悲惨なことばかりで、学問や研究(自分のレベルでの)
なんの役に立つのだろう、と欝々とした気持ちになっていました。
でもこの世には人の気持ちがよくわかる優しい人が沢山いると
いうことを思い起こすとまたがんばろうという気力が出てきます。
そういう人たちを支えられるような研究や教育でなくてはいけない。
数年前に英語教育学会で、「社会に出てもまったく英語をつかわない
卒業生を見て、自分は何をしているのかわからなくなりました
、
私たちは何のために英語を教えているんでしょうか」と問いかけた
先生と研究者のやりとりを見ていらい、ずっと考えていましたが
、
改めてメモしてみました。
言語教育の目的
目的というよりはめざすもの
志向すべきもの
視線が向くその先
対話
対話原理に基づく対話
対面で話をしている相手のそのことばの背後に何があるのかを慮り乍ら、相手にわかりそうなことばを選んでやりとりをする
それができるようになること
断片的な知識 一言が言えても対話はできる
知識が体系的になり、複雑な構文がつかえ、語彙が増え、
その状況にふさわしい機能をもったフレーズや
イントネーションを使い分けることができれば、
対話の可能性は大きくなるかもしれない
ただ教育でできるのはそこまで、なぜなら対話は
必ずしも善であることを前提とはしない
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