2016年2月19日金曜日

卒論コメント バフチン

先日、Keles(関西英語教育学会)の感想をここに書いたのですが、

それについてお問い合わせがありましたので、改めて。


吉田先生のコメントですが、対話(発話)は先行する発話と後続する発話に

影響を受け、自己と他者の間で限りなくとりかわされる対話である、

と発表の中でありましたが、ご自身は発話を卵型のイメージ、その中に

話し手と聴き手が一体になっているというイメージがある、と

仰っておられました。


また、きく、という漢字は聞く、聴く、訊くという三つの漢字があって

きくということで、それぞれに音声として受け止める、傾聴する、

たずねる、というように人はいろいろなことをやっている、ということ。


また、教育学の佐藤学先生の学びの共同体「ききあう関係をつくりましょう」

ということも連想する、ということでした。



同じ卒論に対して、京都教育大の発表会では、西本有逸先生のバフチンの

ダイアロジズムとはどういうことなのか、という貴重なコメントがありました。


西本先生によれば、バフチンは決して同調したり、相手とかかわること、

意気投合することがいいとは言っていない。そこがダイアロジズムの

落とし穴である、と。バフチンは、絶対的な他者を認めている、それは

絶対的な自立ということ。多様性diversityは一つに収れんしてはいかない、

世界は未完であって、他者と同調しない、agreementは許していない、

というお話でした。


さすが、師匠は深い。。。。





0 件のコメント:

コメントを投稿