後期は、ほとんど授業をとっていないのですが、
動機付けの研究があまりにも盛んなため、英語教育が
専門とうたっているからには、いくら量的研究はやってません、と
いえども、日本のmotivation研究の主な流れは知っておかないと恥ずかしい、
ということで、西田理恵子先生のMの授業を聴講しています。
輪読しているのは、これです。会話分析の文献に比べ、とても読みやすい。
(といっても統計は一般的なもの意外は理解困難)
Language Learning Motivation in Japan
Edited by: Matthew T. Apple, Dexter Da Silva, Terry Fellner
http://www.multilingual-matters.com/display.asp?K=9781783090495
西田先生も章を1つ担当されています。
授業中に、自己決定理論をどのように実践に応用するか、2、3人ずつで
話し合う、という場面があり、そのときに出てきたのが表題の
フレーズです。
グループの中国人留学生から、英語ができるってどういうこと
ですか、中国にはそんな表現はない、ただ上手か下手か
っていうだけです、という発言。彼女ともう一人の院生と
私は同じぐらいのレベルで英語で議論できる3人でしたが、
そうだね、考えてみたら英語ができるって変な言い方だよね、
としばらくその意味を話し合っていました。
この本の第四章には日本の理系の学生の英語学習に関する
モチベーションの研究が出てくるのですが、確かに阪大の理系の
学生もおおむね読み書きはできても話すのは自信がなく、
読み書きができても、自分は英語ができない、と思っている
ようです。
ということは「英語ができる」という言説には話すか聞くか
必ずどちらかがふくまれる。これは日本特有なのかなあ、とか
追及していったら面白いかもしれませんね。
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