2018年11月6日火曜日

ヴィゴツキー学第20回大会 他

博士論文がほんとに進まなく、今年は前期も後期も休学していたので、

このブログも書けないでおりました。読んでいただいる方もあまりないと

思うのですが、時々読んでます、と思いがけず言われることがあるので

更新していなくてごめんなさい。


副指導教官に助けていただきながら9月末に広島大学での社会言語科学会

のポスター発表もなんとか無事終わり、先日、神戸でのヴィゴツキー学大会での

発表もヴィゴツキー専門家の先生方の前で緊張しながらなんとか終わりました。


社会言語科学会での発表は、博士論文には関係がなくて大学入試改革の推進派専門家の

語りを批判的に分析したものだったのです。英語教育に興味がある研究者が

来てくださり、私のポスターの前で熱い話し合いを繰り広げて下さって面白かったです。

特に筑波大学の修士の若い院生さんがその後ツイッターで、この発表は

イデオロギーに関するもので面白かった、と感想を言ってくださったので嬉しかった。

広島大学のある西条市は酒処でいい街でした。ぜひまた訪れたい!



おとといのヴィゴツキー学会では、どうしても会話分析的な発表になってしまいつつ、

もしかしたら間違っているかもしれない、と思いながら、情動を伴ったインタラクション

と社会的言語の内化という解釈をおそるおそる出しました。偉い先生方からの

コメントを沢山いただきました。先生方曰く、情動までは行きすぎではないか、

発話の意図性、適切性、オースティンやサールなどコミュニケーションを軸に

理論展開した方がいいのではないか。博士論文で現象学的な分析を目指して

いると言っているがこれはそうは思えない、会話分析やエスノメソドロジーは

現象学から発展しているのでできそうだが記述をどういうふうにするのか、

もっと考えた方がいい。 ジェスチャーが伴うのはインタラクションではなく

同調ではないか。録画データをトランスクリプションにして分析するだけでは

生徒の実態を捉えられないのではないか、自分なら後から聞き取りをするが。

などです。指導教官もおもいがけず来てくださり、レジュメに沢山コメントを

書いて下さいました。見捨られてられてなかったんだな、と単純に嬉しかったです。


先生方のコメントをいただいて本当にありがたく、終わった勢いで来年2月の

臨床実践の現象学会に発表申し込みをしてしまいました。


今日、受理されたとの連絡が来たので、4年以上かかっていますが、現象学で

博士論文を書きたいという願いに一歩近づいた気がします。


がんばろう~~~~!













2018年7月15日日曜日

ヴィゴツキーへの回帰

中村和夫(2010)『ヴィゴツキーに学ぶ子供の想像と人格の発達』福村出版   を読んでいます。


5月に発行された大阪大学大学院言語文化研究科のプロジェクトで、
談話とイデオロギーがテーマになっていたので、それについて論文を書くために
ポッドキャスト番組の談話を分析してきました。

それはまあ、英語教育政策に関連する語りの分析です。

その冊子も発行され、(こちらで読めます)
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/69905/gbkp_2017_s4_039.pdf

関西英語教育学会でも同様の番組の談話を別のテーマで分析して発表し、
9月の社会言語科学会のポスター発表でも同じ番組の別の部分の談話を分析する予定です。

計3回同じ番組の談話をもとに発表を積み重ねることになり、自分でも
イデオロギーについて追及する方が性に合っているのかな、と思い始めて
来ました。

が、師匠からヴィゴツキー学について、11月に発表するようにと引導を
渡されて、またまた激しく迷い、冒頭の文献を読んでいます。

読み始めると、そもそも、自分がなぜ大学院に行って英語教育を学問的に
勉強したいと思ったのか、という原点を改めて突きつけられています。

自分は、英語教育政策や、英語教師に関心があるのではなく、もともと、
子どもたちの気づきや、英語に限らず子どもたちが日常生活で接したこともない
異言語に遭遇して、それが彼ら彼女らの学びの道筋をどう変えていったのか、
というダイナミズムの魅力に惹かれているのだと思います。

だから、申し訳ないけれども、すでに大人になって日本に来ている留学生
を対象にする日本語教育にも興味はないし、今の日本の英語教育で求められている
ようなスキルとしての英語の能力を伸ばすことにもほんとうは興味がない。

子どもが言葉としての異文化に教室で接して、それまでの思い込みが
ひっくり返るようなそういう体験、経験をする出来事、というのは
どういうことなのか、ということを知りたいのだと思います。

改めてヴィゴツキーの文献を読み返したうえで、初心に戻って、11月には、
そういうことを発表できるように精進していきたいと思っています。








2018年7月1日日曜日

臨床実践の現象学会 研究会

博士論文審査会のために散々現象学を勉強したにもかからわず、挫折してしまったこともあり、非常勤で忙しかったこともあり、しばらくこの研究会からは遠ざかっていました。

が、しつけんの研究仲間が発表するというので、参加してきました。看護学の研究者と現象学の先生方が中心なので、言語教育の分野はなかなか肩身が狭いのですが、仲間ががんばって切り開いてくれたので自分も続こうという気になれました。

データとレジュメはすべて回収されるので色々メモしたのですが、覚えていなくてもったいないことをしました。

以下は臨床実践の現象学会のホームページから今日の発表内容を転載して、今日の感想を
述べています。http://clinical-phenomenology.com/archives/

1.岩戸さゆき(大阪大学大学院人間科学研究科)「肺移植手術を待つ重症児と家族それぞれのレジリエンス」本研究は、脳死肺移植を待機している9歳の障害児であるN君と、両親、兄を対象とした事例研究である。N君の病状は重篤であるにもかかわらず、家庭は明るくポジティブな印象があった。そこで、それぞれの語りを分析し、どのようなレジリエンスが関与しているのかを構造化することを目的に研究に取り組んでいる。今回は父と兄の語りの分析を発表し、皆様からご意見をいただきたいと考えている。→フロアの先生からもご指摘がありましたが、データの解釈が主観的過ぎるのではないか、という感じるところが多々あり。せっかくの貴重なご家族の語りが十分に生かされていない、と思いました。レジリエンスという概念がどこから出てきたのか、という説明がなかった。

2.香月裕介(神戸学院大学)「クラスにおける日本語教師の実践」現在、日本語教師の「意識化されない実践知」を記述することを目的に研究を進めています。今回は、大学で非常勤講師として教える日本語教師の語りから、その日本語教師が「クラス」という場においてどのように実践を成り立たせているかについて分析したものを発表します。分析内容そのものはもちろん、その分析がいかに協力者や読み手の実践の捉え直しにつながるかという点についても、ご意見をいただければと思います。→教室ではなく、ただ人間の集団ではない「クラス」という概念について、「場」というのか?と深く考えておられたのが印象に残りました。あと、フロアの先生方の議論で、研究対象の教師が「静的」であり「変化しない、固定している」と言う人と、3回のインタビューの談話内容を細かく見ると「変化している」「成長している」と言う人が対照的だったので、データの読み方の深さについても考えさせられました。

3.村上優子(首都大学東京大学院人間健康科学研究科)「外傷性脊髄損傷患者の入院中の経験」現在、受傷後間もない時期の外傷性脊髄損傷患者がどのような経験をしているのか明らかにすることを目的に研究に取り組んでいる。今回は、研究参加者の何気ないひと言がどのような背景から語られているのか、また、医療者とのかかわりがどのように経験されているのかに注目して分析を試みたものを発表し、みなさまからご意見をいただきたいと考えている。→当事者の経験、を記述しようと試みている点では、この方の発表が一番現象学的ではないかと思いました。ただ、あまりにも内容が濃く、研究者が患者のリハビリに寄り添って、理学療法士の先生や作業療法士の先生とのやりとりを記述するには、文章だけでは限界があると思い、発表後に、社会言語学でのマルチモーダル分析のようなことをされてはどうか、とご本人に提案しに行きました。
x

2018年6月29日金曜日

大阪大学言語文化学会第53回大会

休学中だったこともあり、その他諸々あってこのブログを休んでおりまして、
時々読んでいただいている方には失礼いたしました。

今日、びっくりしたのは、名前を公開していないのに、
ゼミの後輩の院生さんたちが自分のこのブログを見つけて
読んでくれていたということにうれしいやら恥ずかしいやら。

でもちょっと励まされました。ありがとう。

表題の学内の学会にオーディエンスとして参加して発表者の佐川さんとゼミの皆さん、
そして発表者の寺浦さんにレジュメを読んてメールでお送りした感想、そして他の発表を聴いた感想をアップします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

佐川祥予「循環する2つの語りと関係性の構築―日本語教育の現場から―」

発表は、ブルーナーをよく読み込まれた佐川さんの理論の構築がとても説得力が
あったと思います。私はすごく勉強になりました。

この発表はもっと時間をかけるべきだというコメントがありましたが、
私も博士論文の骨組みとなるような濃い内容だと思いました。

ただ、今日も思いましたが、言文の教授レベルの先生方に受けるには、
実際の談話データに基づいた新しい知見つまり新規性を押し出すことではないかと思います。
というのは、これまでの博士論文審査会などを聴いた印象では、言文の先生方は
なぜか前半の先行研究のセクションや理論構築のところはいくら
一生懸命に説明してもすっと流されるような気がします。

一つには、これまで長年の研究生活や毎年の修論、博論の発表会で先行研究については
聞き飽きているので読んでいなくても知っている名前を聴くと、なんとなく
知っているような気がして興味を失うのかな、と思います。

また、たぶん(あえて辛口でいうと)お年寄りなので、日本人や留学生にかかわらず
若者の話しことばとか、現代の談話の現場では何が起こっているのか、
ということとそれを若い研究者はどのように解釈しているのか、
ということに興味関心が強いのではないかと思われます。

私の博論審査会の失敗を踏まえると、先行研究のところで現象学の勉強に力を入れすぎて、
データの解釈や考察に緻密さや現象学との一貫性が欠けたので指導教官も
他の先生方に何を結局言いたいかわからない、と言われて談話データの解釈など
先生も専門ではないので、僕も貴女が何を言いたいかわからなかったので、
先生方を説得するようなことは何も言えなかった、
ということが審査を通らなかった理由でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

寺浦麻由「『金閣寺』の英語翻訳における「建築」イメージの考察」

発表が聞けなくて残念でしたが、レジュメがわかりやすかったのでほとんど聞いたような気になりました。翻訳についても全く素人なので何もわからないにもかかわらず、翻訳というものの普遍的な問題を含んでいる重要な研究だという感想をもちました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

趙洋 「構築主義のジェンダー観から英文和訳における女性語の増訳を考察する―The Age of Innocence のMayの言語使用を中心として―」

この発表者の人は、一度何かの授業で(たぶん日野先生)一緒になって、それから院生室で見かけるたびにとても礼儀正しい日本語で話しかけてくれる中国人の留学生で、いつもPCに向かって何を研究しているのかなあ、と思っていましたが、見るからに地道にでもものすごく頑張って勉強している人でした。

タイトルを見て聞きにきたところ、あ、知っている人だと思ってすぐわかりました。内容は英語の小説を日本語の翻訳者が訳すときに現代で使われていない女性的な終助詞「~わ」を使う、ということを指摘しており、日本人は意識しないかもしれないが、日本語非母語話者にはすごく気になる、これは今の日本の社会が進むべき方向から逆行して差別を助長しているのではないか、という内容でした。

中国人の留学生はよくそういう日本文化の女性差別的な現象が気になるようで、ちょっと前にも、洗剤のCMでジャニーズの男性アイドルが白衣を来て研究者のアイデンティティで、それに対する女性の主婦が感心しているという場面をどう思いますか、と日本人と中国人にインタビューしてそれを修士論文にしていました。私もインタビューされて、それは日本はもう変わらない、ともう諦めている、と言いましたが、そういう自分の思いを言語化したのはその時が初めてでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

林 桂生「オートエスノグラフィーの可能性」

この方の発表は、いつも気になってよく聴きにいっています。というのは、自宅塾の
生徒で小学校3年生から社会人までずっと英語指導をしている若者が
高機能自閉症で、彼が感じていることは本当は何なのだろうか、
ということを知りたいからです。

林さんは、自分のことを障がい者だと今日も仰っていて、自閉症で研究者で
あるという人にとても関心が強く、でも少しでも違和感があるとそれは
違う、と自分を過不足なく表現するにはどうしたらいいんだろうか、と
いう葛藤が激しい、ということが見受けられます。

私のところに来ている彼は、社会に適応することが正しいことだ、
という、おそらく育った環境からきた信念に基づいて行動しているので
そういう葛藤は危険だと押さえつけて社会に適応しています。
小学校、中学校では特別支援学級で勉強し、彼が高校と言っている
特別支援学校を卒業で、障がい者枠で大手企業でお掃除の仕事をしています。
得意分野は偏ってはいますが、知的レベルが高いので、
長年の英語レッスンの成果で、海外に行ったこともなく、
外国人と話したこともほとんどないのに、
毎週私と英語で話し、自分の思ったことを英語で軽々表現できます。

ただ、適応力が高すぎて上司や大人が何を期待しているのか、
ということを読み取ろうとしたり、自分は自閉症でも
こんな症状はない、と言うのが本当なのかどうなのかよくわからない。

もっと違う教育を受けたら、林さんのように大学に行って大学院に
行って社会に批判的な修士論文や博士論文を書いて英語の書き言葉で別の活躍が
できたのかもしれない、と思ったり。

でもそう私が思うことが既に自閉症の人たちの多様性をわかって
いない、ということかもしれません。


2018年1月21日日曜日

しつけん 

きょうは、2か月ぶりに中之島で仲間と質的研究会通称しつけんでした。

毎月、哲学者を1人決めてその著者か解説書を読んでくる、という会で、

今回はフーコー。河出書房『知の考古学』とちくま学芸文庫『フーコー・ガイドブック』を

読んでレジュメを作って臨みました。


前回もフーコーだったのですが、は自分が審査会で切羽詰まっていたので、

出られず、でも前回の内容も含めてディスカッションが濃くて、良い時間でした。


仲間というのはおこがましいくらい、皆さん、ずんずんと進まれていて、

この1月に准教授になられたり、著書を出版されたり、大学の授業のカリキュラムを

コーディネイトされていたり、ガンガン主張するタイプではなく、一見謙虚で

(私から見ると)若いのに、粘り強く思考されていてその静かなパワーに

と感心するばかり。小中高の先生方もそうですが、こういう研究者が教育を下支え

しているんだろうなあ、とちょっとぞくぞくしています。縁があってしつけんに参加させて

いただき、もう一年が過ぎました。


いつかしつけんで本を出そう、ということで始められたということを今日初めて聞きました。

そのなかで、コラムなどの1ページでも加えてもらえたら、

とまた1つ大きな目標ができました。


次回は、私の提案でドゥルーズになりました。

大阪中之島で2月25日朝10時から3時ごろまでです。興味ある方は、

このコメント欄でも、私を個人的にご存知の方はまた別途ご連絡下さい。

ご一緒いたしましょう。







2018年1月19日金曜日

退学か休学か

ブログを読み返してみるとちゃんと書いていなかったようなので、

改めて結果報告。


博士論文審査会の審査は落ちました。色々思うところはありますが、

すべて自分の実力不足、およびいい加減さです。


直後は、この3月で単位取得満期退学にしようと思っていました。

退学後3年以内に博士論文を提出することは許されるということだそうなので、

もうこれ以上ここにいて高額な授業料を払い続けても、と。。。

それよりも、単位取得満期退学でもいいからその経歴を引っ提げて次の

世界にチャレンジしてみたい、と飽き症の自分は焦燥していました。


でも、博論を書いた人や、審査に通った人や、Dの仲間たちや色々な人と

話しているうちに、まだまだ3年で書けると思っているのは甘い、と言われたり、

まだD3でしょ、私はD5で書いた、とか、若手扱いをされてびっくり。


確かに退学すると、大学の図書館もPCも使えないし、籍もなくなる。

休学ならば、まだ大学院生でいられるし、学生証もあるし大学のIDで論文もダウンロードできる。

ゼミに潜るにしても、まだ罪悪感は少ない。


ただ、休学すると休学期間中は博論の審査会には出られない。発表はできない。

最短で博論を提出するつもりなら、休学のデメリットはそこにある。


どうしよう。









2017年12月23日土曜日

『学術書を書く』

審査会の前後で先生方と話し合ったりする間に、

章立てがどうのこうのとか、先生によって言われることが

違うし、パラダイムによっても違うし、だんだんわけがわからなくなって

きたので、図書館のアカデミックスキルコーナーで見つけたこの本を

読んでみました。


鈴木哲也・高瀬桃子(2015) 『学術書を書く』京都大学学術出版会
 
 
著者のお1人鈴木先生は、京都大学学術出版会の編集長なので、
 
学術書の編集者から見た、博士論文や投稿論文と、学術書の
 
違いを具体的に指摘されておられて、狭い学問分野で書く論文
 
というものの癖は分野を超えてあるんだ、ととてもすっきりしました。
 
 
博士論文は、審査をする数名の先生のために書くもの、学術書は
 

その専門分野の「二回り、ないし三回り外」の読者に向けて書くもの、
 
だそうです。自分はこの区別が明確でなかったために、博士論文で
 
紆余曲折しているんだ、ということがわかりました。
 
 
 
最近、博士論文を書き終えた人が論文を本にするために大学出版会と
 
やりとりをされていて、貴女も書き終えたら本にするんですよ、と言われた
 
ことがありました。その時は審査会に出すメドもつかなかったので、
 
なんか雲の上の話だなあ、と思っていたのですが、案外そういう先輩の一言が
 
あったので、この本が目についたのかもしれません
 
 
 
これから人生のステージに立ち研究者としてのキャリアを追求していく
 
若い人とは違って、自分には今まで博士論文を書いて提出する、
 
ということが究極の目標でありました。それがとっても難しく、
 
でも一段上の目標を見据えることでまたがんばれる気がします。