悩んでいるのは、指導教官の変更届を出した方がいいのか、と
思っているのです。
この一年、大好きな師匠についていこうと必死で走ってきましたが、
授業やバフチンカフェ、合宿など受け身では師匠に大いに
共感するのですが、自分の博論の話になると全くかみ合わない。
師匠の興味の赴くまま言語哲学的なもの色々読んでみました、面白かったです。
言語、世界、現実、他者、などなど200%共感しました。
だが、博論の話になると、量的研究?のような話になるし、
学習者がこう変わったというには、学習の一側面に絞って
どのようなtreatmentをしたからこうなった、という話になり、
会話分析、談話分析の話は、はなから聞いてもらえない。
そもそも、自分が研究をしたいのは、自分の生徒の生き生きと
した様子を解明したいのに、生徒から離れてもっと抽象化を
せなあかん、といいながら、バフチンではなくほかの言語理論の
話を持ち出すと、そんなことをしていたらきりがない、と言われる。
内言を非常に大切にしておられて、内言に言及していない理論は
すべて否定。
あと少しで自分は引退だから、あとは弟子がどうにでもがんばってくれ、
という発言もあり。
うーん、なんだかなあ。大好きな師匠なんですが。
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