2017年2月2日木曜日

教科書

自宅塾の生徒が、これ何言いたいのか全然わかれへんねん、


と生徒同士高校の授業で使っている教科書を見せあってぶつぶつ


言っていたので、何がわからないんだろうと、一緒にやる?と言って


今日のレッスンをその文章を一緒に読むことでつぶしました。






一冊しかないので、とりあえず交互にパラグラフごとに生徒に音読してもらい、


とその音読につっこみつつ、ちょろちょろタイプアウトしながら内容について


感想や解釈をはさんでいると、どういうこと?こうやと思うねん、あ、


そこわかるで、こういうことや、どういうこと?とみんなで


話し合いながら読み進めててすごく面白く、まるで研究者同士の読書会


高校生版のようになりました。




この会社の一年生用教科書perspectiveのStonehengeという章です。




http://www.daiichi-g.co.jp/shuppan/syllubus_n/10/list.html#19707




内容が深く面白かったし、その前はレッスンで映画で見たマンデラさんが


あまりにもよくてわかりやすかったから、それとのギャップがあって


わからへんねん、と言っていた彼女たちでしたが、最後には理解が


深まった~、ありがとうありがとうと生徒同士(私にではなく、ここが重要)


満足そうにお互いに言い合いながら帰っていきました。






私は、彼女たちが学校でどういう勉強をしているのか、テスト勉強のときだけ、


わからないことを目いっぱい質問させて終わってからの振り返り、それしか


知らないのです。epistemological statusというか、彼女たちは高校の授業の


こと、どういう勉強をしているかということの当事者知識のレベルが私より上なので


必然的にその知識を私に教えるような形になるし、教科書をもっていない私に音読で


その内容を知らせることになる。それに対して私が解釈したり、スペルや発音を


聞いたりして意味の交渉がものすごく活発になる。


考えて話し合っているのは生徒たちが主体で、


私は完全にファシリテーターでした。こういうレッスンはめったになくて


いつもは私が教材を用意して、私と生徒の関係はこっちが知識を与えるもの、


生徒は用意された教材で知識を受け取るもの、となっていることに


きづきました。






それも教科書の内容がよかったりとか、色々な条件が整ってこそ、


こういう学びになったのだと思いますが、


この一時間を録画しておいて分析したらよかったなあ、と


ちょっともったいなく感じたのでした。









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