やっとのことで、全国英語教育学会の予稿を書き上げて師匠に
送信してほっとしました。半分は師匠とバフチンのことしか
書いていないし。知らない人にはなんのこっちゃ、と思われそうです。
それで、久しぶりに論文や専門書でない一般の文庫本を衝動買いして
読んでいます。といっても自分のことなので、哲学、学問、能とかの
関係、それでも一般書は読みやすくてほっとします。
そのうちの一冊は、京大の佐伯啓思先生の「学問の力」(ちくま文庫)
です。以前、NHKで爆笑問題が京大で番組をしたときに、おつきあい
された先生方の一人でお話しぶりも文章も大好きな方です。
ご自身は色々と葛藤がおありなのかもしれませんが、関西人の
柔らかいニュアンスがありながらも、理路整然としていていうことに
矛盾がない。しかも他人に厳しくはなさそうで、でも愛想がよく
やさしいというのではない。骨太で常に真理をついている、
鋭さと大きさが矛盾なく共存している、と勝手に思っています。
本の中に、原風景、についての話がありました。奈良のご出身なので、
若い時には出たかったが人には誰しも故郷が必要で、学問には故郷が
必要だ、というようなお話でした。
自分にひるがえってみると、私の原風景は大阪の郊外である枚方の
田んぼで春のピンク色に広がったれんげ畑です。幼児の自分が母や
近所の子供たちとそのなかに座り込んで、れんげの花をもてあそんで
編みこみの冠をつくったり、蜜を吸ったり今から思えば自然と贅沢に
たわむれていました。
子どもを育てていたときに、どこからがこの子の原風景になるんだろう、
と思っていました。赤ちゃんやよちよち歩きの時代に、航空会社に
勤めていたので、海外もあちこちいって親は色々覚えていますが、
娘は覚えていない、と言って怒ります。
一度、オーストラリアの人っ子一人いない長い長い海岸で、
一人で機嫌よく遊んでいたのをホテルのテラスから眺めて
いて、この広大な風景が、自分のれんげ畑のような
彼女の原風景になるといいなあ、どうだろう、と思っていました。
まだ聞けていませんが。いつかきいてみます。
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