11月も後半をすぎて、あっというまにもう来月は12月。
毎週のDゼミだけが、博士後期課程らしい時間で、あとはMの授業で
課題をこなしながら、修行しているような日常を送っています。
Dゼミでは毎回一人ずつ、研究の進捗状況を報告するような形を
とっていて、今日は中国の留学生でD3のOさんが博士論文の中間
発表のようなことをしていて、指導教官とのやりとりをメモをとりつつ聞いて
いると、自分とは目的も方法もかけ離れた研究ながら、とても勉強に
なりました。
Oさんの研究は、日本語の試験をどう突破するかそのための
問題点を追及していくため、現代中国語と、古語、日本語との複雑な
対応関係を教えやすくするため整理して教育に生かそうとするもので、
ものすごく精緻で膨大な手間のかかる作業に、論理力、努力、優秀さを
まざまざと見せつけられます。
投稿論文では枚数制限があるから、このデータは見せずとも、博士論文
では省略せずに元のデータも全部見せないともったいない、など注意を受けていて、
基礎的研究とはどういうものか、それと応用との関係、研究についての
考え方、など、聞き入っていました。
が、気になったのは、指導教官が、まさに正統的な研究やな、という感想を
述べたことです。以前から、若い人は、それでよい、が年配のものはもっと
根源的な、原理的なことを追及しないといけない、という言及がありました。
今日も、こういう手間のかかる基礎的な研究と言うのは、非常に大事だけれど、
自分はこういうことはしない、教材やカリキュラムは直観でいってしまう、だから
自分は正統ではないんや、と軽く言われたのが、なんかお告げみたいでした。
4月からの生活を振り返ってみると、英語の文献を読むスピードもあがり、色々な
概念にもなんとなく慣れてきて、世の中の見方もより重層的に複雑になって、
えらい人の考えることも読み解けるようにはなってきたものの、研究という形で
自分に何ができるのかますますわからなくなってくる今日この頃です。
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