このところ、前期と後期のあいまなので、非常勤の授業が
ないあいだに色々なことをしてしまおうと思っています。
去年の沖縄でのJALTPanSIGのf最終の校正が来たので、これで
英語で査読付きの論文が一本できそう、ということでほっと
しています。お金のことを考えるのはいやなんだけど、この短い
論文のために使った旅費と宿泊費、学会参加費、
エディテージに払った英文校正費、が全部私費でけっこう15万円ではくだらない。
そしてたぶんボランティアでされている査読者とエディターの尽力
を考えると申し訳ない。し、自分としては信念も哲学もあって、
でも論文に仕上げる実力がこれで精いっぱい。
英語でなんとか日本の中学校の英語授業の実践を書いたことが
どう何か英語教育全般の役に立つのか。
で、このところ今まで書いたちっちゃい論文とか、発表とか
読んだ哲学書のレジュメやメモを整理してなんとか博論に
しようともがいているうちに、「事象に立ち返る」という現象学の
原則を思い出して、ある文法授業のデータの書き起こしをここ数日
ずっとしています。
そうすると、初心にもどるというか、先生の授業の語りに生徒は
わずかしか音声では答えていないんだけど、なにかしら表情や
サインを読み取って先生はそれに答えながら授業を進めていく、
というインタラクションが、書き起こしていると、わずかな間や先生の
声の調子や強弱から見えてきます。
先生一人でいるようでいて、そうではない、すごくリズムと
なんともいえない生徒との親密な信頼感のある時空間。
書き起こしながら、それに研究者として暴力的に介入して
いることのうしろめたさもあり、でもこういう授業を教師をこころざす
人と共有することは大事なのではないか、と改めて思った次第
でした。
がんばります。
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