どうやって「哲学」を「臨床」的にできるんだろう、と思って
臨床哲学の授業を今日はじめて聴講してみました。
不思議な授業でした。でも楽しかったです。
一回目は行けなかったので、二回目から。キャンパスが広いので
足を踏み入れたこともない基礎工学部の隅にある建物の
一階に入ると、オレンジ色のカーペットを敷き詰めた部屋があり、
靴を脱いで入ります。思い思いに床に座っている人やら、
椅子で本を読んでいる人やら。
先生は、背の高い若い先生で日本人男性ですが、スコットランドの
民族衣装のようなチェックのスカートをはいていらっしゃいます。
まず、ローゼンバーグ兄弟?という映画の創始者のつくった
初期の白黒の1分くらいの無声映画をみる。フランスの映画で
みたことあるなあ、と思いました。色とりどりの毛糸でつくった
ボールを投げながらそのボールを受け取った人が、
簡単な感想を述べ、次に投げる。そういうことを数本の映画で
繰り返し、次にこの方式で、固定カメラで一分間、なんでもいいので
撮ってきてください、と7台のカメラを7人の人に渡します。
残った人は、昨年の受講生の作品を見て、また思い思いに
感想を述べる。面白かったのは、みんなが感想を述べた後に
その作者がいて、またその作者に自分の作品を見られるのは
どういう気持ちがするものですか、と問いかけた人がいて、
そのやりとりが臨場感があり、今ここで何かが起こっている
という気がしました。
そこへ、帰ってきた人の作品を3本みて思い思いの感想を
述べ、人気のあった(猫が歩いている映像)の作者が、
実は自分は猫を観察する研究会のメンバーなんで
ああいう奇跡的な映像をとれたんです、と言っていたり。
癒しの授業でした。
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