2013年10月29日火曜日

11th Asia TEFL 2

ブログ用

10月29日 10:23

再び機上の人となっています。


今回、雰囲気だけ掴もうとあまり何も考えずに参加したのですが、

思いがけなく貴重な出会いが色々ありました。



それで、三月に大学院を修了してからどうしたらいいんだろう、と

途方にくれていたのが、光が見えて来ました。国際学会というのは出会いの

場なんですね。ふだんなら、手の届かない、縁のないような研究者の

先生方とほんの短い瞬間に自分にとっては密度の濃い会話が交わせる、

貴重な時間です。



自分の勉強量によってその会話の意味も出会いの意味も濃度が変わってくる。




このまま、来年もどこかの大学で勉強出来るかどうかにかかわらず、

一年に一回は海外の学会に参加しようと思いました。せっかく、英語で

お話もでき、専門知識も少しは積み上がって来たんだし、飛行機も乗れるし。



泉先生が仰っておられたように、日本から来た院生の女の子たちも頑張って

発表していて偉いな〜、と思いました。ハードルは日本の学会ほど高くなく、

レジュメも配布する必要もないので、英語教師や、院の卒業生、現役生も

気楽に申し込んでパワーポイントでぜひ発表なさることをお勧めします。



一週間お休みを取って海外旅行するのであれば、発表せずともそのうち2日くらいを

学会に当てるのは、かけがえのない経験となること間違いなしです。








2013年10月28日月曜日

11th Asia TEFL


三日間の学会が終わり、明日早朝に発つので、最後の夜にやっと少し振り返ることにしま

した。いや〜、目まぐるしい時間でした。





航空会社勤務の時代は、出張は主にイギリスだし、プライベートは家族連れのリゾ

ート地が主だったのでアジアに行ったのは、数えるほどでした。返還前の香港と、仕事が

らみで、ソウル、バンコク、バリ島ぐらい。それも人に案内されていくので、現地は

チラ見、アジアの事は不勉強で何も知りません。感じたこと、書きたい事は沢山あります

が、とにかくほんの近い場所によって貧富の差の大きさは知識としては知っているつもり

でも、目の当たりにするのは衝撃でした。ホテル、大学、ショッピングモール、スーパー

マーケット、全て入り口にはガードマンがいて、スーパーでは、ボディチェックと

バッグの中を見せるよう言われ、ホテルによっては犬がタクシーのトランクや荷物の

チェックをしているという緊張感に驚きました。何のためか。お金持ちや旅行者を

守るためです。その一方で、子供達は平気で危ない道路を車椅子をすりぬけて渡り、

車の窓に顔を押しつけてボロ切れを売りに来たり、学校へ行かず、家も持たず、

母親と通りに寝て暮らし、施しを求めて歩行者にまとわりついたり、盗みをして

生きています。すぐ数キロ先では、日本でも滅多にないような超高級ショッピングモール

のレストランで家族連れが贅沢な食事をしているというのに。同じ国の同じ言葉を

話す人たちなのに。




道路沿いには長い長い塀が続き、緑豊かな木々や椰子の木が塀の上に高く育っているのが

見え、それは個人の、政治家の邸宅だそうです。京都でいえば、皇居や東本願寺くらい

の塀の長さ。学会のあった大学もそれは美しい芝の広がる上品な校舎の建物。その

中で学生はジョギングをしたり、テニスをしたり、併設の小学校から出てくる子供達も

日本と何ら変わりなく楽しそうに通っています。でも、そこからタクシーで数分走ると

直視できないほど汚れたスラム街に入り込むのです。日本人であれば、いくら冒険心

のある若者であっても、もうああいう所は歩けないと思います。単なる賑やかで

ちょっと危なげな、色とりどりの看板やネオンがひしめき合う繁華街とはちがう、

何というか、全部が灰色でした。道も、建物らしきものも、乗り物も、人も。


学会についてはまた書きます。


とりあえず、昨日書いた感想はこれでした。




2日目の朝です。

アジアの文脈におけるEnglishesというテーマなのですが、この疲労感はなんなのだろう、

と考えてみると、

 まず、日本人としての自分を、この会場にいるとアジアにおける日本人としての

自分に認識し直す作業がつねに必要で、そんな事はあまりしたことがない、と

いうのがあると思います。




キーノートのスピーチで、青山学院大学の本名先生のスピーチは非常に分かり易かった

のですが、日本人は日本語の発想通りの英語でいい、それぞれの国の文脈、認識から

出てくる英語でいいんだ、というと、では美しい英語というのは棄ててしまっていいのか

逆に、世界の多くの人が日本語を勉強するようになったからといって、美しい本来の

日本語の味わいは、native fallacyだと切ってしまえるとは思えないのです。

2013年10月24日木曜日

内田樹x石川康宏 「若者よマルクスを読もう」


今、成田空港近くでホテルに前泊中。

台風が接近しているので、さあ、明朝飛行機が定刻通り飛ぶか、また搭乗できるのか、

いつもスタンバイなのでこのスリルがたまらない。


工事中で窓に足場がかかっている、という「難あり」の部屋なので、いいホテルなのに

格安、というホテル業界出身者の関西人としては、大いにくつろげる前泊です。




さて、内田樹の著書の中でも、表題の本は一番食指が動かないものでした。まず、マルク

ス=共産主義ガチガチというイメージがある。共産主義=資本主義すなわち今自分が生き

ている世界を否定するもの、という先入観がある。それに、いつも難解な思想を分かりや

すくわくわくと説明してくれる内田樹の文体がこの本に限っては何か歯切れが悪い。とい

うことで、読みかけてはみたものの、途中で放り出していたのでした。




でも、レオンチェフの本にも、随所に、しかも要のところに、どころか、根っこに

マルクスがどっかと腰を据えている。読みたくないけれども、せっかくだから、

この本を読み返してみようか、と昨日から今日にかけて移動中に覚悟して

読み出すと、打って変わって面白い、どころか、感動して羽田にランディングする頃に

は泣けてきた。


二十代のマルクスが、その頃ドイツで重鎮だった哲学者たちにひとりで挑んだその

果敢さに対して。そして、それに揺さぶられたであろうロシアや、世界中のマルクスの

読者のことを思って。ドイツ語で原著を特に「ドイツ・イデオロギー」を読みたくなって

しまいました。スケールが大きい、とはなんとなく聞いてはいましたが、本って、

出会うタイミングがあるものなんですね。





2013年10月23日水曜日

書き起こし


理論と方法論の勉強にかまけていて、データ整理にやっと手をつけ始めたところです。transcription面白くなってきました。


まだフェーズ2を頑張っているだけですが、とりあえずこんな見通しです。

フェーズ 1      現場。状況に浸りすぎていて、行き当たりばったりなので、何が起こってい
                        るか、分かっているつもりで分かっていない。


フェーズ 2,      録音を聞いて書き起こす。自分の記憶を呼び覚まし追体験する。恥ずかしく
                         こんなレッスンでよかったのかと思い、臨機応変にその時どきに精一杯の
                          判断をしていたことをわすれている。と同時に、現場で気づいていなかった
                           発話や、自分の期待が高くなりがちなこと、子どもたちがかなり頑張って
                           いる場面が、前面に出てくる。
                         
                           今は主にこの段階です。                   


フェーズ3,       書き起こしを読み、大事なところを、研究の枠組みに合わせて抽出し、
                           解釈する。再追体験するとともに、生のデータよりも物語になっている。
                           再構成する過程で、気づかなかったことが浮かび上がっていく。                    

                           これはあくまでも予定で、ここをもっと深めなければとても提出にまで
                            いたらないため、焦るばかりです。








2013年10月16日水曜日

読書ノート

   たぶん中学生から高校生くらいの数年間、小さいノートにつけ続けていた読書ノートがあ

りました。気に入った本の気になる文章をただひたすら抜き書きしていただけなにですが

が、自分にとっては宝箱のようなもので、大人になってもずっと大切に本棚に入れて

いました。



   今更ながら、大学院で勉強し始めるとその時読んでいた本や作家の名前に出会うことが

多く、自分がどれだけ可愛げのない理屈っぽいませた子供だったかと、このノートを

見返すと思います。でも、こういう本たちに夢中になっていた過去の自分がなんか

うらやましい。



     復活    トルストイ
     セルギイ神父    トルストイ
     ハジ ・ムラート   トルストイ
     アンナ ・カレーニナ   トルストイ
     シャム双子の謎     エラリー・クイーン
     日本沈没      小松左京
     チャイナ橙の謎  エラリー・クイーン
     月を売った男     R.A. ハインライン
     霧の旗     松本清張
     ベンスン殺人事件    ヴァン・ダイン
    青年時代        トルストイ
    戦争と平和     トルストイ
    ドラゴン殺人事件
    マリー・アントワネット     ツワイク
    青列車の謎    アガサクリスティ
   地下室の手記      ドストエフスキー
    カナリヤ殺人事件   ヴァン・ダイン
   アンの夢の家  モンゴメリ
   徒然草
   恋愛論    スタンダール
   アルマンス   スタンダール
    未成年   ドストエフスキー
    悪霊       ドストエフスキー
   白痴     ドストエフスキー
   ソクラテスの弁明    プラトン
    山月記      中島敦
    論語    下村湖人訳
   青春論   亀井勝一郎
   人生論      トルストイ
    シーシュポスの神話     カミュ
   わが未完成宣言     久保継成
   人生論ノート      三木清
   パスカル      伊藤勝彦
   パンセ     パスカル
   1921年の日記     宮本百合子
   1923年の日記     宮本百合子
    風知草       宮本百合子
   播州平野    宮本百合子
   読書と人生    三木清
  第二の性        ボーヴォワール
  白鳥の歌なんか聞こえない     庄司薫
  ぼくの大好きな青髭     庄司薫
  日本文化私観        坂口安吾
  青春論              坂口安吾
   堕落論           坂口安吾
   続堕落論       坂口安吾
  デカダン文学論       坂口安吾
   悪妻論      坂口安吾
   恋愛論      坂口安吾
   エゴイズム小論      坂口安吾
    教祖の文学      坂口安吾
    日本人とユダヤ人     イザヤ・ベンダサン
   美術の鑑賞について     志賀直哉


一番、抜き書きの多かったのは、よっぽど好きだったと見えて、パンセ、でした。




   
   
 





 
















2013年10月14日月曜日

感想: 学会「人間発達学」輪読会「外国語質的研究」


忘れないうちに、この2日間の感想です。


10月12日は京都橘大学人間発達学部主催の「子ども・青年のことばと発達」を拝聴。

報告会
「 錯誤(言い間違い)のポジティブな意味」神谷栄司
「児童期におけるかききとばの発達と教育」麻実ゆう子
「音読はどこまで効果があるか」弥永啓子

基調講演
「自己表現活動の成形」西口光一

これまでの日本語教育、第二言語教育のソシュール的パラダイムを分かりやすく紹介されたうえで、西口先生独自の見方を提案されていました。それは、言語活動を直接的に支えているのは、「言葉遣い」であること、そして、コミュニカティブ・アプローチからみたコミュニケーションは機能中心であるが実は人間の発話の殆んどは、単なるおしゃべり、つまり社交的なコミュニケーションである、ということでした。


10月13日は、青山学院大学で、外国語質的研究会に参加。

輪読会でテキストは、Narrative Inquiry, chapter 6〜10

各章を担当の方がレジュメを配布、発表、其々の発表のあと、意見述べ合うという形式。

テキストは院生でも読めるものでしたが、殆んどが大学の先生なので、
大学院の授業よりレジュメ、訳、解釈のレベルがはるかに高く、すごいと感じた反面、
研究者としてまた教師として悩んでいらっしゃる発言がとても人間らしく、えらい方々でも同じような不安を感じられているんだ ということに安心したりもしました。





2013年10月12日土曜日

死者との距離



他にも書いた気がするのですが、

経験主義があかん、という主張がよく分からず、首をひねっていた時がありました。


何でも経験しないと、わからないだろう、やったこともないのに、本だけ読んだり知識だ

け仕入れて分かったようなことをいう人こそ、偽物だろうと思っていたからです。



でも、経験主義、の根本的な落とし穴は、人間が経験できることなんてたかがしれている

にもかかわらず、その限られた経験を一般化して、すべてに当てはめようとすること

だったんだ、ということがやっと最近わかりました。




だから、人生経験が多いからといって、年長者のほうがよく物事をわかっていると

いう訳では全くない。むしろ、抽象的な思考を精緻に積み上げて、つきつめていった

人が、経験にかかわらず、本質に迫っている、ということです。



ただ、今日、同級生が何人もいるなかで、同級生のピアニストの演奏を聴いているうちに

今、ここにいない, 若くして亡くなったり、ここ数年に亡くなったりした仲間のことを

考えていました。そうして、唯一、若者との経験の違いで重要なことは、死者との

距離だなあと、思い至ることになりました。



でも、年を重ねるだけでなく、大きな災害や戦争を経験すると自分に関わりのある

死者は多くなり、そうするとその距離はもっと縮まる。その死者との距離が、その人の

霊的価値のようなものを決定するのではないだろうか、と、内田樹ふうなことを

色々考えます。



さらに言えば、過去の芸術、文学、歴史、哲学、科学、学問に没頭している人は

死者と常に対話しているようなものだから、そういう人たちが益々純化して霊性が

高まり、神々しくみえるのは、そのためかと勝手に合点していました。







2013年10月11日金曜日


今日の授業で思いだした。



営業だったので、数字で示さなくては結果を見せなくてはなにも

していないのと同じだと。言い訳はするな、すべて結果だと。



数字で私は数百の観察の実績がある。それは何なんだろう?

きれいなクリアな言葉で語られる学び、子ども、現場を聞きながら

これは自分が理解しようと苦闘してきた生徒たちとちがうなあと思った。



なんかすべて嘘くさい、と思った。





2013年10月9日水曜日

「見たことない」


二学期の中間テスト終了日の翌日のレッスン。

顔を見るや否や、中1女子三人組から矢継ぎ早に質問が飛んできます。


こんなことは今までなかったので、新鮮。すごく学校も授業も先生も斜に構えて

いる子たちなのですが、中学生になって、テストの点数や順位で結果が細かく数値で

出るようになると、一応テストの時だけは真剣になる。大体、楽してどれだけ点数が

とれるかとか、テスト問題の妥当性についての彼女たちなりの勝手な評価なのですが。




それぞれの認識の違いが面白く、30分くらい泳がせておきました。普段なら、出来るだけ

私語はさせないように、すぐレッスンに入ろうとするのですが、今談話分析を考えている

こちらも興味深い状況です。



「こんなん、見たことない」「習ってないし」「教えてもらってないし」でも全員の意見

一致することもあれば、「習ったやん」「やったやん」「教科書の、、ページのここにの

ってたで」「それ見たことある」 「何かこう書いちゃってん」とかまびすしい。





文法にせよ何にせよ、こちらが説明をはじめるといつも聞かなくなるので、ほとんど明示

的に教えるのは諦めていたのだが、一通り全員が聞いたことない、と主張する Are

these〜?、 Are those 〜?の疑問文、答え方、What疑問文、を、小学生向けの無味乾燥な

ライティングの本を使って口頭でやらせてみました。



すると、するすると理解します。拍子抜けでした。本当に理解したかは、来週書かせてみ

ないと分からないけれども。



活動理論での、needs, motive, object, goal の理解が今ひとつできず、苦しんでいるのですが

子供たちがわいわい言いつつ、考えたり、話し合ったり、学ぼうとしているので、

もうそんなことはどうでもいいじゃないか、と思ってしまったりしました。




2013年10月7日月曜日

PC 破損



四月から肌身離さず使っていたPCを不注意で壊してしまいました。

今日ヨドバシカメラの修理センターに預けると、一ヶ月かかります、

と宣告されて、カウンターに残していくときの後ろ髪ひかれる思い。



何か覚えがあるな〜、と思ったら、



出産休暇後に、赤ちゃんだった娘を初めて保育園において行く時の

感覚でしたw。






大事なデータは、Dropbox と Evernote で保管してたので大丈夫。

でも塾の財政管理がそっくり消えてしまったらかなり困る。そうなったら税務署に

廃業届出すしかないんだろうか?




大体いつもデータ管理が苦手なので、いざという時に追い詰められて、必死で対策を考え

結果いつの間にか質的転換を果たしている事が多い。



2013年10月6日日曜日

芥川龍之介「藪の中」

表題の映画を確かに見たと思うんです。

白黒だったので、たぶんケーブルテレビの日本映画チャンネルか何かを

みていて、たまたま文学作品の映画だったので、留めて、みたのだと思います。



今日、ずっと気になっていた立命館大学の平和ミュージアムの展示を

見てきました。感想は山ほどありますが、

1.  展示物が多い。それも戦争当時の個人、庶民に焦点をあてた生々しい資料が多い。

     これは凄いことだと思います。モノの持つ迫力は侮れない。広島に行って

      原爆ドームに対峙した数年前に、啓示のように原爆が落とされた瞬間を

      イメージしたことは忘れられません。東北の震災で乗り上げた船を撤去することに

       なってしまったのは本当に残念です。

⒉    バランスよく展示しているように見せかけようとしている努力はわかるんだけど、

        やはりそこは立命館大学、かなり中国側の見方に寄っていると思った。

         南京大虐殺、と従軍慰安婦の問題はよくよく調べて自分なりの見解を

         持つまで判断はできない。


それで、藪の中を、急に連想してしまったのでした。


次元は違うのですが、有吉佐和子の「悪女について」という小説があります。

一人の女性が亡くなったことをきっかけに、その人とかかわりのあった人が

色々なことを語っているのですが、それでも最後までその人が本当はどんな人で

あったのかだれもわからないまま、という話です。



戦争の時も夥しい命に関わる出来事が起きていて、あの時自分にも家族にも日本という国にようなものにも、何が起きていたのか、誰にも分かるはずがなく、整理できないまま、
この展示物のように何とか秩序づけようとして、中途半端になっているんだなあ、と

そんなことを思いました。









2013年10月5日土曜日

英語の敬語


ラベルの付け方が今一つわからないのです。

語用論?意味論?談話?

言語教育の専門の勉強をしているのに、一つのエピソードのカテゴライズができないのは
ほんとまだまだですね。


とりあえず、若き院生君に説教すまいと思いながら、今日散々説教してしまいました。


英語に敬語があるということをわかっているのか、と。


英語で食べていきたいと思うなら少なくとも、三段階くらいのレベルを使いこなせるようになれと。


もっとレベルの高い英語を話せるようにならないと、一か月ぐらい海外に行って片言の
英語をしゃべる奴なんてなんぼでもおるやろ、と。そこで自分が一つ頭出すには、どうしたらいいか
考えろ、と。

学部生と違う、院生やねんから、大学の名前に恥をかかすな!
付き合う人を考えろ、外国人バー?なんやそれは?そんなところにいるからろくな言葉もおぼえへんのやろ??

nativeやからといってもいろいろあるやろ、もっと教養あるnativeと付き合わなあかんやろ!
門前の小僧、お経を覚えるっていうでしょうが!

といったところで横で聞いていた院生が、それってどういう意味ですか?とまじめに聞いて来たので
丁寧に教えました。

ついでに、人にものを尋ねるときはまず、なんていうん?と聞いたら
Excuse me.
というので、

I wonder if I could ask~~
Coule I possibly ask~

とか熱くなって教えてしまった。


2人とも、ちゃんと聞いて、話すならやっぱり格調高い英語とか少なくとも敬語をしゃべれるように
がんばります、と言ったので、なんかその素直さに心を打たれました。

説教は、まちがっているかもしれないけど、一生懸命にするもんですね。





2013年10月3日木曜日

McCarthy, M. (1991). Discourse Analysis for Language Teachers


談話分析の専門書で、読んでいるのは、日本語の訳書です。専門書ながら読みやすいです。

Amazonの評には、談話分析の方法をてっとりばやく勉強したい人には冗長すぎる、

とありました、詳細にわたっているのでそう感じる人もいるかもしれないが、

私はそうは感じません。



全部読んでからサマリーを挙げた方がいいんですが、悪い癖で面白い本に出合うと

すぐ途中で人に語りたくなります。



談話分析のテクニカルな方法を勉強したくて、読み始めたのですが、ものすごく面白い。

うまくだまされた、と嬉しい拾いものをしたような感じです。

まだ第一章「談話分析とは何か」と第三章「談話分析と語彙」しか読み進めていないんですが、

新たな発見が沢山あります。


たとえば、人は、会話の時相手の言うことを繰り返したり、言い換えたりしながら

会話を広げていきますが、同じ語を繰り返しても、そこには新しい意味が

生起され含蓄されていくので決して同じではない。だから、同義語や反義語を知らないと

会話は広がっていかない。

そのように考えると、教えるのも楽しくなります。単に語彙を覚え込ませるだけでなく、

これによって会話を豊かにしていく方法を教えられるんだなあ、と。



もう一つ個人的に重要な発見は、自分はやはり、人としゃべるのが大好きなんだ、ということ。

くり返したり、言い直したり、解釈したり、突っ込んだり、その会話の構造そのものが

日常的に好きなんです。だからこういう談話分析の専門書が面白い。



ついでに、これは、文学関連の先生の研究室からお借りした本なので、

読みながら先生の厳しいお顔がちらついてプレッシャーが...

いや、でも、読書にはこういう緊張感が必要。



「語学教師のための談話分析」 安藤貞雄・加藤克美訳 大修館書店