2014年4月28日月曜日

トーマス・クーン続き

読んだ〜! 難しかったですが、クーンがかなり誤解を受けていたこと、

その一因は彼の言葉の使い方が曖昧であったことと、当時の科学者たちが

自分たちの土台を脅かされることへの強い反発だったということが分かりました。


以下残りの主要部分のメモ。



p224

クーンの反論を以下三つの論点に集約

「理論選択」「相対主義」および「通約不可能性」

「理論選択」
クーンの主張は、科学革命期の理論選択に際しては、数学や論理学に見られるような
明示的なアルゴリズムが存在しない、という当たり前のことにすぎない

論争が証明の「前提」に関わるものである限り、証明によって決着をつけること
ができないのは自明の理

競合する理論のなかからより良い理論を選択する適切な理由

(1)  精確性
(2)  無矛盾性
(3)  広範囲性
(4)  単純性
(5)   多産性

理論は実験や観察の結果と一致し、それ自体が整合的であると同時に他の理論と
矛盾せず、幅広い適用範囲をもち、現象間の秩序をできるだけ単純な形で記述
するとともに、新たな発見をもたらすものでなければならない。

「選択の諸基準は規則としては不完全でも価値としては機能しうることを
認めれば、数多くの驚くべき利点があると思う」

科学者個々人によって基準を適用する仕方が異なることは大いにありうる。


「相対主義」
彼が非難されるのは、唯一絶対の「真理」なるものを認めず、科学的真理を
パラダイムに相対的なものと考え、真理へ直線的に接近するという意味での
「科学の進歩」を否定するから

直線的な「進歩史観」に対して、ダーウィンの進化論に依拠した「目的論なき進化」
という概念を対置する。

「知りたいことへの進化」という目的論的描像を「知っていることからの進化」
というダーウィン的描像での置き換え

「真理」は「証明」と同じく「理論内的」にしか適用できない概念


「通約不可能性」

異なるパラダイムが通約不可能,
ということは、まず共通の「中立的観察言語」が存在しないということを意味

「一つの理論から次の理論へと移行する際に、言葉はその意味や適用可能性の
条件を微妙に変えてしまう。」

「部分的コミュニケーション」
翻訳は可能であるにせよ、そこには特殊な困難が伴う

不完全な翻訳ならどの言語の間でも手に入る

一人の科学者は同時に二つのパラダイムに属して研究を進めることはできない







2014年4月27日日曜日

トーマス・クーン

恥ずかしい話ですが、クーン知ってますよね?彼のパラダイムシフト、とか、

と聞かれてなんとなく知っていたとおもって、はい、と言ったのですが、ポッパー

も知ってますね、と聞かれた時はお手上げで、修士課程の学生が全員頷いたので、

あー、これだけレベルが違うんだ、と愕然としました。


ということで、読書中。

現代思想の冒険家たち,講談社  24  クーン パラダイムの読書メモ 途中までですが。




24 クーン、   野家啓一 、1998

p53   パラダイム転換は「思考の帽子のかぶり替え」

p62

1     科学の歴史的正統性ー「ホイッグ史観」の芽生え

「科学」の起源      通常、古代ギリシアの幾何学や物理学、さらにはバビロニアの天文学

現代的な意味での「科学」=個別諸科学とその社会制度化の完成、19世紀中葉

哲学の一分野(自然哲学) 👉 17世紀と19世紀の科学革命 👉 新しい〈知〉としての自己

〈知〉の旧体制(アンシャンレジーム)   
   ↔      
科学史と科学哲学でみずからの来歴を語る系図とその方法論上の優位を証明する必要性




パスカル『真空論序言』(1651)    
古代の人文系の諸学問の権威に坑して、自然科学系の諸学問を区別し、その違いを方法論によって特徴付け、後者のアイデンティティを確立しようとした

ここで、知識の絶えざる「進歩」が語られる
「進歩」こそは哲学や芸術から科学を区別する紛れもない聖痕

科学のアイデンティティは以下を通じて19世紀後半に確立
歴史観としての「進歩主義」の普及
科学方法論としての「仮説演繹法」の整備
大衆化された「科学的決定論」のイデオロギー


p68
現代の科学観の原型=新理論による旧理論の包摂を通じた科学的知識の累積的発展

ヒューエル『帰納的科学の歴史』(1837)

「ホイッグ史観」名誉革命以降の自由の実現と社会の進歩はもっぱらホイッグ党に
よって推進されたとする立場
「勝利者史観」「進歩史観」「累積史観」

アレクサンドル・コイレ   ホイッグ史観に反旗を翻した。
「内的科学史」= 過去の科学者たちが直面した問題を彼ら自身が用いた
概念を通じて理解、それを一次資料に即してあらゆる角度から内在的に再構成

p78

「ラプラスのデーモン」「決定論的世界像」
科学法則と初期条件さえ与えられれば、
超人的な計算能力を通じて過去も未来も一望のもとに認識できるデーモン
悪魔を18世紀の科学者ラプラスが想定

p80
「科学の危機」数学および物理学で起こった理論上の困難
19世紀末から20世紀初頭
数学「非ユークリッド幾何学」の成立、「集合論のパラドックス」の発見
物理学「相対性理論」「量子力学」の出現

「ロゴスの解体」

p92 
20世紀の科学哲学は、科学のアイデンティティクライシスを
どのように克服するかを課題として出発

今日の「科学哲学」
狭義には論理分析や言語分析を方法とする英米圏の哲学
その出発点は、1920年代から30年代にかけてウィーン学団によって展開された論理実証主義運動
「エルンスト・マッハ協会」
「経験哲学協会」ベルリンで、ライヘンバッハやヘンペルが中心
1929年9月『科学的世界把握ーウィーン学団』
物理学アインシュタイン、論理学ラッセル、哲学ウィトゲンシュタインを先達として仰ぐ


科学言語の構造を明確に規定し、それを経験的に実証する手続きを通じて、
科学的認識への信頼を回復することを試みる

従来の認識論によって混同されてきた心理学的考察と論理学的考察を区別する必要性

「発見の文脈」論理的分析できない、天才の創造的機能
「正当化の文脈」ある事実を説明しうると称される理論と与えられた事実との関係の分析

ウィーン学団の任務は科学理論の「共時的」分析
科学哲学から「発見の文脈」のみならず、「通時的」分析、すなわち歴史的考察を排除し、
「正当化の文脈」に限定


p98 理論言語と観察言語の独立性、観察言語の中立性はのちにクーンらの
新科学哲学によって否定


p125 伝統へのより深い従属が、伝統を破壊し革新する原動力となるパラドックスこそが、科学革命の本質をなすプロセス。「本質的緊張」

p128 1959年6月講演「本質的緊張ー科学研究における伝統と革新」「逸脱的思考divergent thinking」

逸脱的思考とともに求心的思考が科学の研究の進展にとって不可欠の条件
「成功した科学者は伝統主義者と偶像破壊主義者の両方の特徴を同時に示さざるを得ない。」

p134 
ウィトゲンシュタインは言語における人間の一致を「それは意見の一致ではなく生活形式の一致である」と述べているが、その言い方を借りるならば、「パラダイム」は科学者たちの「意見の一致」ではなく「生活形式の一致」を表現するための概念なのである。


第四章  『科学革命の構造』の構造
p146
第一は「累積による発展development-by-accumulation」という概念への疑い

「時代遅れの理論は、それらが捨て去られたからといって、原則として非科学的とは言えない」

第二は「事実」と「理論」の分離に対する疑い

科学的事実は「理論負荷的」なのであり、理論的背景を離れた「裸の事実」なるものはありえない。

観察とは単なる「感覚与件」の受容にとどまるものではなく、理論的文脈のなかで「事実」を構成する作業なのである。

第三は「発見の文脈」と「正当化の文脈」の区別に対する疑いである。

論理実証主義者たちは...「発見の文脈」を心理学や社会学の領分へと放逐した。それによって、科学哲学は科学理論の「論理分析」に専心できることになり、「科学の論理学」として自らを確立

むしろ、正当化の文脈は発見の文脈のなかに含まれているのである

p154 個々の研究分野がパラダイムを獲得することは、その分野が「科学」として成熟したことを示す最も明確なメルクマールである。

パラダイムの形成にともない、当該分野の専門雑誌の発刊、専門学会の結成、教育カリキュラムの整備など社会制度上の発展が促される。それらは「型」の継承にきわめて有効な装置だからである。

通常科学の期間に行われる研究作業は、おおまかに「有意味な事実の確定、事実と理論との合致、理論の分節化」の三つの領域に分けられる。

パラダイムが設定した土俵の上で、事実を精密化し理論を洗練させる方向へと向かうのである

科学者の問題設定や解決の技法には「共通の本質」が存在するわけではなく、そこにはゆるやかな「家族的類似性」があるのみなのである。


























2014年4月17日木曜日

会話分析、談話分析、マルクスとヴィゴツキー、バフチン諸々

授業がはじまり、とりあえず今日で一週間が巡りました。

博士後期課程なので、三年間で必要な単位はたった8単位だけ。

指導教官のゼミだけやっていれば、授業は取らなくていい、ということの
はずなのですが、欲張って少し手を出してしまっています。

博士前期課程すなわち修士の授業を四つもとってしまい、おまけに
学部のドイツ語、大学授業開発論。ロシア語もフランス語も哲学も
文学部の授業もとりたいですが、我慢しています。



修士の授業は主に方法論で、会話分析と談話分析。

会話分析の授業は、毎週英語と日本語の文献それぞれ40ページほどを
ダウンロードして次の授業までに全員にメールで質問をアップロードする、
というハードなものなので、M2さんが口火を切ると、M1君さんたちが
一生懸命に質問をあげてきていて、すごい。門外漢がへたな質問をあげたかな、
と気になりますが、それはそれでどんな授業になるか、楽しみです。

テキストは、Hutchby, I. & Woodffitt, R. (2008).What is conversation analysis? Conversation Analysis



明日の指導教官のゼミでは、先生の未公開の論文が二本、先週配られて、
そのうちの一つは、簡単に概要を書いて発表してください、と早速仰せつかりました。

これをもとにディスカッションをするということで、読んで理解したと思っても、いかんせん、
マルクス、ヴィゴツキー、バフチンのことなので難解でつかみどころがなく、
持ち時間の30分がかなり緊張です。



夜10時まで開いている図書館を出ても、キャンパスはまだざわめき、学生たちが
逍遥し、夜空にジャズのトランペットやコーラスの声が響き、久しぶりに幸せな
気持ちで帰宅できました。

                      

2014年4月12日土曜日

バフチンカフェ1


授業が始まりました。


指導教官は、日本語教育がご専門なので博士後期課程のゼミは、
半分以上が、中国、韓国、タイなどのアジアの留学生。


博士課程の院生はどんな感じなのか見当もつかなかったのですが、


皆、地道に、でもしっかり研究しているなあ、という印象です。


自分の研究に関係ある学会や活動はどんどん積極的にやりなさい、と勧められていました。


修士課程では、指導教官に押されるがままに動いていたのが、もう、自分で
計画をたてて研究活動を進めていかないと、三年なんてきっとあっというまだ、
ということがよくわかりました。












ゼミのあと、興味のある院生が先生を囲んで、ガラス張りの食堂で、バフチンカフェ。


こちらは言語文化研究科のM2, 文学研究科のD2、助教の先生。


さっそく来週のためにJacoby and Ochs (1995)のCo-Construction:An Introductionという


論文が配られて、先生から課題をもらいます。










その後、院生から先生へさっそくお題が延べられました。




「なぜ、バフチンは、当時のソ連の社会状況下で、発話に注目したんでしょうか?」






まず、1917年のボルシェビキ革命、十月革命からはじまって、本来のマルクスらしい


マルクスの考え方、ほんとうの社会主義革命とはプロレタリアのための革命ではない、


ということが説明されました。






ロシアは帝政から、ブルジョア革命をすっ飛ばして社会主義のソ連となり、色のついた


マルクスレーニン主義(オーソドックスなマルクス主義)が席巻します。それは、


もともとマルクスの目指したものとはちがう、不幸な歴史をたどりました。






マルクスが目指したのは、すべての人がそれぞれの立場で役割を果たしている、


と思える、疎外のない国をつくることでした。資本主義になれば、商品が生産され、


労働が商品になり、資本家が生産活動を支配し、疎外状態が生まれ、


みんなのための労働ではなくなります。経営者も本来は役割であるはずが、


雇われ経営者となり、みんなに喜ばれるようにはなりません。






しかし、マルクスレーニン主義のもとで、社会主義のソ連は根本的なものの見方からすべてを


新しくしようとして、1990年に崩壊し、社会主義のもとでは幸せになれない、という


ことになって、マルクス主義はだめだ、ということになりました。






マルクス主義的○○○というのは心理学から芸術から当時の枕詞になっていたそうです。


すべてのオーソドックスな学問を見直そうという動きがあり、ヴィゴツキーも、教育の


基礎理論から改革するというテーマを持っていました。






しかし、どこの国にもマルクスをきちんと勉強してきた人たちがいて、それが


近年のマルクス・リバイバルにつながっているそうです。






では、「マルクス主義的マルクス」とは何なのか?


実は、ヴィゴツキーもバフチンも本来のマルクスらしさが一番出ている「ドイツ・イデオロギー」


を読んだのか、という問題があるそうです。






そこで、バフチンです。




バフチンは、文学、記号を中心にした文化論をやりたかった、だが、当時のオーソドックスな


見方ではラブレーもドストエフスキーも分析できなかったので、言語哲学を


やった。当時は, 言語活動のうち、言語事項ばかりが研究されていたが、これだけでは、
文学や文化の研究はできない。


現実は、生きるという「実践」すなわち発話である。(実践には書き言葉も含まれます)
しかも、発話は、単独ではない。すべての発話は、コミュニケーションつまり会話の流れの中にある。


発話=気持ちの兆候(sign)であるということが重要。発話は、われわれの気持ちに
かかわってきている。発話には多声性がある。つまり、発話は気持ちと一対一対応では
ない、その時のその人の気持ちに対応している。


一つの外言とともに、無数の内言が発生する。われわれは、われわれが受け取った気持ちに
対して応答している。




実践は動いている。人間は、動物と違って、自分たちの現実、世界を人間の力で改変
していっている。


みんなである種類の現実をやっているからその現実は続く。それぞれの現実は微妙に
ずれているが、ある程度の共通性はある。そのずれゆえにhybridが起こり、新しい技術が
発展する。


practice theory of learningをやっているのがヴィゴツキー。それに相対するのが、統計や
数字で世界を切り取るようなこと。だが、それはそれでいい。








ここで、別の院生から質問。


「それはポスト構造主義ではないのでしょうか?」


構造主義というのは、物事には構造、システムがあるはず、という考え。ソシュールなどもそう。


バフチンは、one culture, one societyはありえない、とみる。そういうものは
前提としない。one culture, one societyと見えるものも、いろんな文化が混ざっている。
one languageというシステムもありえない。バフチンはpracticeしかみない。


「世界はどうなんだ」というのが認識論、closed なone cultureがポンポンと世界のあちこちに
あるのか、そんなことはない、borderはあっても混ざっている。バフチンのは言語観、
というよりも世界観。


それでは、バフチンの「世界はどうなんだ」ですべての現象を説明できるのか?


大体これで時間切れ。




あと、研究者のテーマの選び方について。この研究が教育にどう応用できるか、というような
ことは書かないほうがいい。できない提言は書かない、と言われていました。





























2014年4月1日火曜日

入学式前他

     先日の研究会をめどにやっと修士論文の再提出に手がつけられるように

なりました。もう四月になり、遅れに遅れていますが、図書館で請求されれば

公開もする初めての著作権のあるもの、という事で慎重にならざるを

得ません。

    弔問も2日ごとにどなたかがいらしては、故人への溜まった想いを

ことばにして下さり、私達への情をかけてくださり、身にあまる

ありがたいことです。できるだけ、オープンに来ていただき易く努める

事が遺族としてできる限りのことかなあ、と今は感じています。

     そんな中、明日入学式を迎えますが、なんと希望していた西口光一先生から

指導教官に決まった旨直々にご連絡を頂きました。二人体制ですが、もうお一人の

岡田先生も会話分析の専門家でいられるのでこんな幸運があるのだろうか、と

信じられない気持ちです。頑張ります。