2014年2月4日火曜日

対象性と未来と人格



口頭試問、入試、学会と学内発表を控えて、色々読み返しています。



中でも思うのが、活動理論と人格との関係です。


人格というのは、いわゆる日常的にあのひとは人格者だ、というような

徳の高い人というのではなく、その人を生物学的な個体や、過去現在

未来を越えてその人という存在をあらしめているもの、というんでしょうか。


ここ二、三年のうちに亡くなった小松左京さんの書かれたSFにも

そんな小説がありました。自分というものは死んだのに、宇宙に浮遊

するというか、宇宙そのものであるような意識。でも、誰か、自分、

の意識。




レオンチェフのロシア語のオリジナル、1975年度の日本語訳1980年度

版「活動と意識と人格」を、改めて読み返してみると、やっぱり英語で

すらすらーと説明しているときはわかったような気がしても、なんか

浅い、というのが感覚的にわかります。


その中で、人格というのは、それを対象とする未来をも含む、という

一節。たとえば、子どもが自分は絵がきらい、描くのもいや、上手に描ける

友達と比べて明らかにへたなので、図画工作の時間が苦痛でたまらない

とします。まあ、自分がそういう子どもでした。


そのときに先生が、一言、この色使いはいいよ、とか、貴方は

美術の感性がすぐれている、みたいなことを言ってくれたら、

もしかしてそれほど、図画工作や美術の授業は苦痛でなかったかも

しれない。しかも、絵はへたでも美術評論家、とか美術を鑑賞できる人、

を紹介してくださったらそこに対象性ができ、先生がほめてくれた自分

を未来の自分の人格に組み込んで、そこに自分の存在を

布置できたかもしれない。


子どもはほめて育てろ、というのは、テクニックの問題ではなく、

ほめることによってその子の人格に未来を組み込むことになる

ということではないのでしょうか。


ちょっとうまく整理できないので、また戻ってきます。

3 件のコメント:

  1. riさんの人格論の定義だと、存在論から主に解釈されてるのかなという印象を持ちました。ヴィゴツキーが主に高次精神機能と関連づけて人格に言及していることを考えると、そことの関係はどう捉えられてらっしゃいますか?
    それと、対象の未来を含むというのは人格の作用のひとつである言葉自体に時空を超えるというのがあると思っているのですが、そういったことから来るんでしょうか??

    質問多くてすいません。いつか時間の空いた時にでも教えてください。

    返信削除
  2. 鋭い質問とコメントありがとうございます。
    一番目の質問は、ヴィゴツキー読んでよく考えてから書きますね。「思考と言語」しか手元にないのですが。

    言葉自体が時空を超えるということもよく考えてみなければいけません。少々お待ちください。

    返信削除
  3.   ひとつめの質問についてですが、「思考と言語」の関連した記述と思われるところを読んでみました。

    よくわからないのですが、高次精神機能そのものは、あくまでも機能であって、その人の深い意味での存在に直接関わるものではないように思います。どちらかといえば、認識論的なことではないでしょうか。ところが、それが一度外部に触れて相互作用を起こすと、意識を変革する、というか、新たな意識をつくりだす。それが人格の形成につながっていく。このように思います。


    参考にした部分は部分は以下です。

    発達のすべての過程を、人格の自主的目的志向性から導き出す人格についての形而上学的思想が、人格とことばとの真の発生的関係を念頭におくときには、人格そのものの発達の歴史(そこではことばが最後の役割をはたすのではない)のかわりに、自分自身のうちから、自分の目的志向性から、ことばを生みだす人格の形而上学が創り出されるのである。(p108)

    まさに知性化と制御、すなわち自覚と随意性を基本的根本的特徴とする高次の精神機能…(p(259)

    子どもの精神発達は個々の機能の発達や完成よりなるというよりも、むしろ機能間の結合や関係の変化よりなる………意識は、個々の機能のなかで進行する部分的変化の集計としてではなく、新しい段階ごとに自己の内部構造と諸部分の関連を変化させながら、全体として発達する。
    (p261)

    返信削除