2015年4月18日土曜日

臨床哲学

どうやって「哲学」を「臨床」的にできるんだろう、と思って

臨床哲学の授業を今日はじめて聴講してみました。



不思議な授業でした。でも楽しかったです。


一回目は行けなかったので、二回目から。キャンパスが広いので

足を踏み入れたこともない基礎工学部の隅にある建物の

一階に入ると、オレンジ色のカーペットを敷き詰めた部屋があり、

靴を脱いで入ります。思い思いに床に座っている人やら、

椅子で本を読んでいる人やら。



先生は、背の高い若い先生で日本人男性ですが、スコットランドの

民族衣装のようなチェックのスカートをはいていらっしゃいます。


まず、ローゼンバーグ兄弟?という映画の創始者のつくった

初期の白黒の1分くらいの無声映画をみる。フランスの映画で

みたことあるなあ、と思いました。色とりどりの毛糸でつくった

ボールを投げながらそのボールを受け取った人が、

簡単な感想を述べ、次に投げる。そういうことを数本の映画で

繰り返し、次にこの方式で、固定カメラで一分間、なんでもいいので

撮ってきてください、と7台のカメラを7人の人に渡します。



残った人は、昨年の受講生の作品を見て、また思い思いに

感想を述べる。面白かったのは、みんなが感想を述べた後に

その作者がいて、またその作者に自分の作品を見られるのは

どういう気持ちがするものですか、と問いかけた人がいて、

そのやりとりが臨場感があり、今ここで何かが起こっている

という気がしました。


そこへ、帰ってきた人の作品を3本みて思い思いの感想を

述べ、人気のあった(猫が歩いている映像)の作者が、

実は自分は猫を観察する研究会のメンバーなんで

ああいう奇跡的な映像をとれたんです、と言っていたり。


癒しの授業でした。

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