先日、Keles(関西英語教育学会)の感想をここに書いたのですが、
それについてお問い合わせがありましたので、改めて。
吉田先生のコメントですが、対話(発話)は先行する発話と後続する発話に
影響を受け、自己と他者の間で限りなくとりかわされる対話である、
と発表の中でありましたが、ご自身は発話を卵型のイメージ、その中に
話し手と聴き手が一体になっているというイメージがある、と
仰っておられました。
また、きく、という漢字は聞く、聴く、訊くという三つの漢字があって
きくということで、それぞれに音声として受け止める、傾聴する、
たずねる、というように人はいろいろなことをやっている、ということ。
また、教育学の佐藤学先生の学びの共同体「ききあう関係をつくりましょう」
ということも連想する、ということでした。
同じ卒論に対して、京都教育大の発表会では、西本有逸先生のバフチンの
ダイアロジズムとはどういうことなのか、という貴重なコメントがありました。
西本先生によれば、バフチンは決して同調したり、相手とかかわること、
意気投合することがいいとは言っていない。そこがダイアロジズムの
落とし穴である、と。バフチンは、絶対的な他者を認めている、それは
絶対的な自立ということ。多様性diversityは一つに収れんしてはいかない、
世界は未完であって、他者と同調しない、agreementは許していない、
というお話でした。
さすが、師匠は深い。。。。
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