言語文化共同プロジェクトに、英語教育学会のことを書いたことも
あって久しぶりに、修士時代にお会いしたり講演をお聞きした先生方の
ブログを読んでみたりしています。
懐かしいだけでなく、質的研究や、哲学的なことを考えて
日本の英語教育研究の流れを変えようとされているその困難さが
改めてわかりました。その中にカナダでのこの春のAAAのレポートを
書かれている先生があって、日本では量的研究と質的研究を対立させて
語ることが多いが、その場では存在論と認識論の議論がメインだった、と
いうことでした。
私の修士論文に存在論と認識論、という一節を入れるようにさせた
京都教育大時代の師匠は、ご自分で言われておられたように
やはり10年先を行っておられたなと。改めて感慨深いです。
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