一年間の研究報告書なるものを提出するようにということで、
今、取り組んでいます。
早いようで、長く、濃い一年でした。先生方がセレクトして読ませて
下さった文献の膨大な量を見ていると頭が朦朧としてきます。
セレクトする前の先生方の頭の中がまるで知識の大海の
ように思えてきます。
でも、その文献や勉強したことが全部否定されそうだと
思うと、さらに朦朧としてきます。
初心に戻って考えると、確かに自分は言語哲学的なことを
やりたいのであって、決してはじめから実証的な研究を
目指していたわけではない。ただ、研究と言うものは実証的で
なければならないから、と思ったので、論文を書くために実証の方法を
取り入れようとしていたわけです。
実証的な社会科学でなく、解釈学の方法で、と師匠が言うなら、
それができるなら、自分としては理にかなってはいる。
今度はディルタイ、シューマッハ、ガダマーとか読んだこともないものに
取り組まなければ、そして自分で納得できればそれでいい。
やるしかない。
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