2017年9月7日木曜日

書き起こし

このところ、前期と後期のあいまなので、非常勤の授業が

ないあいだに色々なことをしてしまおうと思っています。


去年の沖縄でのJALTPanSIGのf最終の校正が来たので、これで

英語で査読付きの論文が一本できそう、ということでほっと

しています。お金のことを考えるのはいやなんだけど、この短い

論文のために使った旅費と宿泊費、学会参加費、

エディテージに払った英文校正費、が全部私費でけっこう15万円ではくだらない。


そしてたぶんボランティアでされている査読者とエディターの尽力

を考えると申し訳ない。し、自分としては信念も哲学もあって、

でも論文に仕上げる実力がこれで精いっぱい。

英語でなんとか日本の中学校の英語授業の実践を書いたことが

どう何か英語教育全般の役に立つのか。


で、このところ今まで書いたちっちゃい論文とか、発表とか

読んだ哲学書のレジュメやメモを整理してなんとか博論に

しようともがいているうちに、「事象に立ち返る」という現象学の

原則を思い出して、ある文法授業のデータの書き起こしをここ数日

ずっとしています。


そうすると、初心にもどるというか、先生の授業の語りに生徒は

わずかしか音声では答えていないんだけど、なにかしら表情や

サインを読み取って先生はそれに答えながら授業を進めていく、

というインタラクションが、書き起こしていると、わずかな間や先生の

声の調子や強弱から見えてきます。


先生一人でいるようでいて、そうではない、すごくリズムと

なんともいえない生徒との親密な信頼感のある時空間。

書き起こしながら、それに研究者として暴力的に介入して

いることのうしろめたさもあり、でもこういう授業を教師をこころざす

人と共有することは大事なのではないか、と改めて思った次第

でした。

がんばります。




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