復学することにして、
結局この4月博士課程4年目の春を迎えることに
なりました。
色々思うことはありますが、昨日所属研究科の修了パーティに
参加して、博士後期課程に進学するM2はほんとにとても優秀
で、あとはただいろんな経験と出会いに恵まれるかどうか、
だな、と思ったり。
博士論文を完了できる能力について色々と思いました。
ただ、自分が思っていたのとはなんかずいぶん違うなあ、と
思います。まだ漠然としていてよくわからないです。
一番重要なのは、ある読者にとって、ある程度「わかりやすい」
ということなのだと思いました。
なんというか、「形式的な」わかりやすさ、とか「学術的な」
わかりやすさ、近い学問分野の研究者にとってあるていどの
「専門的」な「妥当性」がある、ということです。そういうものが
あれば、その研究の「深さ」などはあまり問題にならない
のかなあ、と思いました。
話は変わって、今日は娘の大学院の修了式に行って来ました。
そこで、総長のスピーチでいくつか博士論文の内容が紹介されていました。
その一つで、他者理解について、従来、間主観性と言われてきたものが、
自己と他者を別々に捉えてきたが、自己と他者は分けられないものとして
捉えるという論文を紹介されたのがびっくりしました。
さすが京都、そしてKyoto Eliteとスピーチでも言われていましたが
まだ少しは反骨精神が残っているんだなあ、と。
反骨精神のなくなった大学なんて存在価値があるんだろうか。
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