習、


その発表、論文を書くときの注意まで、濃い内容でした。




このワークショップの予習で、看護学関係の論文を


二日ほど集中して読んでいたのですが、なんせ内容が


重い。ICU緊急入院患者の家族の情緒的反応に関する


外科医へのインタビューとか、胎児が遺伝病だと


告知された妊婦の中絶に関する語りとか、気がすっかり重くなり


寝不足になってしまったので、予習のおかげでワークショップの


内容を十全に理解できたはずが朦朧としてしまい、ところどころ飛んでしまいました。




グループワークもあって同じグループのメンバーはみな


看護学の分野の方なので、さすがこういう重い内容にも


タフで驚きました。




論文にするには卓越した解釈力、文章力がいるなあ、と


思います。ただ、現象学という哲学と、看護実践のバランスについては


自分の課題に共通したところがあるのでそれはとても参考になりました。




あくまでも、事象から見ていく、事象を中心に考える、自分たちは哲学者では


ないので、我、ではなく他者のことを大事にする、という考え方です。




哲学者の人たちは、自分とは、ということを突き詰めていらっしゃるけれど、


実践者はそれとは違う、ということでした。



2016年9月20日火曜日

日本とフランス「外国語」としての英語


現象学的アプローチ、でciniを検索していたら、


こんな論文が出てきました。現象学とは関係ないようですが、面白くて


読みながらくすくす笑ってしまった。


Snitko, T.(2014). 「Xenolinguistics」は日本の英語教育に効果的な影響を与えるか? : 描述的現象学(descriptive phenomenology)の概念として扱っている「外国語」について 慶應義塾外国語教育研究 11, 177-188.          


http://ci.nii.ac.jp/naid/120005573024


慶應大学にいらっしゃるロシア人の研究者の方なのかな、と思いますが、


EP EFI指標という英語能力の2013年の結果で、日本は27位、フランスは35位で共に下位。


フランス側の理由としては、


1 ヨーロッパでは、歴史的に英語とフランス語は長い間Lingua Francaであった。よって外国語を学ぶ必要がない。


2.フランス文化を守らなければならない(程度は違えど、日本も共通した事情があるはず)。
フランス語はそのフランス文化の源泉である。


3.日常生活で、フランス人は英語を使うことがない。学生は、第二外国語としてはドイツ語やスペイン語を選ぶ傾向にある。


4.フランス人は、もし自分が英語が得意でないと思ったら、外国人としゃべることを避ける。(ので英語を使う場面は必然的に少なくなる?)


5.言語教育上の問題。生きた言語が死んだ言語(ラテン語のような)と同じ教え方をされている。




すごいですね~~!フランス的な思考のステレオタイプにぴったり当てはまる回答。


ということで、脱線ばかりしていて、


今週末の、質的心理学会のための勉強がぜんぜん進みません。。。。

2016年9月19日月曜日

テレビの怖さ

結構ミーハーなので、しんどくなるとテレビをつける。


人がものすごく労力と莫大なお金を作ったものがそこにあり、


見るだけで楽なので、若い人の魅力や、色んな人たちの技術、


哲学、人生、芸術を消費するのはとても楽。






それがテレビの怖さ。


そして、コマーシャルでこれでもか、これでもかとばかり


暴力的に、買え、買え、買え、買わないおまえは


おかしいというふうに脅迫してくる。




今この人が人気なので、それを認めないおまえはおかしい、


というふうな。1000万人が認めているんだ、それをお前は認めないのか、


という、圧倒的な暴力で押し付けてくる。




多数が正しくも真理でもない。




大衆の愚。

ヴィゴツキー学協会



毎年、ヴィゴツキーに回帰する時期がやってきました。


http://vygotsky.blog.fc2.com/blog-entry-68.html


昨日、京都教育大の院生仲間の結婚式と披露宴に出させて


いただいて、いろんなことを思い、思い出しました。




ちょっと師匠に会って、ヘーゲル、ハイデガー、バフチンについて


そして現象学について、色々見解を聞いてみたいと思いました。


師匠もロシア語を頑張っていると聞いたし。




まあ、いつもの独り言です。











2016年9月13日火曜日

ノートテイカ―

思うところがあって、聴覚障がいの学生さんのノートテイカ―をすることにしました。




学部生時代の4年間と就職してからの4年間、計八年間、同じ学部生から頼まれて、


障がい者の方のおうちに介護にいっていました。その後、豊中市の議員になられた


女性の方ですが、当時は下のお子さんが生まれたばかり、上の子も幼児で、


ご本人の介護に加えて子育てや、料理、家事、掃除、近くに


住んでいらっしゃるお母さんへ料理を届けたり、大学生が毎日朝昼晩


少なくとも3人ずつは(つまり一日9人)は入らないと生活がまわらない、大変な状況でした。






私は頼まれたので義理で行っていただけで、もともと家事も掃除も大嫌い。
きれい好きの方に、エアコンのフィルターの掃除も指示されて、自分の下宿でも
実家でもしたことないのに、やりすぎちゃう、とぶつぶつ思いながら
やっていました。


ですが、入部さん(そのご本人)とかかわる中でトイレのお世話、


お風呂のお手伝い、車いすを押して障がい者の会合にいって


後ろに立っていて、いろんな話を聞いたり、豊中市の議員さんが来られたり、


いろんな人が入部さんを頼って相談に来られたり、本を出版されたり、


夜は施設で学べなかった国語の勉強を横で見ていたり、ものすごく


エネルギッシュな方で今思うと、甘やかされた学生の自分に


とって貴重な時間だったと思います。




でも自分はもっと英語を使ってはなやかな仕事をしたい、と思ったり、


海外にももっともっと行きたいと思ったので、航空会社に転職したことを


きっかけに行かなくなってしまいました。


私を誘ってくれた学部の友人たちはさすが志のある立派な人たちで、
私のようにちゃらちゃらとお金や楽しそうな企業などには就職せず


みんな市役所や福祉の仕事を選んで行き、それを全うされました。






今日、ノートテイカ―の講習をうけて思ったのは、その時に比べて


障がい者をとりまく環境は制度的には少し進歩しているとはいえるけれど、


やっぱり全然進歩していない、と思います。




入部さんの介護をしているときに、聴覚障がい者の人が会合で


はげしくジェスチャーや手話を使って一生懸命しゃべっていたりしたのを


思い出します。




でも、その後の人生で聴覚障がい者の人と普通に個人的に遭遇することは


なかったです。車いすの人とも。脳性まひの人とも。それほど、私のその後の


人生と、その人たちの人生が隔絶していたということだと改めて思いました。


進歩していない、というのはそういうことです。だから、この間のような


凄惨な事件が起こる。若い時に快楽を選んだ自分の責任でもあると思います。









今回、講習で一生懸命伝えようとしてくれた彼の話し方をこちらも


集中して聞いていて、色々と思い出しました。

2016年9月11日日曜日

改めて「エスノメソドロジー 社会学的思考の解体」ガーフィンケル他 せりか書房

いまさら、と思われるかもしれないのですが、


現象学 フッサール→ハイデガー→メルロ=ポンティ
            →シュッツ→ガーフィンケル というところに


立ち戻って、たまたま遭遇した会話分析という研究分野と


自分の哲学的関心を整理して博論の研究の流れを考えるために、


会話分析の原点となるガーフィンケルのことをもっと理解しようと、


表題の本を改めて読んでいます。http://www.serica.co.jp/149.htm


本当にいまさら。会話分析の人たちには失笑されること必死。


でも失笑されてもいいので、現象学と会話分析の関係を教えてくれたら


ありがたいです。で、なんでこんなに会話分析では、他の理論を


頑固に受け入れないのとか。だって状況的学習論とか実践共同体を


受け入れなかった研究者がこの春はヴィゴツキー由来の概念を使ってたし。


もう一般的になっていると口頭で言うてはりました。


ええ?そんなんでいいのん?




こんなんで12月に発表できるのかも心もとないですが。




今精読しているのは、


この本の第4章「Kは精神病だー事実報告のアナトミー」 ドロシー・スミス。


3年前に初めて読んだ時には


わけがわからず、今でもよくわからないですが、面白いのは面白いし、


今、勉強に集中できなくて、ネットやメディアの現象を見ていると


つくられた物語、や何かの意図があってつくろうとしている物語が


多くて、そういう物語をただ享受しているだけ、感情的に反発ばかりして


いて筋の通った批判も何もできない自分が情けなくつまらない。これを


一生懸命読んでいると、どのようにして気に入らない人を排除していくのか


未熟なインタビューの報告を通してその構造がおぼろげに見えてくる。




人がつくった物語を教授するのは快楽。楽で気晴らしに最適。




でも、もうちょっとだけ、死ぬまでにはそれだけで終わりたくない。


若い時にそういうことに気付いていたら、といまさらながら思うし、


若くして気付いている人がうらやましいですが、それだけ自分は


色々と得をしてきたし、楽をしてきたので文句をいうのもおこがましい。











2016年9月7日水曜日

質的研究コンソーシアム 他



先日の全国英語教育学会の感想が英語教育研究関係の方々から


ぼちぼちあがっているようで目についたものを読んでいると、


高木先生の質的研究ワークショップが評判がいいので


自分のことのように嬉しい(関係ないですが)です。




質的研究コンソーシアムも紹介してあるブログも見て、ちょっとどきどきしました。


岡田先生が会話分析について講演されます。講演の材料は授業でも


研究会でもよくみているし、実証的で説得力のある筋の通った発表なので、


安心感はあるのはよくわかっているのですが、英語教育の人たちが


どう受け止めるか、どうなるか、ちょっと自分もこの企画に絡んで


いるので、緊張。できれば、参加して質疑応答をライブで見届けたいです。


質的研究コンソーシアムはこちら。10月1日です。


http://eltqualitativeresearchjapan.blogspot.jp/




それと次回12月の外国語教育質的研究会で発表することになり、


高木先生にわかりました、と言ったものの、こちらはタイトルと名前が


「英語教育」に出るそうなので、またまた緊張。今回の全国大会で


高木せんせが注目されそうだし、せんせ主催の研究会なので


タイトルのわりにいつものへたな発表ではどうしようもないし。。。。




まあ、とりあえずやるしかない。恥はかいてなんぼだ!













2016年9月6日火曜日

現象学的社会学の応用 シュッツ

相変わらず迷走中ですが、何とか道すじをつけようとして

表題の本を見つけて半分くらいまで読んでいます。

第1章 他所者      第2章 帰郷者      第3章 博識の市民   で多元的な現実とそれを

構成する関連性の構造についての考え方が説明されています。

第4章 ドンキホーテと現実の問題 を読み終わったところです。

ドンキホーテってこんなに深い話だったのか、と感じ入りました。



書き方が私の好みで分かりやすい。他の現象学関連の本で頭が

くらくらしていたので、腑に落ちるところが多くてすっきりします。

巻末にある訳者の桜井厚先生が書かれた 「A. シュッツの基本概念と生活史」

を一読してから本文を読むと余計分かりやすい。


滅法面白いけど、バーガー&ルックマンによう似てるやん、と

思って、ちょっと調べてみたら、ナチ支配下のオーストリアから逃れて米国に

渡った後教鞭を取ったNew School for Social Research で彼らと

接点があります。年齢から多分先生。この辺りは社会学の方から

するときっと常識、わざわざ書くのも無知丸出しですみません。


バーガールックマンに当たってみると、第1章は全面的にシュッツの議論に

依拠している、と、全面的に、に傍点つきで注がありました。

色々読むと、結局のところ自分の関心事に収斂してくるので、

やっと安心して進めるようになってきました。




2016年9月4日日曜日

社会言語科学会 第38回大会

9月3日(土)、4日(日)と続けて行ってきました。


この学会のいいところは、半年に一度それも東京と関西と交互に


開催されるので行きやすい。




何回も行っているので、前は「お客さん」でこわごわ覗いているだけ、


だったのが、発表も投稿もしてみよう、というように自分のスタンスも


変化してきました。




今回は、自分の大学から院生と先生方が共同でワークショップを開催


されたので、その応援がてら、会話分析も含め、談話分析的な質的研究は


どのような研究がなされているのか、というところ、そして社会的に意義のある


研究はどのような研究か、ということに興味を持って参加してきました。


以下が参加した中で特に印象が強かったもの。


ポスター発表では、


駅員、車椅子利用者、介助者による相互行為における会話進行と参加の組織化
柳町智治・稲垣里嶺・田実潔


指示語とジェスチャーが指し示すモノ―指示事それに同期する・しないジェスチャーとの関係―
川上ゆか


口頭発表では、


大学院研究指導場面における「助言」会話の分析―相手に配慮した「助言」の観察―
高橋千代枝


「評判」と言うアイデンティティ―あるナラティヴ・セラピーにおける人種に関わる評判とアイデンティティの交渉-
●平名尚子(最初の感じが珍しすぎてでない、申し訳ありません)


招待発表では
養育者―こども間相互行為における三者関係の枠組みを用いた行動指示連鎖
高田 彰


ワークショップでは
日本の外から見た日本―談話研究の視点―
佐藤彰・岡田悠佑・韓娥凛・Oyunaa Nomin・秦かおり・岡本能里子


言語イデオロギー研究の射程と可能性―ミクロ・マクロをつなぐために―
木村護郎クリストフ・宮崎あゆみ・吉田理加・山下里香・寺沢拓敬・杉森典子




一番下のが、今日最後の最後に参加したワークショップでしたが、
構成がしっかりしていて、ミクロ・マクロにそれぞれ二人の発表者、ミクロとマクロの
両方に一人の発表者、をあてがい、発表が終了すると、
途中で聴衆をミクロ・マクロ・ミクロマクロの両方の発表者を囲む
3グループに分けて討論、全体に戻ってフィードバックという形。


一つ一つの発表の後に企画者が短く要約をしてくださったので、
余計頭に入りやすく、しっかり参加できたなあ、という充実感が得られました。


私はマクロの方に参加したのですが、討論も濃くて、それぞれの質問者
と回答者の頭の中で何が起こっているのか、理解するだけでかなり
エネルギーを使いました。




参加の皆さまお疲れさまでした~~。