同じ著書の「反哲学入門」に引き続いて、表題の本を
読んでいます。この二年半ほど、諸々の理由で、
哲学について触れづらかったのが、夏休みと休学届で晴れて自分の
好きなように読める~~!幸せ。
ちょっと読んだぐらいではわからないに決まっていますが、
それでも難しい理屈を一行一行掘り下げるようにして読んでいき、
少しでもピンとくる箇所があると嬉しい。
木田先生は、ハイデガーがナチスに傾倒してしまったのは、「ドイツ大学教授の
政治的未成熟」というフランスのジャーナリストの見方が妥当だろうと言及され、
私もこの点がずっとひっかかるのですが、先生がその問題はひとまずおいといて
ハイデガーの集中した思索をずっと説明してくださるのでついていこうと努めて
います。
この本によれば、フッサールからシェーラー、ハイデガー、メルロ=ポンティに
至る現象学の展開と、広義の生命科学(今世紀前半の心理学、神経生理学、
生物学)は深く相互に影響しあっているので、そのことを理解しなければ
現象学のことは適切にとらえられない、そうです(p60)。
そのうえで第一章『存在と時間』について、第二章「時間と存在」の章をめぐって、
の中で、世界内存在、現存在、世界、有意味性、被投性、企投、根源的時間性、
脱自などの難解な概念について、ハイデガーが何を主張し、打ち立てようとしたのかが
説明されていきます。
例えば、「有意味性」について、金槌や釘を例にあげて、こういう個々の道具は、道具が
先にあるわけではなく、その道具立て、つまり道具の使用、道具の連関がまずあり、
「(板をうちつける)ために」というかたちを相互に指示しあうものとしてあります。
それを存在論的な先行(アプリオリ)、といいます。そしてそれを成り立たせているものは
人間が明日も今日とおなじように無事に生きていようとする「気がかり」なのです。
こういうことのすべて、総体が「有意味性」であり、この「有意味性」が「世界」
だということです(p71)。ですから、「世界」というのは、「現存在(≒人間)」の自己自身に
対するかかわりから発現し、そこに収斂していく意味の網目(p73)なのだといいます。
第三章では、体系的思想家としてのハイデガー、文明批評家としてのハイデガーよりも、
哲学史家としてのハイデガーを高く評価するし魅力があると、述べた上で
著者は哲学史へのハイデガーの新たな展望を書き進めています。
ここでは、ハイデガーが、通常表面的に権力への志向と解釈されてしまう
ニーチェの「力への意志」およびニーチェの哲学への誤解をことごとく
論拠をもって退け、ニーチェの哲学の真意を深く読み取っていることが
述べられています。そして、ニーチェからの学びをもってライプニッツの単子論の
再評価をし、形而上学の克服を試みているそうです。
著者曰く、ハイデガーが解釈するニーチェの「力」の本質とは、「おのれを
超えようと意志する」ところにあり、「力」は本質的に「力への力」なのであって、
「意志する」とは、本質的により強くより大きくなろうと意志することであり、
意志もまた本質的により強い意志たらんとする意志、「意志への意志」です。
そしてこの世界、存在者の全体、つまり自然が「現にあるよりもより強くより
大きく」なろうとする自己超克の構造をそなえた生(レーベン)であり、
生きたものだということなのです(p185)。
すごいですね~。元気が出てきます。
ここから、ハイデガーが、ギリシャ悲劇時代の思想家たちが書いた本の
中の「自然(プュシス)」を、自然科学の研究対象になるような存在者の特定領域
の自然ではない、存在者の全体を意味し同時に存在者のすべてを
存在たらしめている存在、おのれ自身のうちに生成力を有する生きた自然
とらえている話になってきます。
まだ全部読み終えていないのですが、ここで「自然」についての論考が出始めて、
はじめて、冒頭で生命科学と相互に影響しあっている、と言及されたこと
につながってきて、面白い。
1人で読んでいるのがもったいないので、拙いながらご紹介してみました。
2016年8月25日木曜日
2016年8月21日日曜日
全国英語教育学会埼玉研究大会2日目
昨日の反省から、今日は朝一番から参加。
帰りに荷物が重いのでプログラムと資料はぜ~んぶ宅急便で自宅へ
送ってしまいました。ので、記憶にある限りとIpadのメモをもとにとりあえず感想を。
プログラムはこちら。
http://jasele42-saitama.jpn.org/program.html
とりあえず、今回の目的は、高木亜希子先生のワークショップと、寺澤さんの
発表を見ること、日本語教育と社会言語学と会話分析などの間で
迷子になってしまった自分をもう一度出発点である英語教育学に引き戻すということでした。
その目的は期待以上に達することができた、と思います。
柳瀬先生と玉井健先生の発表は聞けませんでしたが、最後のシンポジウムを
聞いても、言語観、認識論という英語教育でこれまで話題になっていなかった
ことが表に出てきてディスカッションされるようになった、というのが意外でも
あり、日本で学問として少し深みが出てきたのかなあ、と思います。
実は玉井先生は、関西英語教育学会の卒論修論セミナーで、私の修論発表の
司会をしてくださっておられました。もう忘れておられるかと思いますが。
そのとき、コメントでハイデガーの現存在、に言及されておられました。
今回は英語オンリーの配布資料をみただけですが、現象学やメルロ=ポンティに
触れておられるので、素敵だなあ、と思いました。
もう一つ嬉しかったのは、修士時代に初めて札幌大会で、やり方もわからず、
しわしわの糊付けをしたポスター発表でレオンチェフの活動理論を基に
考察したり、外国語教育質的研究会、ヴィゴツキー学会で拙く修論を発表
したときは、たぶん誰にも聞いてもらえなかったと思っていたのが、今年は
二つも活動理論(ただしエンゲストロームの)を使った発表があったことです。
自分の発表がその後誰にどう受け取られたのかもわかりませんが、
どんな未熟なものであっても勇気を出して人に見てもらうことは
大事だなあ、と思いました。
まだまだ感想は山盛りありますが、また荷物がついたら。
帰りに荷物が重いのでプログラムと資料はぜ~んぶ宅急便で自宅へ
送ってしまいました。ので、記憶にある限りとIpadのメモをもとにとりあえず感想を。
プログラムはこちら。
http://jasele42-saitama.jpn.org/program.html
とりあえず、今回の目的は、高木亜希子先生のワークショップと、寺澤さんの
発表を見ること、日本語教育と社会言語学と会話分析などの間で
迷子になってしまった自分をもう一度出発点である英語教育学に引き戻すということでした。
その目的は期待以上に達することができた、と思います。
柳瀬先生と玉井健先生の発表は聞けませんでしたが、最後のシンポジウムを
聞いても、言語観、認識論という英語教育でこれまで話題になっていなかった
ことが表に出てきてディスカッションされるようになった、というのが意外でも
あり、日本で学問として少し深みが出てきたのかなあ、と思います。
実は玉井先生は、関西英語教育学会の卒論修論セミナーで、私の修論発表の
司会をしてくださっておられました。もう忘れておられるかと思いますが。
そのとき、コメントでハイデガーの現存在、に言及されておられました。
今回は英語オンリーの配布資料をみただけですが、現象学やメルロ=ポンティに
触れておられるので、素敵だなあ、と思いました。
もう一つ嬉しかったのは、修士時代に初めて札幌大会で、やり方もわからず、
しわしわの糊付けをしたポスター発表でレオンチェフの活動理論を基に
考察したり、外国語教育質的研究会、ヴィゴツキー学会で拙く修論を発表
したときは、たぶん誰にも聞いてもらえなかったと思っていたのが、今年は
二つも活動理論(ただしエンゲストロームの)を使った発表があったことです。
自分の発表がその後誰にどう受け取られたのかもわかりませんが、
どんな未熟なものであっても勇気を出して人に見てもらうことは
大事だなあ、と思いました。
まだまだ感想は山盛りありますが、また荷物がついたら。
2016年8月20日土曜日
全国英語教育学会埼玉研究大会 1日め
自分の予定が心もとなかったので、ぎりぎりまで決めかねて
いましたが、2日前に行くことにして足も宿も確保できたので、
今日午前中から参加。
スケジュールもチェックしていなかったので、羽田空港に到着してから
聞きたかった広島大の柳瀬先生を聞き逃すことに気がつきましたが、
時既に遅し。ハンナアーレントとかも話されてたみたいなのになぁ〜。
外国語質的研究会の皆さんにお会いすることができたり、ちらほら
関西でお世話になった先生に会えたり。
以前のように量的研究一辺倒ではない流れになってきていて、
質的研究が少し増え、研究方法や政策に関するカテゴリーがあったり、
多様になってきているなあと知り合いの先生にお伝えすると
同じことを感じていらっしゃいました。
中学、高校の先生の参加も以前よりずっと目立って、学会がSLA研究
と現場の乖離を問題視して、研究と実践の架け橋になろうとしている
のが感じとれました。
でもあと3時間で締め切りのAsia TEFL proceedings.........
もう一回書き直す!
2日めは心おきなく先生方の発表に浸りきることに
します!
いましたが、2日前に行くことにして足も宿も確保できたので、
今日午前中から参加。
スケジュールもチェックしていなかったので、羽田空港に到着してから
聞きたかった広島大の柳瀬先生を聞き逃すことに気がつきましたが、
時既に遅し。ハンナアーレントとかも話されてたみたいなのになぁ〜。
外国語質的研究会の皆さんにお会いすることができたり、ちらほら
関西でお世話になった先生に会えたり。
以前のように量的研究一辺倒ではない流れになってきていて、
質的研究が少し増え、研究方法や政策に関するカテゴリーがあったり、
多様になってきているなあと知り合いの先生にお伝えすると
同じことを感じていらっしゃいました。
中学、高校の先生の参加も以前よりずっと目立って、学会がSLA研究
と現場の乖離を問題視して、研究と実践の架け橋になろうとしている
のが感じとれました。
でもあと3時間で締め切りのAsia TEFL proceedings.........
もう一回書き直す!
2日めは心おきなく先生方の発表に浸りきることに
します!
2016年8月13日土曜日
博士論文まだまだ 構想
ちゃんと準備していなくて申し訳なかったのですが、
お忙しい先生にこれまでやったこと、何をしたいのか、
どのように対話としての言語観から日本の英語授業への実証的な研究に
繋いで博論として完成させるのか、ヒントを頂きました。
一つには私が考えているような、学習者にとって英語で自分の(内言を含めた)
意味のあることばを発することが重要だ、そういう瞬間に学習者が誘導できるような
英語教師の行為としてのことばがとか、対話的な言語観が重要だ、ということは
浅く解釈されて学位論文としては説得力がないということ。
ありがたかったです。博論としての深さを追求するには年数がかかる、
では短く太くするなら博論としての広さで勝負するしかない、と
言っていただきました。
よくわからないのですが、第二言語習得理論なるものに依拠すれば、ことばの
哲学とかバフチンとかに依拠はできないの?理論、ってなんなんでしょう?
先生とお話ししたのは、教室で雑談のときに英語を使う経験をするというだけでは
教師―生徒、情報を与えるもの―情報を受け取るものという大枠のフレームが
生徒が情報を与えるもの、教師が情報を受け取るものというフレームシフトに
なるだけなので大したことではない、母語であれ、第二言語であれ、
同じという感じでしたが、学習者にとって
それまで意味のない無視できる無機質の机上の記号だったものが、
個人的な意味のある生き生きとしたことばになるということは
劇的な変化ではないのでしょうか?
自分が経験上ものすごく重要だと思っていることが、学問上、研究上
たいしたことがない、と扱われることに納得できないのは、
本当に情けないです。まだまだなんだろうと思う。
お忙しい先生にこれまでやったこと、何をしたいのか、
どのように対話としての言語観から日本の英語授業への実証的な研究に
繋いで博論として完成させるのか、ヒントを頂きました。
一つには私が考えているような、学習者にとって英語で自分の(内言を含めた)
意味のあることばを発することが重要だ、そういう瞬間に学習者が誘導できるような
英語教師の行為としてのことばがとか、対話的な言語観が重要だ、ということは
浅く解釈されて学位論文としては説得力がないということ。
ありがたかったです。博論としての深さを追求するには年数がかかる、
では短く太くするなら博論としての広さで勝負するしかない、と
言っていただきました。
よくわからないのですが、第二言語習得理論なるものに依拠すれば、ことばの
哲学とかバフチンとかに依拠はできないの?理論、ってなんなんでしょう?
先生とお話ししたのは、教室で雑談のときに英語を使う経験をするというだけでは
教師―生徒、情報を与えるもの―情報を受け取るものという大枠のフレームが
生徒が情報を与えるもの、教師が情報を受け取るものというフレームシフトに
なるだけなので大したことではない、母語であれ、第二言語であれ、
同じという感じでしたが、学習者にとって
それまで意味のない無視できる無機質の机上の記号だったものが、
個人的な意味のある生き生きとしたことばになるということは
劇的な変化ではないのでしょうか?
自分が経験上ものすごく重要だと思っていることが、学問上、研究上
たいしたことがない、と扱われることに納得できないのは、
本当に情けないです。まだまだなんだろうと思う。
2016年8月10日水曜日
スポーツ
非常勤授業の成績をつけていますが、これがなかなか
理想通りにはいかなく、苦戦しています。
こちらが伝えたいメッセージは、毎週コツコツ好きなことを
英語で探して英語で書く、そして授業で練習すれば
英語は上達するよ、ということなのですが、学生たちは
そう捉えないのです。
こちらは楽だと思っていることが彼らには難しく思えて
ひるんでいるんだろうな、ということも想像できるし、
色々15週のあいだ伝え方を工夫してみたのですが、
思った通りにはいきませんでした。
一つには、スポーツ系の学生たちなのに私が
まったくスポーツには興味がない、ということもあります。
先生が興味なさそうだ、と思うと学生たちは
遣り甲斐をなくしてしまうと思って、今回は
がんばってオリンピックで自分にひっかかる
競技だけでも見ることにしました。
集中してみると面白い。特に弱い方が、強い方を
どのように戦略を駆使して、判断力を鋭くすることで
勝ってしまう、ことがある、というのがすごいなあ、
と思います。
学生の一生懸命書いた拙い文法もめちゃくちゃな英文を
読んでみると確かに自分の好きな選手、好きなスポーツについて、
そういうことを伝えたいというのはわかります。
それをどのようにしてもっと伝わることばにするのか、
後期はもっと教える技術を磨かなくてはなりません。
まだまだ、学生たちに教えてもらい、自分も研鑽を
積む余地があります。
理想通りにはいかなく、苦戦しています。
こちらが伝えたいメッセージは、毎週コツコツ好きなことを
英語で探して英語で書く、そして授業で練習すれば
英語は上達するよ、ということなのですが、学生たちは
そう捉えないのです。
こちらは楽だと思っていることが彼らには難しく思えて
ひるんでいるんだろうな、ということも想像できるし、
色々15週のあいだ伝え方を工夫してみたのですが、
思った通りにはいきませんでした。
一つには、スポーツ系の学生たちなのに私が
まったくスポーツには興味がない、ということもあります。
先生が興味なさそうだ、と思うと学生たちは
遣り甲斐をなくしてしまうと思って、今回は
がんばってオリンピックで自分にひっかかる
競技だけでも見ることにしました。
集中してみると面白い。特に弱い方が、強い方を
どのように戦略を駆使して、判断力を鋭くすることで
勝ってしまう、ことがある、というのがすごいなあ、
と思います。
学生の一生懸命書いた拙い文法もめちゃくちゃな英文を
読んでみると確かに自分の好きな選手、好きなスポーツについて、
そういうことを伝えたいというのはわかります。
それをどのようにしてもっと伝わることばにするのか、
後期はもっと教える技術を磨かなくてはなりません。
まだまだ、学生たちに教えてもらい、自分も研鑽を
積む余地があります。
2016年8月1日月曜日
JALTPanSig Journal 投稿
5月末の沖縄で行われたJALTPanSig のプレゼンターは
JALTPanSigJournalに投稿できることになっています。
わかってはいたんですが8月1日が締め切りということで
うかうかしているうちに6月が過ぎ、7月になり、一週間前になり、
2日前になり、今日の締切日になってしまいました。
昨年のTemple大学の時は、発表を終えてたぶん十分な時間を取って
Proceedingsに執筆したようで(もはや覚えていない)お金をかけて
Editageに英文校正を依頼して臨んだのだと思います。査読はまったくなく、
無事受領され、私の原稿も入れてもらうことができました。
今回はほんとにぎりぎりですが、さっきとりあえず、提出できる形には完了!!
でも、学会側から少なくとも提出前には二人に読んでもらいなさい、
ということが全くできていません。しめきりまで後4時間なので、なんとか
少し他のことをして、別の目で読み直して修正して提出しようと思っています。
たかだか3000語以内の論文なのですが、ほんとにハードル高い。
「とにかく提出すればあとはなんとかなる」というある先生の一言にわらをも掴む
思いで、もうだめだ、と思っていたのがここまで来れました。
後4時間、なんとか門前払いでなく査読をしてもらえるようにがんばります。
JALTPanSigJournalに投稿できることになっています。
わかってはいたんですが8月1日が締め切りということで
うかうかしているうちに6月が過ぎ、7月になり、一週間前になり、
2日前になり、今日の締切日になってしまいました。
昨年のTemple大学の時は、発表を終えてたぶん十分な時間を取って
Proceedingsに執筆したようで(もはや覚えていない)お金をかけて
Editageに英文校正を依頼して臨んだのだと思います。査読はまったくなく、
無事受領され、私の原稿も入れてもらうことができました。
今回はほんとにぎりぎりですが、さっきとりあえず、提出できる形には完了!!
でも、学会側から少なくとも提出前には二人に読んでもらいなさい、
ということが全くできていません。しめきりまで後4時間なので、なんとか
少し他のことをして、別の目で読み直して修正して提出しようと思っています。
たかだか3000語以内の論文なのですが、ほんとにハードル高い。
「とにかく提出すればあとはなんとかなる」というある先生の一言にわらをも掴む
思いで、もうだめだ、と思っていたのがここまで来れました。
後4時間、なんとか門前払いでなく査読をしてもらえるようにがんばります。
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