やっと出しました。というか出せました。
5月末の締め切りでヴィゴツキー学という学術雑誌に掲載していただく短い文を
出したのですが、査読者にご迷惑をおかけするはず、と思っていましたら、
案の定要再査読、ということで、7月末締め切りの修正稿やっと。
文章を書くのは好きで、昔、翻訳者になりたいと思い、子供が生まれる前後、
仕事をしながら翻訳学校に通ったりして、マシュー・アーノルドとか素人は
知らないようなイギリスの作家の小説をグループで訳したり、楽しかったことを
思います。当時の先生が出版された知られざるヴァージニア・ウルフの脚本
に、生徒たちに感謝、とあとがきに名前を入れていただいたときは
誇らしい気持ちでいっぱいになりました。
でも、人目に触れる文章を将来残る文献にちゃんと印刷して掲載して
もらえるかもしれない、というのは、また道楽で翻訳で遊ぶのとはちがって、
責任あることだし、このチャンスを頂けたのはつくづくありがとうございます。
アカデミズムの醍醐味というのはここにあるのかもしれません。
資金も手間もかかる学術雑誌を立ち上げ、運営してこられたここまでの
先生方のご努力はなみなみならず、でもそれだけの意義を信じて
こられた信念はすごい。
まあ、再査読の結果、掲載不可、ということになるかもしれませんが、
それはそれでとてもいい勉強をさせていただきました。
あと、社会言語学のレポート2本、応用言語学のレポート2本、それから
ずっとひきついでいる修正稿(これが一番厄介)をすべて8月第1週には
終わらせたい。
ちょっと嬉しかったのは、副指導教官と博論の進捗状況について面談して
いただき、自分の構想と今後の予定をお話したところ、順調ですね、
まあ、1年目はこんなところでしょう、と言っていただけたこと。
ええ、こんなんで順調といえるんですか、と半信半疑でしたが。
とりあえず、データをどんどんとって、どんどん書き起こし、短い論文を
どんどんあちこちで発表することと、それと並行して思想や哲学、社会学、
談話分析、会話分析の古典や最新のものをどんどん読み、発表する
論文に、第二言語教育と関連づけて反映させていくこと。
秋以降はそれでいくしかない、という感じでしょうか。そうしていくうちに
何か見えてくるものがあればありがたいですが。
2014年7月27日日曜日
2014年7月19日土曜日
大学授業開発論 と とりあえずの目標
表題の授業が今日修了しました。
本来は指導教官に指定された授業があったので、取ることができないはずの
授業だったのです。あっちを先生にお願いして聴講にしてもらい、でも
論文の発表は責任を持って請負い、こちらはグループディスカッションも
多かったので途中で抜けたりかなりご迷惑をおかけしたので、本当に
単位を取ることは諦めていました。
ところがところが、思いがけなくも修了証書を頂き、感謝かんげきです。
この授業に出なかったら、自分みたいなものは大学にいさせてもらえる
だけで幸運だ、とひっそり過ごすつもりでいました、
が、
が、
もうちょっと研究者として、打って出ることにしました。商業主義に
負けたくない、学者は負けてはいけない、と指導教官の西口先生が
言われていることもあります、大学授業開発論の最後の授業が
オーストラリアから招へいされた先生でしたが、彼女の講義に
大いに啓発されてしまいました。
とりあえず、当面の目標は、秋の言語文化学会の発表、後期から院生の勉強会を
立ち上げること、他色々ありますが、この二本が柱です。
本来は指導教官に指定された授業があったので、取ることができないはずの
授業だったのです。あっちを先生にお願いして聴講にしてもらい、でも
論文の発表は責任を持って請負い、こちらはグループディスカッションも
多かったので途中で抜けたりかなりご迷惑をおかけしたので、本当に
単位を取ることは諦めていました。
ところがところが、思いがけなくも修了証書を頂き、感謝かんげきです。
この授業に出なかったら、自分みたいなものは大学にいさせてもらえる
だけで幸運だ、とひっそり過ごすつもりでいました、
が、
が、
もうちょっと研究者として、打って出ることにしました。商業主義に
負けたくない、学者は負けてはいけない、と指導教官の西口先生が
言われていることもあります、大学授業開発論の最後の授業が
オーストラリアから招へいされた先生でしたが、彼女の講義に
大いに啓発されてしまいました。
とりあえず、当面の目標は、秋の言語文化学会の発表、後期から院生の勉強会を
立ち上げること、他色々ありますが、この二本が柱です。
2014年7月16日水曜日
前期終了に向かって
図書館で申し込むと、鍵のかかる研究個室が借りられるので、昨夜はギリギリまで
そこにいて、終わってから院生室に23時まで夢中でレポートを書いていました。
院生がまだ数人部屋のあちこちにいて、顔見知りの一人に、よくがんばるね〜、
と声かけると、いや、小説読んでるんですよ、と返事。みんな前期のレポートやテスト
で目の色変えている時期に余裕やな〜。
週末2日東京だったので、持っていった本の一冊が、「日常性の解剖学 知と会話」
原題は、Ethnomethodology 。サーサス、ガーフィンケル、サックス、シェグロフと
会話分析の大御所の四人の重要な論文を一編ずつおさめて翻訳されています。
書庫で見つけておさらいのつもりだったのですが、難解!特にガーフィンケル。
この前期、会話分析と、社会言語学の授業二つとって、質的研究の基礎を固めようと
いう心積もりが甘かったです。授業についていくのが精一杯、せっかく教えて
頂いた参考文献にまで手が届かず、毎週の指定文献と順番が回ってくる発表を
こなすのがやっとのことでした。
ただ、レポートに取り組み始めると、シャキッとしてこの3つの授業と自分なりの
背景知識や経験、感じていることが有機的に繋がり、何を調べたらいいか筋道も
見えてくると面白い。
いやはや、提出した論文の査読が返って来てボロボロですが、なんとかがんばります。
ヴィゴツキー学会も8月3日に予定され、恩師と再会予定。それまでに少しは進歩
したところを見せないと。
できれば、秋にどこかで学会発表できるようにしたいと思います。
そこにいて、終わってから院生室に23時まで夢中でレポートを書いていました。
院生がまだ数人部屋のあちこちにいて、顔見知りの一人に、よくがんばるね〜、
と声かけると、いや、小説読んでるんですよ、と返事。みんな前期のレポートやテスト
で目の色変えている時期に余裕やな〜。
週末2日東京だったので、持っていった本の一冊が、「日常性の解剖学 知と会話」
原題は、Ethnomethodology 。サーサス、ガーフィンケル、サックス、シェグロフと
会話分析の大御所の四人の重要な論文を一編ずつおさめて翻訳されています。
書庫で見つけておさらいのつもりだったのですが、難解!特にガーフィンケル。
この前期、会話分析と、社会言語学の授業二つとって、質的研究の基礎を固めようと
いう心積もりが甘かったです。授業についていくのが精一杯、せっかく教えて
頂いた参考文献にまで手が届かず、毎週の指定文献と順番が回ってくる発表を
こなすのがやっとのことでした。
ただ、レポートに取り組み始めると、シャキッとしてこの3つの授業と自分なりの
背景知識や経験、感じていることが有機的に繋がり、何を調べたらいいか筋道も
見えてくると面白い。
いやはや、提出した論文の査読が返って来てボロボロですが、なんとかがんばります。
ヴィゴツキー学会も8月3日に予定され、恩師と再会予定。それまでに少しは進歩
したところを見せないと。
できれば、秋にどこかで学会発表できるようにしたいと思います。
2014年7月8日火曜日
英語教育学の今
全国英語教育学会から、表題の冊子が今日届きました。
第40回研究大会記念特別誌、ということで、副題は、理論と実践の統合。
昨年、札幌であまりにも恥ずかしい、でも初めての精一杯がんばった
ポスター発表を思い出しました。今の自分はますますいわゆるの日本の
この「英語教育界」から離れた道を行こうとしているなあ、どうせ
いつもの統計とか量的研究満載なんだろうなあ、と思いつつ、パラパラ
見ていました。
ところがところが面白くて読みふけってしまいました。全16章ですが、
興味のあるところはまあ、スピーキングなのかな、と読んでみると今の
日本の「英語教育界」の最新の取り組みと限界、あと隣接分野で関連の
ありそうな文献も紹介されていて、自分がやろうと感じていることが
やる余地があるというのがわかります。ただ、パラダイムが違うので、
それは常に念頭に置いておかないと変に引きずられる。
これは、この国の英語教育の現状を一挙に網羅できるし、英語教育概論として
大学の授業でも使えそうだな、と思いました。
各章はこんな感じです。
1. 小学校における英語教育、2.リスニング、3.スピーキング、4.リーディング、5.ライティング、6.語彙、7.第二言語習得と文法、8.テストと評価、9.学習者要因、10.教師論「成長する英語教師」、11.教授法、12.授業学、13.英語教育におけるICTの活用、14.国際理解教育と英語教育、15.統計的な分析と分析結果の解釈、16各地区学会における英語教育改善のための取り組み
第40回研究大会記念特別誌、ということで、副題は、理論と実践の統合。
昨年、札幌であまりにも恥ずかしい、でも初めての精一杯がんばった
ポスター発表を思い出しました。今の自分はますますいわゆるの日本の
この「英語教育界」から離れた道を行こうとしているなあ、どうせ
いつもの統計とか量的研究満載なんだろうなあ、と思いつつ、パラパラ
見ていました。
ところがところが面白くて読みふけってしまいました。全16章ですが、
興味のあるところはまあ、スピーキングなのかな、と読んでみると今の
日本の「英語教育界」の最新の取り組みと限界、あと隣接分野で関連の
ありそうな文献も紹介されていて、自分がやろうと感じていることが
やる余地があるというのがわかります。ただ、パラダイムが違うので、
それは常に念頭に置いておかないと変に引きずられる。
これは、この国の英語教育の現状を一挙に網羅できるし、英語教育概論として
大学の授業でも使えそうだな、と思いました。
各章はこんな感じです。
1. 小学校における英語教育、2.リスニング、3.スピーキング、4.リーディング、5.ライティング、6.語彙、7.第二言語習得と文法、8.テストと評価、9.学習者要因、10.教師論「成長する英語教師」、11.教授法、12.授業学、13.英語教育におけるICTの活用、14.国際理解教育と英語教育、15.統計的な分析と分析結果の解釈、16各地区学会における英語教育改善のための取り組み
2014年7月7日月曜日
メディアとことば研究会、他会話分析関連
今日、社会言語学の先生方が世話人となっているので、ということで
メディアとことば研究会、という研究会にちょこっとだけ参加してきました。
昭和のテレビが普及する前後のCMのデータが廃棄されそうなので、
デジタルで残そうとしておられるらしく、オタク研究者のひっそりとした
集まりでした。それでもこの研究会で本を四冊ほど出版しているらしいです。
大人しい研究者集団、おそるべし!この四冊が今の日本のあほらしすぎるメディア
状況を変える力になるかもしれません。
今週、会話分析の授業で自分のデータを持ってきてプレゼンしなくてはいけないので、
改めて、授業の指定文献、参考文献をおさらいしています。
その中で、会話分析が世の中に知られるようになったきっかけの事件
を知ってショックでした。
一つは、言わずとしれたオウム真理教の教祖の麻原が信者に教えととく
場面の会話分析、これはNHKの番組で取り上げられたそうです。
もう一つは、山形大学の学生が、体調が悪くなって救急車を呼んだ時の
電話の会話分析。結果救急車が来なくて、その後、その学生は
下宿で遺体となって発見されたという事件でした。
その電話の会話分析を読んで戦慄しました。
あまりにも誰も罪の意識なく、一人の大事な命を殺してしまった、という。
ことばの重さというもの、感じすぎても。感じなさすぎてもよくない。
メディアとことば研究会、という研究会にちょこっとだけ参加してきました。
昭和のテレビが普及する前後のCMのデータが廃棄されそうなので、
デジタルで残そうとしておられるらしく、オタク研究者のひっそりとした
集まりでした。それでもこの研究会で本を四冊ほど出版しているらしいです。
大人しい研究者集団、おそるべし!この四冊が今の日本のあほらしすぎるメディア
状況を変える力になるかもしれません。
今週、会話分析の授業で自分のデータを持ってきてプレゼンしなくてはいけないので、
改めて、授業の指定文献、参考文献をおさらいしています。
その中で、会話分析が世の中に知られるようになったきっかけの事件
を知ってショックでした。
一つは、言わずとしれたオウム真理教の教祖の麻原が信者に教えととく
場面の会話分析、これはNHKの番組で取り上げられたそうです。
もう一つは、山形大学の学生が、体調が悪くなって救急車を呼んだ時の
電話の会話分析。結果救急車が来なくて、その後、その学生は
下宿で遺体となって発見されたという事件でした。
その電話の会話分析を読んで戦慄しました。
あまりにも誰も罪の意識なく、一人の大事な命を殺してしまった、という。
ことばの重さというもの、感じすぎても。感じなさすぎてもよくない。
2014年7月4日金曜日
行為としての発語
要するに、発語行為、発語内行為、発語媒介行為ということなんです。
バフチンの、声、というのにもつながっていると思うし、
色々、カリキュラムなどにもつながっていると思う。
一介の町の自宅で英語を教えているに過ぎない個人が、
カリキュラムとか、教育とか、とか教科書とか、政策とか。。。諸々
そんな大それたことを論じるにはあまりにも未熟すぎる。
あくまでも自分のフィールドと生徒たちと付き合う中で確信があることしか
よりどころにできないし、するつもりもないのです。
どうなるのだろう。自分の博士論文。先輩のをぼつぼつ読み始めて
いますが、とてもとても、あんなふうに広い世界に応用可能な
論文など書けるとは思えないです。
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