2014年3月11日火曜日

現実的な話

大事な家族を喪った忘れもしない2月24日からもう18日。

過労死なのです。高血圧の治療をもう10年以上続けていて、
良くなってきた、と本人は言っていました。でも毎日睡眠時間は
4時間から5時間ぐらい、一ヶ月に一回しか休みがない時も続いて、
この会社に移ったときは、余りのひどい勤務におどろき、
労基署に訴えるつもりで家を出た時間と帰宅した時間の記録を
とっていました。

何度言い争いをしたかわかりません。でも本人の中高大の同級生で、
クラブの大事な友達の同族会社に入れて貰い、経営のゴタゴタに
巻き込まれ、小会社を作って名前ばかりの社長になったり、
人が良いので友達の力になろうと頼まれたことは何でもして
いました。

揉めんといてくれ、と今でも遺影の顔が哀しそうな顔をします。
男同士のことだから、分からない事もあるよね、と友人たちには
諌められています。でも、これで良いんだろうか、と思う。本人は
もっと生きるつもりでした。死ぬと分かっていればこんな働き方はしなかったはず。





以下は数日前に前に書いた文章です。

長いながい二週間が経ちました。今でも夢のようです。

楽しかった2日間の鹿児島旅行、2日も休みがとれる贅沢
などこの十数年の間一度もなく、したい用に宿も電車も飛行機も、
どうする、夜の食事は、すき焼きにする?黒豚にする?
とわくわくしながら、宿はどっちにする?と企画を楽しんで
玉手箱特急に乗って、伊勢先生の授業にお土産持っていきや、と
Facebookに載せた写真にいいね、先生押してくれるかな、とドキドキ
子供のようにしていました。

今日、阪大の入学手続に行き、入学式の案内と同伴者入場券をもらいました。

卒業式にも入学式にも、保護者として行くで、と言ってくれていたのに
とうとう来ることが出来ませんでした。

亡くなった一時間前に帰ってきて脱いだ服には未だに彼の匂いが
染みついていて、それを抱きしめるともう二度と会えないという
激しい寂寥感に襲われます。

でもそれも、強い自分は克服するだろう、ということがわかっていて、
そういう強い自分が逆に哀れです。

とりあえず、食べていかなくてはならないので、泣きながらお金の
話や会社との数字の交渉、かけがえのない人を失ったのに、それを
お金の話に冷静にしなくてはいけない。現実は過酷です。



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