あと、自分にとっての頂上まで40語弱です。
内容はともかくとして、修士論文終わってからは英語で論文らしきものを
書いたことがないので、実は投稿論文が書けるとは思っていませんでした。
ようやくトンネルを抜ける微かな光が見えてきた感じ。
先生に未完成のドラフトをお送りすると、一週間前では内容に
踏み込む時間がないので、せめて英文校正の業者に発注したら、
と紹介をいただいたので、頼んでみました。これがなかなかの値段。
5000語弱で38000円。それでも一番下のレベルの校正です。
特急でお願いしたので高いのもあるのですが、それだけ払って
どんな高いクオリティなのか楽しみでもあります。
4日間の特急で明日昼過ぎに送ってくださるそうです。
業者はこちらです。人文系の研究者はよく依頼しているそうです。
お役に立つようなら、頼んでみてください。
http://www.editage.jp/
修論のときには、先生のお知り合いに校正をお願いしたのですが、
それがいかに破格だったのか、というのに今更ながら気づきました。
しかも、章ごとに送ってほんとうに真摯になんども厳しく直してくださり、
ありがたかったです。
メールのやりとりだけでご本人にはお会いしたことがないのです。
ご病気だとお聞きしましたが、いつか会えるでしょうか。
2015年6月28日日曜日
2015年6月25日木曜日
第47回言語文化学会春季大会
今日は、春秋年二回ある表題の学会の一回目でした。
スタッフだったので、ゼミが終わってから学会用バスで駆けつけて
受付。中国、韓国、ブータン、イスラム系アメリカ、日本と
対象となる文化も様々、テーマも言語学、文学、フェミニズム的なものから、
教育、社会的なものまで。 箕面キャンパスまでかなりあるので、
バスの中で韓国からの博士課程の留学生とずっと話していました。
韓国のお嫁さんがどれだけ過酷な扱いを受けているのか、
初めて聞いてびっくりです。韓国の人はいつも大家族で賑やかで
楽しそうだなあ、羨ましいと思っていたのですが、その陰には、
夫の家族の宗教行事を支えている嫁の苦労があったのです。
韓国の女性はほとんど日本に住むと韓国に帰りたくないと
思うそうです。
スタッフだったので、ゼミが終わってから学会用バスで駆けつけて
受付。中国、韓国、ブータン、イスラム系アメリカ、日本と
対象となる文化も様々、テーマも言語学、文学、フェミニズム的なものから、
教育、社会的なものまで。 箕面キャンパスまでかなりあるので、
バスの中で韓国からの博士課程の留学生とずっと話していました。
韓国のお嫁さんがどれだけ過酷な扱いを受けているのか、
初めて聞いてびっくりです。韓国の人はいつも大家族で賑やかで
楽しそうだなあ、羨ましいと思っていたのですが、その陰には、
夫の家族の宗教行事を支えている嫁の苦労があったのです。
韓国の女性はほとんど日本に住むと韓国に帰りたくないと
思うそうです。
2015年6月24日水曜日
あとちょっと そして 再び 混乱
月末に〆切の英語のが、あとちょっと。予定ではもっと早く仕上げて、
3回ぐらい書き直して、先生方にも見ていただいて、と思っていたのに
それどころではなく。日本語でも英語でも、きちんと字数や語数に制限があって、
それに合わせて書くという経験が皆無、とつくづく思います。
TAをさせて頂いていると、発表時間を制限する、字数を制限する、
ある程度ルールで縛る、でも豊富なリソースを与えて且つ、
自由な自己表現させる余地をつくる、
ということが学生を飛躍的に成長させるんだな、ということが
よくわかります。
みんないい顔をしています。
その後、会話分析の授業を久しぶりに聴講させていただいて、
やっと自分の中でイーミックでヒューマニステッィクな方法論だと
消化しつつ、指導教官も説得できるという自信をつけて
きたのが、あえなくもふにゃふにゃと崩れ、混乱してしまいました。
教育ということばは、人によって深い浅いがあるらしい。
スキルを身につけるというのは、私は教育とは思いません。
3回ぐらい書き直して、先生方にも見ていただいて、と思っていたのに
それどころではなく。日本語でも英語でも、きちんと字数や語数に制限があって、
それに合わせて書くという経験が皆無、とつくづく思います。
TAをさせて頂いていると、発表時間を制限する、字数を制限する、
ある程度ルールで縛る、でも豊富なリソースを与えて且つ、
自由な自己表現させる余地をつくる、
ということが学生を飛躍的に成長させるんだな、ということが
よくわかります。
みんないい顔をしています。
その後、会話分析の授業を久しぶりに聴講させていただいて、
やっと自分の中でイーミックでヒューマニステッィクな方法論だと
消化しつつ、指導教官も説得できるという自信をつけて
きたのが、あえなくもふにゃふにゃと崩れ、混乱してしまいました。
教育ということばは、人によって深い浅いがあるらしい。
スキルを身につけるというのは、私は教育とは思いません。
2015年6月14日日曜日
関西英語教育学会 研究大会
13、14日と二日に渡って神戸学院大学で行われていたのですが、
二日目だけ行ってきました。
英語教育関係の学会とは、一年以上離れていたような気がします。
久しぶりに参加してみて、ちょっと様子が変わったような気がしました。
たまたまかもしれません。
シンポジウムは「確かな英語教育改革をめざして」ということで、
どうなるのかな、と半信半疑で拝聴していましたが、
まあまあいい方向に近づいているような気がしました。
思うところは色々ありましたが、一つカギになる重要な質問が
フロアから出て、それは評価の問題です。
今、聴講している授業の一つにBackmanに師事された今尾先生の
assessmentの授業があって、評価やテストの研究がいかに
教育にとって重要で奥深く、解決のできない問題かということを感じます。
お答えになった先生は、ご自分の実践の範囲内できちんと
応えていらっしゃいましたが、おそらく多くの現場の先生方が
正しい方向はここだ、と感じてはいても踏み切れないのは
この評価のあいまいさなんだろうな、と今更ながら、
やっと私にも感じ取れました。フェアに生徒のパフォーマンスを
評価できないかもしれない、主観が入ってしまうかもしれない、
という不安があるのかもしれない。
interactional competenceということが気になっていて、それに
入り込もうと思っているのですが、その評価の専門である今尾先生が
授業で言われたのはこれにはかかわらない方がいい、
修論や博論程度ではとらえ切れるような問題ではない、とおっしゃっていました。
今回参加したのは、京都教育大の師匠が
「英語教員のためのヴィゴツキー・バフチン理論入門」という
タイトルでセミナーをされていて、先生もしばらく英語教育の学会から
遠ざかっておられたのに、あら、珍しい、と傾聴させていただきました。
講義のお部屋はいっぱいで聴衆の先生方もすごく集中して
聴いておられたのを肌で感じましたし、一時間半とても濃い内容で、
昨年のヴィゴツキー学会などで聞いた内容もあったのですが、
改めていいお話を聞かせていただいたなあ、とちょっと感無量でした。
自分も色々あって、少し受け止め方が変わったのかもしれません。
特に心に響いたのは、「みなさん、英語で好きなことばはありますか?」と
問いかけられて以前も授業でそれを聞かれたときに、inspireということばが
好きです、と答えたのは覚えているのですが、それから何年も経て
なにも思いつかない、ということが衝撃でした。まだまだ自分の考えが
浅い、と思い知らされました。
資料の中で、先生の存在を支え、人格の一部となっている言葉を
紹介されていましたが、その中で「夜と霧」の著者だと思うのですが、
V.E.フランクルの「それでも人生にイエスと言う。」という言葉を見たときには、
自分のことを言われているような気がして吃驚して涙が出そうでした。
二日目だけ行ってきました。
英語教育関係の学会とは、一年以上離れていたような気がします。
久しぶりに参加してみて、ちょっと様子が変わったような気がしました。
たまたまかもしれません。
シンポジウムは「確かな英語教育改革をめざして」ということで、
どうなるのかな、と半信半疑で拝聴していましたが、
まあまあいい方向に近づいているような気がしました。
思うところは色々ありましたが、一つカギになる重要な質問が
フロアから出て、それは評価の問題です。
今、聴講している授業の一つにBackmanに師事された今尾先生の
assessmentの授業があって、評価やテストの研究がいかに
教育にとって重要で奥深く、解決のできない問題かということを感じます。
お答えになった先生は、ご自分の実践の範囲内できちんと
応えていらっしゃいましたが、おそらく多くの現場の先生方が
正しい方向はここだ、と感じてはいても踏み切れないのは
この評価のあいまいさなんだろうな、と今更ながら、
やっと私にも感じ取れました。フェアに生徒のパフォーマンスを
評価できないかもしれない、主観が入ってしまうかもしれない、
という不安があるのかもしれない。
interactional competenceということが気になっていて、それに
入り込もうと思っているのですが、その評価の専門である今尾先生が
授業で言われたのはこれにはかかわらない方がいい、
修論や博論程度ではとらえ切れるような問題ではない、とおっしゃっていました。
今回参加したのは、京都教育大の師匠が
「英語教員のためのヴィゴツキー・バフチン理論入門」という
タイトルでセミナーをされていて、先生もしばらく英語教育の学会から
遠ざかっておられたのに、あら、珍しい、と傾聴させていただきました。
講義のお部屋はいっぱいで聴衆の先生方もすごく集中して
聴いておられたのを肌で感じましたし、一時間半とても濃い内容で、
昨年のヴィゴツキー学会などで聞いた内容もあったのですが、
改めていいお話を聞かせていただいたなあ、とちょっと感無量でした。
自分も色々あって、少し受け止め方が変わったのかもしれません。
特に心に響いたのは、「みなさん、英語で好きなことばはありますか?」と
問いかけられて以前も授業でそれを聞かれたときに、inspireということばが
好きです、と答えたのは覚えているのですが、それから何年も経て
なにも思いつかない、ということが衝撃でした。まだまだ自分の考えが
浅い、と思い知らされました。
資料の中で、先生の存在を支え、人格の一部となっている言葉を
紹介されていましたが、その中で「夜と霧」の著者だと思うのですが、
V.E.フランクルの「それでも人生にイエスと言う。」という言葉を見たときには、
自分のことを言われているような気がして吃驚して涙が出そうでした。
進まな~い
今月末締め切りの英語の投稿論文が遅々としてすすみません。
修論は英語で書いたことは書いたのですが、英語ネイティブが読む
ことはほぼあろうはずがないので、それは除外するとして。
今回は本気で読者を英語母語話者に想定して投稿するつもり、
10ページほどの論文でデータもすでにとっていて分析も
おおざっぱには済んでいるし、師匠やバフチンや哲学とは
まったく関連付けずにあっさりと実証的に乾いた感じで
書こうと思い決めたのですが、難しい。
実証的なことに限定しようとしても、どうしても自分の経験や
既存の知識や直観からの解釈が入り込んでしまいます。
もともとエモーショナルなので無理らしいです。
でもそれをそこそこ抑え込んで書かないと自分の存在価値がない。
まず、書いたもので、英語をベースとする学問の世界で
対話ができるようにならなければ、自分が大切だと思って
いるものを表現できるはずがない。それができなければ、
自分が、子供たちにとって大切だと信じているものを
色々な状況や権力から守ることはできない。
まず、ここからはじめないと、何も始まらない。
修論は英語で書いたことは書いたのですが、英語ネイティブが読む
ことはほぼあろうはずがないので、それは除外するとして。
今回は本気で読者を英語母語話者に想定して投稿するつもり、
10ページほどの論文でデータもすでにとっていて分析も
おおざっぱには済んでいるし、師匠やバフチンや哲学とは
まったく関連付けずにあっさりと実証的に乾いた感じで
書こうと思い決めたのですが、難しい。
実証的なことに限定しようとしても、どうしても自分の経験や
既存の知識や直観からの解釈が入り込んでしまいます。
もともとエモーショナルなので無理らしいです。
でもそれをそこそこ抑え込んで書かないと自分の存在価値がない。
まず、書いたもので、英語をベースとする学問の世界で
対話ができるようにならなければ、自分が大切だと思って
いるものを表現できるはずがない。それができなければ、
自分が、子供たちにとって大切だと信じているものを
色々な状況や権力から守ることはできない。
まず、ここからはじめないと、何も始まらない。
2015年6月13日土曜日
全国英語教育学会熊本研究学会予稿集
やっと今日締め切りぎりぎりになって提出しました。
とても心配なのは、誰かを傷つけていないか、ということです。
発表の趣旨は、これまでおそらく英語教育学会ではまともに
とりあげられていなかった言語哲学、を紹介することです。
というわけで、師匠のバフチン言語論を正面からとりあげて
紹介することにして、それに自分の実証研究を連結できるか
どうか、という試験的な発表になると思います。
目的は、英語圏に留学した経験もなく、英語で他者との
対話の経験も少ない英語教師が、英語非母語話者
talk-in-interaction のなかで、どこまで英語をつかって
interactional comptenceを構築するのか、ということを見極めたい、
ということと、構築できない部分があるとすればどうやって
研究者としてそれを応援できるのか、ということです。
その自分の気持ちを予稿集原稿にちゃんと反映できたかが
あまり自信ない。ご希望の方があれば、PDFで予稿集原稿をお送りします。
批判的に意見をくださればありがたいです。とくに公立の小学校、
中学校、高等学校の現場の英語の先生に読んでいただき、
厳しいご批判あればご遠慮なくお送りくだされば、たいへん
ありがたいです。
とても心配なのは、誰かを傷つけていないか、ということです。
発表の趣旨は、これまでおそらく英語教育学会ではまともに
とりあげられていなかった言語哲学、を紹介することです。
というわけで、師匠のバフチン言語論を正面からとりあげて
紹介することにして、それに自分の実証研究を連結できるか
どうか、という試験的な発表になると思います。
目的は、英語圏に留学した経験もなく、英語で他者との
対話の経験も少ない英語教師が、英語非母語話者
talk-in-interaction のなかで、どこまで英語をつかって
interactional comptenceを構築するのか、ということを見極めたい、
ということと、構築できない部分があるとすればどうやって
研究者としてそれを応援できるのか、ということです。
その自分の気持ちを予稿集原稿にちゃんと反映できたかが
あまり自信ない。ご希望の方があれば、PDFで予稿集原稿をお送りします。
批判的に意見をくださればありがたいです。とくに公立の小学校、
中学校、高等学校の現場の英語の先生に読んでいただき、
厳しいご批判あればご遠慮なくお送りくだされば、たいへん
ありがたいです。
2015年6月7日日曜日
原風景
やっとのことで、全国英語教育学会の予稿を書き上げて師匠に
送信してほっとしました。半分は師匠とバフチンのことしか
書いていないし。知らない人にはなんのこっちゃ、と思われそうです。
それで、久しぶりに論文や専門書でない一般の文庫本を衝動買いして
読んでいます。といっても自分のことなので、哲学、学問、能とかの
関係、それでも一般書は読みやすくてほっとします。
そのうちの一冊は、京大の佐伯啓思先生の「学問の力」(ちくま文庫)
です。以前、NHKで爆笑問題が京大で番組をしたときに、おつきあい
された先生方の一人でお話しぶりも文章も大好きな方です。
ご自身は色々と葛藤がおありなのかもしれませんが、関西人の
柔らかいニュアンスがありながらも、理路整然としていていうことに
矛盾がない。しかも他人に厳しくはなさそうで、でも愛想がよく
やさしいというのではない。骨太で常に真理をついている、
鋭さと大きさが矛盾なく共存している、と勝手に思っています。
本の中に、原風景、についての話がありました。奈良のご出身なので、
若い時には出たかったが人には誰しも故郷が必要で、学問には故郷が
必要だ、というようなお話でした。
自分にひるがえってみると、私の原風景は大阪の郊外である枚方の
田んぼで春のピンク色に広がったれんげ畑です。幼児の自分が母や
近所の子供たちとそのなかに座り込んで、れんげの花をもてあそんで
編みこみの冠をつくったり、蜜を吸ったり今から思えば自然と贅沢に
たわむれていました。
子どもを育てていたときに、どこからがこの子の原風景になるんだろう、
と思っていました。赤ちゃんやよちよち歩きの時代に、航空会社に
勤めていたので、海外もあちこちいって親は色々覚えていますが、
娘は覚えていない、と言って怒ります。
一度、オーストラリアの人っ子一人いない長い長い海岸で、
一人で機嫌よく遊んでいたのをホテルのテラスから眺めて
いて、この広大な風景が、自分のれんげ畑のような
彼女の原風景になるといいなあ、どうだろう、と思っていました。
まだ聞けていませんが。いつかきいてみます。
送信してほっとしました。半分は師匠とバフチンのことしか
書いていないし。知らない人にはなんのこっちゃ、と思われそうです。
それで、久しぶりに論文や専門書でない一般の文庫本を衝動買いして
読んでいます。といっても自分のことなので、哲学、学問、能とかの
関係、それでも一般書は読みやすくてほっとします。
そのうちの一冊は、京大の佐伯啓思先生の「学問の力」(ちくま文庫)
です。以前、NHKで爆笑問題が京大で番組をしたときに、おつきあい
された先生方の一人でお話しぶりも文章も大好きな方です。
ご自身は色々と葛藤がおありなのかもしれませんが、関西人の
柔らかいニュアンスがありながらも、理路整然としていていうことに
矛盾がない。しかも他人に厳しくはなさそうで、でも愛想がよく
やさしいというのではない。骨太で常に真理をついている、
鋭さと大きさが矛盾なく共存している、と勝手に思っています。
本の中に、原風景、についての話がありました。奈良のご出身なので、
若い時には出たかったが人には誰しも故郷が必要で、学問には故郷が
必要だ、というようなお話でした。
自分にひるがえってみると、私の原風景は大阪の郊外である枚方の
田んぼで春のピンク色に広がったれんげ畑です。幼児の自分が母や
近所の子供たちとそのなかに座り込んで、れんげの花をもてあそんで
編みこみの冠をつくったり、蜜を吸ったり今から思えば自然と贅沢に
たわむれていました。
子どもを育てていたときに、どこからがこの子の原風景になるんだろう、
と思っていました。赤ちゃんやよちよち歩きの時代に、航空会社に
勤めていたので、海外もあちこちいって親は色々覚えていますが、
娘は覚えていない、と言って怒ります。
一度、オーストラリアの人っ子一人いない長い長い海岸で、
一人で機嫌よく遊んでいたのをホテルのテラスから眺めて
いて、この広大な風景が、自分のれんげ畑のような
彼女の原風景になるといいなあ、どうだろう、と思っていました。
まだ聞けていませんが。いつかきいてみます。
2015年6月6日土曜日
ipad授業2
TAをさせていただいているのとは別の授業を最後の
20分ほど見学させていただきました。
まず、思ったのは、先生によって使い方が全然ちがう、ということ。
ちょうど前期の中間発表の日だったようで、3~5人のグループで、
モデレーター、プレゼンター、コーディネーターの役割を決めて、
グループ全員ipadを手元に前にたちます。
感心したのは、チャンネルの切り替え(?)どのチャネルに入るか、
ということも学生に指示されていたり、タイムキーパーもスクリーンに
デジタルで表示して、2分の持ち時間を秒単位で教室全体で
見られるようにしていること。この授業は一人でされているので、
すごくうまく工夫されていると思いました。
ドイツ語の授業は基本的には、リーディングなので、
出席をとる、挨拶をドイツ語で返す、ちょっとした質問に答える、
資料をスクリーンで見せる、便利なソフトをスクリーンでデモ
するなどをされています。
先生によって使い方が違うのが、個性とポリシーが反映されていて、
面白いです。
次回ははじめから見せていただきたくようにお願いしましょ。
それと、見学を誘ってくださった先生がビデオを撮られて
いて、その日のうちにお渡しされたようなので、見学を
お願いするときにはそうすると、見学する方もされる方も、
お互いのベネフィットになるんだなあ、と思いました。
ビデオはとるのもとられるのもちょっと怖いので、
なかなか踏み切れないのですが、この際、
思い切って色々チャレンジしてみようと思います。
20分ほど見学させていただきました。
まず、思ったのは、先生によって使い方が全然ちがう、ということ。
ちょうど前期の中間発表の日だったようで、3~5人のグループで、
モデレーター、プレゼンター、コーディネーターの役割を決めて、
グループ全員ipadを手元に前にたちます。
感心したのは、チャンネルの切り替え(?)どのチャネルに入るか、
ということも学生に指示されていたり、タイムキーパーもスクリーンに
デジタルで表示して、2分の持ち時間を秒単位で教室全体で
見られるようにしていること。この授業は一人でされているので、
すごくうまく工夫されていると思いました。
ドイツ語の授業は基本的には、リーディングなので、
出席をとる、挨拶をドイツ語で返す、ちょっとした質問に答える、
資料をスクリーンで見せる、便利なソフトをスクリーンでデモ
するなどをされています。
先生によって使い方が違うのが、個性とポリシーが反映されていて、
面白いです。
次回ははじめから見せていただきたくようにお願いしましょ。
それと、見学を誘ってくださった先生がビデオを撮られて
いて、その日のうちにお渡しされたようなので、見学を
お願いするときにはそうすると、見学する方もされる方も、
お互いのベネフィットになるんだなあ、と思いました。
ビデオはとるのもとられるのもちょっと怖いので、
なかなか踏み切れないのですが、この際、
思い切って色々チャレンジしてみようと思います。
2015年6月4日木曜日
調整
ちょっと調整です。
D2になって、急に色々と頼まれるようになり、嬉しくなって
TAだの、留学生のチューターだの、RAや、言語文化学会の
スタッフとか経験だと思って全部引き受けていたら、
もういっぱいいっぱいになって混乱気味になって
しまいました。
論文を読んでもカードやメモがあふれかえるだけで、そこから
構造がうかびあがっていくと、参考文献には書いて
ありましたが、そんな気配もない。
締め切りの論文や予稿集ができていないのに焦って、
寝ても2.3時間ですぐ起きてしまう。やっぱり書き物を
集中jしてしようと思ったら、家事や雑事、授業や人との付き合い
は二の次にして一週間ぐらいこもらないとだめですね。
私のような凡人にはできるとも思えないですが。
とりあえず、6月中の雑事は整理して、振るところは振る。
Mさん君たちでもTAやってみたいと思っていてもなかなか
声がかからないとか、かかっても授業と重なるので
あきらめるとか色々ありそうです。
お互いの事情をよく知っていれば、人材欲しい側と、雇って
欲しい側のニーズをマッチすることもできて問題は
お互いに解決することもできると思う。
おっと、若い子に口出しすぎないようにせねば。寝ます。
D2になって、急に色々と頼まれるようになり、嬉しくなって
TAだの、留学生のチューターだの、RAや、言語文化学会の
スタッフとか経験だと思って全部引き受けていたら、
もういっぱいいっぱいになって混乱気味になって
しまいました。
論文を読んでもカードやメモがあふれかえるだけで、そこから
構造がうかびあがっていくと、参考文献には書いて
ありましたが、そんな気配もない。
締め切りの論文や予稿集ができていないのに焦って、
寝ても2.3時間ですぐ起きてしまう。やっぱり書き物を
集中jしてしようと思ったら、家事や雑事、授業や人との付き合い
は二の次にして一週間ぐらいこもらないとだめですね。
私のような凡人にはできるとも思えないですが。
とりあえず、6月中の雑事は整理して、振るところは振る。
Mさん君たちでもTAやってみたいと思っていてもなかなか
声がかからないとか、かかっても授業と重なるので
あきらめるとか色々ありそうです。
お互いの事情をよく知っていれば、人材欲しい側と、雇って
欲しい側のニーズをマッチすることもできて問題は
お互いに解決することもできると思う。
おっと、若い子に口出しすぎないようにせねば。寝ます。
登録:
コメント (Atom)