13、14日と二日に渡って神戸学院大学で行われていたのですが、
二日目だけ行ってきました。
英語教育関係の学会とは、一年以上離れていたような気がします。
久しぶりに参加してみて、ちょっと様子が変わったような気がしました。
たまたまかもしれません。
シンポジウムは「確かな英語教育改革をめざして」ということで、
どうなるのかな、と半信半疑で拝聴していましたが、
まあまあいい方向に近づいているような気がしました。
思うところは色々ありましたが、一つカギになる重要な質問が
フロアから出て、それは評価の問題です。
今、聴講している授業の一つにBackmanに師事された今尾先生の
assessmentの授業があって、評価やテストの研究がいかに
教育にとって重要で奥深く、解決のできない問題かということを感じます。
お答えになった先生は、ご自分の実践の範囲内できちんと
応えていらっしゃいましたが、おそらく多くの現場の先生方が
正しい方向はここだ、と感じてはいても踏み切れないのは
この評価のあいまいさなんだろうな、と今更ながら、
やっと私にも感じ取れました。フェアに生徒のパフォーマンスを
評価できないかもしれない、主観が入ってしまうかもしれない、
という不安があるのかもしれない。
interactional competenceということが気になっていて、それに
入り込もうと思っているのですが、その評価の専門である今尾先生が
授業で言われたのはこれにはかかわらない方がいい、
修論や博論程度ではとらえ切れるような問題ではない、とおっしゃっていました。
今回参加したのは、京都教育大の師匠が
「英語教員のためのヴィゴツキー・バフチン理論入門」という
タイトルでセミナーをされていて、先生もしばらく英語教育の学会から
遠ざかっておられたのに、あら、珍しい、と傾聴させていただきました。
講義のお部屋はいっぱいで聴衆の先生方もすごく集中して
聴いておられたのを肌で感じましたし、一時間半とても濃い内容で、
昨年のヴィゴツキー学会などで聞いた内容もあったのですが、
改めていいお話を聞かせていただいたなあ、とちょっと感無量でした。
自分も色々あって、少し受け止め方が変わったのかもしれません。
特に心に響いたのは、「みなさん、英語で好きなことばはありますか?」と
問いかけられて以前も授業でそれを聞かれたときに、inspireということばが
好きです、と答えたのは覚えているのですが、それから何年も経て
なにも思いつかない、ということが衝撃でした。まだまだ自分の考えが
浅い、と思い知らされました。
資料の中で、先生の存在を支え、人格の一部となっている言葉を
紹介されていましたが、その中で「夜と霧」の著者だと思うのですが、
V.E.フランクルの「それでも人生にイエスと言う。」という言葉を見たときには、
自分のことを言われているような気がして吃驚して涙が出そうでした。
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