2014年2月14日金曜日

The End of Knowing


卒論修論発表会も終わり、明日から何します?

という会話が飛び交っていましたが、とりあえず一ヶ月の
猶予を頂いて、修論の書き直しのためにNewman Holzmanをじっくり
読んでいます。

めちゃくちゃ面白い。読みながら書いているメモです。


p47 

3   Radically reforming modern epistemology

reform と revolution の 違い
現代の認識論を 急進的に改革しようとする人は沢山いる
人間の創造性と発明を制限するもの
エリート主義と辺境化の過程

しかし、我々はそれをしようとしている訳ではない


発展するコミュニティーの継続的な創造と、伝統に位置づいている社会批評への従事との弁証法を探索するのは、価値のあること

Gergen 1994

社会構築主義は、「表象の危機」を再構築的な方法で扱える可能性がある

彼は、言語の表象主義者的な見方、客観的な知識の正当性を調べるために、
様々なポスト構造主義者、ポスト経験主義者、ポストモダン派の思想家たちを、イデオロギー批評、文学ー修辞学批評、社会批評に分けた


それは、何を真実であるとするか、言語とは何であるかについてそれぞれ異なっているということからである


イデオロギー批評ーフランクフルト学派、マルクス主義批評、フェミニスト理論の多く、the ideological biases and moral and political purposes of seemingly objective accounts of the world世界を客観的に説明できそうなのは、イデオロギー的な偏りと道徳的政治的意図 (true claims)


文学ー修辞学批評ーポスト構造主義者、脱構築主義者、推論的な歴史に焦点(true claims), 言語は主に人を説得するためのもの、隠喩的なもの、指示的というよりも遂行的なもの


社会批評ー科学的思考の社会的起源を暴こうとする
マンハイムの著作、ウェーバー、クーンの「科学革命の構造」1962, バーガー、ルックマンのThe social construction of reality 1966,  科学研究、科学的知識の社会学、真なるものは社会的過程から来るとみなす。科学的知識は、複雑な社会的関心や相互作用で決定する。科学は基本的に社会的なもの
社会的ーsocietal

Gergenの懸念
これらは、prevailing assertions of truth に依存している

彼はこの三つの伝統の構築主義的枠組みの中に、統合体を提案している。

彼の主要な関心は、individual knowledge への現代的な概念にこういう批評がどうやってチャレンジしようとしているか、ということ。

我々の関心は、knowing of any kind

 しかし、彼の分類法を使うのは有効


Discourse, text, conversation, and analysis

著者のバックグラウンド

Newman  科学哲学
Holzman   発達心理学、心理言語学、社会言語学


自分たちの仕事は、知的追求そのものとしては合理性や正当性があるようだが、人間の生活を変革するアプローチとしては、完全に的を外している。
もし、
(1) 我々が言語(会話、談話、対話、ナラティブ)を通じて生活を構築して(社会活動を達成したり、現実を創造したりなどして)いる

(2)構築された生活が我々を拘束し、大幅に改善可能である

われわれは、人々が新しい言語を創造するのを助けるような仕事をするべきではないのか?

Austin(1962)の公式とそれに続くものは、また新たな二元論的道具的概念を呈している


ポストモダン哲学、社会科学、カルチュラルスタディーズの多くを特徴付ける言語学的転回は、またもう一つの認識論的な途へ我々を導いてゆくのではないのか?

言語学的枠組み転回は、心理学、人類学、歴史学、社会学を再特徴付け、実践の新しい方法を(たとえば、サイコセラピー、教育学など)生み出した

心理学の言語学的転回は、外部からの影響によってやって来た。、主にウィトゲンシュタインの影響を受けた分析哲学、科学哲学、エスノメソドロジー、ポスト構造主義の歴史家、哲学者、カルチュラル理論家の著作、レフ・ヴィゴツキーとミハイル・バフチンの復活



 










 

0 件のコメント:

コメントを投稿