2017年7月22日土曜日
『教育の力』 苫野一徳 (2014)
最近、哲学者および教育学者の苫野一徳先生にはまっています。
表題の本を読み、Blogを読み、私よりもずっと若いのに、どれだけたくさんの
哲学や教育、人生についての重要な本を読んでいるのかその読書量に
圧倒されます。
現象学的教育学についても先生の本を読めばよくわかる。
ただ、表題の本を読んだ直後の私の感想は、わりと否定的なものでした。
ここに書こうと思って書き留めておいたのが以下。
母として、保護者とつき合ってきたものとして、現場の教室ではないけれど、
近所の英語塾のおばさん兼せんせいとして子どもたちと長くつきあってきた
ものとしての感想だったのかなあ、と思います。
「いうてはることは、よくわかるんだけど、保護者のお母さんたちは
きっと納得できないだろうなあ、と道に林立する学習塾の
看板をみながら思いました。
もちろん、学び合い、協同学習、で全員の学び合う力が
伸びる、という理想はわかる。私もそれをめざしたい。
多様な人と交わる方がその子の学びも豊かになる。
それも実感としてよくわかる。
でも、親としては、自分の子どもに安定した仕事に
ついてほしい、そのためには生活が苦しくても
塾にお金をつぎこんだり、私学を信頼して莫大な
授業料を払ってでも、自分の子どもを落ちこぼれさせたくない。
この強い願いにこたえてくれるのは、塾だと思っているし、
塾や勉強産業もそのニーズに応えるべく、あらゆる企業努力
を払っている。
苫野先生のお話はこの現状を変えることはできないのではないか、
と思うのです。
公教育の話しだけではなく、学習塾産業と、親の切実な願い、
それを巡るお金の話を抜きにしては、今は教育を語ることは
非現実的ではないのか、と思うのです。」
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