2014年3月30日日曜日

第15回外国語質的研究会他

発表をお約束していたのにもかかわらず、もろもろあって確認が遅れ、ご迷惑をおかけしていました。無事、修論を研究会の先生方に聞いて頂き、沢山コメントがありました。

活動理論ありきなのではないか、と思われそう
研究者として、これまでの経験から活動理論がしっくりくると思った根拠が
あるはず、その世界観を説明すべき
事例の選択に恣意性がある、と言われたとき反論できるのか
学習者の変容を言いたいのなら、時系列に事例を並べるべき
学習者をミクロに見ていく研究はよいが、それに大きなことをぶつけるのはどうか
生徒との長期に渡る関係とせっかくのラポールが強みなのに活かせていない
データについて子供たちにその時どう思ったか聞くべき、もったいない
手順の客観性は大事、解釈、コーディングは主観的でよい
どの発話にどうコーディングしたかは例だけでよいので、資料としてつける
研究のjustificationは何なのか
実践から生まれてきたのか、理論のカテゴリーに当てはめたのかが明確でない
マップの全体をみせてほしい
SLA 研究のrecast, explicitなどの指導とどう違うのか
活動というのは、その場に現れない学習者の状況も含むのか

などなど。
これまでの発表で、口頭試問を除けば一番多くのコメント、感想をいただき
ました。育てようとして下さっているのを感じます。ありがたいことです。

昨日、交渉も山を超え、すっきりしました。信頼できる友人にずっと
そばにいてもらい、支えてもらったおかげです。誰をも恨むことなく、
皆で亡くなった人の意志を尊重しよう、ということで最後に
は納得して終われました。さあ、ぼちぼち再出発の準備。

2014年3月24日月曜日

神頼み

今年のお正月ひいたお神籤を見ています。

明日の交渉を控えて、頼っている人たちから色んなことば。

でも、要は自分がその人を信頼するかどうか、それに全てがかかっている。
信頼しない、と決めればまわりはそう動くでしょうし、信頼する、と
決めればそのように動く。自分がどういうことばを選び、誰に向けてどういう
言い方でそのことばを口に出すかによって全てがきまる。亡くなった人の
生きた意味もそれでつくられてしまう。

おみくじのことばは、
夕立の  雨  やまなくに 日はくれて  行きなやみたる  山の 坂道

運勢は、
あせらばあせる程 苦しみ多く 騒げばさわぐ程損をする災い添う運です
けれど、何事も控え目にして心静かに身を守り信心怠らなければ
却って後は大の幸福あり

待人    道に妨げあり来ず
失物    物の間にあり
学問    自己の甘さを捨て勉学せよ
争事    勝て共後に恨まれる
恋愛    自我を抑えること
転居     控えておくがよし
病気     信心せよ

などなど。



2014年3月19日水曜日

問いの立て方

どんな問いを立てるか、が一番重要だ、と教わりました。

それを思います。

なぜ、死んだのか。
誰に責任があるのか。
どうやって死に至ったのか。
どうすれば死ななくてすんだのか。
死んだ人はいま、どこにいるのか。
そばにいるように感じるのは、何なのか。
死というものは何なのか。
この世に生きている自分たちの方が妄想ではないのか。
どうすれば、この事態をうけいれられるのか。
などなど。などなど。キリがありません。

こんな問いに答えを見つけようとしても、主人公を失い残された遺物や
紙やデータをいくらいじくって整理しても、何をやっているんだろう、
今さら、ということです。

問いの立て方が間違っているに違いない。

例えば、たとえば、いい生き方ができたのか、とか。
Quality of lifeという言葉はあまり好きではないですが、そういう問いの立て方をするしか
去った側も残された側もどうしようもないのでしょうか。

2014年3月11日火曜日

現実的な話

大事な家族を喪った忘れもしない2月24日からもう18日。

過労死なのです。高血圧の治療をもう10年以上続けていて、
良くなってきた、と本人は言っていました。でも毎日睡眠時間は
4時間から5時間ぐらい、一ヶ月に一回しか休みがない時も続いて、
この会社に移ったときは、余りのひどい勤務におどろき、
労基署に訴えるつもりで家を出た時間と帰宅した時間の記録を
とっていました。

何度言い争いをしたかわかりません。でも本人の中高大の同級生で、
クラブの大事な友達の同族会社に入れて貰い、経営のゴタゴタに
巻き込まれ、小会社を作って名前ばかりの社長になったり、
人が良いので友達の力になろうと頼まれたことは何でもして
いました。

揉めんといてくれ、と今でも遺影の顔が哀しそうな顔をします。
男同士のことだから、分からない事もあるよね、と友人たちには
諌められています。でも、これで良いんだろうか、と思う。本人は
もっと生きるつもりでした。死ぬと分かっていればこんな働き方はしなかったはず。





以下は数日前に前に書いた文章です。

長いながい二週間が経ちました。今でも夢のようです。

楽しかった2日間の鹿児島旅行、2日も休みがとれる贅沢
などこの十数年の間一度もなく、したい用に宿も電車も飛行機も、
どうする、夜の食事は、すき焼きにする?黒豚にする?
とわくわくしながら、宿はどっちにする?と企画を楽しんで
玉手箱特急に乗って、伊勢先生の授業にお土産持っていきや、と
Facebookに載せた写真にいいね、先生押してくれるかな、とドキドキ
子供のようにしていました。

今日、阪大の入学手続に行き、入学式の案内と同伴者入場券をもらいました。

卒業式にも入学式にも、保護者として行くで、と言ってくれていたのに
とうとう来ることが出来ませんでした。

亡くなった一時間前に帰ってきて脱いだ服には未だに彼の匂いが
染みついていて、それを抱きしめるともう二度と会えないという
激しい寂寥感に襲われます。

でもそれも、強い自分は克服するだろう、ということがわかっていて、
そういう強い自分が逆に哀れです。

とりあえず、食べていかなくてはならないので、泣きながらお金の
話や会社との数字の交渉、かけがえのない人を失ったのに、それを
お金の話に冷静にしなくてはいけない。現実は過酷です。



2014年3月1日土曜日

12th International ASIA TEFL Conference


最近、ごく身近な家族を急に亡くしました。

人ひとり死ぬということは大変で、大勢の人を悲しみの渦に巻き込み、

弔いの儀式が今もずっと続き、まだまだずっと続き、そして、たくさんの

役所、銀行、保険、諸々の手続き、が山のように押し寄せてきます。



それが世帯主だった場合には、残された家族はどうやって食べていくかも

算段しなければなりません。頭をフル回転させ、その合間に悲しみがこみあげて

来て、また、事務的なことに集中したり、子供と一緒に支えあいながら、泣きながら

でも笑いあいながら、全力投球しています。



亡くなった人とは、26年もの楽しい思い出がたくさんあって、ああだったね、こうだったね、と

言い合うのが楽しくもあり、その人の友人たちとそうそう、こんなことがあったと、

久しぶりに言って爆笑したり、号泣したり、しばらくはこういう状態が続くのでしょう。



お棺に入れてください、とお手紙をいただきました。封が開いていたので、読んでも

いいということだと思って読ませていただきました。


それを読んで思ったのは、家族、結婚、夫婦、親子、父、母、という

絆の強さは、それぞれの成員があちこちで色んな付き合いをして、

それをまた家族に持って帰ってきて、また出てゆく、そんな港のような、

安心できる場所だからこそ、外で培った愛情はまた内に増幅されて、また

強くなっていくのだ、ということでした。





神道には五十日祭、というのがあり、それで忌明けになるそうです。それまでは、

お祝い事には出られないので、事務的な仕事以外はすべてキャンセル。




Ipadのカレンダーを見ていたら、3月1日に表題の行事の発表申込み締め切り、とあって

そういえば、これに出たいと思っていたんだ、と冷蔵庫に貼ってあったちらしを

ながめていました。



明日一日で、英語のアブストラクトと自分のデータをつくって申し込めば出れるんです。


さあ、どうなるでしょうか。続きは次回に。