と聞かれてなんとなく知っていたとおもって、はい、と言ったのですが、ポッパー
も知ってますね、と聞かれた時はお手上げで、修士課程の学生が全員頷いたので、
あー、これだけレベルが違うんだ、と愕然としました。
ということで、読書中。
現代思想の冒険家たち,講談社 24 クーン パラダイムの読書メモ 途中までですが。
24 クーン、 野家啓一 、1998
p53 パラダイム転換は「思考の帽子のかぶり替え」
p62
1 科学の歴史的正統性ー「ホイッグ史観」の芽生え
「科学」の起源 通常、古代ギリシアの幾何学や物理学、さらにはバビロニアの天文学
現代的な意味での「科学」=個別諸科学とその社会制度化の完成、19世紀中葉
哲学の一分野(自然哲学) 👉 17世紀と19世紀の科学革命 👉 新しい〈知〉としての自己
〈知〉の旧体制(アンシャンレジーム)
↔
科学史と科学哲学でみずからの来歴を語る系図とその方法論上の優位を証明する必要性
パスカル『真空論序言』(1651)
古代の人文系の諸学問の権威に坑して、自然科学系の諸学問を区別し、その違いを方法論によって特徴付け、後者のアイデンティティを確立しようとした
ここで、知識の絶えざる「進歩」が語られる
「進歩」こそは哲学や芸術から科学を区別する紛れもない聖痕
科学のアイデンティティは以下を通じて19世紀後半に確立
歴史観としての「進歩主義」の普及
科学方法論としての「仮説演繹法」の整備
大衆化された「科学的決定論」のイデオロギー
p68
現代の科学観の原型=新理論による旧理論の包摂を通じた科学的知識の累積的発展
ヒューエル『帰納的科学の歴史』(1837)
「ホイッグ史観」名誉革命以降の自由の実現と社会の進歩はもっぱらホイッグ党に
よって推進されたとする立場
「勝利者史観」「進歩史観」「累積史観」
アレクサンドル・コイレ ホイッグ史観に反旗を翻した。
「内的科学史」= 過去の科学者たちが直面した問題を彼ら自身が用いた
概念を通じて理解、それを一次資料に即してあらゆる角度から内在的に再構成
p78
「ラプラスのデーモン」「決定論的世界像」
科学法則と初期条件さえ与えられれば、
超人的な計算能力を通じて過去も未来も一望のもとに認識できるデーモン
悪魔を18世紀の科学者ラプラスが想定
p80
「科学の危機」数学および物理学で起こった理論上の困難
19世紀末から20世紀初頭
数学「非ユークリッド幾何学」の成立、「集合論のパラドックス」の発見
物理学「相対性理論」「量子力学」の出現
「ロゴスの解体」
p92
20世紀の科学哲学は、科学のアイデンティティクライシスを
どのように克服するかを課題として出発
今日の「科学哲学」
狭義には論理分析や言語分析を方法とする英米圏の哲学
その出発点は、1920年代から30年代にかけてウィーン学団によって展開された論理実証主義運動
「エルンスト・マッハ協会」
「経験哲学協会」ベルリンで、ライヘンバッハやヘンペルが中心
1929年9月『科学的世界把握ーウィーン学団』
物理学アインシュタイン、論理学ラッセル、哲学ウィトゲンシュタインを先達として仰ぐ
科学言語の構造を明確に規定し、それを経験的に実証する手続きを通じて、
科学的認識への信頼を回復することを試みる
従来の認識論によって混同されてきた心理学的考察と論理学的考察を区別する必要性
「発見の文脈」論理的分析できない、天才の創造的機能
「正当化の文脈」ある事実を説明しうると称される理論と与えられた事実との関係の分析
ウィーン学団の任務は科学理論の「共時的」分析
科学哲学から「発見の文脈」のみならず、「通時的」分析、すなわち歴史的考察を排除し、
「正当化の文脈」に限定
p98 理論言語と観察言語の独立性、観察言語の中立性はのちにクーンらの
新科学哲学によって否定
p125 伝統へのより深い従属が、伝統を破壊し革新する原動力となるパラドックスこそが、科学革命の本質をなすプロセス。「本質的緊張」
p128 1959年6月講演「本質的緊張ー科学研究における伝統と革新」「逸脱的思考divergent thinking」
逸脱的思考とともに求心的思考が科学の研究の進展にとって不可欠の条件
「成功した科学者は伝統主義者と偶像破壊主義者の両方の特徴を同時に示さざるを得ない。」
p134
ウィトゲンシュタインは言語における人間の一致を「それは意見の一致ではなく生活形式の一致である」と述べているが、その言い方を借りるならば、「パラダイム」は科学者たちの「意見の一致」ではなく「生活形式の一致」を表現するための概念なのである。
第四章 『科学革命の構造』の構造
p146
第一は「累積による発展development-by-accumulation」という概念への疑い
「時代遅れの理論は、それらが捨て去られたからといって、原則として非科学的とは言えない」
第二は「事実」と「理論」の分離に対する疑い
科学的事実は「理論負荷的」なのであり、理論的背景を離れた「裸の事実」なるものはありえない。
観察とは単なる「感覚与件」の受容にとどまるものではなく、理論的文脈のなかで「事実」を構成する作業なのである。
第三は「発見の文脈」と「正当化の文脈」の区別に対する疑いである。
論理実証主義者たちは...「発見の文脈」を心理学や社会学の領分へと放逐した。それによって、科学哲学は科学理論の「論理分析」に専心できることになり、「科学の論理学」として自らを確立
むしろ、正当化の文脈は発見の文脈のなかに含まれているのである
p154 個々の研究分野がパラダイムを獲得することは、その分野が「科学」として成熟したことを示す最も明確なメルクマールである。
パラダイムの形成にともない、当該分野の専門雑誌の発刊、専門学会の結成、教育カリキュラムの整備など社会制度上の発展が促される。それらは「型」の継承にきわめて有効な装置だからである。
通常科学の期間に行われる研究作業は、おおまかに「有意味な事実の確定、事実と理論との合致、理論の分節化」の三つの領域に分けられる。
パラダイムが設定した土俵の上で、事実を精密化し理論を洗練させる方向へと向かうのである
科学者の問題設定や解決の技法には「共通の本質」が存在するわけではなく、そこにはゆるやかな「家族的類似性」があるのみなのである。
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