悩んでいるのは、指導教官の変更届を出した方がいいのか、と
思っているのです。
この一年、大好きな師匠についていこうと必死で走ってきましたが、
授業やバフチンカフェ、合宿など受け身では師匠に大いに
共感するのですが、自分の博論の話になると全くかみ合わない。
師匠の興味の赴くまま言語哲学的なもの色々読んでみました、面白かったです。
言語、世界、現実、他者、などなど200%共感しました。
だが、博論の話になると、量的研究?のような話になるし、
学習者がこう変わったというには、学習の一側面に絞って
どのようなtreatmentをしたからこうなった、という話になり、
会話分析、談話分析の話は、はなから聞いてもらえない。
そもそも、自分が研究をしたいのは、自分の生徒の生き生きと
した様子を解明したいのに、生徒から離れてもっと抽象化を
せなあかん、といいながら、バフチンではなくほかの言語理論の
話を持ち出すと、そんなことをしていたらきりがない、と言われる。
内言を非常に大切にしておられて、内言に言及していない理論は
すべて否定。
あと少しで自分は引退だから、あとは弟子がどうにでもがんばってくれ、
という発言もあり。
うーん、なんだかなあ。大好きな師匠なんですが。
2015年1月31日土曜日
2015年1月24日土曜日
講演:科学技術は何処へ行くのか
大学で野依良治先生の講演があって、吹田キャンパスからの中継なのですが、
拝聴してきました。生徒に理系の子もいるので、
もっと科学の話も聞かなくては、と思っています。
客観的で正しい自然観、ということを強調しておられるのは、
色々と異論があるのですが、もちろん論駁できるほどの見識は
ないので、これからいかに勉強するかです。
さすが世界的な科学者の方だけあって、これからのテーマは
世界の貧困をなくすこと、そのためには全世界の様々な分野の
学者が集まり、若者、女性、外国人(?日本で集まるということですね)
をリーダーにして知恵を結集してこの問題を解決していかなければ
ならない、とおっしゃっていました。一国家がいかにして競争に打ち勝つか、
とか経済的に繁栄するかなどの話とかでなくてよかったです。
今の科学がどういう方向に向かおうとしているのか、も
教えていただきました。知らない最先端のお話もありました。
もっと深い哲学的な話が聴けるかなあ、と思っていたのですが、
それはありませんでした。葉っぱのフレディーの
たとえ話もわかりやすいのですが、もっと科学哲学よりの
知らない話を聞きたかったかも。ちょっとハイデッガーに触れられて
いました。
5月には山中伸弥さんも講演にお見えになるようです。
拝聴してきました。生徒に理系の子もいるので、
もっと科学の話も聞かなくては、と思っています。
客観的で正しい自然観、ということを強調しておられるのは、
色々と異論があるのですが、もちろん論駁できるほどの見識は
ないので、これからいかに勉強するかです。
さすが世界的な科学者の方だけあって、これからのテーマは
世界の貧困をなくすこと、そのためには全世界の様々な分野の
学者が集まり、若者、女性、外国人(?日本で集まるということですね)
をリーダーにして知恵を結集してこの問題を解決していかなければ
ならない、とおっしゃっていました。一国家がいかにして競争に打ち勝つか、
とか経済的に繁栄するかなどの話とかでなくてよかったです。
今の科学がどういう方向に向かおうとしているのか、も
教えていただきました。知らない最先端のお話もありました。
もっと深い哲学的な話が聴けるかなあ、と思っていたのですが、
それはありませんでした。葉っぱのフレディーの
たとえ話もわかりやすいのですが、もっと科学哲学よりの
知らない話を聞きたかったかも。ちょっとハイデッガーに触れられて
いました。
5月には山中伸弥さんも講演にお見えになるようです。
2015年1月23日金曜日
会話分析、社会言語学 発表
色々重なって、水、木、金、と連続で授業の発表でした。
修士の一回生が、日本人、留学生に関わらずどのクラスも優秀なので、
いつも恥ずかしいのですが、それにもめげず一応オープンに
頑張るのがまあ年の所為か性格なのか。自分にとっては良いことです。
コメントも遠慮なく書いてくれるので、本当にありがたい。
その代わり、私も思ったまま言うのです。アカデミックな世界は
批判を良しとするのが大前提なので、企業社会やいわゆる世間よりも
ある意味だいぶ楽ですね。
拙い発表ばかりでしたが、先生方が励まして下さるのが嬉しかったのと、
今日は特に会話分析の先生が、これは、博士論文でなくていいから、
一本の論文にするように、と熱心に勧めて下さったのがありがたく、
頑張れる気がしました。
後、今週は、嬉しいことが諸々。中2の女子が、今わたし英語ちょっと来てんねん、
と自信ありげに言い始めたこと。勉強は好きではないけど、その逸脱の仕方や
感性が子供らしく剥き出しでこういう子に英語を武器にしてほしいなあ、と
常々思っていたので、8年近くかかった甲斐があったなあ、と感無量でした。
それと今日の発表で、院生が私のまた別の生徒を褒めてくれたこと。録音で
その子が英語を話すのを聴いて、障害者とは思わなかった、と言ってくれて
返って驚きました。このことは深い意味があると思えます。
後は、明日、受験する子どもが「継続は力なり」ということの本当の
意味が必死で勉強して初めて分かった、と驚いた顔で言っていたこと。
頑張れ!
修士の一回生が、日本人、留学生に関わらずどのクラスも優秀なので、
いつも恥ずかしいのですが、それにもめげず一応オープンに
頑張るのがまあ年の所為か性格なのか。自分にとっては良いことです。
コメントも遠慮なく書いてくれるので、本当にありがたい。
その代わり、私も思ったまま言うのです。アカデミックな世界は
批判を良しとするのが大前提なので、企業社会やいわゆる世間よりも
ある意味だいぶ楽ですね。
拙い発表ばかりでしたが、先生方が励まして下さるのが嬉しかったのと、
今日は特に会話分析の先生が、これは、博士論文でなくていいから、
一本の論文にするように、と熱心に勧めて下さったのがありがたく、
頑張れる気がしました。
後、今週は、嬉しいことが諸々。中2の女子が、今わたし英語ちょっと来てんねん、
と自信ありげに言い始めたこと。勉強は好きではないけど、その逸脱の仕方や
感性が子供らしく剥き出しでこういう子に英語を武器にしてほしいなあ、と
常々思っていたので、8年近くかかった甲斐があったなあ、と感無量でした。
それと今日の発表で、院生が私のまた別の生徒を褒めてくれたこと。録音で
その子が英語を話すのを聴いて、障害者とは思わなかった、と言ってくれて
返って驚きました。このことは深い意味があると思えます。
後は、明日、受験する子どもが「継続は力なり」ということの本当の
意味が必死で勉強して初めて分かった、と驚いた顔で言っていたこと。
頑張れ!
2015年1月17日土曜日
研究報告書
一年間の研究報告書なるものを提出するようにということで、
今、取り組んでいます。
早いようで、長く、濃い一年でした。先生方がセレクトして読ませて
下さった文献の膨大な量を見ていると頭が朦朧としてきます。
セレクトする前の先生方の頭の中がまるで知識の大海の
ように思えてきます。
でも、その文献や勉強したことが全部否定されそうだと
思うと、さらに朦朧としてきます。
初心に戻って考えると、確かに自分は言語哲学的なことを
やりたいのであって、決してはじめから実証的な研究を
目指していたわけではない。ただ、研究と言うものは実証的で
なければならないから、と思ったので、論文を書くために実証の方法を
取り入れようとしていたわけです。
実証的な社会科学でなく、解釈学の方法で、と師匠が言うなら、
それができるなら、自分としては理にかなってはいる。
今度はディルタイ、シューマッハ、ガダマーとか読んだこともないものに
取り組まなければ、そして自分で納得できればそれでいい。
やるしかない。
今、取り組んでいます。
早いようで、長く、濃い一年でした。先生方がセレクトして読ませて
下さった文献の膨大な量を見ていると頭が朦朧としてきます。
セレクトする前の先生方の頭の中がまるで知識の大海の
ように思えてきます。
でも、その文献や勉強したことが全部否定されそうだと
思うと、さらに朦朧としてきます。
初心に戻って考えると、確かに自分は言語哲学的なことを
やりたいのであって、決してはじめから実証的な研究を
目指していたわけではない。ただ、研究と言うものは実証的で
なければならないから、と思ったので、論文を書くために実証の方法を
取り入れようとしていたわけです。
実証的な社会科学でなく、解釈学の方法で、と師匠が言うなら、
それができるなら、自分としては理にかなってはいる。
今度はディルタイ、シューマッハ、ガダマーとか読んだこともないものに
取り組まなければ、そして自分で納得できればそれでいい。
やるしかない。
大学の先生
自分の自宅レッスンに行き詰まり、独学で英語教育をしようとしては
行き詰まり、教育大学の大学院の科目履修をして一年、修士課程で二年、
博士後期課程の一年目が終わろうとしています。
通算、大学の先生方と接するようになって四年になります。
このところ思うのは、世間の大学の先生のイメージ、大学生たちの大学の先生の
イメージ、そして大学院生の大学の先生のイメージ、そして大学の先生たちが
ご本人でもっていらっしゃるイメージがどれだけかけ離れているか、という
ことです。
私も大学の先生方と同年代なのでえらそうなことは言えませんが、
大人の一つの資格としては、子供たち、若者たちに未来への希望をもたせる、
ということが大事なのではないでしょうか?
その大人たちの究極の形、学問を究め、大学生に教えるという大学の先生と
いう理想の姿、イメージを裏切ってよいものでしょうか?
学問は、批判が大事、というのはわかりますが、自分が受け入れられない
からといって、相対する分野のことを理解せずして表面だけ見て、
ただの悪口で終わるのは大人、しかも学問や研究をする人間に
とってあるまじき姿だと思うのです。
俗世間に失望して、この世界に希望があるのかと思って、こんな
自分でもなんとかなるのかと思ってやってきましたが、
所詮、人間はどこへいっても同じなんでしょうか。
なんか、この四年間期待が大きすぎたのか、がっかりすることが多いです。
まあ、先生方も自分にがっかりされたのかもしれませんが。
行き詰まり、教育大学の大学院の科目履修をして一年、修士課程で二年、
博士後期課程の一年目が終わろうとしています。
通算、大学の先生方と接するようになって四年になります。
このところ思うのは、世間の大学の先生のイメージ、大学生たちの大学の先生の
イメージ、そして大学院生の大学の先生のイメージ、そして大学の先生たちが
ご本人でもっていらっしゃるイメージがどれだけかけ離れているか、という
ことです。
私も大学の先生方と同年代なのでえらそうなことは言えませんが、
大人の一つの資格としては、子供たち、若者たちに未来への希望をもたせる、
ということが大事なのではないでしょうか?
その大人たちの究極の形、学問を究め、大学生に教えるという大学の先生と
いう理想の姿、イメージを裏切ってよいものでしょうか?
学問は、批判が大事、というのはわかりますが、自分が受け入れられない
からといって、相対する分野のことを理解せずして表面だけ見て、
ただの悪口で終わるのは大人、しかも学問や研究をする人間に
とってあるまじき姿だと思うのです。
俗世間に失望して、この世界に希望があるのかと思って、こんな
自分でもなんとかなるのかと思ってやってきましたが、
所詮、人間はどこへいっても同じなんでしょうか。
なんか、この四年間期待が大きすぎたのか、がっかりすることが多いです。
まあ、先生方も自分にがっかりされたのかもしれませんが。
2015年1月13日火曜日
内言についてどう考えるか
修士課程の時にも、相棒が色々悩んでいましたが。
先日の師匠のみことばをつらつら考えていると、
この問題を自分なりに、未熟であろうが、浅かろうが、
とにかく整理をつけなければ、先に進めない。
難しい。
先日の師匠のみことばをつらつら考えていると、
この問題を自分なりに、未熟であろうが、浅かろうが、
とにかく整理をつけなければ、先に進めない。
難しい。
2015年1月10日土曜日
T君の夢
高2のレッスンの方向性を決めようと思って、生徒の自分と英語との
かかわりをこれからどうイメージしているか訊いてみました。
一人は、科学が好きで、研究をしたいと常々いっていたし、志望大学も
良く話していたのですが、もう一人はどうもよくわからなかったのです。
何がしたいのか。
はじめは、とつとつと道を聞かれたら、英語でこたえる、みたいなことを
行っていたのですが、いやあ、こんなことを言っていいのか、と逡巡しながら、
中学か高校で英語の先生になりたい、と言ってくれてびっくり、でも
嬉しかったです。
小学校6年生の時に、妹の縁でたまたま、うちに来たT君です。
あまり、勉強をこつこつやるタイプではなく、いつも明るく子供らしく、
ふざけるのが好きで、でも英語にはじめて触れて感動して、
がんばりたい、と彼らしい不器用さと明るさで中学でも
高校でも学業にぶつかってきました。英語で言おうとしつつ、
言いたいことがいつも溢れて、すみません、日本語でいいですか、
と言いながら、英語と日本語のちゃんぽんで自分の思いをいつも
語ってくれていました。
親御さんが心配していつも塾へ行かせたり、高校受験のときも
後押ししつつ、家庭内で色々議論が沸き起こっているのを
感じていました。塾代も嵩んでいると思うのに、本人が
ここには通い続けたい、とがんとしてやめようとしませんでした。
どうしてなりたいの、と聞くと、いやあ、中学の先生とか見てたら
自分も低レベルの高校なら教えられそうかなあ、と思ったけど、
母親には僕がなれるはずがないやん、と言われたんっすけどね、
難しそうだ、と思うけど、なれないと思うけど、まあ、今は
半分くらい思ってるんですよう、とごちゃごちゃ言っていました。
中学高校の先生の世界は入ったことがないので、わからないのですが、
生徒たちの話でかいまみえるのは、プライドだけ高い先生、自分のミスを
認めない先生、自分たちのレベルには決して降りてくれない先生に
反発していて、自分たちの気持ちをわかってもらえる先生に会うと、
とても居心地がよかったり気持ちよく学校で過ごせる、ということです。
もちろん、勉強に刺激をもらえるということもありますが、それ以上に
彼らの心に寄り添える余裕のある大人が必要だといつも思います。
彼は、決してエリートではないし、でもお母さんに一生懸命愛情をもって
育ててもらった普通の中学生、高校生なので、きっとそんな先生に
なれると思います。でも先生になるのは、たくさんの努力が必要、
勉強が苦手なT君、でも面接ではいつも明るく好感をもたれる
バスケと英語が大好きなT君がんばって!
かかわりをこれからどうイメージしているか訊いてみました。
一人は、科学が好きで、研究をしたいと常々いっていたし、志望大学も
良く話していたのですが、もう一人はどうもよくわからなかったのです。
何がしたいのか。
はじめは、とつとつと道を聞かれたら、英語でこたえる、みたいなことを
行っていたのですが、いやあ、こんなことを言っていいのか、と逡巡しながら、
中学か高校で英語の先生になりたい、と言ってくれてびっくり、でも
嬉しかったです。
小学校6年生の時に、妹の縁でたまたま、うちに来たT君です。
あまり、勉強をこつこつやるタイプではなく、いつも明るく子供らしく、
ふざけるのが好きで、でも英語にはじめて触れて感動して、
がんばりたい、と彼らしい不器用さと明るさで中学でも
高校でも学業にぶつかってきました。英語で言おうとしつつ、
言いたいことがいつも溢れて、すみません、日本語でいいですか、
と言いながら、英語と日本語のちゃんぽんで自分の思いをいつも
語ってくれていました。
親御さんが心配していつも塾へ行かせたり、高校受験のときも
後押ししつつ、家庭内で色々議論が沸き起こっているのを
感じていました。塾代も嵩んでいると思うのに、本人が
ここには通い続けたい、とがんとしてやめようとしませんでした。
どうしてなりたいの、と聞くと、いやあ、中学の先生とか見てたら
自分も低レベルの高校なら教えられそうかなあ、と思ったけど、
母親には僕がなれるはずがないやん、と言われたんっすけどね、
難しそうだ、と思うけど、なれないと思うけど、まあ、今は
半分くらい思ってるんですよう、とごちゃごちゃ言っていました。
中学高校の先生の世界は入ったことがないので、わからないのですが、
生徒たちの話でかいまみえるのは、プライドだけ高い先生、自分のミスを
認めない先生、自分たちのレベルには決して降りてくれない先生に
反発していて、自分たちの気持ちをわかってもらえる先生に会うと、
とても居心地がよかったり気持ちよく学校で過ごせる、ということです。
もちろん、勉強に刺激をもらえるということもありますが、それ以上に
彼らの心に寄り添える余裕のある大人が必要だといつも思います。
彼は、決してエリートではないし、でもお母さんに一生懸命愛情をもって
育ててもらった普通の中学生、高校生なので、きっとそんな先生に
なれると思います。でも先生になるのは、たくさんの努力が必要、
勉強が苦手なT君、でも面接ではいつも明るく好感をもたれる
バスケと英語が大好きなT君がんばって!
2015年1月9日金曜日
二つの立場
年末年始色々考えていたのですが、すべて師に否定されてしまいました。
自閉症の特徴とゴフマンを結びつけて、データで実証しようとしていたのですが。
1.まず、自閉症からはじまるのはだめ、ふつうの第二言語習得からはじまるならいい。
2.直観があったのだと思うが、直観にも浅い直観と深い直観がある。浅い直観はだめ。
3.そもそも、あっちこっちから持ってきてはだめ。
4.目の前の現象にとらわれすぎる。
5.簡単に結びつけない。それだけでも15、6枚の論文を書かないと。
6.会話分析も、談話分析も、所詮は出来事の再構成。それなら内言の
オプションを提案して何が悪いのか。
7.会話分析はそもそも目的が違う。ハードコアの会話分析は、会話の運営方法を
明らかにすることが目的。こっちは違う。
8.人間研究は警察の仕事と同じ。証拠は所詮断片的なもの。証拠を並べて
裁判官にわかってもらえるように現実をつくる。質的研究には、plausibleな説明、
つまり、解釈学的に妥当性のある説明をつければいい。
9.大事なことは、その人の存在を記述するための氷山の一角として、ことばが
ある、ということ。たとえば、「雨がふってきた」という返しで、「せんたくものあるん?」
と聞いたということは、「雨がふってきた」ということばを、その人の存在のことばと
として受け取っているからである。言外の意味、とかそういう問題ではない。
10.科学的な分析の問題、というのは、彼らは言語現象がある、ということを
前提としている、ということ。
11.ヴィゴツキーの有名な水たまりの比喩は、人間は重層的な意識のある
存在だということ。
12.ライフストーリーは認める。ただし、質的研究は腕利きの掲示でないとできない。
対象に深く入り込まないとできない。子どもはまだその現実が見えるので
やりやすいが、特に大人が対象だとできない。やりながら鍛えるしかない。
13.実証科学ではない。いくつかのぼんやりした証拠にもとづいて、→現実を
つくる→合わなかったら10%ゆがめて、→ 一貫性のある現実をつくる。
→足りなければ証拠をもってくる。→相手の発話は証拠でしかない。
14.真実をあばいてやろう、という気概が大事。
15.内言が「ある」ということが大事。提示したオプションが絶対だとは言っていない。
ただ、内言がない、ということに対しては戦う。
16. テーマが違うと、研究手法もちがう。
「内言がある」という立場と「見えないものは研究対象にしない」と言う立場と
真っ二つに分かれます。いったいどうすればいいんだろう。ぎりぎりになって、
主と副との間をいったりきたりしながら調整するようなことは避けたいです。
テーマ、テーマか。それが決まらないからこういうことになります。
ところで、テンプル大学のabstractがacceptされてしまいました。
諸々発表の用意をしつつ、あちこちにぶち当たって砕けるしかないだろうなあ。
自閉症の特徴とゴフマンを結びつけて、データで実証しようとしていたのですが。
1.まず、自閉症からはじまるのはだめ、ふつうの第二言語習得からはじまるならいい。
2.直観があったのだと思うが、直観にも浅い直観と深い直観がある。浅い直観はだめ。
3.そもそも、あっちこっちから持ってきてはだめ。
4.目の前の現象にとらわれすぎる。
5.簡単に結びつけない。それだけでも15、6枚の論文を書かないと。
6.会話分析も、談話分析も、所詮は出来事の再構成。それなら内言の
オプションを提案して何が悪いのか。
7.会話分析はそもそも目的が違う。ハードコアの会話分析は、会話の運営方法を
明らかにすることが目的。こっちは違う。
8.人間研究は警察の仕事と同じ。証拠は所詮断片的なもの。証拠を並べて
裁判官にわかってもらえるように現実をつくる。質的研究には、plausibleな説明、
つまり、解釈学的に妥当性のある説明をつければいい。
9.大事なことは、その人の存在を記述するための氷山の一角として、ことばが
ある、ということ。たとえば、「雨がふってきた」という返しで、「せんたくものあるん?」
と聞いたということは、「雨がふってきた」ということばを、その人の存在のことばと
として受け取っているからである。言外の意味、とかそういう問題ではない。
10.科学的な分析の問題、というのは、彼らは言語現象がある、ということを
前提としている、ということ。
11.ヴィゴツキーの有名な水たまりの比喩は、人間は重層的な意識のある
存在だということ。
12.ライフストーリーは認める。ただし、質的研究は腕利きの掲示でないとできない。
対象に深く入り込まないとできない。子どもはまだその現実が見えるので
やりやすいが、特に大人が対象だとできない。やりながら鍛えるしかない。
13.実証科学ではない。いくつかのぼんやりした証拠にもとづいて、→現実を
つくる→合わなかったら10%ゆがめて、→ 一貫性のある現実をつくる。
→足りなければ証拠をもってくる。→相手の発話は証拠でしかない。
14.真実をあばいてやろう、という気概が大事。
15.内言が「ある」ということが大事。提示したオプションが絶対だとは言っていない。
ただ、内言がない、ということに対しては戦う。
16. テーマが違うと、研究手法もちがう。
「内言がある」という立場と「見えないものは研究対象にしない」と言う立場と
真っ二つに分かれます。いったいどうすればいいんだろう。ぎりぎりになって、
主と副との間をいったりきたりしながら調整するようなことは避けたいです。
テーマ、テーマか。それが決まらないからこういうことになります。
ところで、テンプル大学のabstractがacceptされてしまいました。
諸々発表の用意をしつつ、あちこちにぶち当たって砕けるしかないだろうなあ。
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