19、20日と社会言語科学会、今日はバフチンカフェに参加してきました。
どれも今お世話になっている先生方とかかわりのあるものばかりです。
バフチンカフェで考えたことは、
あまりにも優しすぎて目の前の人を救うことにとらわれている人は
もっとたくさんの人を救うことはできないのかな、ということです。
沢山の人を救うような学問や研究する人は目の前の人を
救うことで自分の命を落とすようなことはせず、
なぜこの人は救われないのかということを突き詰めて
突き詰めて考えて研究に研究を重ねてその原理を考えてつくりあげ、
結果的に何千人もの何万人もの人を救うような人です。
でもその人の目の前で救われなかった人はどうなるのか、
その人が救われなかったことで辛い思いをした家族やまわりの
人、その人がいなければ生きられない人はどうなるのか。
難しい、難しいことです、でも直感的にそれが学問であり、
研究であるのだと思いました。
まだまだ自分は甘い。
社会言語学科学会でも色々色々考えました。
ひとつ思ったのは、どの先生も他の人にはできないことを
打ち立てようとして真摯な姿勢で研究に向き合っていらっしゃると
いうことだなあ、ということです。
孤独だなあ、と思いました。研究で妥協はできない。
私は寂しがりで仕方がないので、こういう孤独に向き合わないと
研究者にはなれないのだなあ、と思いました。
その孤独とうまく付き合っていく術をそれぞれのやり方で
つくっていらっしゃいます。
結局は研究も人生も同じことなのかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿