2014年12月7日日曜日

ゴフマン、相互作用としての儀礼

最近、大学で勉強したことを還元できていなく、申し訳ないのですが、
 
ちょっと前に話題にしたゴフマンのレジュメを載せておきます。

授業の担当の先生からは、たいへんだったと思うがよくがんばった、と

言っていただき、Mの授業にお邪魔させていただいているDとしては

面目躍如で、ほっとしました。
 
 
あと、言語文化学会で発表したレジュメを読みたい、といって頂いた方が

何人かあり、お送りして感想もいただいています。ほんとうに嬉しい、

研究者になって論文を発表するというのはこんな喜びがあるんだ、と

ありがたく思いつつ、それに対してちゃんとした解答ができていません。

申し訳ありません、この年末年始にブログに書きたいと思っています。
 



 
ではゴフマンです。
 
 
 
On Face-Work in Interaction Ritual
By Erving Goffman
 
An Analysis of Ritual Elements in Social Interaction
p5すべての人は社会的な出会いの世界に生き、対面的なまたは媒介された接触の中に巻き込まれ、ラインと呼ばれる行為をしている。
・ライン=状況についての自分の見方を表現する言語的または非言語的行為でこれを通じて参与者特に自分自身についての評価を表現する。
p5
・フェイス=特定の接触の間、その人がとっているとみなされるラインによって効果的に主張される積極的な社会的価値、承認された社会的属性の見地から表わされる自己イメージ
p6人はフェイスに即時の情動的な反応を経験し、その人の「感情」はフェイスに結びついている。
・特定のフェイスへの結びつきが、なぜ人は他者との接触に参加することは係わり合い(commitment)であると感じるのかという理由を提供する。
・その人自身のフェイスと他者のフェイスは同じ秩序の構築物である。どれくらいの感情をフェイスに対して持っているのか、関与するフェイスの間でどのようにその感情が配分されるのか、を決めるのはその集団の規則と状況の定義である。
p6人は自分がとるラインが自分のイメージを提示するときに、フェイスを持っている、とかフェイスの中にいるとか、フェイスを維持しているなどという。それは他の参与者が伝える判断や証拠によって支持され、状況における非人間的なものが伝える証拠によって確認される。
p7他者との接触の間、人が維持するラインは正統的で制度化したものになりがちである。
既知の可視化した属性をもつ相互行為者は、ある特定のフェイスを維持することを期待され、それが道徳的に適切だと感じる。彼に開かれているラインの選択は狭いものである。
p7フェイスへの関心はその人の注目を現下の活動に集める一方、フェイスを維持するためには背後にある社会的世界での自分の場所を考慮に入れなければならない。
p8
・誤ったフェイス=その人が維持しているラインに統合できないような社会的価値についての情報が前面にでるときにいう。
・フェイス外=当該の状況で期待されるラインがないときに他者との接触に参加している場合にいう。
p8
・フェイスを保っていると感じるのは、その人が信頼と確信の感情をもって反応しているときである。
p8誤ったフェイスに陥ったりフェイスがないというときは、その出来事の表現する布にうまく織り込まれない出会いであるからである。判断の支持がないと感じると、その人は後退し、混乱し、相互行為者として一時無能となる。
・沈着さ(poise)=他者との出会いの間に自分の恥を抑えて隠すことのできる能力
p9欧米社会では、
・面子を失う(lose face)=誤ったフェイスに陥ったり、フェイスがない、また恥じ入ること
・面子を救う(save one's face)=他者が面子を失うことのないように他者の印象を維持する過程
・面子を与える(give face)=人がよりよいラインがとれるようにすること
p9人は、維持しなければならないフェイスを与えられる状況に入ると、出来事の流れに対して守りの立場に立つという責任をとる。
・表現の秩序=出来事の流れを制御し、表現されるすべてがフェイスと一貫性をもつようにすること。
p10人は、他者の感情やフェイスを救済することを期待され、しかも進んで自発的にそうするように期待される。それは他者やその感情との情動的一体感(emotional identification)
があるからである。
p11自尊のルールと思いやりのルールが組み合わさった効果は、出会いのあいだ、人は自分のフェイスと他の参与者のフェイスの両方を維持しようと行為することに現れる。
p12フェイスの維持は、相互行為の条件であって目的ではない。人はなぜ自分がコードに従うかということも知らず、フェイスが表現する自己イメージに付与した情動のためにそのフェイスを救済したいというだけなのである。
p13フェイスワーク=フェイスを貫くために人がしている行為。フェイスワークは、フェイスを脅かす出来事に対抗するためになされる。しばしば習慣となり、標準的な行為となる。
p13すべての社会的集団の成員は、フェイスワークについてなにがしかの知識とその使用についての経験(戦術、社交術、外交術、社会的スキル)を持っていることが期待される。
p14人は、自分のフェイスを救済するための防衛的な志向と他者のフェイスを救済するための保護的な志向という二つの観点を同時にもつであろう。
p14フェイスを脅かすものに対する自分の行為が作りだす三つのレベルの責任がある。
1.無邪気に見えるように行為をする
2.無礼を働く者は、公に侮辱をする意図をもって、意地悪く行為をする
3.偶発的に無礼をはたらく
The Basic Kinds of Face-Work
The avoidance process
p15自分のフェイスを脅かされそうな接触を避けることが最も確実に脅威を防ぐ方法である。
p16出会いの中で防御する方法は、自分が維持しているラインと一致しない情報の表明につながりそうな話題や活動を避けるということである。自己に関する主張はなんであれ、抑えた謙虚さ、強固な資質、気軽さをともなってなされる。
p16一定の擁護術が共通にみられる。人は義務であれば、他人に対してはいかなる儀礼的な扱いも欠かさないように、敬意と礼儀正しさを示す。
p17万が一うっかりと失敗してしまった場合は、フェイスへの脅威が起こらなかったというふりを試みることができる。一般的には、このような如才ない盲目は、フェイスに対する脅威を感知し解釈できる出来事にのみ、使うことが可能である。
p18より重要な如才のない見逃しは、その出来事に脅威となる表現が含まれている出来事としてではなく、その出来事が起こったことをオープンに知らせるというやり方である。
p18表情のコントロールできないとき、別の回避が起きる。参加者が出来事を見過ごすことができず、行動を隠すことができなくなると、フェイスが維持できなくなるその人の困難を避けようと他者の側が動くことが可能になる。
The corrective process
p19維持されていた社会的価値判断と合致しないような出来事が起こるのを防ぐことができず、その出来事を見過ごすことができない場合、その出来事は公的な注意を払うに値する脅威とみなされ、修正が試みられる。
p19その出来事がフェイスへの脅威と認められると、一連の行為が開始され、儀礼的均衡が改めて成立すると終了する。(=やりとりinterchange)には二つ以上のムーヴと二人以上の参与者が含まれる。
p20ムーヴ1 挑戦challenge 参与者は過ちに注意をひくという責任をひきうけ、脅威を起こした出来事が、確かに存在し、ラインに入れられなければならないことを示す。
p20ムーヴ2 申し出offering 参与者、典型的には無礼をはたらいた者がその無礼の訂正と表現の秩序を回復する機会を与えられる。
p21無礼な行為を再定義するという戦略の補足もしくは代わりとして、
 1.傷つけた相手に補償を提供する
 2.自分に罰、贖罪を負わせる  という二つの手順を踏むこともできる。
p22ムーヴ3 申し出を受けた人は、表現の秩序と、この秩序によって支えられるフェイスが回復されるに足る十分な手段としてこれを受け入れる。
p22最終ムーヴ 許しを受けた者は、その寛大さへの感謝のしるしを、許しを与えた相手に伝える。 
p22この訂正の過程→挑戦、申し出、受け入れ、感謝という相互作用儀礼行動のモデル
しかし、暗示的な方法でこれから逸脱するモデルもあるかもしれない。
p22 挑戦を受けた無礼者が警告を受けるのを拒否して、無礼な行為を続ける場合、標準的な訂正のサイクルから大きく逸脱するというムーヴシフトがおこる。これには、無策な暴力的な報復や、撤退という古典的なムーヴの道も開かれている。
p23情動が、応答のサイクルにある役割を果たしているのは明らかである。情動はムーヴとしての機能があり、儀式ゲームの論理にまさにぴったりと当てはまっている。自発的に表出された感情は、巧みに仕組まれた感情よりも、儀式的なやりとりにはより優雅でふさわしい。
Making Points-The Aggressive Use of Face-Work
p24安全に得られるもののために、脅威が意図的に導入されることがある。ある特定の脅威を中和するフェイス救済の行為はすべて、その可能性に向かって開かれている。
p24自らが行うものとしてface-workを扱わず、他者がとり行うか受け入れるものとして扱う場合は、出会いや企ての場は戦いの場となる。
p25攻撃的なやりとりにおいては、勝者は自分にとって有利な情報と他者にとって不利な情報を導きいれるだけでなく、相互行為者として敵よりもうまく自分を扱えるということを示すことになる。
The Choice of Appropriate Face=Work
p26無礼を受けるという事故が起こると、フェイスを脅かされた人は一つの戦略を用いて儀礼秩序を回復しようとするが、相手は別の戦略が用いられることを望んだり予測したりするかもしれない。無礼を働いた人が事故に気付かないようにふるまうか、冗談とみなすか、ほかのフェイス救済の行動を用いるかは、誰にもその瞬間はわからないため、ほかのものは恥ずかしく感じる。
Cooperation in Face-Work
p27フェイスが脅かされた者、無礼を働いたもの、あるいは単なる目撃者がフェイスワークをするのかは、二次的な重要性しかない。一人の努力が欠けていると、他の者の補償的な努力を誘うことになる。
p29それぞれの参与者が異なった理由で、自分のまたは他者のフェイスを救済することにかかわるため、無言の協力が自然に生まれる。
・自分のフェイスと他者のフェイスを守るだけではなく、他者がフェイスワークを用いやすくするように行動する。
p30
・フェイスワークの操作は、ほのめかしの言葉、あいまいさ、適切に配置されたポーズ、注意深く言葉を選んだ冗談などのヒントの言葉を通じた暗黙の了解に依存している。暗示のコミュニケーションは、否認可能のコミュニケーションであり、現下のラインがフェイスの喪失につながることを警告している。
・互恵的な自己否定も暗黙の協力として多くの社会で用いられている。他者を喜ばせたり、褒めたりしているときに、自らを貶めることで、他者に褒められたり喜ばせてもらったりできる。
p31
人がフェイスワークの遂行によって社会化されていなければ、殆どの社会と状況は感情やフェイスにとって危険いっぱいの場所になるだろう。フェイス救済ゲームに頼らない人が、トラブルを起こすもととなるのも不思議ではない。
The Ritual Roles of the Self
p31ここでは、自己を二重に定義してきた。
・出来事の流れの表現的な暗示から組み合わされるイメージとしての自己
・状況の偶発性と、高潔にも下劣にも、そつなくもまた下手にも、儀礼ゲームのなかで闘うプレイヤーとしての自己
・良い評判であれ悪い評判であれ、一度得た評判はフェイスの一部となり、それは維持すされなくてはならない。
p32自己の二つの役割が分離されると、この二つの役割がどう関係しているのかを学ぶためには、フェイスワークの中で暗示される儀礼コードに注目することができる。
p32ある限度までは、自分の大切なイメージへの無礼は許す権利がある。小さな無礼であれば、我慢強く見逃すこともできるし、いささか大きな傷であれば相手の詫びを受け入れる立場に立てる。
Spoken Interaction
■出会いには直接(immediate)の接触と媒介された(mediated)接触(書きものや仕事の記録など)がある。媒介された接触における儀式的な要因は極端なかたちであらわれる。
■・身体をつかって話しをするという相互作用がある場合は、メッセージの流れを導き系統立てる実践の体系、因習、手順上の規則が必ずある。
・会話の様相(state of talk)=話すコミュニケーションの目的のためにお互いを公的にオープンにすると宣言し、言葉の流れを維持することをともに保証している
■接触場面では、焦点を一つにした思考、注視、一筋の話の流れが維持され、正当化される。
・正規や非正規な終了の合図、フロアを保つ時間と頻度についての理解、適切なジェスチャー、制御をともなうさえぎりや沈黙、礼儀正しい同調、一時的なリップサービス、などの規則が、一つの話題から別の話題に滑らかに移る場合に見られる。
■話の規則は、自然な拘束単位としてのトークや相互作用のエピソードという一つの出来事に付随する。
P36自己の構造と会話(spoken interaction)の構造の間の機能的関係を示すものを見つけると、どのように会話のメッセージが流れるかという問題の解決となる。
■社会的相互行為の行為者は、儀礼的な気遣いをしつつ、会話において意識的にまた無意識に一瞬一瞬をどのように行動するかを決定する。
P37自己と会話の関係は、儀式的なやり取りを検討すれば更によく示されている。
■人がどんなささいなメッセージであれ、自ら提示するということは、自分自身とメッセージを送る相手を危険にさらすことになる。
p38儀礼上の均衡にとって脅威となるかもしれないので、他の参加者は、メッセージが受け取られ、その内容は関係者ずべてに受け入れられるということを示すよう義務づけられる。
■人は自己イメージに潜在する象徴的意味を試すことによってどのように行動するかを決定する。
p39しかしながら、ある問題を解決するメカニズムや機能的な関係が、それ自体ほかの困難を引き起こすということはあり得る。
p40儀礼コードそのものは、繊細なバランスを必要とする。感受性が低すぎたり、機転がきかなすぎたり、プライドや思いやりがなさすぎる人は、他者に必要以上に気を遣わせるし、社交的すぎる人も長期的にどう調整すればいいかどんな立場で接すればいいかという感情を人に起こさせる。
■会話の体系にはこのような固有の「病理」があるにもかかわらず、社会化された人と会話の間の機能的な一致は、実行可能で実践的なものである。
Face and Social Relationships
p41人が媒介されたまたは即時の出会いをするとき、すでにある種の社会関係の中での立場に立つことが期待される。関係が変化の過程にあれば、その接触は満たされて閉じる。この観点は挨拶をよく説明している。
p42多くの社会関係の特徴的な義務は、それぞれの成員が所与の状況においてほかの成員のフェイスを支持すると保証することである。
The Nature of the Ritual Order
p42儀礼秩序は調和的なラインにのって組織されているようである。もし、人がある特定のイメージを保持したければ、信頼されるために懸命に働かなければならない。
■人は、そうありたい自分であるためには自分自身を、盲目と、部分的な真実、幻想と理論的説明で囲まなければならない。
■人が守り防ぎ、自分の感情を向けているのは、自分自身についてのある考えである。儀礼秩序の主要な原則は、正義ではなくフェイスであり、無礼を働くものがこうむるのは自分自身がゆだねたそのラインを支えるものである。
結論
p44文化的な差異の下では、あらゆる場所で同じであるということが示唆されてきた。あらゆる社会は、その成員を、社会的出会いにおいて自己規制をしている参加者として動員させなければならない。その一つの方法が儀礼である。
■普遍的な人間の性質は、あまり人間的ではない。人間は、内部の心理的特性ではなく、外部から押し付けられた道徳的規則から構成されているある種の構造物である。

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