2015年5月30日土曜日

epistemological engine

最近読んだ会話分析の論文にepistemic engineという

話が出ていました。

会話分析の授業や研究会でepistemicなんちゃら

(epistemic status  とか epistemic right)

という用語がよく出ていてなんのこっちゃ、と思っていましたが、

どうもその状況で話されている内容に関連する知識を

もっている人と持っていない人のことを表しているらしい。


自分の修論の一節にontologyとepistemologyという大きすぎる

概念を入れてしまったがために、ずっと認識論の

話かと思い込んでいて、混乱していましたが、

それほど大きな話でもないらしいです。


epistemic engineというのは自分なりの理解では、

話されていることの内容についてお互いに知っている

ことに差があるために、返ってその差を埋めようとして

会話が進む、との推進力になる、ということだと思われます。


違っていますか?違っていたらコメントよろしくお願いします。


それを先に進めて今の自分の研究の推進力になるのは、

epistemological engineではないのかなあ、と考えました。


バフチンの対話原理と会話分析の哲学、という二人の

師匠のあいだをいったりきたりしているわけですが、

学べば学ぶほど、この二つは認識論的には

ほぼ同じだと思えてはならないのです。


先日のバフチンカフェで師匠と話したときに、それは

人間を先にして言語を考えるか、言語を先にして人間を

考えるかの違い、だと言われてちょっとすっきり。


つまり、それは言語の存在論の話ではないでしょうか?

かなり納得。あとは自分の仕事は、認識論的には

一致している、ということを論文に書けばいいのかな、

と思いました。


ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。

なんのことかわかりませんよね。わかるようにどこかで

ちゃんと書いて発表したいと思っています。


また出たら読んでくださったらありがたいです。




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